聖地巡礼ライジング: 熊野紀行

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レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (291ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784487806393

作品紹介・あらすじ

日本の宗教性の古層を熊野で探る!

思想家であり武道家の内田樹と、比較宗教学者で僧侶でもある釈徹宗が、日本人が失っている霊性を再発見すべく日本各地の「聖地」を旅する新シリーズ。
第2回目は両著者とも初めてとなる紀伊半島・熊野をめぐります。
平安時代から鎌倉時代にかけて、「蟻の熊野詣」と呼ばれ、信仰を集める熊野。
いまなお日本の宗教性がむき出しとなっている聖地で内田樹・釈徹宗は何を思い、感じとったのか――。
よく知られた熊野那智大社や熊野本宮大社といった場所だけではなく、船玉神社や産田神社など、あまり知られていないスポットも紹介しています。
巻末にはこれまでの聖地巡礼を振り返って“復習”できるので、シリーズ1巻を読んでいなくても楽しめます。

感想・レビュー・書評

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  • 世界遺産の熊野を歩いて、これを読むと最高に面白い。

    聖地に足を運び、「この世ならざるもの」を感じ取ること、とある。

    熊野に触れると本当に圧倒される。

    「場」の神道と「語り」の仏教、神仏習合がある。でもシンプルにそれだけでなく、仏教から新道的な要素を削いだり、廃仏毀釈があった。

    聖地の中枢へ熊野古道をめぐるとなんとも山深い。
    あの空間で登ったり下ったりしてると、歩行瞑想になる。

    熊野本宮大社と大斎原、熊野川には圧倒される。
    こちらは瞑想から目覚めて、全てから解放される感じ。

    これに源氏と平氏が出てくる。
    馬と船の戦い、確かに馬と船が周辺の神社にある。
    色々まざるまざる。

    そして一編上人が熊野神勅で、「南無阿弥陀」を称えることで救われる教えを開宗する。

    なんでも飲み込む熊野の包容力たるや、「場」の凄さをかんじる。

    神倉神社、那智の滝、那智大社、青岸渡寺は読むだけでなく、行ってみると良いですヨ。花の窟神社、産田神社の伊邪那美の話にはいつか触れて見たい。

    この本のなかでは、霊的感受性の洗練を現代日本ではまったく組織的に訓練していないと語る。

    世界がボーダーレスになり、日本を語れないと自分を伝えることが難しい世界になりつつあるし、AIとか新しい技術で日進月歩の現代において、次はこれかも。

    ロゴスはゼロですが。





  • 前回の関西(大阪・京都・奈良)に続いて今回は
    紀伊半島熊野。
    少し前に中上健二氏の小説を読んでなんとなく紀伊・
    新宮のイメージができていたので(すみません
    行ったことはないのです)親近感がわきました。
    というくらい。熊野には一度もいったことが
    ありません。読んでみて一度熊野・那智・古道
    に行ってみたい。歩いてみたいと思うようになりました。読みながらGoogleMAPのStreetViewとかでみて
    いるとさらに行ってみたい気がします。
    特に熊野本宮の大斎原と神倉神社。花の窟神社
    補陀落山神社はなんとなくひかれました。
    2作目も面白かったのですが。著者たちが少し
    はしゃぎすぎの感があって。ちょっとだけイタイ
    感じを覚えます。

  • 滝尻王子 熊野本宮大社まで40キロ 王子は熊野権現の子供の意  
    熊の語源はクム(籠る・隠れる)
    発心門王子 五体王子の1つ 熊野本宮大社の霊域の始まり
    船玉神社 新しい船建造時、船底に祀る船の魂
    伏拝王子 やっと見えた本宮大社を伏して拝んだ・和泉式部の伝説・元々は川の中州に神社(明治22年大洪水で移転)
    熊野の山中 江戸時代でも古代のような生活・びっくりした記述あり
    祓戸王子跡
    本宮大社 檜皮葺き(ひわだぶき) かつて中州にあったものを再建 参拝する順番①家津美御子大神②結宮の速玉大神・夫須美大神③若宮の天照大神④満山社
    大斎原(おおゆのはら)に向かって下りていく参道→大鳥居・何もないのに聖地感 すぐ近くを流れる熊野川 江戸末の絵→壁に囲まれた都市国家を思い出した・一つの完結した世界

