もうすぐ絶滅するという紙の書物について

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  • Amazon.co.jp ・本 (472ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784484101132

作品紹介・あらすじ

紙の本は、電子書籍に駆逐されてしまうのか?書物の歴史が直面している大きな転機について、博覧強記の老練愛書家が縦横無尽に語り合う。

感想・レビュー・書評

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  • 「本から離れようたってそうはいかない」
    これが、原題の直訳らしい。
    そういうわけで、紙の書物の礼賛本である。
    電子書籍に対抗して紙の書物を擁護するかのような邦題だが、はなから相手にもしていない。いやぁ騙されるわ。
    そしてこの装丁の素敵なこと。
    重厚感のある黒に、シルバーの文字。小口と天・地は青灰色をしている。

    内容は、賢者二人の対談集。
    ひとりはウンベルト・エーコ(1932.1.5~2016.2.19)。
    イタリア生まれの小説家・エッセイスト・文芸評論家・哲学者・記号学者。
    かの「薔薇の名前」の作者で、私には20年前に読んで以来の出会いだ。
    もうひとりはジャン=クロード・カリエール(1931.9.17~)。
    作家・劇作家・脚本家として有名で、皆さんご存知の映画では「ブリキの太鼓」「存在の耐えられない軽さ」「昼顔」等、100本以上もの脚本を手がけた方。

    このふたりのお話の面白いこと笑えること。
    博覧強記プラス蔵書自慢にどうしてもなるのだが、レヴェルの高さで文化論になっている。
    そもそも蔵書数からして並ではない。
    エーコは自宅と別宅を合わせて5万冊。更に稀覯書(きこうしょ)1200冊。
    稀覯書というのは極めて貴重な古本のことで、これらを全部運び出すには大型のトラックで丸二日かかるという。なんかもう桁外れだ。
    かたやカリエールは稀覯書で2000冊。全部で3,4万冊あるらしい。
    更に二人はインキュナビュラ(グーテンベルグ聖書が印刷された15世紀半ばから15世紀末までの活字印刷物)を追い求め研究してきている。電子書籍など接点がないのだ。

    数少ないインターネット関連の話の中で、印象に残った箇所を載せてみる。
    レポートに検索内容をそのままコピペする不心得者は、ヨーロッパの大学でも問題になっているらしい。これに対するエーコの提案が以下のもの。
     
    『私が教師たちに助言するのは、宿題を出すとき、調査の仕方に条件をつけろということです。すなわち、与えられたテーマ一つに対して、出所の違う10の情報を集め、それらを比べあわせてみるということです。インターネットに対する批評感覚を鍛え、何でもかんでも鵜呑みにしないことを覚える鍛錬になります』
    ・・・・ね?なかなかいいと思いません?

    対談には進行役もしばしば交わり、こんな質問を投げかける。
    「具体的な蔵書の内容をお聞かせください」
    「書物を追い求める綿密な作業でのエピソードはありますか?」
    「顧みられなかった傑作をいくつか挙げていただけますか?」
    …ああもう、そんなこと聞くからお爺さまたちが喜んで長話になるのに…
    と何度もツッコミをいれた。書物の話は時空間をあっという間に飛び越える。
    「読んでない本について堂々と語」ったり、殊に古書に関しては圧巻の盛り上がり。
    特に収集の話ではほとんど少年のよう(エーコが可愛い・笑)。

    面白いのは、エーコが「マルジナリア本」が好きらしいということ。
    カリエールは「珍説愚説辞典」という本を執筆しており、ふたり揃って「変な古い本」が大好きなのだ。その上、本棚にあるから読まなければならないなんてことは無いと嬉しいことも言ってくれる。
    最後は蔵書の処分方法について話しているが、エーコの没後願いは叶ったのだろうか。

    読む行為以外にも書物は様々な側面を持っていることを思い出させてくれる。本と出会った色々な場面を懐かしい思いでふりかえった。
    もうすぐ死ぬと分かった時「ああ、あの本を読んでおくんだった」という後悔のないように、読みたい本は読んでおきたい。さて、皆さんにとってそれは何の本?

