図書室の魔法 下 (創元SF文庫)

  • 東京創元社
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488749026

作品紹介・あらすじ

馴染めない女子校生活、止まらない母親の悪意。唯一の楽しみであるSFとファンタジイにひとり耽溺する少女は読書クラブに誘われ、初めて仲間に出会う。

感想・レビュー・書評

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  • 本好きには楽しい魅惑の物語、後半。
    ファンタジーですが、少女の日記の中にSFを読んだ感想がいっぱい。
    読書クラブの仲間に出会った幸福に溢れています。

    生まれ育ったウェールズからイングランドの寄宿学校へ。
    家でも学校でも孤立しがちな15歳の少女モリ。
    はみ出し気味の級友を見つけ、だんだん友達付き合いも増やしていきます。
    でも自然の中にフェアリーが見えるのは自分だけ、双子の妹をなくしたのも自分だけ、悪意を向けてくるとんでもない母親と対決しなければならないのも自分だけ。
    誰にも話せないそういう経験から大人びている面もありますが、まだブラジャーの買い方もよくわからなかったり。
    そういうところから、恋を知り、世界が広がって行きます。

    事故で不自由になった片脚を引きずっていますが、体育の間、見学する代わりに図書室で思う存分、本を読めることになったのが救いでした。
    町の図書館に集まる読書クラブに入れることになり、生まれて初めて、話の合う仲間が出来るのです。
    この喜びは本好きならわかりますよねえ‥特にSF好きなら。
    本を大量に読む子はそういないし、趣味が合うとなるとさらに難しい。
    私は、SFはずっと前に読んだきりでよく覚えていないのが多いんですが、それでも、そうそう!とわかったり笑ったり、これ読んでないかも~読みたい!という気になったり。

    読書クラブで知り合った2歳上のウィムはとてもハンサムで本の趣味もかなり合いそう。
    前のGFと悪い噂があったため、近づかないように忠告されたりもしたのですが。
    魔法やフェアリーに興味のあるウィムを森に誘い、フェアリーを見られるかどうか試してみるのが初デートという。

    この作品はすべてモリの手記という形で語られ、しかもすべてが事実ではないかもしれないですよ、と冒頭に書かれています。
    普通にファンタジーと読んでさしつかえない内容ですが、どこかは少女の空想と解釈することも出来るのです。
    「指輪物語」をこよなく愛する少女ですからね。
    そのへんの解釈は、お好みで?

    1979年に15歳、というのは作者自身の年齢と同じ。
    作者はウェールズの町で育ち、15歳ではなく大学でイングランドに行っています。
    読んだ本の感想や、15歳ならではのちぐはぐな感覚は、おそらく当時を思い出して書いた部分が多いのでしょう。
    当時、空想していたことも含まれているのでは?
    自分にある問題を別な形に置き換えたり、平凡な自分にはない不幸をドラマチックに想像したり。
    いえ私は丸ごと、こんな子だったわけじゃありませんよ~という、照れ隠しなんじゃないかな~という気がしています。

  • あれ、あれ、あれれれ…
    想像していたのとは全く違った。下巻は魔法色が濃いです。
    SFやファンタジーへの力の入れ具合と同じぐらい熱量で母親やモルと精神的な対峙をするのかな、と思っていたので、物足らなさを感じました。特に母親への葛藤などはなく、ただの戦闘でした。
    ここでもやはり武器は『指輪物語』か!と思いつつ、本が木になり、それが最後に森になるところは清々しく、気持ちよく読み終えました。
    私はヒュー推しだったので(表紙の登場人物紹介欄に名前がない人であることに後で気づいた)、ウィムとくっついて残念だったけど、ウィムが本当に悪いやつだったら、平凡な話になっていたのかな、と思います。

    たまたま図書館で題名が気になって手に取った本。
    タイミングよく、クリスマスの日にクリスマスの出来事を読めたし、タイミングよく知りたかった海外の読書会がどんな風なのがわかったし、タイミングよくアシモフを読もうかな、と思っていたところSFが満載でした。
    それこそこの本に魔法がかっていたのかもしれません。

