ウォータースライドをのぼれ (創元推理文庫)

  • 東京創元社
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488288044

感想・レビュー・書評

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  • 中国四川省やネヴァダの草原を舞台にした前二作と比べると、ずいぶんスケール・ダウンしたものだ。カレンの部屋や、ホテルの一室、キャンディの家といった狭苦しいところに、女性三人が閉じこもって、ガールズ・トークに精を出し、酒を飲んで大騒ぎするところは、まるで昔懐かしい『ルーシー・ショー』。今回のニールは、ルーシーの相手役を務める銀行の副頭取「ムーニーさん」の役どころ。

    というわけで、ニール・ケアリー・シリーズ第四作は、シチュエーション・コメディ・タッチ。もちろん、タイトルにあるように、ヤマ場ではウォータースライドをのぼらなくちゃいけないので、野外のアクション・シーンも用意されてはいるんだけど、高いといってもプールに設けた滑り台なわけで、三千メートル級の峨眉山に挑んだニールにしてみればいかにもショボい。つまり、今回のニールの冒険は意図的に矮小化されているのだ。

    なぜ、そんなことになってしまったかというと、断じて、そうすべきではなかったのに、性懲りもなくニールがコーヒーの匂いを嗅ぎ、あまつさえ飲んでしまったからだ。「断じて……するべきでなかった」という決まり文句で始まる、このシリーズ。ニールに簡単(?)な仕事を持ってくる養父のジョーの登場で始まるのがお約束。繰り返しには少しずつ変化があり、今回ニールはどこにも出かけない。対象の方がやってくる。

    前作『高く孤独な道を行け』で殺人に手を染めたニールは、官憲の目を恐れ、長髪に髭という偽装までしてカレンの家に引き籠っていた。ジョーが手土産に「簡単な仕事」をぶら下げてやってきたのは、やっと金で解決がついたという知らせだ。ニールはジョーに、そろそろ引退したいと弱音を吐くが、家にジャグジーつきのテラスがほしいカレンは儲け話に乗り気になる。結婚前から主導権を握られているニールは、渋々ヒギンズ教授役を引き受ける。

    ケーブル・テレビ・ネットワークの創設者で社長のジャック・ランディスが、事務所のタイピストをレイプするというスキャンダルが発生。その相手がポリー・バジェット。朋友会はランディスの会社の株主で、社長の追い落としをはかるハサウェイの依頼を受け、ポリーの弁護を引き受ける。しかし、裁判で証言させるにはひとつ問題が。ブルックリン育ちのポリーは発音も文法も無茶苦茶。それを矯正するのがニールに課された使命。流暢に話せるようになるまでマスコミから隠しておくにはネヴァダ州オースティンは絶好の場所だった。

    外に出ることができない三人は、カレンの家でひたすら『マイ・フェア・レディ』のまねごとを延々と演じ続けるしかないわけだ。そこで、シチュエーション・コメディ風の設定が生きてくる。このイライザ役のポリーのセリフの日本語訳が、さすが東江一紀。噴飯物のセリフが次から次へと繰り出され、まさに抱腹絶倒。ところが、頭隠して尻隠さず。上手の手から水が漏れ、隠れ家の在り処がばれてしまう。

    ポリーを探していたのは、ランディスの妻のキャンディ。レイプ事件が夫の言うように嘘なのかどうか、本当のところを知りたいのだ。次にランディスと組んで、テーマ・パーク「キャンディランド」を建設中のマフィア、ジョーイ・フォーリオ。ポリーの証言で視聴率が落ちると資金繰りの目途が立たず、工事中止ともなれば中抜きの旨い汁が吸えなくなる。その他に、借金返済のため功を焦る落ち目の私立探偵ウォルター・ウィザーズ。更には得体の知れない殺し屋まで、危ない連中が先を争ってネヴァダにやってくるから、さあ大変。

    もっとも、かつてジョーの憧れだった名探偵は今はアル中で、酒を見ると手を出さずにいられない最悪の状態。かたや、完璧な仕事をすることで知られている殺し屋は、バー<ブローガン>の番犬ブレジネフに手首を噛まれ、カレンに金属バットで背骨を叩かれ、這う這うの体で逃げ出す始末。威勢のいい女性陣と打って変わって、男性陣の登場シーンは、こてこてのスラップスティック仕立て。レギュラー陣以外の男たちは全員笑いのネタにされている。

