- Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488288051
感想・レビュー・書評
-
何ごとにも終りがある。というわけで、これがシリーズ最終巻。最後になって一人称の探偵が話者を務めるハードボイルド小説のスタイルが戻ってきた。そうは言っても、カレンを話者にしてみたり、脇を務める登場人物の書簡、電話の録音、日記をそのまま本文に持ち込んでみたり、と多視点も採用している。ページ数も短めで、登場人物も限られている。何しろジョーでさえ電話で登場するだけだ。少し変化をつけたかったのかもしれない。
ピカレスクに付き物の社会批評が本作に欠けていることから、シリーズは前作で完結していて、本作は後日談と見る評者もいる。そういう見方もできなくはないが、生まれも育ちも悪いピカロ(悪者)が自分の一生を振り返る自伝形式の小説をピカレスクだというなら、自分の人生を語るにはニールはまだ若過ぎる。いつでもこの続きを書くことはできるわけで、作者としては、ここらで、一区切りつけておきたかったのではないだろうか。
というのも、ニールは一息つきたがっているからだ。相変わらず、ネヴァダ州オースティンのカレンの家に居候を決め込んでいるが、結婚を二カ月先に控えた今になって、突然カレンが子どもが欲しいと言い出したのだ。父の顔も知らず、麻薬中毒の娼婦の子として生まれたニールとしては、自分が親になることに抵抗がある。親に育ててもらっていないので、親というものがよく分からず、親になる覚悟ができていないのだ。
そんな時、ジョーから電話が入る。例の「簡単な仕事」だ。今回は仕事ともいえない雑用みたいなものだという。パームスプリングスに住む八十六歳の爺さんがラスヴェガスから帰ってこないので、連れ帰れという。ホテルの部屋番号も分かっているし、見張りもついている。上手くすれば日帰りで帰って来れて、ボーナスが手に入る。ニールは今度も断りかけるが、惻隠の情に訴えられて、結局引き受けてしまう。文句たれだが、ニールは本当は優しい子だ。そこに付け入るスキがある。ジョーはそれをよく知っている。
ところが、この爺さんが食わせ者だった。歳は取っているが、食欲も性欲もいっかな衰える様子はない。おまけによくしゃべる。次から次へと繰り出すギャグが途切れることがない。その昔、ストリップ小屋でショーの合間に客が飽きて帰らないように引き留めるのがコメディアンの役目だった。ストリップが下火になってからは、ラスヴェガスの一流の舞台で鍛えた。ナッティー・シルヴァーと言えば、泣く子も笑わせる芸人だったのだ。
アボットとコステロという有名なお笑いコンビがいる。ナッティー・シルヴァーこと、ネイサン・シルヴァーマンは、そのコステロにギャグを教えたというから、古強者だ。今は引退しているが、誰彼つかまえては当時のネタを披露して笑わせるのが大のお気に入りときている。ヴェガスには当時のネイサンを知る者が多く、今でも喜んでつきあってくれる。当然、ニールにもそれを披露するが、早く連れ帰りたい一心のニールには付き合ってる暇がない。焦るあまり、深く考えもせず、少しの間老人から眼を離したすきに逃げられる。
ヴェガスはマフィアの街だ。当然、朋友会とのつきあいも深い。ニールはミッキー・ザ・Cという顔役に会い、ネイサンを探してもらう。ネイサンは飛び入りで舞台に立っていた。古いユダヤのジョークで客席は沸いていた。ニールはその様子を見て、焦っていた自分を反省し、一泊することにした。それが甘かった。翌朝、搭乗寸前になってから飛行機は嫌だといい出す。ジープに乗せようとすると軍用車は体に悪い。レンタカーが日本車だと知ると、真珠湾を忘れたか、とくる。
