うつくしが丘の不幸の家

著者 :
  • 東京創元社
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  • Amazon.co.jp ・本 (505ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488028046

作品紹介・あらすじ

築21年の三階建て一軒家を購入し、一階部分を店舗用に改築。美容師の美保理にとって、これから夫の譲と暮らすこの家は、夢としあわせの象徴だった。朝、店先を通りかかった女性に「ここが『不幸の家』だって呼ばれているのを知っていて買われたの?」と言われるまでは――。わたしが不幸かどうかを決めるのは、他人ではない。『不幸の家』で自らのしあわせについて考えることになった五つの家族をふっくらと描く、傑作連作小説。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、引っ越した先で
    
     『ここが「不幸の家」って呼ばれているのを知っていて買われたの?』

    と、通りすがりの人に言われたとしたらどう感じるでしょうか?

    引っ越しとは何か目的があって行うものです。結婚したので、会社の転勤の都合で、そして、お店を始めるため等々、人によってその理由は様々です。そして、『結婚式の費用も、全部使った』というように、その費用も馬鹿になりません。当然に慎重に下調べもするでしょう。それにも関わらず、引っ越した後で、その家が『不幸の家』と呼ばれているなんて知った暁には目も当てられません。しかし、よくよく考えると、この考え方にはおかしなところがあります。目も当てられないと感じたあなたは『不幸』という言葉に引っかかりを感じてそのような感情を抱いたのだと思います。ただ、そもそも『不幸』とは何なのでしょうか?私たちは、それぞれに感情を持った生き物・人間です。その感情は決して一様ではありません。ある人が『不幸』だと感じている状況が、必ずしも万人にとって『不幸』とは言い切れない、そんなことはよくあることです。そして、『不幸』の対になる言葉は『しあわせ』です。つまり、『しあわせ』というものにも絶対的なものなどなく、人によって感じるところは異なるとも言えると思います。

    さて、ここに、引っ越した先が『不幸の家』と呼ばれていたことを知ったという女性が主人公となる物語があります。その物語は、そんな女性が暮らす家に、かつて同じように暮らしていた人たちの日常を遡る物語。そんな家で暮らした人たちが、『わたしは、しあわせになれるのだろうか』と思い悩んでいた様を見る物語。そして、それは私たちそれぞれが、自分にとっての『しあわせ』とは何かを考えることになる物語です。

    『わたしのしあわせは、いつだって誰かにミソをつけられる』と、『泣き出しそうになるのを堪え』るのは、最初の短編の主人公・美保里。『二日後にオープンを控えた「髪工房つむぐ」』のチェアに腰をかけ今朝かかってきた電話のことを思い出します。『あれじゃ使い物にならない。今日は予約が多くて店を閉めるわけにはいかないんだ』と言うのは義父の勇一。『義弟の嫁が夫婦喧嘩の末に家を出て行』き、争いの中で『義弟は右手の甲を骨折した』という展開。『今すぐ手伝いに来い』と横柄な態度の勇一に、『今回だけ』と言って出かけた夫の譲を『馬鹿じゃないの』と思う美保里。そんな譲は『一人前になったら店を譲るという父の言葉を信じ』て、『理容学校を卒業して十年』『実家の理容店で働』いていました。しかし、突然『弟の衛に店を継がせると言いだした』勇一。同じく理容学校を卒業したものの『何年も行方知れずだった』衛が『女を孕ませて帰ってきた』のを『お前は本当に、親がいないと何にもできないな』と迎え入れ『あっさりと譲を追い出』した勇一。そして、『退職金はおろか労いの言葉ひとつ』もらわず実家を後にした譲。そして、『付き合いは八年に及ぶ』という美保里は、『譲のため、ひいてはふたりのしあわせのため』と思い、『二十四歳で美容学校』に遅くして入学し免許を取得しました。そして、『ここは自分にとって夢としあわせの象徴だった』と思っていた家の中を見据えます。『築二十五年の三階建て一軒家を買って、リフォームした』という店舗兼自宅は、『「うつくしが丘」と呼ばれる住宅地』にありました。『二十五年ほど前』に、『新興住宅地として開発された』その地域は、『どういうわけか理美容室がとても少な』い状況であることから選んだという美保里。そして、そんな家の裏庭にある『枇杷の木は縁起が悪い』から切りましょうかと、リフォーム業者に言われたことを思い出す美保里。そんな美保里はふと思い立ち『あの木を切らなければいけない』と『大きなノコギリ』を買ってきました。しかし、『ノコギリは重たいし、枝はなかなか切れない』と作業は捗りません。一方で、『通りがかった女性に言われた』言葉を思い出す美保里。『ここが「不幸の家」って呼ばれているのを知っていて買われたの?』というその言葉。そんな時『あらあら、枝を切ってらっしゃるの?』と声をかけられて驚く美保里。『隣家の庭先で小さな老女が美保理を見上げていた』というきっかけのその先に、『しあわせなんて人から貰ったり人から汚されたりするものじゃないわよ』という話を聞いて『しあわせ』とは何かを考えていく美保里の物語が始まりました…という最初の短編〈おわりの家〉。物語の冒頭から一気に作品世界に没入させてくれる絶品でした。

