- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784484132167
作品紹介・あらすじ
立ち止まって見るイタリアには、いろいろな音があり、色と匂いがある。『ジーノの家』で「日本エッセイスト・クラブ賞」「講談社エッセイ賞」をW受賞した著者が贈る心に響く情景60編。
感想・レビュー・書評
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ふつうのイタリアの話が楽しい
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一つ一つの話は短いけど、写真が掲載されているのが嬉しい。特に食べ物が良い。文庫にする時はどうするんだろう。ヴァレリアの話が特に好きだった。
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2018年6月3日読了
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ミラノの生活での出来事が美しく描かれている。季節の移り変わりや空気感、色などが伝わってきて、実際に訪れてそれを感じてみたくなった。
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ほかのエッセイに比べても「軽い」内容だけど、立ち上る季節ごとの香りや、普通の人たちのさざめきが聞こえてくるよう。
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それぞれのエピソードに独特の余韻を残す読後感のあるのが、作者の文章の特徴であり魅力。この本でもそれは変わらないのだが、本の装丁、デザインが残念で文章の魅力を半減させてしまっている。
評価の星が一つ減ったのはその点を考慮しての事。
本としての魅力を考えたデザインなり装丁をして欲しかった。 -
雑誌に連載されていたエッセイ。ちょっとおしゃれなイタリア報告。
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雑誌のウェブサイトで連載されていたエッセイ(ブログ?)を単行本化したもの。イタリアの季節感豊かな街の風景や人々の営みを丹念に拾い集めている。「ジーノの家」、「ミラノの太陽、シチリアの月」でお馴染の話題も有るが、前記2冊と同じレベルを期待すると肩すかしを食う。現在も続いているウェブサイトでの連載をリアルタイムで読んだ方が、季節感を味わえるかもしれない。
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内田洋子のエッセイには、文章だけで立ち上がる立体像を想像させる趣きがあると思っていたのだが、新刊のそれにはそのような想像力を働かせる余地が少ないと思う。まるでブログに掲載された日記のようなものを読んでいる気分がする。凝った装丁も想像力を萎縮させる一つの要因だと思うし、散りばめられた文章とリンクする写真が膨らむ前に印象を固定する。何かが膨らむ期待感は募るが、それが羽ばたく前に短い文章は終わってしまう。何だか肩透かしを食らったような心持ちになる。
確かにここに在るものは大それた物語ではなく、気に留めずに放っておけば誰の記憶からも自然に消えてしまうかも知れないエピソードばかりである。でも、それが想像力を働かせることが出来ない原因ではない。むしろ、それこそが内田洋子のエッセイの魅力をそもそも支えていたものだった。そこに細やかな、それでいて詮索し過ぎない視線が注がれて、いつの間にか、じっくりと一つのの人生に向き合ってしまっている。その日常に潜む小さいけれど沁み入るような話を内田洋子は丹念に描いていた筈だと、自分の左脳がしつこく訴えてくる。確かに、丹念、と表現したいものがこのエッセイ集には余り見当たらない。
ひょっとすると、自分は内田洋子のエッセイの中に異邦人を意識して読んでいるのかも知れない。自分以外の他人が全て他国の人々ばかりという経験で、自然と深まってしまう内省の様を見たいのかも知れない。余りにイタリアに同化したように振る舞う異邦人にささやかな違和を覚えるのかも知れない、と思う。それは余りに身勝手な読書であると思うけれど、文章を読むことの愉しみの大半は、文章の世界に身を寄せることにあると思う。もちろん身の寄せ方は幾らでもあるし、盲目的にその世界に浸ることを由とはしないのではあるけれど、その違和はある種の拒絶に対する反応に似ていると思うのである。そう、この短な文章たちに、分かるでしょう?、分かるでしょう?、と問い掛けられている内に拒絶されているような心持ちになったのかも知れない。
このエッセイ集で披露された話はまさに著者の言うとおり細々とした記憶の抽斗に何気無く放り込んでいたエピソードたちだと思う。そして、それらは一つずつ取り出して見せるには、余りにも無垢であるとは感じるが、きっといつかあれこれがビーズのように繋がってもう少し余韻のある物語に紡がれていくだろうとも期待される。その時にこそ内田洋子のエッセイの魅力が存分に発揮されるものと期待したい。