    昨日図書館でこの下巻を探すと同時に、アシモフの「われはロボット」を借りてきました。モリたちみたいに濃くは読めないけれど、来年はモリのように色々なジャンルの本を楽しもうと思います。

  • 上巻を読んだとき、フェアリーや魔法の存在を大真面目に書く、モリの日記がどこまでが現実で、どこまでが虚構・想像なのか分からず戸惑っていました。
    でも読み終えてみると、そんなことは物語に何の関係もなかったのでは、と思います。

    本当に大事なのは、日記の真偽ではなく、日記の書き手がどう変わったのか、ということなのでは、と。

    親戚と封鎖的な寄宿学校になじめなかったモリは、上巻ラストで地元の読書会に参加し、そこでようやく心許せる人たちに出会います。

    モリの大好きなSF・ファンタジーを対等に話し合える仲間。孤独で灰色だったモリの青春がようやく色づき始めたような感覚は、上巻の終盤までの物語の暗さを知っているからこそより鮮明。

    趣味の話や本の貸し借りをしたり、一緒にカフェに入ったり、そしてモリが入院すると知れば、病院にまでかけつけたり。そして、初恋の予感も生まれて……

    当たり前の光景といえば、当たり前なのだけど、その当たり前が上巻ではほとんど無かったんだな、と下巻まで読んで改めて気づかされました。日記の中身もようやく楽しげな話が増えてきて、格段に読みやすくなった気がします。

    下巻を読み始める前の予想として、自分は徐々に日記からフェアリーや魔法の存在の記述が減っていくのではないか、と勝手に考えていました。

    友人ができ、恋を知り大人になっていく過程で、その存在に構っていられなくなるというか。この手の成長小説のお約束的展開というか。

    しかし、フェアリーも魔法も最後まで、モリの日記の中心点を占め、結末にも関わってきます。読み終えた時は意外だと思った反面、でも改めて上巻の日記の最初の箇所を読むと、どこか納得も出来る。

    解説でも触れられていますが、モリをいわゆる「信頼できない語り手」と見ることは可能だと思うし、そうなると、この日記の形式で書かれた小説は、どこまでが現実で、どこまでが虚構かは、完全に読者に委ねられます。ラストの派手な対決も、虚構だと思えばすんなり受け入れられる。

    でも、すべて虚構だとしても裏切られたという気がしません。なぜならこの日記は自分と同じように、本が好きで、SFが好きで、ファンタジーが好きだった不幸な少女が、あるべきところにたどり着く物語だからです。

    上巻でも寄宿学校の話やエピソードがリアルな一方で、フェアリーや魔法の存在が大真面目に書かれているこの日記は何なのか、と考えた記憶があります。
    それが寄宿学校の鬱々としたエピソードは本当で、フェアリーや魔法は創作として読むと、自分の中では大体腑に落ちます。

    大怪我をし、一方で学校生活では仲間はずれにされ、孤独から逃れるため、自分は特別だと思い込むため、創られたフェアリーや魔法。
    でも、現実が好転していく中で、フェアリーも魔法も自分を守るためのものではなく、自分を救うためのものだと、そして乗り越えるためのものだと、日記の書き手が考え始め、下巻の展開になっていったとしたら……

    そんなふうに解釈は無限に広がるように感じられます。でもただ一つ信じたいのは、日記の書き手は幸せを見つけ、魔法とフェアリーに対しての扱い方を変えたということ。

    あちら側の世界へモリを誘惑しようとする、フェアリーと死んだはずの妹。モリを襲う魔女と化した母。これらにどんな意味を持たせるか。それは読者の数だけあるように思います。

    本を愛した少女が、本によって孤独から救われ繋がりを見つけ、現実と虚構が入り乱れる中で、確かに成長していく物語。

    クライマックスでやや唐突に挟まれる一文『本を心の底から愛したならば、本もあなたを愛してくれる』。この一文をあの場面で、日記の書き手は何を思い書いたのか、それもまた無限に想像が広がります。

    『図書室の魔法』というのは、原題通りのタイトルではありません。原題は『AMONG OTHERS』。訳すと、かなり抽象的になるのですが「他のものたちの中で~」というふうになるのでしょうか。