やっと借りたシヴォレーに乗せると、また牛の涎のごとく繰り返されるネタが始まる。「一塁にいるのは誰だ?」という超有名なギャグに、心底うんざりしていたニールがつきあわないでいるとネイサンが拗ねてしまう。心優しいニールはこの沈黙に耐えられず、車を停め、用を足して戻ると車が消えていた。警察署での警官とニールのやりとりがまるで掛け合い漫才。パトカーに同乗して後を追うと、車は見つかるものの、肝心のネイサンがいない。
いったいこうまでして帰るのを嫌がるのはなぜだろう? そう考えて自分の車を走らせていたとき、ネイサン発見。ところが、邪魔が入る。銃を持ったアラブ人が、自分が車で送るといってきかない。銃が出てきては、いうことを聞くしかない。車にのせられ、モハーヴェ砂漠を走行中、銃の奪い合いになり、ニールは車の底を撃ち抜いてしまう。ガソリンが漏れ出し、外へ逃げたとたん車は爆発炎上。三人は廃坑跡の小屋で夜を明かすことに。
焚火を囲んでネイサンが繰り出す持ちネタに仕方なく聞き入るうち、帰りたくなかった理由が分かった。その中に、放火は儲かる、という話がそれとなく挿入されているのだ。隣の家に男が放火しているのを見てしまったネイサンは、相手に脅され、身の危険を案じてヴェガスに逃げてきた。それを無理矢理ニールが連れ戻そうとするから、あれこれと難癖をつけて引き延ばしにかかっていたわけだ。
今回ニールを襲う危機は、坑道に放り込まれるというもの。あれほど高みを目指してきたニールが、乾き切った砂漠の中で坑道に溜まった雨水の中で溺れかけるというのが皮肉だ。定時連絡のないことを心配したジョーがヴェガスのミッキー・ザ・Cに電話し、ニールはからくも溺死を逃れる。ギャグは満載だが、ストーリーにひねりがなく、仕掛けも小振り。最後にしては、少々物足りない気がするが、銃を手にしても人を撃たないニールが戻ってきて、ファンとしては一安心。
ニールは他人と関わることが苦手。必要に迫られた時は、作り話や皮肉、嫌味で相手を翻弄してきた。しかし、延々としゃべり続ける相手につきあうのは初体験。自分のこらえ性のなさに否応なく向き合った今回の経験は有意義だ。子どもに舌先三寸は使えない。嫌でも正面から向き合うしかないのだ。今のニールにはまだそんなことはできない。モラトリアムの期間がいる。それで、この辺で一休みしようというわけだ。続編が書かれることになったら、この一篇はさしづめ幕間劇という扱いになるのだろう。ニールのその後を知りたい向きは『壊れた世界の者たちよ』をご覧あれ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ニール・ケアリーシリーズ最終巻。
カレンとの結婚を控え、探偵業から足を洗いたいと思っているニール。カレンは今すぐにでも子供がほしいと言い、本当の父親を知らないニールはカレンの積極な態度に怖気付く。そんな最中に下された最後のミッションは...。家に帰らないおじいちゃんを連れ戻すこと。
超簡単なミッションに思えたが、このおじいちゃんは元伝説のコメディアンでずーっと持ち前のネタを喋る喋る...止まらない...ニールが宥めすかしても何だかんだ言って帰るのを拒否。手強い。実はおじいちゃん、帰るに帰れないワケがあるのだがニールはそんなことは知らされておらず、ニールの隙をついておじいちゃんは行方不明になるしミッションは難航。ニールは最後のミッションを無事に完遂させることはできるのか?