    P116 ミシュラン・京都の女将さん反対「京都の料理は家を出るときから始まっている。何を着ていくか、店までの路地、内ち水…お皿の料理だけランク付けしても成り立たない」

    京都から上皇が来たら、3,000人の一行→宿泊、食糧、接待…不明点多い

    熊野三山 行政的にバラバラ 新宮市(商業都市とし発展・山林の富を吸いとる) 那智勝浦町 田辺市(本宮市は市町村合併で田辺市へ)

    速玉大社の摂社・神倉神社(新宮駅の近く) 2月6日にお燈祭り 産鉄
    花の窟(はなのいわや)神社(新宮駅から海沿いに北へ) 伊邪那美の埋葬地
    産田神社

    熊野那智大社 那智の滝 2011年の台風被害・滝壺に土砂あり
    那智曼荼羅の絵図
    補陀落山寺 海渡船

    湯の峰温泉 日本最古の温泉

    TPPでイスラム圏の人が労働力・土葬でなければ困る

    勘定(かんじょう)神仏の分霊を別の場所に移して祀ること

  • 熊野行きたい。
    子供の頃、那智の滝、那智大社は行った。大人になって、勝浦までは2度ほど行った。でも熊野三山に行った覚えはない。何してたんだろ。世界遺産になってからなら、ミーハー気分で行っていたに違いない。
    関西を離れ、ものすごく遠いところに思える。
    いつ行けるかなぁ。

  • 来月行くので、事前学習。

    熊野三山と言えば、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社。
    でも、過去に行った時に、なんとなく、熊野速玉大社に違和感を覚えた。
    後付けされたような感覚。
    それよりも、熊野速玉大社のそばにある神倉神社の方が、強い感じを受けた。
    本著で、神倉神社は、速玉大社よりも古く、速玉大社の本宮だと言われていると聞いて、納得。
    この本を借りたのも、そこらへんがきっかけ。
    他のガイドブックでは、さらっとしか書かれていない神倉神社を大々的に取り上げていたから。
    あの階段は、死ぬほど怖い(実際に落ちて亡くなられた方のニュースも何年か前にありましたが)のだが、なぜか、再び訪れたくなる地。

    熊野は、お寺だから、神社だから、男だから、女だからなどという、区別のないゆとりある世界なのだと思う。
    そのボーダレスな感覚が、包容力を産み、植島啓司先生が言うところの「子宮に帰る場所」になっているのではないかと思った。
    だからこそ、昔の人は、幾度となく訪れ、篭り、蘇りの地にしたのではないかと。

    旅の工程には考えていなかった花の窟神社にも、絶対行こう!

  • なまじのガイドブック読むより熊野を堪能できる。

    熊野って何か大事を果たす前にエネルギーを充填するような土地なんですかね。
    大きな困難と向き合う前に行っておくべき地
    そこに行くことで生命力が高まる、戦闘力が高まる、そういうことが実感としてあったんだと思うんですよね。

    神社仏閣や祭は人間が一定数以上いる場所には絶対に必要。土地にこもっていたり人間が持ち込んでくる邪気を「リリース」「放電」する装置が必要。

    子供の頃から自分の死に方のイメージをはっきり持っていて、そこに向かって次第に収斂していくように老いていく、そういう文化があったんじゃないでしょうか。
    むしろ、「生と死をつなぐ強烈な通路」を持たない現代人のほうが貧相に見えてきました。

