- Amazon.co.jp ・本 (167ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480872852
作品紹介・あらすじ
ささやかなリトルネッロ、つつましいインテルメッツォ、ほほえましい前奏曲。小鳥たちや植物、妖精や死者たちによってしずかに歌い出され消えていく音楽と、11の物語。
感想・レビュー・書評
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季節ごとの音楽がもしあるとすれば、この本で紹介されたのはみな、季節のはざまの音楽だ。
春から夏へと渡る初夏のころ。あるいは冬の足音が聞こえてくるとき。
著者の言葉を借りれば「音楽の素晴らしさを讃える前奏曲のような」作品を書いたひとたちで、バッハ、ベートーベン、モーツァルト、ショパンのように、よく知られた名前は出てこない。
それでも一度聴けば「あ・・どこかで聴いたことが・・」と思わず記憶の糸を手繰り寄せるような曲ばかり。
胸の底に囁くように、時に静かに揺さぶるように語りかけてくる小品たちだ。
「小鳥たちや植物、妖精や死者たちによってしずかに歌いだされ、消えていく音楽」。
そんな作曲家たちへ捧げたオマージュ11作は、中沢新一さんのもの。
それぞれに山本容子さんの銅版画が添えられる。彼らの音楽からインスパイアされたというエッチングは、どれも見開き2ページに渡る大きい作品で赤一色だ。
《 もくじ 》
孔雀のような―コダーイ・ゾルターン
ぎこちなさ―エルネスト・ショーソン
人生のすべてではなく―アレクサンドル・ボロディン
私は五千歳―アラム・ハチャトゥリアン
自由な霊の音楽―山田耕筰
疲労しないもの―レオシュ・ヤナーチェク
ニーチェ的―フレデリック・ディーリアス
インテリアの秘密―ガブリエル・フォーレ
アステカの月―カルロス・チャベス
おとぎ話としての音楽―ミカロユス・チュルリョーニス
ねずみを取る男―フーゴー・ヴォルフ
初めて読んだときはショーソン、ボロディン、山田耕筰、フォーレ、それしか知らかった。
それから毎年季節のはざまに読み続け、今ではすべてを知ることになった。
一作ごとに趣向を凝らした中沢さんのエッセイは、作曲家たちへの深い敬意にあふれている。
「音楽はそもそも、つつましさへと向かおうとする美徳を、内在させた芸術」であるという語り手の言葉があるが、では「つつましい」とは何だろう。
そして、つつましい音楽は偉大な音楽に劣るのだろうか。
私はそうは思わない。
ショーソンの「詩曲」を初めて聴いたのは高校生のときだった。美しさに、陶然とした。
以来、忘れたこともないからだ。
ひとつめのエッセイで、いつも涙ぐむ。
作曲家コダーイのためにハンガリーの民謡を吹きこんだ女性のスピーチだ。
農民出身の貧しいひとりの女性。この女性だけが知る歌。
いくつになっても忘れることのない、胸の底に流れる歌。
私は自身の内にそんな歌をもっているだろうか。
優秀な内科の医師で、触媒研究では世界的な化学者でもあったボロディンは「音楽は人生のすべてではなく、人生の一部であるからこそ、それは美しい」と言う。
アルメニア舞踏の名手でもあったというハチャトリアンの音楽は、モスクワ生まれの友人である作曲家の手紙の中で「こんな連中に、千年の歴史すら危うい僕たちロシア人が敵うわけがない」と言わしめている。
ぎごちない身体の動きそのままに、44歳で事故死したショーソン。他の誰とも似ていない、周縁の民族の民話のようなチュルリョーニスの音楽。
どれもが音楽を愛した人たちの話。聴く人が音楽を愛する人になるような曲を書いた人たちだ。
小口にシミの出来た古い本だが、瀟洒な装幀の中に閉じ込められた音楽家たちを思うと、この季節に読まないではいられない。
そして読み終えるとすぐに、彼らの音楽を聴きたくてたまらなくなるのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あるヴァイオリン二ストがショーソンの『詩曲』はあまりにも切なくて最後まで聴けずにレコードの針を上げてしまう、
と言っていたことが印象的でした。
そのことがこの本を読むとよく分かります。