学寮祭の夜 (創元推理文庫 M セ 1-11)

  • 東京創元社
3.96
  • (28)
  • (20)
  • (26)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 199
感想 : 31
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (717ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488183110

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • この作品を以って、なぜ今この現代においてでさえセイヤーズが巨匠扱いされるのか、またクリスティーと並び賞されるのかがはっきりと解った。
    特に読み始めの頃はP.D.ジェイムズを読んでいるかの如くで、セイヤーズの影響をジェイムズが強く受けている事を肌身で感じた。ある閉鎖された世界における多種多様な人々を念入りに描く、これはジェイムズが好んで使う手法だが、しかし本作はジェイムズの作品にない明るさがある。個人的にはジェイムズよりもセイヤーズの方が上だと思う。
    今回オクスフォードが舞台ということで教授、学生、給仕など登場人物が半端でなく多いのだが、それでも性格付けが非常に上手く、また描き分けも見事で物語として非常に愉しめた―個人的にはヒルヤード女史が非常に印象が強い。『殺人は広告する』でセイヤーズは広告業界の内幕を描いたが、その頃に比べると出来はダントツだ。

    描かれる事件が学内に陰湿な落書きや悪戯が頻発し、やがてそれが傷害事件にまで発展するというものでコージー以外何物でもない。そのため今回派手なトリック、意外な結末というのは成りを潜めている。
    が、しかし今回強烈だったのは最後告発された犯人が集まった一同を罵倒するという点。セイヤーズが探偵小説を書いたこの頃というのは知的階級の手による上流階級のためのもので、登場人物それ自体が貴族だったり高位の退役軍人だったり会社の役員だったりで給仕、執事、召使は登場人物の1人にも数えられないぐらい特化された時代だった。そういう時代に一介の給仕を犯人にして、しかも市井の人々の抱く憤懣をあからさまにぶちまける―しかも5ページに渡って!―、この行為にとても驚かされた。
    これこそ正に現代でもセイヤーズが古びない顕著な特徴ではないだろうか。

    また、特に本作が人気が高いのもよく解る。『毒を食らわば』で邂逅して以来、常にヴェインに求婚していたピーター卿の努力がとうとう報われるからだ。これは特に女性読者にとっては待ちに待っていた瞬間であり、この上ない倖せな結末だろう。
    ハリエット・ヴェインがあれほど拒んでいたピーター卿の求婚をなぜ受け入れたか、それを描くのにやはりこの700ページは必要だったのだ。

  •  こちらも何回目かの再読。

     この物語の緻密な構造、特に物語内で起こる犯罪と、主人公二人の恋愛の過程がどのように関連し全体的な完成を作り上げているかについては、もう色々な解説やレビューで取り上げられているところなので、繰り返さなくてもいいと思う。
     また、ハリエットが自分の小説を改善していくためにピーター卿と交わす丁々発止が、メタフィクショナルなミステリ論として成立している凄みも然り。

     で、この本の解説を除いて、他のレビューを読んで意外に触れられてないな、と思うのは、最後の犯人の凄絶な告白に関する部分である。
     もちろん、これは物語のテーマである「愛」というものが、いかに陰惨で醜悪な結末になりかねないかという描写であり、そう捉える人が大半のようなのだけれど、その醜悪さが、犯人に負わされていると考えるのは、ちょっと違うのではないか。
     正確には、この醜悪さは犯人「のみ」に向けられたものではなく、事件の全ての関係者に向けられた告発なのだ、と捉えるべきだろう。つまり、死んだ夫のために一連の犯罪を実行したアニーだけでなく、ディ・ヴァイン女史やハリエット、学寮長、もちろんピーター卿自身も、いやそもそも「オクスフォードという知性を支える場そのもの」が、己の信念や知や愛というものを錦の御旗にして人間の尊厳を踏みにじってきたし、これからもそうするであろう残酷無慈悲な存在なのだという、肝の冷える事実をえぐっているのだ。
    「個人的な愛着というものがどういう形をとりうるかは見ただろう」とピーター卿は語るけれど、それは実は人間対人間の愛憎に限るものではなく、知識や真理や信念への愛情もまた、容易に「ああいう形をとりうる」のである。

