- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488413071
作品紹介・あらすじ
みさき書房の編集者として新潮社を訪ねた《私》は新潮文庫の復刻を手に取り、巻末の刊行案内に「ピエルロチ」の名を見つけた。たちまち連想が連想を呼ぶ。卒論のテーマだった芥川と菊池寛、芥川の「舞踏会」を評する江藤淳と三島由紀夫……本から本へ、《私》の探求はとどまるところを知らない。太宰が愛用した辞書は何だったのかと遠方にも足を延ばす。そのゆくたてに耳を傾けてくれる噺家。そう、やはり「円紫さんのおかげで、本の旅が続けられる」のだ……。《円紫さんと私》シリーズ最新刊、文庫化。
感想・レビュー・書評
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【収録作品】花火/女生徒/太宰治の辞書/白い朝/一年後の『太宰治の辞書』/二つの『現代日本小説大系』
知の探究。あのまま真っ直ぐに成長した「私」さんの姿が嬉しい。(彼女にもいろいろあったのだろうけれども。私から見れば、まぶしいくらい真っ直ぐだ。)
単行本既読だが、文庫収録の短編とエッセイ目当てで再読。
前橋文学館に行ったことがあるので、ちょっと懐かしい気分になった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
好事家やある対象にのめり込むほどの愛情と欲求を持つ人というのは、それを突き詰めていればいるほど、変人である。常人にはなかなかその境地に至れない。だが、その愛情の濃さと喜びをうかがい知ることは出来る。この本はそんな一冊だ。本と文学、そしてそれを創った人々への愛情と執着の喜びをこのシリーズは感じさせてくれる。
シリーズであるからには同じ登場人物が出てくることに不思議はない。その人物が歳をとって成長、成熟していくこともあるだろう。しかし、主人公『私』を描いてシリーズが創られるのなら、それを引き継ぐ存在の事がいつか描かれるのではないか。そんな期待、もしくは願望を持たずにいられない。 -
円紫さんシリーズです!
まさか続編が出るとは思わなかったです。嬉しい。
前四部作からしばらく経ってからの続編ということで、主人公の「私」は40代になり、円紫さんとの関係も前作とは違います。
前作では円紫さんは私に謎を解いてくれる名探偵のような人だったが、今作はそうではなく、ヒントだけをもらって私が自力で答えにたどり着ける。
太宰治について知っていることが前提で話が進むため、最初は全くついていけなかった。
ピエールロチから始まり、太宰治、芥川龍之介など作家やその作品が出てくるが、それぞれの作家の書いた小説を取り上げ、その一部分に作家が何を訴えたかったのかを読み取っていく。
次々出てくる話がどんどんつながり、またそれによって別の本や作家の話が出てきて、少しずつ謎に迫っていく。
後半は作家や作品がわからなくてもついていける。
でも、ここに出てきた話を全部読んでからまた読みたいと思った。 -
誰でも何かに熱中することがある。そのときでも日常はある。
「円紫さんと私」シリーズは「日常の謎とき」から、いつの間にか「文豪たちの謎」「書物の謎」へ移り変わってきている。シリーズでも特に「六の宮の姫」にその特徴が表れていた。
この「太宰治の辞書」もそう。
それでも、「日常」はこのシリーズの良さとして残っている。
太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介などの文豪たちの作品を作る熱意や背景、現代にて参考文献などから謎を発見したり、推理することの面白さを描いていると思えば、次のシーンではいつの間にか「私」の日常の情景がサラリと流れている。
そのバランスが絶妙で、「私」とともに資料を手にしたり、人と会ったり、食事の用意をしたりと、だんだん“わたし”が「私」になっていく。
いつの間にか“良い年齢”になっていた「私」ではあるが、まるで同窓会のように一瞬で「空飛ぶ馬」の「私」に戻ることができた。
あ~読んでしまった。次はないのかな~。 -