    寄宿学校、会ったことのなかった父や叔母たち、読書クラブの仲間たち、魔法とフェアリー、そして日記の中で数多く言及される様々な本たち。(巻末に言及された作品一覧が載っているけれど、「学術書の参考文献リストか!」とツッコミをいれたくなるほど膨大……)

    そんなたくさんの〈他のものたちの中で〉何かを見つけた少女。上巻のはしがきで、こんな言葉が引用されていたのだけど、読み終えてみると、まさにこの言葉通りの物語だったという気がします。

    『過去の自分に対し、年齢に応じたアドバイスを
    与えられるとしたら、いったいなにを言えばいいのか?
    十歳から二十五歳までのわたしには、
    こう言ってあげよう。
    事態はよくなってゆく。絶対に。
    あなたが好きだと思える人たちは、
    必ず現われる。そして向こうも、
    あなたのことを好きになってくれる。』

  • なるほど~、これは話題になるはずだ。本好き(特にSF好き)の琴線に触れる、まことに愛すべき一冊。楽しみました。

    とにかく、遊び心に満ちている。冒頭の「謝辞と覚書」からしてこうだ。
    「この本で描かれるすべての出来事は虚構であり、ウェールズの丘陵地帯とその下に眠る炭鉱、丘を上り下りする赤い乗り合いバスなど存在しておらず、一九七九年という年も、十五歳という年齢も、地球と呼ばれる惑星も空想の産物にすぎない。ただし、妖精(フェアリー)はちゃんと実在する」

    ニヤニヤしちゃうなあ。さらに、本書は十五歳の女の子の日記という体裁を取っているのだけど、その始まりにこうある。
    「この本は、一種の回想録だと考えていただきたい。それも、本の発表後に筆者の嘘が露見し、読者を怒らせるような種類の回想録であると」

    最初からこれは「信用できない語り手」による物語なのだと言っているわけだ。となると、読者としては常に「本当は何が起こっている(起こった)のか?」を考えながら読むことになる。

    解説でも書かれているが、「フェアリーと魔法」を文字通り受け取って読むこともできるし、母や妹も含めすべてを暗喩と考えることも可能だ。実に面白いのは、どっちなのか?ということなど、あんまりたいしたことではないという気になる所。どちらであろうが魅力的なのだ。

    その魅力の中心は、やはりなんといっても語り手のモリ。この少女の、なんとまぶしくキラキラしていることだろう。分身のような双子の妹を失い、自らも傷ついて、悪意ある母から逃げ出した彼女は、女子寄宿学校に入れられるが、そこでも疎外されてしまう。愛してくれた母方の祖父は遠い老人ホームにいる。

    その彼女を支えるのは大好きな本と魔法だ。ファンタジーをあまり好まないので、魔法要素については今ひとつよくわからないのだが(モリの魔法についての考え方がすごくストイックだと感じた)、なんといっても本ですよ、本。学校の図書室の本を片っ端から読み、バスに乗って街の図書館や本屋に出かけていき、そうする中でSFの読書クラブを知る。ウィムという美青年とも知り合う。

    モリはいつも、自分が好きだったり大事に思うものに対して、まっすぐなのだ。学校でつまはじきにされても、めそめそせず頭を上げている。自らの境遇を憐れんだりしない。自分を気にかけてくれる祖父や叔母を大切にしている。意に沿わぬことを無理強いされそうになったときは、断固闘う。本当に清々しい。

    やるなあ!と思ったのは、ウィムといい感じになったときのモリの行動。何食わぬ顔で校医の診察を予約し、ピルを処方してもらうんである。ここの記述が実に事務的で、まったくウジウジもフワフワもしていないのが格好いい。

    このウィムという青年、見とれるほどの美貌の持ち主なのだが、なぜか(というのもアレだが)SF好きなのだ。他にも本好き男子がいろいろ登場するが、その一人ヒューが、モリと一緒に何となく書店に向かって歩きながら言う言葉がいい。
    「『向書性ってやつだな』ヒューが言った。『いつも太陽の方を向いているヒマワリみたいな花は、向日性の植物と呼ばれるだろ?向書性の人間は、常に本屋を目指すのさ」

    モリはいろいろな本を読むが(プラトンの「国家」なんてのも)、中心はSFだ。SF作品への言及が作中のかなりの部分を占める。ここがもうね、たまりません(涙)。物語の設定が1979年で、この頃大学生だった私はSFをたくさん読んでいた。懐かしさと、モリの評があまりに的を射ていることに、身もだえする。

    言い出したらほんとにキリがないので、一つだけあげておく。読み出してすぐ上巻の31ページにこうある。
    「ひとりの作家の短篇集としてはオール・タイム・ベストの座を永久に守りつづけるであろうアーシュラ・ル・グィンの『風の十二方位』」
    私もだよ、モリ!