    五つの短編と〈エピローグ〉から構成されたこの作品。町田さんお得意の連作短編の形式をとっています。その共通項は、物語の舞台となる『うつくしが丘』という新興住宅街にある『三階建ての真っ白な壁の家』です。そんな家は、最初の短編〈おわりの家〉では、『築二十五年の三階建て一軒家』、『どうしてもデザインの古さや劣化は否めない』と紹介されますが、二編目の〈ままごとの家〉では、『築十九年の家は多少古さが目立つけれど、部屋数が多く』、『中古物件とはいえ値段が高く』と章を追うごとに過去に遡っていきます。そうです。この作品はこの家が建ってから25年後の今の住人で理容室を営む譲と美保里の日常が描かれる一編目から、短編を読み進めるたびに、築後19年、11年、6年、という時点の住人たちの日常、そして、最後の短編〈しあわせの家〉では、新築物件で購入した住人の日常が描かれるというように、現代から過去へと遡りながら物語は進んでいきます。同じように過去へと遡る形式の作品で私が読んだものには、桜木紫乃さん「ホテルローヤル」と、青山美智子さん「鎌倉うずまき案内所」があります。いずれも絶品であり、私の中に強く印象に残り続ける傑作です。私たちは当然に、過去から未来に向かう時間軸の中で生きています。結婚して、子供ができて、その子供が学校時代を経て大人になって、就職して、結婚して、子供が産まれて…と単純化するとそんな人の一生というものがあります。今、私が書いたように時間軸に沿って物事を説明するのは容易です。しかし、これを、逆に説明するとなるとそう簡単にはいきません。そして、それを小説として書き上げるには高度な技術力が必要となります。結末が最初に分かっている小説を読む人なんていませんし、小説を読む醍醐味となる”伏線”にしても時間軸が過去から現在に向かっているが故に成り立つものでもあります。それを、逆行させるには緻密な計算が必要になってきます。この町田さんの作品では、桜木さんの「ホテルローヤル」同様に、一つの建物を共通項として現在から過去へと時間軸を遡らせる方法をとっています。桜木さんの作品では、「ホテルローヤル」は築年数を経て廃墟の状態から過去へと遡りました。この町田さんの作品でも『築二十五年』と古くなって、そこかしこに痛みの目立つ家の状態が最初に描かれます。そして、この古くなる、傷むという点を町田さんは逆手に取られます。私たちは日常生活を送る中で、家に予期せぬ傷をつけてしまったということがあります。結果論としてそれを知っている私たちは、その原因もわかります。しかし、原因を知らない他人が見れば、その傷に色んな類推をしてしまうことだって起こり得ます。この作品では、そんな原因不明の結果論がまず提示されて、後の短編でそのまさかの原因が明かされるという、”逆伏線”が緻密に張り巡らせられています。これが読者に”ページをめくる手が止まらなくなる”という読書を提供してくれます。本当はネタバレ扱いにしてその分析を細かく書きたいくらいに見事な”逆伏線”の数々が張られたこの作品。これから読まれる方には、是非この”逆伏線”を知らない状態でその味わいを堪能いただきたいと思います。そのためには、一編目から建物に対する一見何気ない描写についてもしっかり頭に入れながら読み進めていくことをお勧めします。