このシリーズを読むのは久しぶり。帯にでかでかと書いてあるように、すっかり完結したシリーズだと思っていたのに、新作が出たことにまずびっくり。そして作品世界でもちゃんと時間が経過していて、「わたし」が大人になっていることにさらにびっくり。同窓会で久しぶりに旧友に会ったような気持ちになった。そして、年を取った彼女もちゃんと魅力的で、変わった部分も多いけど変わらない部分がたくさんあって、それがなんだかとても嬉しかった。
「日常の謎」というジャンルは、この作者が切り開いたものだと理解しているけれど、こういう書誌学的なミステリも、この作者独自のものだと思う。広く言えば「時の娘」のような歴史ミステリを言えないこともないと思うが、本作はそれとも少し違っていて、どちらかというとエッセイ的というか、作者の興味のあることについての発見を、探求の過程を含めて小説の形にしたようなものに感じる。僕個人は、内容にも作品世界の描かれ方にも興味があったからおもしろかったけど、「ひとつ、日常の謎ミステリを読んでみよう」と思ってこの本を手にすると、ちょっと拍子抜けするというか、「いったいいつ本題が始まるのだろう」と思って拍子抜けするかもしれない。
端的に言えば、謎を解くことよりも、謎を発見する目がおもしろい。そういう意味で興味深い作品だったけど、正直言って懐かしいこの世界に再び浸れることが一番のしあわせだった読書であった。 -
「生まれてすみません」
太宰治と言えばこの句。
けれどこれは寺内寿太郎という作家のものであったのを、勘違いから太宰が使ってしまったものだということでした。
驚きであるとともに寺内寿太郎という人の人生も変わってしまったのだなあと憐憫の情が湧きます。
書痴:読書ばかりしていて、世の中のことにうとい人。
こんな言葉を否定するように主人公≪私≫は書籍から書籍への探求を経て世の中を見ているよう。
「六の宮の姫君」から20年近く経ちベテラン編集者となった《私》は、ふとしたことからピエルロチそして芥川龍之介と菊池寛の2人の関係の謎を解き始めることになる。
表題作「太宰治の辞書」では教師となった親友正ちゃんと久しぶりの再会を果たし、三島由紀夫の芥川作品ロココ調批判から太宰の「女生徒」に話が広がる。
その中で「女生徒」は有明淑という人が書いた「有明淑の日記」が元になっているという私にとっては衝撃の事実に対面するのですが、それより「女生徒」の中で「ロココ」について太宰が引いたとされる「辞書」がどんな辞書だったのかを端緒に蹴り広げられる太宰治探求は感動さえ覚える。
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「円紫さんシリーズ」の最新刊だと思って読みはじめたものの、なんだか冒頭の「花火」が難しくて内容が頭に入ってこず、難しかった。
六の宮の姫君ではじめて「円紫さんシリーズ」を読んだ時はおもしろすぎて興奮したのに…
でも、2番目の「女生徒」は原作を読んでみたくなったし、それ以降は読み進められたので、順番がよくなかったのだろうか… -
一足飛びに母になった"私"、変わらずみさき書房で働き、文学作品への想いも持ち続けている。芥川に太宰、いくつもの本を渡り歩き、自分の足も動かして、過去に埋もれた謎を掘り起こしては確かめに行く。するすると数珠のように繋がる事柄を、何も知らないながらふんふんと読んでいくのも案外、楽しいものだなと思う。
懐かしい友とのやりとりが良かった。女学生のころの距離感と、大人になってからのそれは同じようでやはり少し違う。
「自分の好きだった本が、友達のうちにずっと置いてあるのも、悪いことじゃない」
17年の時をおいて再び"私"を登場させたことについて、「一年後の『太宰治の辞書』」と題したエッセイの中で書いている、これも面白かった。
「寺内という表現者の哀しみを読む時、それは《実は誰の言葉だったか》という豆知識を超えて、語るべきものとなる。であるなら、どういう形で語るのがふさわしいか」
なるほどなぁ、と。
著者プロフィール
北村薫の作品






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