    父方の祖父サムを筆頭に、本を読む人たちが皆優しい人として描かれていて、これはしみじみ嬉しかったなあ。魔法もSFも苦手な人も、きっと楽しく読めると思います。

    • たまもひさん
      面白かったですよねえ。ほんとに、好きなものがあるってことは生きていく上でとても大事なんだと思いました。

      「闇の左手」はファンタジー寄り...
      面白かったですよねえ。ほんとに、好きなものがあるってことは生きていく上でとても大事なんだと思いました。

      「闇の左手」はファンタジー寄りですが、シリーズ作がいくつかあって、すごく素敵な世界観が提示されています。難しくはないですが、じわじわと良さがわかってくるタイプではないかなあ。
      SFは作家もファンも圧倒的に男性が多かったので、女性は添え物的なのもよくあり、中にはムッとくる男尊女卑的なのもあります。だから、というだけではないのですが、女性作家がおすすめです。ル・グィンの他には、J・ティプトリー・ジュニア、コニー・ウィリスなどいかがでしょう。

      この本を読んで「銀河ヒッチハイクガイド」を思いだし、これから再読しようと思っています。また感想を読んでくださいね。
      2014/06/27
    • niwatokoさん
      お返事ありがとうございます。参考になります。コニー・ウィリスは読んでいて、大好きです。そんなにSFって思って読んでないですね。
      そうですね...
      お返事ありがとうございます。参考になります。コニー・ウィリスは読んでいて、大好きです。そんなにSFって思って読んでないですね。
      そうですね、女性作家がいいかもしれないですね。「銀河~」の感想楽しみにしています!
      2014/06/27
    • たまもひさん
      そうそう、コニー・ウィリスってコアなSFファンからは「SFじゃねー」と言われたりするんですけど、「だからどうなのさ」と私は思います。そこが持...
      そうそう、コニー・ウィリスってコアなSFファンからは「SFじゃねー」と言われたりするんですけど、「だからどうなのさ」と私は思います。そこが持ち味の一つで、抜群のストーリーテラーですよね!
      ジャンルSFを好む人は、ことさらわかりにくいのを喜ぶ所があるんですよ。私はSFと思わずに読めるの、大好きです。
      (難しいのも、読むとなんか嬉しいです。面目ない…)
      2014/06/27
  • これはこれは…これはこれは。出張先の書店で適当に手にとった文庫が、今年一番の本かも、とは。一瞬でも読みやめたくなかった。
    交通事故で双子の妹と片脚の自由を失った14歳の少女が、恐怖の母の魔法を逃れ、英国寄宿女子校で生き延びようとする。彼女を支えるのは本!本!本!しかもSFとファンタジー。
    本への愛を分かち合える人たちと会うまでの孤独、覚えあるよ〜。懐かしい70年代SFへの豊かな言及にも胸躍る。欲を言えばジョーン・D・ヴィンジも呼んでほしかった〜。
    これは、中つ国を故郷と感じ、宇宙のことを考えると心が落ち着く私のための物語だ。「本を心の底から愛したならば、本もあなたを愛してくれる。」この本に出会わせてくれた「魔法」に感謝!
    さ、そのまま持ち歩いていた『天冥の標 9』を読むよー!