     この厳しくかつ悲惨な真理を、セイヤーズがわかっていなかったはずがない。
     私生児を産み、経済的に困窮したこともあるセイヤーズにとって、アニーの「あたしみたいに、生きるために床を磨くこと覚えて、(中略)ごみみたいな連中を『先生』呼ばわりさせられてりゃ、少しはためになったでしょうよ」という悪罵は、単なる描写以上の本音、少なくとも過去に抱いた実感ではなかろうか。
    「猫一匹生かしとく役にも立たなかったのに、そんなもののためにうちの人を死なした」という現実。それは真理に対する愛(それはミステリの原動力でもある)への、容赦ない批判と非難とも言える。変な表現だが、あのくだりは「虚無への供物」の先駆というか、アンチミステリを内包したミステリ描写にさえ見えてくるのだ。
     そしてセイヤーズは、アニー的な部分と同時に、「ここの草や石の間に腰を据えて、何か価値のあることをやれたらなぁ」と嘆息するピーター卿的部分も持っていた。実際、彼女は女性として学位をとった先駆けであり、ダンテの「神曲」を翻訳した学者でもあったのだ。

     この物語には、知性や学問への愛と、生活と人間的良心や思いやりを、どのようにバランスしていくべきなのかというテーマもあるのではないかと思う。そして、ピーターとハリエットの恋愛——男女が自立した人間同士として結ばれ得るか、という挑戦がはっきりと成就したのに対し、こちらの答えははっきり示されることはない。むしろピーター卿は「信念が人を傷つけることを防ぐことはできないと思う」と哀しげに言う。
     解説の横井司氏は「ここまでラディカルに突き詰めてしまったら、もはや探偵小説を書き続けることさえ困難だろう、と思わずにはいられない」と評しており、実際セイヤーズの長編推理小説はこの後あまりなかった訳で、彼女の中でも折り合いがつけられなかった問題なのかも知れない。
    (セイヤーズはこの後もシャーロキアンとして論文を書いており、ミステリ自体から興味を失ったとは考えにくいので、なおさらである。)

     実は、この作品以前の初期のピーター卿の作品、たとえばデビュー作の「誰の死体?」でも、ピーター卿が自らの探偵活動によって生まれる余計な人間的軋轢や、自分の欲望のために真理をほじくりかえす厭らしさへの逡巡は描写されている。
     この物語を読み終えた上で、初期の作品をもう一度読み直してみると、濃密な心理的葛藤の一角が、氷山のように水面に顔を出しているのが垣間見え、さらに面白く感じられる。そういう面でも、セイヤーズの作品は、再読に耐えるというより、むしろ再読してこそ面白い種類の物語ではないだろうか。


     最後に余談ながら、このタイトルに限らず創元推理社のピーター卿シリーズの解説はどれも素晴らしい。作品を解釈するための知識や背景を過不足なく説明し、各執筆者の見解の述べ方も独善的な感想やトリビアに陥らず、非常に的確な論を展開している(反論可能性が存在することも含めて)。ミステリの解説はかくあれかしの見本だと思う。

  • 流石のセイヤーズの筆力。高等教育を受けた女性の抱える問題(結婚し家庭に入るべきか、仕事を続けるべきか。家庭と仕事のどちらを優先するべきか…。女性の幸せって何?)、女性特有の人間関係(同窓会の怖さったら!)、そして何より、女性が描く女性のリアルな恐ろしさ(笑)
    ロマンス+ユーモアときどきミステリみたいな比重で、今回は徹底して「人」を描いており、それがそのままミステリの伏線へと繋がっているのはすごいですね。
    ただ、ピーター卿とハリエットさんが丁々発止の議論をたたかわせるのが好きなので、そこがあまりないのが残念-。(かわりにロマンス成分多めなのでまぁいいか)
    あ、バンター成分が少ないです。甥っ子のセント・ジョージ卿が良いキャラしてました。

  • 2020年になって、創元推理文庫から『大忙しの蜜月旅行』が出たので、およそ20年間積ん読状態だった本作を読むことに。面白く読めるであろうとは思っていたが、何しろ700ページ強の大作、ずっと躊躇していたのでした。

    登場人物が多くて、特に教官の皆さんの名前が最後までなかなか覚えられず、それも読むのに苦労した一因でしたが、面白くは読めました。ただ、私の拙い理解力と表現力では、なかなか感想を記すのが難しく…。

