薔薇の名前〈下〉

制作 : 河島 英昭 
  • 東京創元社
3.94
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本棚登録 : 1674
レビュー : 135
  • Amazon.co.jp ・本 (426ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488013523

作品紹介・あらすじ

中世、異端、「ヨハネの黙示録」、暗号、アリストテレース、博物誌、記号論、ミステリ…そして何より、読書のあらゆる楽しみが、ここにはある。全世界を熱狂させた、文学史上の事件ともいうべき問題の書。伊・ストレーガ賞、仏・メディシス賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • (上巻からつづく)
    さらに興味深いのは、探偵と犯人のバトルの裏にひそむ思想的な対立だ。

    例えば、「笑い」に関する議論は、探偵と犯人の終盤の対決で明らかになるように、物語の根幹を為す重要なテーマのひとつである。笑いとは、何か。残念ながら、私は哲学を学んでいないので学問的な議論はできないが、この物語を通じて、多少なりとも作者の思想に思いを馳せることができれば、と思う。

    ウィリアムとホルヘは、学識の深さにおいても、神学への情熱においても拮抗している。大きさが等しく、方向が正反対のベクトルのようだ。知的レベルでは拮抗しながらも、「笑い」に象徴される根本的な思想において、ついに両者が相容れることはなかった。

    その根本的な差異とは、「教義の完全性を信じる」か、「教義の完全性に疑問を抱くことを許す」かの違いだ。

    一方は教義を「保存」し「継承」することにのみ価値があると考え、もう一方は教義を「探求」し「検証」することに意義を見いだした。それは、以後数百年に渡って続くことになる、宗教と科学との対決の構図に似ている。

    笑いとは、「寛容さ」の象徴だ。笑いに必要なのは複眼の視点と、対象との適切な距離感である。対象に没入してはいけない。対象から目を背けてもいけない。対象へのあくなき興味を維持しつつ、様々な角度から評価できる柔軟性が、笑いには不可欠だ。それは科学をはじめ、学問にたずさわる全ての者に共通の心得でもある。

    愛なき笑いは不毛であり、ときに破壊的ですらある。しかし、愛を前提にした笑いは精神の平衡を保ち、「狂信」という病から私達を救う良薬となってくれるだろう。対象に愛を注ぎつつも妄執せず、様々な視点から眺められるよう、常に心を自由にしておく。それではじめて真理に近づくことが可能となる。それが学問を志す者の鉄則であり、不幸な歴史を繰り返さないための人類の知恵なのだと思う。

    そう考えると、この物語は、宗教と学問が分離する以前の、人類の未熟な思想体系に対する回顧録のようでもあり、滅びゆく中世キリスト教世界に対する壮大な鎮魂歌のようにも思える。あるいは、人類がいまだに克服することのできない排他性や、テロリズムに対する警告の書とも…。

    混迷を極める21世紀にこそ、多くの人に読まれてしかるべき作品だと思う。

  •  知の迷宮に喩えられるこの小説。そして連続殺人の犯人探しの小説だったはずなのに、キリスト教の議論、様々な文学との関連、歴史的文脈、哲学的思考…と読んでいくほど自分が小説のどこに迷い込んだのか分からなくなります。

     最後まで読み終え犯人にたどり着いた、という意味では自分は一応この本の迷宮を抜け出せたのかな、とは思うのですが、でも一方で
    解説にあるような様々な文学作品へのオマージュだとか、作中の登場人物たちの議論が理解しきれなかった、という点においては、この迷宮を完全に制覇はできなかった、
    ゲームのダンジョンふうに言うなら、脱出はできたけど、隠し通路や宝箱なんかを見つけられないまま抜け出した、ということになるのかな、と思いました。

     しかし、それでも上巻の文書館の探索シーンと、下巻の壮絶なクライマックス、そして一冊の本と文書館をめぐる謎と冒険部分だけでもこの本を読んだ価値はあると自分の中では思っています。

     そして読んでいて伝わってきたのが著者のウンベルト・エーコの本、そして知識に対する敬虔の念。この小説は全ての先人、そしてこれから生まれてくる本と知識に対する敬虔の念が根底にあるように思います。

