太宰治の辞書 (創元推理文庫)

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  • 東京創元社
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  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488413071

作品紹介・あらすじ

みさき書房の編集者として新潮社を訪ねた《私》は新潮文庫の復刻を手に取り、巻末の刊行案内に「ピエルロチ」の名を見つけた。たちまち連想が連想を呼ぶ。卒論のテーマだった芥川と菊池寛、芥川の「舞踏会」を評する江藤淳と三島由紀夫……本から本へ、《私》の探求はとどまるところを知らない。太宰が愛用した辞書は何だったのかと遠方にも足を延ばす。そのゆくたてに耳を傾けてくれる噺家。そう、やはり「円紫さんのおかげで、本の旅が続けられる」のだ……。《円紫さんと私》シリーズ最新刊、文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • シリーズものと知らず
    タイトルの「太宰治」に
    惹かれて購入
    「女生徒」と
    津島美知子さんの
    「回想の太宰治」を
    読みなおししたくなった

    岐阜駅本の市にて購入

  • 【収録作品】花火/女生徒/太宰治の辞書/白い朝/一年後の『太宰治の辞書』/二つの『現代日本小説大系』

    知の探究。あのまま真っ直ぐに成長した「私」さんの姿が嬉しい。(彼女にもいろいろあったのだろうけれども。私から見れば、まぶしいくらい真っ直ぐだ。)
    単行本既読だが、文庫収録の短編とエッセイ目当てで再読。
    前橋文学館に行ったことがあるので、ちょっと懐かしい気分になった。

  • 加納朋子さんのデビュー作、駒子シリーズの続刊が11年ぶりに出た時も随分驚きましたが、こちらは北村薫さんデビュー作「円紫師匠と私」シリーズのなんと17年ぶりの新刊です。正直、まだ続くとは思っていませんでした。本書が世に出たこと自体がまず衝撃です。

    が、そこで驚くのは時期尚早に過ぎたようです。前作「朝霧」で「私」は社会人になり、ほのかに男性の影も出てきて、これはひょっとして恋愛方向に進むのかしらんと期待していたのですが、なんと「私」、既に母親でした。読者が17年の歳月を積み重ねたのと同様に、登場人物たちにも世に出なかった人生が等しく流れていました。そう来ましたか。

    さてそうなると円紫師匠はどうしているのか、どうにも心配になって来るところです。一向に出てこないので、まさかもう…という嫌な妄想まで浮かびましたが、大丈夫、ちゃんと登場します。登場しますけど、もう師匠はホームズではないし、「私」もワトソンではありませんでした。と言うか、「日常派」というくくりさえ飛び越えて、本書はもはやミステリでは無いと思います。文芸評論、というカテゴライズが一番正しいと思いますが、自分の受け止め方は「旅行記」ですね。本を巡る思索の旅、そして人生という長い長い旅路の果てない記録。そんな感慨を抱きました。

    絶妙な語り口と豊富な含蓄、円紫探偵の推理話は抜群に面白く何作でも読んでいたいのですが、もともと本シリーズはサザエさん時空ではありませんので、時が流れ話の枠組みが変わっていくのは当然の帰結だったのでしょう。デビュー作当初の軽やかさは失われ、しかしキャラクターの芯の強さは残り、物語は静かにきらきらと輝いています。無くなったものに対する憧憬はありますが、それは「私」が失くしたものか、それとも自分が失くしたものか…。

    構成自体は「六の宮の姫君」に近いですが、個人的には本書の方がぐっと読み易かったです。「舞踏会」も「女生徒」も現代ならば「盗作だ!」と即座に炎上しそうだな、と思いながら読み進めているさなかに、芥川賞候補「美しい顔」を巡る騒動が持ち上がりました。本文中に又吉直樹氏が実名で登場しますし、絶妙に時代を写した作品とも言えるでしょう。

    それにしても、加納朋子「スペース」って、もう14年前の本なのか…。時の流れが身に染みます。

  • 学生の頃に、夢中になって読んだ北村薫の「私」シリーズ。もう続きはないものと思っていたが、続きが出ていたとは。
    「私」も結婚し、息子が生まれ、家を持ち…年を経ている。その間が見たい、と思う人もいるだろう。ファンの多いシリーズだったから、なおのこと。しかも今回扱うのは日常の謎、ではない。

    それでも私は懐かしく、楽しく読むことが出来た。私は芥川龍之介がとても好きだからだと思う。「舞踏会」も読み返してみた。あまり深読みしなかったし、さらっとしか読んでいなかったが、情景描写が見事だなあと感じた印象を、初読のときも感じた。
    こういう芥川や太宰が出てくるときに、思いだすのが、高校の時の古典の授業。
    先生は言っていた。昔の人は必読の和歌があり、例えば「橘」と言えば、「古今集」の「さつきまつ」で始まる和歌から「昔」という言葉が引き出される、つまり同じ知識を共有していることを前提にしている、と。