    …と思っていたところ、『真田啓介ミステリ論集|古典探偵小説の愉しみⅡ:悪人たちの肖像』(荒蝦夷)によれば、1990年にCWA(英国推理作家協会)の会員投票により選出されたオール・タイム・ベスト作品の中で、本作はロマンチック・サスペンス部門の第1位だったそうです。なるほど、ロマンチック・サスペンスとは目から鱗。
    (これについては、メアリー・スチュアート『霧の島のかがり火』(論創社)の真田さんの解説でも読めます。)

  • ページ数がえげつない。
    それと展開は割と冗長気味なので
    短気な人には向きません。

    ある推理小説作家の女史が
    母校に返ってきたときに起きた
    奇怪な事件。
    殺人こそ起きませんが
    周辺人物には奇怪なことが
    起き続けます。

    あまり犯人面に関しては
    捻られてはいません。
    ご注意を。
    でもえげつないと言えばえげつないわね。
    いわゆる逆恨みに入ります。

    まあハッピーエンドだろうね。

  • 久々に来た、この分厚くて文字たっぷり系!まぁなかなか読むのに根気がいるかなーと思いつつも意外とあっさり読んでしまった。
    にしたってこういう昔の小説にありがちな引用の量ときたら!いちいち会話にシェイクスピアやら、聖書やら、あと良く分からん昔の偉い人やら、どんだけーってなって、はいはい、あなたよっぽどインテリなんやねって言いたくもなるというもの。まぁ何のウンチクもないない現代文学の無意味な会話にも辟易するのかもしれんけど、それにしても、ね。
    まぁでもこうやって引用できるようになったらかっこええのかなー、なんて思ったりもした。恐らく誰も理解してくれんだろうけどもな。

  • 絵にかいたような英国貴族のピーター卿が、40半ばになりちょっとくたびれてきて、よく似た若い甥っ子との対比もあって、人間的でより魅力的に見えた。
    ロマンス部分も、キャラクターに愛着があるので楽しめました。

    ハリエットが探偵役の話のほうが、饒舌なピーター卿を客観的に見られるので、読みやすい気がします。
    カレッジのインテリ女性の集団は扱いづらく個性的でそれが逆に面白かった。

  • ハリエット・ヴェインは母校オクスフォードの学寮祭に出席した。その夜、中庭で汚らわしい落書きを拾い、次の日には嫌がらせの手紙を学衣の袖に見つける。過去の悪夢は懐かしい母校にまで追いかけてくるのか?
    だが数ヶ月後、恩師から匿名の手紙や悪戯が学内で横行していると相談される。これらは自分への攻撃と同じものなのか。平和な学びの庭で一体何が起きているのか。ハリエットは調査のために母校に滞在することになった。

    この一冊のテーマは愛だ。調査の中で、ハリエットは男女の愛というものを目の当たりにし、自分の気持ちを問い直すことになる。過去の悪夢を彼女は乗り越えることができるのか。 (2002-02-20)

    付録 [ピーター・ウィムジイ卿小伝]

  • ハリエットはオクスフォードの女子寮のOGでミステリ作家。ピーター卿はオクスフォードの卒業生で貴族探偵。ピーターはずっとハリエットに惚れて求婚している。なかなかうんと言わないハリエット。ラテン語が分かると2、3倍楽しい。やっといて良かったな、とおもいますよ。ミステリとしてももちろん秀逸だし、当時の女性の高等教育に対する社会的考えが垣間見える点も興味深い。

  • ハリエットのこの頑なさにはピーター卿がだんだんかわいそうになってきますね(苦笑)ミステリとしてもフーダニットととして秀逸。ただし緻密すぎて読み手を選ぶかな…あと個人的にはピーター卿の甥セント・ジョージのご活躍(笑)がある意味卿との対比になってる気もしてそこも好きです。
    何といっても犯人のラスト独白がすごい。女性の社会的位置の捉え方と、それによる盲目的なまでの、愛情と(犯人が)言うものは個人対個人である人間関係の消滅に思えます。それを下敷きとしたミステリである以上ピーターとハリエットが結ばれるストーリーとしてこれは理想的だと思います。

全31件中 1 - 10件を表示

ドロシー・L.セイヤーズの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×