    那智大社参道の俗っぽさ、那智の浜は、濃縮した熊野の宗教性を脱臼させる。

  • 内田樹 釈徹宗 熊野信仰

    多くの人が、熊野の宗教性(生命の源流、極楽浄土、死の国)に 魅力を感じるのは、自然崇拝、神仏習合、神への畏怖、信仰者を排除しない解放性にあるのだと思う


    熊野の宗教性
    *神道、仏教以前の神仏習合→仏が神の姿になる
    *山、海、岩、滝、石を神とする自然信仰=籠りの場
    *一遍上人→解放性→不浄、不信、女人を排除しない
    *死者の国=生命の源流→補陀落渡海、花山院の狂気
    *伊勢が表とすれば、熊野は裏
    *神は 人間にとって畏怖の存在→必ずしも幸運をもたらすものではなかった

  • 熊野はとっても行きたいのだが、まだ呼ばれないので。エネルギーがあるのわかってるからちょっと行くのが怖いというか、腰が重いだけかw
    でも清濁聖俗なんでも迎え入れてくれる子宮のような場所、というのはとても惹かれます。なんて懐が深い。是非行きたい。絶対良いところだってことはわかってる。すごそうだなあ。

    内田樹の感覚的な熊野=バリ説とか変なものを読まされるのがなんだかな。それが楽しめなければ読まない方がいいのだろうか。釈先生がバランスとれているのでいいのだけど

  • 熊野古道の魅力。再訪時に再読する。

  • 旅から帰っても一向に収まらぬ、何か悶々とした気持ちを鎮めるために手にとった。

    熊野とは「大きな困難と向き合う前に行っておくべき地」であり、典型的な神仏習合なんだけど、古層にあるむき出しの宗教性が、外来の神道も仏教も飲み込んで、「土地の信仰」として結実した異界であるので、昔から多くの人が「野生の霊気」を浴びる目的で熊野詣でを行ってきた。

    "聖地"だ、"パワースポット"だと呑気に構えていると、本書にもある通り、いくつものトランス・スポットに絡め取られ、現実感が一瞬で希薄になり、たちまち気を違える危うさを秘めている。

    神倉山とともに「よくできた瞑想装置」として紹介されているのが、那智の大滝で、筆者たちの興奮ぶりが伝わってくる。

    内田 おお、この滝、すごいですよ。一粒の水滴に視点を合わせて、それがどこまで落ちていくか追っていくと、あっという間に瞑想状態に入りますね。訓練なんかいりません。誰でもすぐに瞑想状態になれます。
    釈 あ、ほんとですね! ちょっと目で追うとすぐにクラクラします。いや、こういう滝が信仰の対象になるのがリアルにわかりますね。これは巨大瞑想装置です。
    内田 何かが無尽蔵に湧き出してくる。

    面白いのは、これだけ圧倒的な宗教装置であるがゆえに、その手前に軒を並べる土産物屋などが良い中和作用をはたしていると指摘するところだ。

    内田 お土産物屋が軒を並べているような世俗的な舞台装置って、那智の滝の場合は、滝の宗教的なパワーを緩和するためのものだったんじゃないかな。あれがあるおかげで、人間たちが手頃な宗教的パワーを受け取れる。
    釈 なるほど、そう見ますか。いくつか腑に落ちるところがあります。
    内田 聖地のそばに世俗的なものが拡がるのって、ひとつはそういう人間の弱さを守るという働きがあってのことじゃないかな。「聖地はスラム化する」というのは、大瀧詠一さんの名言ですけれども、聖地の周りに世俗のものが拡がるのは、別に聖地を穢しているわけじゃなくて、聖地の発する人間的スケールを超えた力を制御して、宗教的に成熟していたい人間にでも「服用可能」な強度にまで抑制する。そういう働きをめざしてしていることじゃないんでしょうか。

    "熊野=バリ説"も含めて、いくらかコジツケのような気がしないでもないが、とにかくある種の興奮状態を何か言葉にしないと収まらぬ心情は大いに共感できる。
    結論としては、とにかく「熊野は大したものだった」ということに尽きるのだが。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学を 2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の現代思想』(文春文庫)、『サル化する世界』(文藝春秋)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』(以上、ミシマ社)など多数。第3回伊丹十三賞受賞。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2020年 『日本習合論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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