    そんな中、人妻キャンディに恋慕するモルモン教徒の元FBI捜査官チャック・ホワイティングが大活躍。麻薬課から引き抜いた部下の働きで盗聴は大成功。チャックの連絡を受けたキャンディがポリーの前に現れるから修羅場になるのは必至。ところが、初めこそ険悪だった二人の仲は急速に雪解けムードになり、いつの間にやら互いの立場を理解し合い、自分たちの置かれた境遇を憂える同士となってしまう。敵の敵は味方、というやつだ。

    今回は、徹底して女性が主役。フェミニズムの旗幟鮮明で、ニールも手を焼くほど。もっとも、今のニールはカレンに夢中。朋友会はランディスの一件にマフィアが一枚噛んでいることを知り、ニールに手を引けといってくるが、金で手打ちにすることにポリーが応じず、カレンがそれを後押ししていては、ニールも後に引けない。策を講じて、ジョーに一役買ってもらい、ホワイティングがジョーイに盗聴器を仕掛け、一世一代の大博打を打つことに。

    下っ端連中がドタバタ喜劇を演じている間、イーサン・キタリッジは服役中のマフィアの首魁に会って、事態の幕引きを図る。このマフィアのボスと朋友会会長の一対一の話し合いの場面が作中最もシリアス。一緒に仕事をしていても、イタリア系の人間を人並みに扱おうとしないアングロサクソンに対するイタリア系の恨みつらみの深さも凄いが、話がぶち壊しになるのも恐れず、犯罪に易々と手を染める相手を侮蔑するアングロサクソンの銀行家の腹の据わり具合も見事。だが、キタリッジは汚れ仕事に嫌気が差し、引退を考えはじめる。

    主人公の成長に絡めてアメリカ社会を批判的に描くという構想で、二十世紀のピカレスクを目指したのが、ニール・ケアリー・シリーズ。ピカレスクは「悪者小説」とも呼ばれるが、「悪者」には括弧がつく。生まれのせいで、そうとしか生きられなかったからピカロ(悪者)になるのだ。娼婦の子というニールの設定が、まさにそれ。ニールがトバイアス・スモレットばかり読んでいるのにもわけがある。スモレットは十八世紀イギリスのピカレスク作家。ニールはピカロであることを自認していたのだ。

    前作がウェスタン仕立てだったのは、当時大統領だったレーガンが、元はB級西部劇役者だったのを揶揄する趣向。今回、標的にされるのは国民的人気の仮面夫婦。舞台はポンペイを模したラス・ヴェガスのホテル、手抜き工事のテーマ・パーク、とまがいものばかり。アメリカの顔となる存在自体が虚像と化したことに対する痛烈な風刺である。しっかり者の妻のおかげで今の地位に着けたのに不倫に耽るジャックは、誰が見てもビル・クリントンだが、モニカ・ルインスキー事件が発覚するのは作品の発表後というから、作家の想像力というものの凄みを思い知らされる。

  • シリーズ4作目。少し毛色の違う作品になったかな。

    前回の事件でできた新たな恋人カレンと幸せな生活を送っていたニール・ケアリー。そんな穏やかな生活にまたしても師匠であり第二の父であるジョー・グレアムがやってくる。「じつに簡単な仕事でな」と言う。その任務とはその人に英語を教えてやること。ただそれだけ!?という任務だが次第に状況が明らかになってくる。

    ジャック・ランディスはファミリー・ケーブル・ネットワークの創設者であり社長。人気番組のホスト役を務める大物である。アメリカ社会ではよくある話だがランディスも愛人を囲い、タイピストとして雇っていた。愛人の名はポリー・パジェット。そのポリーが突然ランディスにレイプされたと騒ぎ始め、これに乗じてランディスの人気を落としたい勢力がポリーを確保、記者会見や法廷へ出てもレイプされた可哀想な女性というイメージを大衆に与えるためにニールに英語教師をさせるという筋書きなのである。

    その台風の目にいるポリー、愛人として雇われていただけなので、タイプもろくに打てない、英語もまともに喋れない...そんな状況。これ、翻訳が大変素晴らしかった。まともに話せない英語というものを日本語に訳すの相当難しかったと推察されるし、実際読んでみたら「あー、わかるわかる!」と思うくらいいい感じに崩れた日本語に訳していた。