     またすぐ読み返す気分にはなれませんが、いつか覚悟と装備をある程度整えてこの迷宮に立ち向かってみたいと思わされる小説でした。

  • 舞台は中世イタリア。カトリック修道院内で起こる怪事件の謎を、かつて異端審問官として名を馳せていたバスカヴィルのウィリアム修道士と物語の語り手である見習修道士メルクのアドソが解き明かしていく。

    ホームズとワトソンを彷彿とさせる彼らの謎解きを軸に、緊張感のある7日間を描き出しています。もともとラテン語で書かれ、フランス語に訳されたメルクのアドソの手記を「私」(エーコ)が手にするという枠物語の形式で始まります。
    怪事件自体は割とシンプルなものです。ところが、教皇と皇帝の権力闘争や宗教論争、終末意識、キリスト教の教典など歴史的背景が複雑に絡み合い、右へ左へと脇道に逸れていきます。その度に「フランチェスコ会…ふむふむ」「ローマ教皇のアビニョン捕囚?…ほうほう」などと脇道にすっかり腰を下ろしてしまいなかなか立ち上がれない。立ち上がった頃には「この人誰だっけ」と数ページ戻りながら遅々として進みません。事前に色々と知識を蓄えていればより面白く、よりすらすらと読み進められるのでしょうが、このみちくさ読書も楽しかったです。
    そして何よりこの縦横無尽に張り巡らされた脇道も、一行たりとも不要な箇所はないと気付きます。読み終えると様々な問いが浮かびます――「信仰とは?」「正しさとは?」「神とは?」。

    血生臭い描写も多いのですが、事件の鍵と見られる異形の塔にある文書館に迷い込む場面や、アドソの初恋(とあえて呼びます)の描写は幻想的かつ甘美で美しいものです。
    読書の面白さを十二分に体験できる、知的好奇心が思いきり刺激される作品でした。
    とはいえ重厚感のある上下二巻を読み終えたものの、博識のエーコが示した意図の半分も汲めていないはず。そして訳者である河島英昭氏の下巻巻末に書かれた解説を読むと、こぼれおちたパズルのピースを拾うように再び冒頭から読み直したくなる気持ちになります。今すぐは難しいですが、また挑みたくなる本となりそうです。

    普段の倍以上の時間をかけて読み進めている間に、まさか著者の訃報(2016/2/19)を聞くことになるとは思いませんでした。残念でなりません。

    ~memo~
    伊語・原タイトル『Il Nome della Rosa』
    英訳『The Name of the Rose』

  • 中世イタリアの僧院で起こる連続殺人事件。一冊の書物をめぐり、隠す者がいて、探す者達がいる。怪しいと思った人物が次々と殺されてしまって、最後の最後まで展開が読めなかった。作品の大半を占めるキリスト教世界についての記述は予備知識が無いと難解。全体の構成としては、キリスト教内部の対立がメインで、殺人事件がそこに偶然絡まってしまったようにも思える。とはいえ、迷宮や暗号など、ミステリーの部分だけでも十分楽しめた。特に謎めいた雰囲気満点の文書館が素敵。映画化されているとのことなので、ぜひ映像でも観てみたい。

  • ショーン・コネリー主演の映画を見たのが最初でした。テレビだったか。妙に印象に残りました。平生、同じ映画を繰り返し見るなんてことはほとんどしないんですが、これはその後も何度か見ました。原作が小説だということは早い時期に知ったはずですが、文庫本になっていないということもあって、貧乏学生にはなかなか手が伸びませんでした。古本屋さんで安値で見つけて購入して通読してみたところ、なんだか難しいなあという印象。正直よくわかりませんでした。いつしか再読しようと思ってはいましたが、他の積読本にまぎれてなかなかその機会が訪れませんでした。『マジカルヒストリーツアー』でも取り上げられていて、やはり再読せねばという気持ちは高まったのですが、なかなか踏ん切りがつかない。そんななか、今般、100分de名著で取り上げられるということを知って、それがきっかけで再読することができました。
    こんな小説だったのか!
    いやはや、いろんな要素が詰め込まれていて、なにをどう書けばいいのか途方にくれます。たしかに物語の主軸は連続殺人事件をめぐるミステリーなのですが、それだけにはとどまりません。そのとどまらなさがこの小説たる所以だと思います。いろんな事柄が詰め込まれているんですが、その事柄がどのような関係性にあるというのか、それがしっくり理解できません。今回の通読では、わからなさだけが際立ったような気がします。
    キリストは清貧か、という問いは、現代日本に生きる私からしたらどっちでもいいことのように思えたりもしますが、そうではないんですよね。宗教上の解釈が政治につながりうる。一方では、キリストは清貧ではなく服等を所有していた→キリスト教会は所有権という権利を有している→キリスト教が地域から寄進を集めてローマ教会に集約して蓄財することは正当である。他方では、キリストは清貧であり服等は使っているだけで所有していない→キリスト教会が蓄財するのは不当である→教会ではなく皇帝が地域に課税して徴税することが正当である。ここに異端論争の一因があるともいえる・・・
    その論争が殺人事件の真相とどうつながっているのか、とか、『薔薇の名前』が象徴する普遍論争とのつながりはどうか、とか、なにかしら作者の意図があるはずなんですが、うまく読み取れていません。ちゃんと読めてないんだなあ。反省。
    この小説で描かれているのは中世における連続殺人事件であり、中世における神学論争なんですが、この小説で語られていることには一種の普遍性があり、現代に生きる我々が目の前の現実をより深く解釈するためのヒントになるとも感じました。こういうこと、100分de名著で言われがちですが。
    ちなみに、最初に通読したのは、本に記したメモによると15年前でした。びっくりしました。自分ではそんなに時間が経過した感じはなかったのですが。(2018年9月17日読了)