    ふたりの老翁に導かれたあたたかい本の旅、夢のように楽しい時間を過ごした。
    タイトルから解を求めようとすると辛い旅になるから、そこは気を付けてね。
    刊行当時読んだものの再読だったが、10年も経てば大方忘れる。
    いつかそのうち記録しようなどと、ゆめゆめ思ってはいけないことも学んだ。

    • nejidonさん
      goya626さん(^^♪
      タイムラインでは圧倒的に現代小説が多いですからね。
      たまに私も「そんなに言うなら」と借りてくるのですが、一頁...
      goya626さん(^^♪
      タイムラインでは圧倒的に現代小説が多いですからね。
      たまに私も「そんなに言うなら」と借りてくるのですが、一頁も読めずに返却してしまいます。
      最初の数行で壁に投げつけたい気分になるときもあります。もちろんやりませんが(笑)
      昔はずいぶん読んだのですけどね。
      声に出して読む古典!!そうそう、それをやりたいのですよ!!
      2021/02/01
    • 夜型さん
      エーコは『論文作法』で一冊使って語っていますね。
      いぜんレビューした本をきっちり踏襲して、マルジナリアと前後で連携して堂々と語るレビューは...
      エーコは『論文作法』で一冊使って語っていますね。
      いぜんレビューした本をきっちり踏襲して、マルジナリアと前後で連携して堂々と語るレビューは面白かったです。
      消化は順調のようで!
      2021/02/01
    • nejidonさん
      夜型さん♪
      お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
      ああ、エーコのその作品は未読なんですよ。残念。。
      (中途で作業が止まっている論...
      夜型さん♪
      お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
      ああ、エーコのその作品は未読なんですよ。残念。。
      (中途で作業が止まっている論文のことも思い出しました)
      おかげでとても楽しい読書ができました!
      声をあげて笑った箇所もたくさんありますよ(*^-^*)
      好みの本と出会ったときの幸せはなんとも言えませんね。
      今日は大好きな絵本を載せてみます。
      こちらもまた、声をあげて笑ってしまった本です。
      2021/02/02
  • 『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』という日本語のタイトルは、なんだか挑戦的で、本好きな人たちの不安をもかき立てます。ですが、オリジナルタイトルは「本から離れようとしてもそうはいかない」というから、なるほど納得です。

    なぜ腑に落ちたのかというと、本書はマーシャル・マクルーハン(1911~1980カナダ)の『グーテンベルグの銀河系』という本――文学論、メディア論、人類と文字の誕生から、写本、印刷技術の発明、書物の歴史を丁寧にたどる――に対する賛辞やオマージュとして書かれたということだからです。なので日本語のタイトルはだいぶズレていますね……。

    それよりひそかに私がおののいていたのは、『グーテンベルグの銀河系』は、タイトルはそれこそロマンチックですが、その中身となると、かなりの読み手でなければ愉しむのは至難の業です。読みながらなんどもクラクラとめまいがした私で、そんな本へのオマージュとなれば、あいや~どうなるのだろうか……と(-_-;)
     
    ということで、いつもの好奇心と怖いものみたさでこの本をのぞいてみると……ありゃ? なんだか雰囲気がちがいますね。本好きなおじさま二人がやんややんや、和気あいあい、本のありとあることをしゃべっていて、軽妙でマニアックで、ときにすごく滑稽で可笑しい。

    おなじみウンベルト・エーコーはイタリアの記号学者。『薔薇の名前』や『フーコーの振り子』など、世界的に有名な作家。私も好きな作家の一人です。
    ジャン=クロード・カリエールはフランスの脚本家で、『ブリキの太鼓』や『存在の耐えられない軽さ』の脚本を手がけたそう。これら作品の作者ギュンター・グラスはさておき、ミラン・クンデラはわりと好きなほうですが、残念ながらカリエールの映画は観ていません。どう映ったのかしら……ということで、二人は、おそるべき博識なひとたちです。