  • 評判どおりすごくよかった! ものすごく好き。
    魔法とかフェアリーとか出てくるけれども、SFやファンタジーが苦手なわたしでも気にならなかった。
    1979年イギリス、学校の寮で生活する家族に恵まれず、脚が不自由な孤独な女の子の日記、なんだけど、昔の少女小説のようでもあり、でも、学校内のヒエラルキーだとかは現代風でもあり、ときに性的な話も出てきたり、哲学的なところがあったりするのはやっぱり大人の少女小説だなと思ったり。
    主人公の女の子がSFファンタジーマニアなので、本の話だらけで、SFやファンタジーが好きだったらもっともっと楽しめただろうな、と。わたしも、出てきたSFやファンタジーをなにか読んでみなくては!と思っているところ。

    家族も友達もいない孤独な主人公が、本を通じてだんだん仲間ができ、人生のいいところ、を知っていくところがいいなあ、と。
    マジでうらやましい(笑)……。なんというか、やっぱり、読むなら、オタク、と言われるほど読まないとダメなのかも、とか……。
    でも、そもそも彼女はつらい境遇にあっても自分を憐れまないし、だれにも負けないし、知恵も勇気もあるし、まさに少女小説の主人公で。この本を全部読むまでは生きていなきゃとか思うところは、さすが本好きなんだなと思ったり。
    彼女はこれからもどんどん本を読むだろうけれども、もうひとりじゃなくて仲間がいて、さらに、いい成績で大学にいって、もっと本を読んでもっと友達や仲間が増えて、本の話ができる恋人もいて、卒業したら好きな仕事をして、たぶん結婚もして、って、充実した人生を送るんだろうな、というのがすごく想像できる。それはとっても幸せな読後感だった。

    (……でも……なんだかバカみたいなんだけど、やっぱりうらやましいというか、人生これからの人はいいなとか(笑)、なぜかすごくとり残されるような寂しさがあったのも事実……。あまりにいいラストだったので)。

  • ちっともSFらしくない、本好きが書いた本読みの為の本好きな女の子のお話し。
    日記風に書いてあるから、少女の主観で描かれている。つまり全くの虚構の世界かも知れないし、彼女の言うとおりこの世は魔法とフェアリーて溢れているのかも知れない。
    その辺は読者にお任せします、と言うスタンスなんだろう。妖精が出てくるようなファンタジーは滅多に読まないんだけどこれは特別。
    日常描写の中にさりげなくフェアリーが出てくるので、あぁそうなの、大変なのね?と素直に読み下してしまう。
    ラストのクライマックスでは魔女との闘いで紙を槍にしたり森にしたり、遂には人型の炎となって勝利するのだけれど、ここまでの少女の魔法の腕前と余りにもギャップが有るので、これも夢か幻か?と考えてしまう。SFらしいのはここだけ。後の9割(少しオーバーか?)は少女の読む本の感想文、これが本を読んで無くても面白いのなんの。
    本好きにはたまらない、SF好きにはもっとたまらない、素晴らしいSF(ファンタジー?)でした。

    最後にもっとも感銘した彼女のセリフを一つだけ。
    「わたしはくすっと笑い、彼にこう質問した。『本を読むより楽しいことってなに?』」
    すべての本読みにお勧め!

  •  原題は「Among Others」。「図書室の魔法」という邦訳は本書の真価をミスリードする可能性がありいただけない。またレーベルは「SF文庫」だが、それは作中マニアックなSF談義が繰り広げられているからで、作品自体は「サイエンス」ではなく「ファンタジー」である。下肢に障害を負い、家族が離散している孤独な、そして「妖精」や「魔法」を信じている(今風に言えば「ぼっち」で「中二病」の)少女が、読書仲間との出会いを契機に、トラウマを克服して現実回帰するという、ありがちな物語だが、作品の構造や叙述にからくりがあり(その点である意味ミステリ的ともいえる)、それを読みとれるかどうかで本書の評価は左右されると思われる。本筋以外では、ウェールズのアイデンティティーが強調されていること、古今の英国文学へのオマージュが散りばめられていることが興味深い。

  • 本が与えてくれる、不本意かつ理不尽な現実へ対応する力について。

  • いつか私(の・が・も)世界にコミットできると信じて。

    モルの感じていること、語っていることは、「真実」なんだろうか。これはいわゆる「信用できない語り手」なのではないか。でも、そんなことはどうでもいいと思える。人より本の世界に親しんでいたのに、自分と同じ世界にいる人を求めていた、そんな経験のある人は、多分そう思えるんじゃないだろうか。

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