    • kawabatatさん
      『薔薇の名前』読まれたんですね!すごい!
      私は書店で読み始めて、あまりの難しさに断念しました。もっぱら「100分de名著」にお世話になろう...
      『薔薇の名前』読まれたんですね!すごい!
      私は書店で読み始めて、あまりの難しさに断念しました。もっぱら「100分de名著」にお世話になろうと思います(笑)
      2018/09/18
  • 連休であるのをいいことに、上巻は二日、下巻は一日で一気に読み切った。久々に午前二時ごろまで夜更かし。夢にまで教会が出てきた。
    ミステリーと言われれば当然そうなんだけど、それだけじゃないので読み応えがある。博識な師ウィリアムもけっして完璧な人間ではなく、彼や見習い修道士アドソがこの僧院で見聞きしたことに何を思うのかとか、知識の探求についてとか、人間の欲望、世界の行く末、などなど、様々なテーマがちりばめられている。
    隠されたメッセージもありそうだし(表紙裏の僧院平面図も意味深…)、読み込み甲斐がある本だと思う。
    ただ私の中での一番の素朴な疑問は…なんでこれ文庫化しないの?

  • 中世イタリアの修道院で起きた連続殺人事件。事件の秘密は知の宝庫ともいうべき迷宮の図書館にあるらしい。記号論学者エーコがその博学で肉づけした長編歴史ミステリ。

  • 四日目、三人目の死者ベレンガーリオの死体の検屍をしたウィリアムは、二人目の死者ヴェナンツィオの死体との共通点(指先の黒ずみ)に気づく。死の直前にヴェナンツィオが読んでいた本の行方はまだ知れないが、彼の残した紙片の暗号を解読、ウィリアムとアドソの師弟コンビはその深夜またしても文書館に忍び込み、ついにその迷路の法則を掌握、しかし肝心の<アフリカノ果テ>への入り方だけがわからない。

    一方で、ついに本来の目的であるところの教皇派(アヴィニョン教皇庁)と皇帝派(フランチェスコ会小さき兄弟会士)の会談のためにそれぞれの一行が到着。翌日から早速両派は清貧論や異端について議論を戦わせるが、奇妙な書物をみつけたとウィリアムに知らせてきた薬草係のセヴェリーノが死体となって発見され、現場にいた厨房係のレミージョが捕縛される急展開(これが五日目)。

    教皇一派の異端審問官ベルナール・ギーは、前夜またしても村の娘を連れ込んだサルヴァトーレと、アドソが密かに恋しているその娘を魔女として捕縛しており、かつて異端のドルチーノ派にいたレミージョはその過去を暴かれ、拷問を恐れて僧院内での連続殺人事件の犯人も自分であると嘘の告白をする。事件の真相よりもこれで立場を強めた教皇派は満足し、翌日、火刑にするため異端者と魔女を伴ってアヴィニョンへ去ってゆく。