    ***
    章のタイトルもなかなか凝っていておもしろいので、すこしだけ雰囲気を紹介します。
    「本は死なない」
    「耐久メディアほどはかないものはない」
    「是が非でも私たちのもとに届くことを望んだ書物たち」
    「鶏が道を横切らなくなるのには一世紀かかった」
    「珍説愚説礼賛」
    「インターネット、あるいは「記憶抹殺刑」の不可能性」
    「我々が読まなかったすべての本」
    「死んだあと蔵書をどうするか」
    ……といった感じでまだまだ続きます。

    465頁のボリュームはありますが、対談のため余白があり、わりと字は大き目で読みやすいです。しかも彼らの議論は、ときに白熱してどんどん脱線し、おーい! と呼び戻したくなることもしばしば。
    聞きしにまさる活字中毒で、ローマ教皇庁の公文書書記官ボッジョ・ブラッチョリーニよろしく、埋もれた本の本漁りマニア、一度は目にしてみたい凄まじい蔵書の数々……お茶目な書物愛はかなりマニアックで唖然として笑えてきます。フィギアかなにかを集める小さな男の子のように無我夢中で、真剣な知のあそびとおしゃべりは尽きることなく続きます。

    「人類はまさに途方もない存在です。火を発見し、都市を建設し、見事な詩を書き、世界を解釈し、神託の神々を絵に描きました。しかし同時に同胞を相手に戦争を繰り返し、互いにだましあい、環境を破壊しつづけてきました。知的で崇高な美徳と低俗な愚行を合わせて評価すれば中くらいの点数になります」
      
    自由奔放に書物のことを語りながら、人類の歴史、人間の愛らしさ、そして醜さや愚かしさを語る……書物とは人間(存在)そのもののようで、銀河系に散りばめられた多様で未知の星々を語るように壮大なものです。まちがっても電子書籍をうんぬんする……といった矮小な話ではありません。

    はて? これから私たちはどこへ向かうのか、そのとき書物――その素材は紙とは限りませんが――を携えていくのか? それともどこかの時代にそっと置いていくのか?
    一章一章は短めで、就寝前に少しずつ読めるような気楽さです。ときどき優秀な睡眠導入本にもなります(笑)。興味のある方にお勧めします。

  • 紙の本についての深い愛が貫かれている1冊。
    少しリラックスした語り口(あるいは対談)なので、緻密な小説世界に比べて本当にちょっとだけ読みやすい(気がする)。
     

  • 高校の時に本屋さんで装丁に一目惚れ!
    欲しいなぁとは思ったのですが、一目惚れして即買いするにはちょっと値段が高かった…なので図書館で借りて読みました。
    ウンベルト・エーコとジャン・クロード・カリエールの対談。
    紙の書物と電子書籍の話から、書物の歴史についてや文学、芸術についてなどなど様々なテーマで2人が語り合います。
    高校生の私には難しい話も多々でしたが、興味深く読みました。
    また機会があれば再読したい一冊。

  • 綺麗な本です。買わされます(笑)

    電子書籍より紙の本がいいよ!という本ではなく。
    書物はどんな風に扱われてきたのかということを、延々話し合っております。

    その中で、データの儚さ、味気なさに言及しているのですが、私が小さい頃に愛用していたMDって、CDの次にやってきた媒体だったのに、ほんと滅びてしまいましたよね。
    紙は、少なくとも紙以上にはならない(だろう)から、難点はあるけれど、何かに取り変わられる怖さはないのかもしれない。
    一方、データや入力方式については、まだまだ新しくなってゆく。

    それは紙にとっては脅威だ!とは思わなくて、紙に出来なかったことを、どう補うんだろうという、期待もあるのです。
    私たちは「書かれたもの」に興味をなくしたわけではない。