    さて、そんな技術的に非常に面白い試みをされているこの作品は、なんと言っても町田そのこさんの作品です。代表作でもある「52ヘルツのクジラたち」で、『声なき声』に光を当てるなど、人の心の奥深くの繊細な部分をあたたかい視点で描き出す作風は魅力たっぷりです。そんな町田さんがこの作品でテーマとされたのは、『わたしは、しあわせになれるのだろうか』という主人公たちの心の叫びでした。書名にもある通り、五つの短編で舞台となるのは、時が変わっても『うつくしが丘』に建つ三階建の家です。最初の短編の主人公・美保里は、通りがかりの人から、『ここが「不幸の家」って呼ばれているのを知っていて買われたの?』という衝撃的な問いかけを受けました。あなたが引っ越したばかりの家について、その家が『不幸の家』などと呼ばれていると知ったとしたらどう思うでしょうか?そんな言葉を笑い飛ばせる強い精神力がなければ、それからの日々は恐らく日常生活の中で起こる不運な出来事に全て結びつけていく毎日にも繋がりかねません。しかし、私たちは何をもってしあわせなのか、そうでないのかを区分けするのでしょうか?この作品に登場する五つの短編の主人公たちは、それぞれに何かしらの試練に立たされていました。〈ままごとの家〉の主人公・多賀子は、息子の『遅れてやって来た反抗期』に悩む中、夫に寄り添い『穏やかに微笑』んでいる女性が写ったまさかの写真を見せられ思い悩みます。〈夢喰いの家〉の主人公・忠清は、『男性不妊』という現実を前に『子どもさえ授かれば、苦労も思い出に変わるのかもしれない』という厳しい日々に『幸せのしっぺ返しが』きたと感じています。

    では、『しあわせ』とはなんなのでしょうか?どうすれば私たちは『しあわせ』になれるのでしょうか?私たちは思った以上にその言葉を心の中に思い浮かべることがあるように思います。特にそれは、自分自身がそうでないと思う場面、つまり今が『不幸』であると感じている時ほど、『しあわせ』になりたいとその言葉が登場する機会が増えます。逆に言えば、その言葉が登場しない時こそが『しあわせ』を実感している時、そんな風にも考えることができると思います。この作品では、書名の『不幸』と対になるかのように『しあわせ』という言葉が数多く登場し、その中で数多くの問いかけがなされていきます。

    まずは、『しあわせ』とはどのように手に入れるのか、という視点からこんな表現が登場します。

    『しあわせなんて人から貰ったり人から汚されたりするものじゃないわよ。自分で作りあげたものを壊すのも汚すのも、いつだって自分にしかできないの』。

    と、隣家の老女が『しあわせ』とは何なのかを説くこの言葉にはハッとさせられるものがあります。そう、私たちは自分が”しあわせ”と感じているかどうかはわかりますが、自分以外の人間、それは身近な人であってもその人が本当はどう感じているのかを知る術がありません。『しあわせ』というものは、あくまで自分が感じる思いの一つである、そのことを強く感じさせる一節です。また、こんな視点もあります。

    『今は不幸の中にいるのではない。しあわせになるための途中に過ぎないのだ』。

    『しあわせ』というものが自分自身にしか知り得ないものであるなら、今自分自身が置かれている状態が『しあわせ』なのか、そうでないのかは自分の気持ち次第だとも言えます。

    『悩みなんて、見方を変えればしあわせに変わる』。

    とも書く町田さん。そう、私たちは、どんな時だって何かしらの『しあわせ』を感じられる状況にいて、それはあくまで見方次第であるということ。そうであるなら、自分を『しあわせ』にできるのは、もしくは自分が『しあわせ』だと思えるかどうかは全て自分次第とも言えるのかもしれません。最初から最後まで『しあわせ』について読者に問いかけ続けるこの作品。これからこの作品を読まれる方は、読む前と読んだ後で『しあわせ』というものに対する捉え方がきっと変化するのではないかと思います。

