- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784487802159
作品紹介・あらすじ
孤独死により救われる生涯もある。
現代という荒野に一苗の希望を植える、
藤原新也、新たなる伝説。
神なき時代の神話を目撃せよ。
感想・レビュー・書評
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しまった、藤原新也の著作なのに、表紙を除いては写真がなかった!!!
本書は長塚節の土と同時にやってきた。そして思う。わたしの文筆家の好みは、若い頃から一切変わらないと。
タコ部屋を知り、半端を知る男の文章には気骨がある。
様々な作家のエッセイ、紀行文を読み散らして、どれも気に入らなかった。
そして本書。
一篇を読んだだけだが、若い頃、藤原新也さんの著作にはいつも、喉元にナイフを突きつけられるよつな思いがしたことを思い出した。今はそれが快い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
写真家にして作家の藤原新也(1944年~)が、自ら立ち上げたウェブ・マガジン『CAT WALK』と日本野鳥の会のフリーマガジン『Toriino』に2011~2013年に掲載したコラム、エッセイを中心に集めた作品集である。
知り合いが団地で孤独死した現場に立ち会った著者は、「こうして団地の一室で人知れず腐乱して死ぬ人もいる。人はそれを孤独死と呼ぶ。・・・しかし、私にはそれは単純には悲惨とは思えなかった。人はみな孤独の中で死ぬのだ。たとえ家族にとり囲まれた死であろうとひとりだけのの死であろうと、死に捉えられた人間はみな孤独である。」と語る。
『メメント・モリ』、『印度放浪』の著者らしい、人生に対する深い洞察に基づく、しみじみと考えさせられるコラム、エッセイが多数。
(2013年12月了) -
私にとって「あとがき」以外はつまらなかった。逆に「あとがき」には、はっと共感させられる点があり、不思議な気持ちになる。
本屋で表紙写真と世界の終わりを思わせるタイトルで、ジャケ読みをする(著者は写真家の様ですね)
頭の部分では、死が存在する短編、いや短すぎ日記のようなモノかもしれないな。死と花のコントラストはとても静で、身近な死に出会ってしまった人には良いかもしれない。と思っていたら、数ページで、ただのエッセイに変わる。
なんだこれエッセイか。
三章からは3.11に触れられており、東電に対する怒りは共感するが、好きな人ならともかく、基本合わない人のエッセイほど退屈なものはないと再認識。
しかし、あとがきだけは
・3.11後、日本は国家、科学、自然さえ信用できない人間孤立の時代に入った
・経済成長を至上目的とする高度成長期の記憶に囚われている。経済の維持は基本だが、ヨーロッパ各国が高度経済成長の後に、経済と人間の融合に向かった成熟と言うものが、見られない。高齢化社会で社会に成熟が求められているのに、いまだかつての若さの夢を見続けている。
・「バイト悪ふざけSNS投稿」も、マスコミはモラル低下、質の悪いいたずらと一蹴するが、私には無保証、低賃金、馬鹿げたマニュアル漬けの奴隷として虐待される若者の自慰的な報復の様に見える。雇用側との信頼関係があればそのようなことはしないだろう。
と共感することが多い。本書の読み方が悪かったのか?と不思議な気持ちになる。
著者の代表作「メメント・モリ」は読んでみようか。 -
著者自身が写真家であるので、対象に具体的に対峙するからであろう、言葉や思考や行動に重みと説得力がある。
特に原発に関する記述は迫るものがある。
現代を冷徹に見据えるための、年配者にも若者にもぜひ手にとってもらいたい一冊。 -
同意できたところとできなかったところが半々くらい。後半の原発事故関連の記述には不安を煽られてしまったけど、ものの見方の勉強になりました。
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事実を真摯に見つめ、著者なりに消化した個の思想に基づく骨のある文章。主に原発問題について言及していることもあり、読むのにかなりのエネルギーを要した。
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藤原新也さんを読んでいると
「言霊」を感じてしまう
怒れば怒るほど 静かな口調であり
その背景に横たわる 大きな憤り
を 感じてしまう
でも 必ず 一筋の光明を
そっ と 添えておられる
そんな気がする
これまでのこと
いまのこと
そして
これからのこと
思索のための時間が
いつも
寄り添ってくれる