    この対談の中では、ひとつ、フィルタリングについて挙げられています。
    膨大な書物の何を、誰がデータ化するのか。
    書かれた内容の真偽をどう判定するのか。
    そして、嘘が書かれた書物には価値がないのか。
    紙が勝手にデータ化するわけはないので、誰かがその作業を担うわけですか……。
    そこにイデオロギーを絡めて言及されています。

    もう一つ、面白かったのがデータの消去の話。

    「『検索』機能を使えば、ドキュメント内に出てくるある特定の単語すべてを検出し、マウスで一回『カチッ』とやるだけで消去できてしまうように、ある単語ないしある語群だけを地球上のすべてのコンピューターから消去してしまうような情報科学による検閲だって想像可能ではないでしょうか」

    書物の歴史には、焚書という災厄が何度も繰り返されたけれど、そこには炎による破壊と再生という象徴的な意図を見出せる、とある。
    なるほど、対してデータの世界は静かですね。
    知らない間に、言葉が消えてしまう可能性や、如何に。

  • 日本語のタイトルはひっかけですね。
    原題『N'pspérez pas vous débarrasser des livres』は、
    直訳すれば、本から離れようったってそうはいかない、という意味(訳者あとがきより)。
    すっごい大胆な意訳だよ。
    中身は、「書物・知識収集の今までとこれから」についてですから、原題の方が内容を伝えていますね。

    2人の本を愛する爺さんの対談集です。
    編集者トナックさんも負けずに、会話に加わります。

    読み切れない本、読んだことのない本を
    まるで読んだかのように語る術について語るところが、一番興味深かったかも。
    本好きの人にオススメです。

    表紙は青みがかった黒。天・小口・地の青色の配色がなされたデザイン。
    厚みがあるのに、かなり本が軽いので、
    手にとって読み始めた瞬間、高揚感を味わいましたよ。
    (だって、普通のハードカバーは重いばっかりで嫌いなんだもん。)

    ちょっと調べていたら、造本装幀コンクールで受賞をしていたんですね。
    http://books.hankyu-com.co.jp/_ISBNfolder/ISBN_10100/10113_kami/kami.html
    こんなコンクールがあったんだ(ぼそっ)。

  • フランスとイタリアの「老練愛書家」2人よる対談。タイトルからみて、紙の書物は絶滅するのか?という問題意識で手に取りましたが、それに関しての2人の答えは一貫していて、それよりも、ありとあらゆる情報が入手可能になった現代、私たちはどう情報と向き合ったらいいのか、本質的な示唆に富んだ視点が盛りだくさんで学びが多かったです。

    ・これから求められるのは、考えをまとめて結論を導く技術、真偽を確かめられない情報をチェックする方法
    ・書くという行為は常に危険を伴ってきたし、今でも変わらない
    ・過去がそのままの姿で我々のもとに届くということはまずない
    ・我々自身が情報提供者になり、善意で悪気なしに情報をねつ造することだってある。修正するには、延々と検証しつづけるしかないが、苦労が多すぎるので、結果的に野放しになる
    ・映像は人を欺く
    ・自己顕示は何によっても止めることができない

    そのほか、面白かったのは、インターネットの方が先に姿を消す可能性だってある、とか、そもそも私たちが学んだのは傑作や偉大な歴史に偏っていて、それも「敵や馬鹿や間抜けが書いた」結果であるものが多いし、それよりも「珍説愚説」の方が豊穣で示唆に富む、とか。
    こうして当たり前に、前提としてとらえてきたことを逆から見る気持ちよさ、というか、常識が揺さぶられる、何とも言えない爽快感を味わいました。

    もう一つ、衝撃だったのが「誤りとか、思い違いとか、ばかばかしさとか、そういうものにどうしようもなく惹かれるんです。くだらないことが大好きなんです」と言い切っていたお二方。珍説や嘘が書いてある本を集めているのだそうです。その潔さといったら。

    全体を通して、世界の広さと深さ、そして希望を感じさせてくれる本でした。

    でも基本的に長くて読みにくいので、★は4つ!