    襲い来る試練を乗り越えて、次の人生へと向かって力強い一歩を踏み出していく五つの短編の主人公たち。思い悩んだ分だけ、清々しさの残る、それでいて確かな一歩を歩んでいく主人公たちの姿。人は長い人生を生きていると『わたしの人生、どこで間違ったんだろうなあ』と思う瞬間も必ず訪れます。”人生、山あり谷あり”と言うように、私たちの人生は起伏に満ちているものでもあります。そして、谷にいる時ほど、山の上にいる時の『しあわせ』を逆に強く感じることもあるのだと思います。しかし、それは私たちが『しあわせ』を意識する生き物であるが故のある意味での試練でもあります。そう、そんな風に『しあわせ』とは何かを考えさせてくれるこの作品。最後まで読んだ読者へのご褒美のごとく用意された〈エピローグ〉が爽やかな余韻を残すこの作品。町田さんの高い構成力に裏打ちされた緻密な物語の土台の上に、繊細な人の心の機微を見事までに描き上げた傑作だと思いました。

  • うつくしが丘の、ある家に住んだ様々な人たちの物語。
    今現在の住人から、章ごとに先代の住人、そのまた先代の住人‥‥と時を遡っていきます。
    住人が替わるということは、何かしらの理由があってその場を離れるということですよね。
    あまりにも住人が替わるので『不幸の家』と呼ぶ人もいる。
    でも、お隣に住む信子さんは、その様々な住人を全て見てきた人。そしてちょっとお節介を焼きつつ見守ってきた人。章が進む毎に(時を遡る毎に)信子さんの物語も見えてきます。

    家は一生に一度の大きな買い物。“夢“を買うと言ってもいいくらいのもの。でも「家なんて、ただのいれもの」なんですよね。見方を変えれば全てが変わってくるんですね。

    エピローグで『○○君!』と叫んだ人は私だけではないはず 笑
    こう繋がってくるかぁ、と笑顔で読み終えました。

  • 地下鉄と、電車も通っていない、車を持たない家庭には、バスだけが頼り。
    小さな商店しかなく、商店街のある場所まで買い物に出るのに、バスで30分もかかる。
    それでも、山が近く、海が見える。

    30年前、新興住宅地として開発された自然豊かな地に建てられた「うつくしが丘」の大きな3階建ての白いお家。

    そこには、五組の家族が住み、出ていった。

    その家庭、それぞれに悩みを抱えていたが「悩みなんて、見方を変えれば、幸せに変わる」と、幸せを求め、その白い家を出ていった。

    読後感は、とても優しい。

  • 三階建ての一軒家。25年の間に住人となった5つの家族の物語が、過去に遡って描かれている。構成がとても面白い。前の住人の残した跡が次の章を読むとどのように付けられたものなのかが分かり、ほっこり。
    不穏な『不幸の家』の噂とは裏腹に、皆しあわせを求めて必死で生きている。
    エピローグは驚きと感動。各章の繋がり方が最高に良かった。

  • 図書館の予約待ちが随分と長かったので、「52ヘルツのクジラたち」より後に読んだのだが、こちらの方が好きだった。

    ちょっとマイナス思考に陥ると、人の噂なども容易く信じてしまう。
    少し冷静になって、違う角度から見ればかえって良いことだったりする。

    一軒の家を起点に、少しずつ過去に遡っていく物語。過去と現在が繋がる最後は良かった。
    「52ヘルツのクジラたち」の種になっているような話も散りばめられていた。

    2021.3.20

  • あったか~い物語。
    あちこちに宝探しのような仕掛けもあり
    ページを前後しながら読む楽しみがあります。

    うつくしが丘にある真っ白な壁の三階建ての家。
    裏庭には琵琶の木が。
    この家に移り住む五組の家族のお話です。                                                                          
                                                   「『不幸の家』と呼ばれているのを知っていて買われたの?」
    引越してきた住人に、心無い言葉をかける人がいました。
    隣人の荒木信子さんの言葉が、不安な心を救います。
    「しあわせは、人から貰ったり汚されるものじゃないのよ」  
                                                                                                 