    同様のことが、近代の文学にも言える感じがする。この本は読んでいて当たり前、それを前提に書かれている物語、のような。
    そういう前提が今、備わっていないから、近代の文学が読みにくくなってしまったように思う。

    「私」の周囲の変化に話を戻す。榊原さんが亡くなったのが、悲しい…もちろん小説の中の話なのだけれど。仕事を教えてくれる、技を盗みたくなる先輩がいなくなる、というのはどれほどの心もとなさを持つことだろう。もちろん、他にも先輩はいるのだが、その人から盗みたい、という技があるだろうから。

    「私」のお父さんやお姉さんとの関係はどうなったんだろう。

    昔、「空飛ぶ馬」を共に読んだ大学の友達との関係を「私」と「正ちゃん」との関係に重ねる。子どもが小さいと、なかなか会えない。それは真実だなあ。
    当時その友達が言っていた。『「私」のような女はいない、これは著者の理想の女だ』と。それは正しいとは思うけれど、それでもいいのではないか、とも私は思う。

    「ワットォの絵」が「舞踏会」に出てくる。ワットォは今ではヴァトーと言われいて「シテール島の巡礼」が有名。この絵にインスピレーションを受けてドビュッシーが「喜びの島」を作曲した。娘が「喜びの島」を弾いていた時に絵を見ていたので、よく覚えている。


    「白い朝」は円紫さんの若かりし頃の姿だ。私にはその事実よりも「ねえ、あの頃はあたし達も、小鳥みたいだったのね」の最後の一文に惹きつけられた。

    「一年後の『太宰治の辞書』」のグレース・ケリーとキリマンジャロの雪は、先日読んだ「遠い唇」の話が出てきて、ちょっと嬉しかった。つい先日読んだところだったし。

    とりとめなく書いてしまったが、また繰り返し読み、新たな発見をしてみたい。

  • 好事家やある対象にのめり込むほどの愛情と欲求を持つ人というのは、それを突き詰めていればいるほど、変人である。常人にはなかなかその境地に至れない。だが、その愛情の濃さと喜びをうかがい知ることは出来る。この本はそんな一冊だ。本と文学、そしてそれを創った人々への愛情と執着の喜びをこのシリーズは感じさせてくれる。
    シリーズであるからには同じ登場人物が出てくることに不思議はない。その人物が歳をとって成長、成熟していくこともあるだろう。しかし、主人公『私』を描いてシリーズが創られるのなら、それを引き継ぐ存在の事がいつか描かれるのではないか。そんな期待、もしくは願望を持たずにいられない。

  • 円紫さんシリーズです!
    まさか続編が出るとは思わなかったです。嬉しい。
    前四部作からしばらく経ってからの続編ということで、主人公の「私」は40代になり、円紫さんとの関係も前作とは違います。
    前作では円紫さんは私に謎を解いてくれる名探偵のような人だったが、今作はそうではなく、ヒントだけをもらって私が自力で答えにたどり着ける。

    太宰治について知っていることが前提で話が進むため、最初は全くついていけなかった。
    ピエールロチから始まり、太宰治、芥川龍之介など作家やその作品が出てくるが、それぞれの作家の書いた小説を取り上げ、その一部分に作家が何を訴えたかったのかを読み取っていく。
    次々出てくる話がどんどんつながり、またそれによって別の本や作家の話が出てきて、少しずつ謎に迫っていく。
    後半は作家や作品がわからなくてもついていける。
    でも、ここに出てきた話を全部読んでからまた読みたいと思った。

  • 誰でも何かに熱中することがある。そのときでも日常はある。

    「円紫さんと私」シリーズは「日常の謎とき」から、いつの間にか「文豪たちの謎」「書物の謎」へ移り変わってきている。シリーズでも特に「六の宮の姫」にその特徴が表れていた。
    この「太宰治の辞書」もそう。

    それでも、「日常」はこのシリーズの良さとして残っている。

    太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介などの文豪たちの作品を作る熱意や背景、現代にて参考文献などから謎を発見したり、推理することの面白さを描いていると思えば、次のシーンではいつの間にか「私」の日常の情景がサラリと流れている。
    そのバランスが絶妙で、「私」とともに資料を手にしたり、人と会ったり、食事の用意をしたりと、だんだん“わたし”が「私」になっていく。

    いつの間にか“良い年齢”になっていた「私」ではあるが、まるで同窓会のように一瞬で「空飛ぶ馬」の「私」に戻ることができた。

    あ~読んでしまった。次はないのかな~。

  • このシリーズを読むのは久しぶり。帯にでかでかと書いてあるように、すっかり完結したシリーズだと思っていたのに、新作が出たことにまずびっくり。そして作品世界でもちゃんと時間が経過していて、「わたし」が大人になっていることにさらにびっくり。同窓会で久しぶりに旧友に会ったような気持ちになった。そして、年を取った彼女もちゃんと魅力的で、変わった部分も多いけど変わらない部分がたくさんあって、それがなんだかとても嬉しかった。