  • これは「卑怯」な本だ。愛さざるをえない。本を愛する人達に向けて、本を愛する賢人二人が、本への愛を語る、という本なのだから。内容の是非以前に、悪い評価を「付けられるはずがない」本になっている。
    もちろん内容も面白い。賢人二人が自然に発しているセリフの中にも、引用したくなるフレーズが山ほどある。例えば、「哲学って何の役に立つんでしょう?」とか・・・あなたたちが言いますか!
    当然ながら装丁も凝っていて、まるで高級家具のよう。考えぬかれたであろうタイトルもずるい。電子書籍の話が毎日取り沙汰される現在、このタイトルにそそられない人がいるだろうか。
    いやほんと、卑怯な本だ。

  • 本を偏愛する2人、エーコとカリエールの間で弾むような会話が繰り広げられる。時に脱線もするのも含めてとても楽しく読めた。

    読者のナラティブによって本の解釈は変わっていくものだという。名作は歴史を経て豊かな解釈がなされて、現代にも意味を持ち続けている。だから古典は今でも価値があるのだと改めて感じた。

    印象に残ったのは以下の2箇所です。
    「書物の一冊一冊には、時の流れのなかで、我々が加えた解釈がこびりついています。我々はシェイクスピアを、シェイクスピアが書いたようには読みません。したがって我々のシェイクスピアは、書かれた当時に読まれたシェイクスピアよりずっと豊かなんです」
    「書物はもちろん読まれるたびに変容します。それは我々が経験してゆく出来事と同じです。偉大な書物はいつまでも生きていて、成長し、我々とともに年を取りますが、決して死にません。時とともに作品は肥沃になり、変容し、そのいっぽうで、面白みのない作品は歴史の傍らを滑りぬけ、消えてゆきます」

    傍に置いていつでも読めるようにしたい本。装丁も素晴らしいですしインテリアにもなります。

  • 「与えられた時間と予算の範囲内で、私たちは自分の好きな旅先を選ぶように、好きな本を選んで読みさえすればよい。」訳者あとがきのこの一節は、稀代の古書愛好家二人による対談の本質を示しているように思える。

    対談というのは、面白いものだ。頭の中にあったもの、世に顕れている事実を論理的に構築し整理した文章とは異なり、ある種の放縦なエネルギーを持っている。

    「紙の書物はなくなるのか?」という問いについては、早々に「なくならない」という結論が提示される。一方で「なくなってしまった」書籍、焚書や単なる火災、時の洗礼により忘れられてしまったものへの言及もある。
    忘却というプロセスが文化を産む、しからば忘却というフィルタリングが作用しないインターネット時代において文化はどうなるのだろうか…という問いには考えさせられた。

    辞書と見紛うばかりの重厚な佇まい、老練な愛書家による対談という端書きから想像される骨太な内容。敬遠する理由には事欠かない。そもそも本人たちが「本は無理して読むものではない」というようなことを言っている。しかし、だからこそ、本書を手にとってみる価値はある。
    老練な愛書家のグルーヴに酔いしれ、あらためて読書の海原へと漕ぎ出す力を貰えるような気がするのだ。

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著者プロフィール

1932年イタリア・アレッサンドリアに生れる。小説家・記号論者。
トリノ大学で中世美学を専攻、1956年に本書の基となる『聖トマスにおける美学問題』を刊行。1962年に発表した前衛芸術論『開かれた作品』で一躍欧米の注目を集める。1980年、中世の修道院を舞台にした小説第一作『薔薇の名前』により世界的大ベストセラー作家となる。以降も多数の小説や評論を発表。2016年2月没。

「2022年 『中世の美学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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