    どの家族も問題を抱え、傷ついた過去があります。
    迷い、悩みながら、それぞれの答えを見つけていきます。                                                                                             
    最後の 短いエピローグが、とても、とても、素敵でした。
                                                    それにしても、ずっと住人を温かく見守っていた荒木信子さん。
    その後がちょっと気になります。

  • うつくしが丘に建つ通称「不幸の家」での五つの家族の物語。

    家って大きな買い物だからね。
    でもそう、家ってただの箱なんだよね。
    どこで過ごすかより、誰とどう過ごすか、なんだよね。

    幸せも不幸も決めるのは自分。
    それぞれ抱えた事情や厳しい現実。それでも自分や家族の幸せを考えた末の決心。

    優しくて力強い。

    町田そのこさんの作品を読むのはこれで5作目だが、どれも根っこのところは一貫しているように感じる。

    構成が見事で、エピローグの繋がりにほっこり。
    どんな状況でも前向きに生きていきたいな。

  • 一軒の家にまつわる家族たちの短編集がその家を通して微妙に繋がってる
    そんな物語です

    幸せって何なんだろう?
    そんなことを考えながら図書館への道を歩いていました
    (おお、なんか哲学者みたいだ!)
    近所の水道屋さんの前を通りがかったとき全面ガラス張りのお店の中にふと目をやると、カウンターの脇に置かれた石油ストーブの前に大きな秋田犬が気だるそうに寝そべっていて自分の左足をひと舐めしました
    うん、幸せって多分こういうことだ

  • 緩やかに心に沁みてきた。

    「不幸の家」と噂される家を舞台に紡がれる五つの家族の物語。
    ずっと緩やかに丘へ向けて坂を登っていく感覚だった。随所に散りばめられた、心に沁みていく言葉をひとつひとつ丁寧に心に拾いあげながら…緩やかに。

    そしてどの家族も、人も、人生の坂を誰かの言葉や助けを借りながら登るのだと改めて感じた。

    たどりついた丘の上から眺める景色は物事を広く捉えられる瞬間かも。
    見方を変えれば世界が変わる、自分がブレなければいくらだって幸せが見えてくる。
    最後は丘の上から大きな虹を見た気がした。

    ホロリときた。

  • 最近手元に町田そのこさんの本が立て続けにやってくる。
    どの本にも最低男が出てきて、どいつもこいつも!!って思ってしまう。

    この本はタイトルと表紙を見て、どんな不幸が渦巻く家なんだろう、どんな不気味を垣間見れるのだろうと妄想したが、かなり違った。
    ある意味勝手な期待を裏切られたのだが、やはり素敵な本だった。

    不幸な家、不幸な家族、のはずが話が進むにつれてだんだん幸せの家、幸せの家族になっていく。
    それは家が変わるのではなく、住人や隣人、友人によって考え方や心が動いていくから。

    素敵な白い3階建ての家が広すぎて、それぞれ部屋ができた分、家族の距離が遠くなった。前の家の方が狭い分、離れたくても逃げ場がなくて、家族と向き合っていた、というくだりが好き。

    私の家も部屋数が足りなくて、子供部屋確保のために将来引っ越ししないとな、でも買うのも借りるのも高すぎる、と解決しないしこりが数年ある。
    でもその分、みんな声が届くところにいるし、密度が高いのもいいことかも!と思えた。

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著者プロフィール

町田そのこ
一九八〇年生まれ。福岡県在住。
「カメルーンの青い魚」で、第15回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。二〇一七年に同作を含む『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』でデビュー。他の著作に「コンビニ兄弟―テンダネス門司港こがね村店―」シリーズ(新潮社)、『うつくしが丘の不幸の家』(東京創元社)などがある。本作で二〇二一年本屋大賞を受賞。
近著に『星を掬う』(中央公論新社)、『宙ごはん』 (小学館)、『あなたはここにいなくとも』(新潮社)。

「2023年 『52ヘルツのクジラたち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

町田そのこの作品

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