- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784487804160
感想・レビュー・書評
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文章も、突き詰めていくそのお題も、取りあげられる小物もひっくるめて読み応えのあるエッセイ集(短篇も所収)。むかしからガスタンクや油槽を見るとなんともいえない気持ちになるのだが、それはここに書いてある「スケール感からの逸脱」への反応らしいと腑に落ちた。そしていつもながらこの著者のエッセイには食べたいもの・聴きたいものばかり。まずは、アナ・カランを聴きながらうどんとオレオとフレンチ・フライド・ポテトズとナポリタンが食べたい。あ、ピーナツ・バターも厚塗りで。
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遠い昔に映画の原作となった片岡義男著のメインテーマを読んだことがあった。まだ幼いわたしにはきっとあまり理解はしていなかっただろうけど、その後、彼のオートバイ、彼女の島も読んだ記憶がある。
数十年ぶりに片岡義男氏の文に触れ、懐かしく感じた。特にここに収められている金魚と散歩だの短編は強く懐かしさを感じたのと同時に言葉の選び方に感銘を受けた。それこそが片岡義男氏だと深く頷いた。
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片岡さんのお母様の三大口ぐせ。
1.かまへん、かまへん
2.あほくさ
3.やめとき、やめとき
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文体が多少勿体ぶっているようなところは気になったが、戦後「主婦の友」付録のレシピから『草枕』まで、文章の読み方が非常に鋭い。
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軽めのエッセイが集まった本。戦後すぐの主婦の友の付録レシピについての話が興味深かった。
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2009年刊行の、その時点での「待望の最新エッセイ」。
どれもタイトルが見事、目次を眺めているだけでも楽しいし、どれも拾い読みしたくなる。
久しぶりにこの人の書いたものをまとめて読んだ。
角川文庫版をずらりと揃えたのは、もう20年から25年前にもなるのか……、との感慨に耽りながら。
あるいは、私は(先日手に入れた『文房具を買いに』以外は)この人のエッセイといってよいものは、ほとんど読んでなかった、ということにもまた思い至りながら。
先日来、岩波の雑誌「図書」に連載中のものを数篇読んで、とにかく懐かしくなり、懐かしくなりつつ、ひょっとして「あの頃」私は何も読んでなかったのに等しいのではないか、なんてことまで考えてしまった。
むしろそれだけ年月が流れた、ということなのだろう。
別の編纂で出された短編集など、文庫をいくつか新しく入手して本棚に寝かしている(文字通り、寝ている)。
サンドイッチとコーヒーの美味しいお店かどこかで読み直したい。 -
読み出す前に装丁に注目してしまった。綺麗なデザインだからだ。
おもて表紙とうら表紙を捲ると、見返し紙がピーナツ・バター色だ。栞の紐は、それよりちょっと濃い茶色だが、やはりピーナツ・バターの色を意識しているのか。それとも朝食で飲むカフェ・オレの色か。
表紙の写真は紙ナプキン、大きく取った余白はパンを思わせる白、開けばピーナツ・バター色とカフェ・オレ色。朝食を連想させる愉しい装丁だ。単純な発想と言ってしまったら元も子もない。
「片岡義男」と対峙したら、想像力をフルに発揮して積極的に愉しむ必要があるはずだ。想像力さえ働かせることができれば、ちょっとした日常さえも面白くなってくる。
そんなふうに、片岡さんの本はどれも本自体の装丁・デザイン、それにタイトルの意味に思いを巡らせ、愉しむことから始める。シックな佇まいとどこか洒落たタイトルが、成熟した清らかで聡明な日常を連想させ、心地良い始まりにしてくれる。
この本には、43編の短い文章が収録されている。過去に雑誌や新聞に掲載されたものと、この本が発表の場となった書き下ろしが18編収められている。
各編とも、実に自由でおおらかな話ばかり。正直、取るに足らない話だってあるが、つまらないことも片岡フィルターを通すとひときわ異彩を放つから不思議だ。
旅先で小説のアイディアを得たいという話。
人生最高のうどんはもう食べられないという話。
アイスクリームは不思議だという話。
天麩羅蕎麦はかくして江戸で生誕したという話。
漱石の『草枕』に見た、人の孤独という話。
猫と出会ったという話。
76冊の手帳が嘆いているという話。
愛用万年筆は自分自身だという話。
その他、映画、音楽、本などに関する様々な「…という話」が語られている。短編小説もある。
そのどれもが、独特の角度からの視線で捉えられいる。そこになぜか奥行きを感じ、興味を惹かれる。
片岡さんって、なんて自由な人なんだろう、と以前からずっと思ってきた。以前からとは30年以上前からということになる。この本の話はどれも、その筋金入りの自由さ全開で語られている。片岡さんくらい自由な人でなければとても目を向けないだろうことを、矯めつ眇めつして見ている。否、仔細に見ているだけではない。五感すべてで捉え、その感触を愉しみながら綴っている。
したがって、読む側も五感すべてを働かせて感じ取り、その感触を味わう必要がある。時には、片岡さんが取り上げた題材に対する自分なりの感触を想像してみるのも大切だ。そんな想像をするという行為も片岡さんの本からもらえる愉しみのひとつだ。
ただ、間違えてはいけないのは自分なりの意見や評価を下すということではなく、自分なりの感触とか感性を確認するということではないだろうか。 -
たまたま、著者が若い頃に住んでいたところの近所に、今住んでいるので、地元の話題が出てくると、くすぐったい感じがします。この本には収められていませんが、かつて「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」に載っていたエッセイには地名が完璧に出ていたので、びっくりしました。ピーナツ・バター、食べたくなりました。
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2009/08/17-
天神