    「日常の謎」というジャンルは、この作者が切り開いたものだと理解しているけれど、こういう書誌学的なミステリも、この作者独自のものだと思う。広く言えば「時の娘」のような歴史ミステリを言えないこともないと思うが、本作はそれとも少し違っていて、どちらかというとエッセイ的というか、作者の興味のあることについての発見を、探求の過程を含めて小説の形にしたようなものに感じる。僕個人は、内容にも作品世界の描かれ方にも興味があったからおもしろかったけど、「ひとつ、日常の謎ミステリを読んでみよう」と思ってこの本を手にすると、ちょっと拍子抜けするというか、「いったいいつ本題が始まるのだろう」と思って拍子抜けするかもしれない。

    端的に言えば、謎を解くことよりも、謎を発見する目がおもしろい。そういう意味で興味深い作品だったけど、正直言って懐かしいこの世界に再び浸れることが一番のしあわせだった読書であった。

  • 迂闊にも「朝霧」以来「円紫さんと私」シリーズの続きが出ていたことに気づかずに2023年まで来てしまっていた。
    昨年、秋の花を読み返した時、ナニカの拍子に知って慌てて取り寄せた次第。
    8年もスルーしてたのか…。

    さて、シリーズ最新刊のこちら、
    「私」がちゃんと年を重ねているのを微笑ましく思いながら、本に対しての相変わらずの饒舌ぶりに冒頭から置いてけぼりをくらう。
    いやいや、それひっくるめて懐かしい。
    よく考えたら世代的には同じくらいなのかな?学年で言うとたぶん少し上になるんだろう…。
    ここでの「私」は8年スルー分、わたしより少し若い。
    若い頃を知っている旧友の近況を、変わったところ変わらないところを数えながら読んでいく時間はとても幸せだった。

    さてお久しぶりの文学探偵、
    そんなところ気になりますか?と思うようなこともとことん調べて「私」なりに解き明かしていくその手腕。
    とにかく太宰を読まなくては!とさせられる。お恥ずかしいが「走れメロス」ぐらいしかたぶん読んだことないので、「女生徒」はぜひ読んでみようと思う。

    あと、驚きの再会とするならば、短編「白い朝」。
    昔、図書館で何気なく手に取った「鮎川哲也と十三の謎’90」で、大好きな北村薫の章だけ読んで「うわぁ、さすがだわー、めっちゃ好きだわー」と思っていたのがこの作品だった。
    米澤穂信さんの秀逸な解説によると、ここに出てくる登場人物がなんと我らが円紫さんだそうな。
    出会い頭の初読の時には当たり前のように気がついてなかったけど、
    そりゃこの作品、わたし好きだわな。

    ちなみに本編の内容に戻って、少し枠を逸れるけれど、現在進行形のネット炎上案件にもクロスオーバーしそうな感じを受けたりして、今この作品を読むヒキの強さを勝手に感じたりする。

    数年ぶりに一度だけ読んだ素敵な作品に再会できたり、読んだ作品の主題が、現実世界と微妙にシンクロしていたり…。
    こういう体験に、ただ文字を読んでいるだけではないんだな、と、読書沼の底の見えなさ加減を教わる。
    もしかしたらそれは、わたしの世界への認識が読んだ本によって拡張しているってことなのかもしれない。

    いつまでも本を読めるだけ目が丈夫でありますようにと願わざるをえない。

  • 「生まれてすみません」
    太宰治と言えばこの句。
    けれどこれは寺内寿太郎という作家のものであったのを、勘違いから太宰が使ってしまったものだということでした。
    驚きであるとともに寺内寿太郎という人の人生も変わってしまったのだなあと憐憫の情が湧きます。

    書痴:読書ばかりしていて、世の中のことにうとい人。
    こんな言葉を否定するように主人公≪私≫は書籍から書籍への探求を経て世の中を見ているよう。
    「六の宮の姫君」から20年近く経ちベテラン編集者となった《私》は、ふとしたことからピエルロチそして芥川龍之介と菊池寛の2人の関係の謎を解き始めることになる。
    表題作「太宰治の辞書」では教師となった親友正ちゃんと久しぶりの再会を果たし、三島由紀夫の芥川作品ロココ調批判から太宰の「女生徒」に話が広がる。
    その中で「女生徒」は有明淑という人が書いた「有明淑の日記」が元になっているという私にとっては衝撃の事実に対面するのですが、それより「女生徒」の中で「ロココ」について太宰が引いたとされる「辞書」がどんな辞書だったのかを端緒に蹴り広げられる太宰治探求は感動さえ覚える。

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著者プロフィール

1949年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大学時代はミステリ・クラブに所属。母校埼玉県立春日部高校で国語を教えるかたわら、89年、「覆面作家」として『空飛ぶ馬』でデビュー。91年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞を受賞。著作に『ニッポン硬貨の謎』(本格ミステリ大賞評論・研究部門受賞)『鷺と雪』(直木三十五賞受賞)などがある。読書家として知られ、評論やエッセイ、アンソロジーなど幅広い分野で活躍を続けている。2016年日本ミステリー文学大賞受賞。

「2021年 『盤上の敵 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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