このシリーズにしては分量も少なく、大冒険でもなく、スケールの小さいものとなっていた。最終巻に向けての大円団があるわけでもなくやや肩透かしをくらったような印象。作者も完璧に終わらすつもりはなかったのかもしれない、これからどうとでも続けられそうな終わり方だった。そういう部分はあったものの、文章そのものは面白いし、しゃべりっぱなしのおじいちゃんも面白い。そして前作でも光った翻訳が今回も素晴らしく、にやにやしながら読むことができた。訳すの本当に難しいと思うんだけど見事に表現。全作を通して非常にクオリティが高くて、また時間が経ったら再読したいなーと感じる作品でした。 -
ア〜終わっちゃいました〜。
ラスト一冊、この本薄くてすぐ読めそうなのに、いつまでたっても読み出さない・・・終わりたくなかったんだもん。
断じて、手に取るべきではなかった。
断じて、最初のページを読み出すべきではなかった。
でも、始まったら止まらなかった。
思えば、ニューヨークの駅でカッパライしてた少年ニールが、
片腕の男グレアムから探偵ノウハウをうけて、
イギリスで麻薬まみれになり、
中国で監禁され、
ネバダで銃撃戦となり、
セックススキャンダルに巻き込まれた上、
殺し屋に付きまとわれ、
そして、最後は老いたコメディアンと旅をして・・・
楽しかったです。
-
無性に子どもを欲しがるカレンに戸惑う、結婚間近のニールに、またも仕事が!ラスヴェガスから帰ろうとしない八十六歳の爺さんを連れ戻せという。しかし、このご老体、なかなか手強く、まんまとニールの手をすり抜けてしまう。そして事態は奇妙な展開を見せた。爺さんが乗って逃げた車が空になって発見されたのだ。砂漠でニールを待ち受けていたものは何か?シリーズ最終巻。
原題:While drowning in the desert
(1995年) -
ニール、こんなにポンコツになっちまって(笑。老コメディアン、ナッティ・シルヴァーが良いねぇ~。ラストが思わせぶり過ぎて、この後がメッチャ気になるんだけど、シリーズは、ここで終わっているみたいだねぇ。
-
ニール・ケアリーシリーズ最終巻。
4巻までが本編扱いで、この5巻目は後日譚的な
立ち位置の様です。
確かに、これまでと比べると軽い読み物な気がしますが、
東江一紀さんの邦訳のお蔭もあり、
退屈しない!テンポが良い!面白い!!
3拍子揃った一冊です。
エド・レヴァインやグレアム好きな自分としては
ちょっと物足りない幕引きではありましたが…。
お爺ちゃんが素敵だったので相殺。
解説には1999年のインタビューで、
ドン・ウィンズロウ本人がそう遠くないウチに
ニールの新作書きます的な事を仰って居たそうですが、
…かれこれ20年近く経ってしまう訳でして、
それ以前に東江さんも故人になられてしまったので、
期待は出来ないですかね…。 -
ニール・ケアリーのシリーズ最終巻。
相変わらず面白い。
初めてドン・ウィンズロウの作品に出会ったのが、このシリーズの1作目、「ストリート・キッズ」だったんだけど、こんなに活き活きとして、読み応えがあって、ウィットに飛んでいて、それでいてほろ苦く、切なく、また、爽快感も感じる作品に出会えたことに感謝したものだった。
以来、このシリーズはどれも面白くて(2作目の「仏陀の鏡への道」は切なすぎるけど)、外れがないのがうれしいところ。
それも、この作品でシリーズが終わってしまい、ちょっと淋しい。
でも、ニール・ケアリーの活躍は、いつまでも忘れないことだろう。
それだけ、素晴らしいキャラクターだった。 -
ニール・ケアリーシリーズの最終巻。
これは奄美大島からの帰りの飛行機辺りから読み始めた。
翻訳者のあとがきを読んで初めて知ったんだけど、この本はアメリカでは1997年に出版されていたらしい…。でも、その頃、日本では2作目の「仏陀の鏡への道」が出た頃。
その後、ニール・ケアリーシリーズが続いていたことも知らなかった。
で、この本は2006年に出版されてたらしいんだけど、僕は今年になってようやく知り、20年越しでニール・ケアリーシリーズの最終巻を読み終えました。
ただ、3冊目の「高く孤独な道を行け」がまだ読めてないので、これを読むことを楽しみにしています。