    小さき兄弟会士らも去り再び修道士たちだけになった六日目、文書館長マラキーアが突如倒れ、その指にはやはり黒いしみが・・・。ウィリアムは怪しい行動をしていた修道士ベンチョを問い詰め、また、ガラス細工の修道士ニコーラから修道院内の権力争い、代々の文書館長と僧院長の確執、外国人館長をよく思わないイタリア人一派などについての情報を得て、ついに真犯人を探りあてるが、文書館でウィリアムを待ち受ける犯人の魔の手はすでに六人目の犠牲者に伸びていた・・・。



    これちょっとネタバレだけど、真犯人は実は名前だけで最初から見当がついていました。というのも、迷路になった文書館のイメージはボルヘスの「バベルの図書館」がモデルだと言われていることを知っていたから。となるともう、ねえ。図書館の主に相応しい名前をもつ人物は一人だけ。これはもう、テレビの二時間サスペンスドラマの犯人がキャスティングでわかってしまうのと同じで、ただその動機や背景、トリック等への興味で飽きさせることはない。

    そして厳密には真犯人とはいえ彼が直接手を下した殺人はひとつもないともいえる。黙示録の七つの喇叭との一致は偶然の産物で、ほとんどの死者は自ら望んで巻き込まれたようなもの(薬草係だけはとばっちりで可哀想だった)私利私欲にまみれた教皇派と皇帝派の争いも醜いし、異端審問の卑劣さは言わずもがな、僧院の内部も実は派閥や権力争いでドロドロ、いったい神とは、宗教とは誰のためのものなのか。

    終盤のカタストロフィは圧巻。本好きなら僧院の修道士たちと一緒になってアワアワ駆けずり回ってしまいたくなる結末。晩年のアドソの回想手記という形で進んでいるため、後日談にちょっと切なくなる。これがライトなエンタメ小説なら、アドソは魔女狩りから初恋の女性を助けるために活躍しちゃったり、シリーズ化してウィリアムと師弟コンビであちこちの僧院で起こる事件を解決してまわったりするところだけど、残念ながらそうはならないわけで。

    「一場の夢は一巻の書物なのだ、 そして書物の多くは夢にほかならない」というウィリアムの言葉がこの本を象徴している。一連の事件の真犯人は「書物」だと言えるかもしれない。

  • 最も神に近い山上の僧院で権力の座をめぐり殺人がおこる。山上の僧院は1つの城の様でその生活は人間関係までも俗世界と何ら変わらない。2つ以外は。皮肉にも神と女。
    知識が増えればもっと楽しめる暗号とシグナルだらけの小説。
    主人公のアドソは神を求めながら、一夜貧しい娘との関係を持った。その体験を神が現れたと感じ、その感覚を生涯維持しようと努めた・・・
    当時の健全なクリスチャンが体験できないその感覚を神と。ブラックジョークなのかな切実な思いかは受けて次第なのでしょう。真の愛とは愛する者の喜びを願うものととのセリフが歴史的背景と複雑に絡み合いとても切ない・・・

  • ミステリとしては凡庸。
    だけど、この作品はミステリではなく、知的探求への扉。
    読み進めるに従い、己の知識と知力と知的好奇心を問われて行く。
    どこまで楽しめるのだろうか。
    楽しむためにどこまで頑張れるのだろうか。
    そう言った意味で、短いスパンではなく、何かの折に再読して自分の成長を確かめるための指針になるような一冊。

    思わぬおまけとして、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』を再読したくなった。
    あれ、若い頃頑張って頑張って読んだんだけど、いまならもっと面白く読めるような気がするの。

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著者プロフィール

ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)
1932年1月5日 - 2016年2月19日
イタリアの作家・評論家・研究者。イタリア共和国功労勲章受章者。
1980年に小説『薔薇の名前』(lI nome della rosa)を刊行。それまでの中世美学や記号論の知見や研究成果をふんだんに用いて、フィクションの記号論的分析、聖書分析、中世思想研究、文学理論などを盛り込んだミステリー作として全世界でヒットし、映画化もされた。その他の小説作として『フーコーの振り子』(Il pendolo di Foucault)、『前日島』(L'isola del giorno prima)、『プラハの墓地』(Il cimitero di Praga)、『バウドリーノ』(Baudolino)など。
本来の出自である美学者・記号論学者としても、『中世美学史』『記号論』『ウンベルト・エーコの文体練習』など、世に知られた作品は数多い。

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