    そして色んな思惑を持った勢力がポリーを中心として複雑に絡まってくる構図が面白かった。口から出まかせの嘘が通ってしまったりコメディ感が溢れる感じで「まじかよ」と突っ込みながら楽しく読めた。加えて話は予想しない展開を迎えるので笑いながらもぐいぐい引き込まれていきました。

  • 「果てしないばかの行列に、またひとり、ばかが加わった。」
    これは終盤でのナレーション文章。

    ストリートキッズシリーズの実質的最終章
    前回最大のミッションをこなしたあと、ニールは恋人カレンと“すっごい田舎”で身を隠すように暮らしていた。
    そこへ義父?グレアムがあらわれて……と、毎度おなじみの始まりから、ニールの冒険が始まる。

    始まりの物語『ストリート・キッズ』、次作の『仏陀の鏡への道』では、自分の前にある道に、時には抗い、時には泣く泣く、少年ニールは進む……この迷いが好きだった。
    前作『高く孤独な道を行け』では、ハリウッド映画を見るような展開の中、ある意味プロとして仕事をこなしていくニールの成長があった。

    それに比べるとこの最終話は、少しスケールが小さくなったよう、うん、どこか吉本新喜劇のようで、みんな「笑いの一芸」を披露しながら登場してくるようで……。
    ほんと、主人公とその仲間はもとより、次々に登場する敵役たちの個性がいとおしいほど。

    『ホビーZの気怠く優雅な人生』『フランキーマシンの冬』のように“腹の底から面白い”ウィンズロウ&東江節が爆発したお話でした。

    ただ……ストリート・キッズではなくなっちゃった。

  • ミステリーというより、次にどんなハプニングが起こるのかを楽しむ作品。繊細なニールが周りに振り回されて窮地に陥るパターンは相変わらず。

  • 「じつに簡単な仕事でな、坊主」養父にして朋友会の雇われ探偵グレアムがニールに伝えた任務、それは健全さが売りの人気TV番組ホストのレイプ疑惑事件で、被害女性ポリーを裁判できちんと証言できるよう磨き上げることだった。世にも奇天烈な英語教室が始まる。彼女の口封じを狙う者あり、彼女を売り出して一儲けを企む者あり……様々な思惑が絡み合うポリーゲート事件の顛末。
    原題:A long walk up the water slide
    (1994年)

  • 随分テイストが変わったなぁ。これはこれで楽しめました。

  • ドン・ウィンズロウの描くテンポと東江さんの邦訳の妙を
    心行くまで堪能できる1冊としか!
    ポリーの変な言い回しを損なう事無く訳してる所が
    素晴らしいです(笑)
    『仏陀の鏡~』の時の「決まり××」みたいなアレです。
    読んでいると楽しい幸せなひと時を味わえます。
    間違いない。

    ストーリーはこれまでと比べたらかなりラフな物でしたが、
    解説を読んだら「へえ!そうかあ~」と思いました。
    確かに政治色が今回は全く無いなと思ったけれど、
    深読みしたらそうなるのね。ほうほう。

    個人的にはもっと!エド・レヴァインさんを!!

  • 前作までと一転。軽いドタバタ劇。
    それでもラスト近くの短い場面転換は今や馴染んだウィンズロウ節。
    ポリーのヘンテコ訛りを訳した東江さんの苦労うを偲びつつ、こういうのも嫌いじゃない。

  • ニールケアリーシリーズの四作目。
    強烈なキャラの女性が登場。っていうか、前作で出会った恋人も魅力的だし、敵役!?とも思われた女性も一本筋が通っていてカッコいい。対して男性陣、残念なことにニールはじめ(最後にはやっぱりらしさ、炸裂!)みんな、イマイチ分からない~~立ち位置が紛らわしい、読み込みにくかったけど。
    この本は女性の立場からは楽しかったですが、あら?ニールお得意の潜入操作がなかったなぁ~

  • 学生の頃に読んで、大好きだった「ストリートキッズ」から続くニール・ケアリーシリーズ。
    この本は初めて行った奄美大島での一人旅のお伴として持って行きました。
    正直、「ストリートキッズ」ほどの読後感はないけれど、ニール・ケアリーファンとしては、ニール・ケアリーのセリフや活躍が読めること自体が楽しんでしまえる。
    久しぶりのニール・ケアリーに会えて満足な一冊。

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著者プロフィール

ニューヨークをはじめとする全米各地やロンドンで私立探偵として働き、法律事務所や保険会社のコンサルタントとして15年以上の経験を持つ。

「2016年 『ザ・カルテル 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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