- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784490107036
作品紹介・あらすじ
古代・中世の名乗りは、そのまま個人の職業や地位、出生や血脈を示す奥の深い史料でもある。古来の姓氏から現代の多数姓・名前まで、その変遷をひもとき、興味つきない歴史世界へといざなう。
感想・レビュー・書評
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時代劇を見たり読んだりする時に、正式に与えれられた官名やら自称やら、○○源氏に△△平氏やら、身分による呼び方の使い分けとか、そもそも名字と苗字と姓の違いってなんなの…など、なんとなく分かっているようなでもちゃんとは分かっていない。
そういうわけで日本の名字、官名、諱や通称などをちゃんと知りたくて色々借りてきた。
とりあえずメモ。しかしまだよくわからないので、しばらく色々読んでみます。
【集団名】
✔人間の集団を大きい順にしてみる。
民族(モンゴロイド)→
部族(日本人)→
氏族(源、平など)→
家族(鈴木さん佐藤さん田中さんとか)
✔氏:血縁集団の名称。地名由来、職業由来など。
首長は氏上、その下に氏人、血縁のないが属している者が部曲(かきべ)
✔姓:もともとは、氏人や部曲から敬称として氏上を呼ぶのが「姓(かばね)」。お殿様、というような意味から、健(勇ましい人)、君(主君)などの姓も。
なお、姓が多くなったため、多くの氏族、一般の人々、という意味で百姓(ひゃくせい)と言われた。
大和朝廷以降は、天皇家に姓を遣わす権利がありった。
✔名字:名字の地が所領。邸宅の場所。称号。職業。など。
【氏を賜る】
✔天皇氏:天王氏という氏族の氏上で、皇族はその氏人。
✔天皇は褒章として賜姓を行うことができる。だからこそ天皇には姓がない。
これは世界中同じですね。ナポレオンも皇帝になったら「ボナパルト」が消えたし。
家元は段を与える立場だから、段を持っていないとか。
✔氏人は、氏上からの支配から抜けて独立できるため、賜姓により新たな氏を持つことは歓迎された。また天皇としても大きく強い部下がいるよりも、小さな集団がたくさんいたほうが都合が良かった。
【日本の四姓 源平藤橘】
✔藤原:”中臣”の氏である鎌足に対して”藤原”の姓を賜ったもの。中臣からの改姓となる。
・橘:敏達天皇の時に臣籍降下した「橘諸兄」と、
元明女帝が、女官の県犬養三千代に対して「橘は果実の王」として氏を下されたもの(犬養からの改姓)。女性個人に対しての賜姓は珍しく、地名でも職業でもない氏が下されている。このときの橘氏は三千代のみに与えられたのだが、息子たちが望みそれを継いだ。だが橘氏はその後衰退してゆく。
・源:桓武天皇が、天皇家財政削減のために、皇親たちを皇籍から離脱させる時に与えた氏。100人以上が対象となった。さらにその後の天皇たちも、臣籍降下として源の氏を使う。
・平:臣籍降下により与えられた氏。
✔臣籍降下は、独立であり褒美である場合と、天皇家の予算削減のための方法との場合があった。
【平家と源氏】
✔○○源氏、△△平氏
徳川は清和源氏〜、とか、織田は桓武平氏〜と自称していたことの意味が分かっていなかったのですが、こんな流れでした。
○○平氏、○○源氏は、祖先をたどって臣籍降下した時の天皇の名前。
源氏は21流あるが、平氏は4流しかない。桓武平氏、仁明平氏、文徳平氏、光孝平氏。
源の語源は”水元”かと思われるが、平氏は不明。
✔源平交代思想
日本の政権を握ってきたのは、平と源氏を繰り返しているということで、公家や武家が争いに対して「今は平氏だから次は源」などと判断しているくらい真面目に取り沙汰されていた。
平氏(平清盛と一族)→源氏(源頼朝、鎌倉幕府)→平氏(北条氏、鎌倉幕府執権)→源氏(足利氏、室町幕府)→平氏(織田信長・自称っぽいが)→源氏を名乗れなかったので豊臣姓(豊臣政権)→源氏(徳川幕府・自称っぽいが)
✔氏を与えられるのは権威の象徴。源頼朝は源氏の名乗りを制限した。
頼朝が義経に怒った理由が、勝手に後白河院から与えられた官職を名乗ったので頼朝の権威が薄れしまう。まあ弟だからって勝手されちゃ困るだろう。
【日本人の実名の移り変わり】
✔昔は動物名が多かった。馬子(馬)→蝦夷(海老)→入鹿(海豚)など。野生動物生命力、呪術性など。
✔男性は「〜コ」(子)、女は「〜メ」(女、売)。そこから「〜ヒコ」(比古、彦)、「〜ヒメ」(姫、比売)。
尊称として、男性は「〜イツラコ」、女性は「〜イツラメ」。
✔男性名「〜マロ」(麻呂→麿)は、古くは庶民も使用していたが、徐々に公家たちの名前であり一人称になっていった。
マロが変形し「〜丸」となった。丸は上の者から下の者への呼び方。可愛いという意味で「牛若丸」(家臣が若君を牛若丸様などと呼んではいけなかったらしい)、下層階級の実名として芥川龍之介「羅生門」の「多襄丸」など。下層階級名の場合は、大人になっても名前を変えない。
✔奈良時代には男性名が多かった「〜子」は、平安時代には女性名になっていった。どうやら「子」のほうが「姫」より上位の立場の女性につけられる名前だった様子。
【諱の風習】
✔実名には神秘的な呪術力あるいは霊的な生命力があると信じられていた。他人に実名を知られると呪詛される、実名が持っている力を失う、女の場合は男に支配される(体を許す)という意味が出てくる。
✔実名を伏せる習慣ができ、実名を忌み名→諱と呼ぶようになった。
✔男性の場合は、実名を知らせたら従属するという意味合いもあった。そのため家臣に自分の一字を与えることにより支配関係の確認でもある。
【通称の風習】
✔通称は、通り名、二つ名、異名、字(あざな)などとも呼ばれる。←これは研究本によりいろんな使い分けをされているので混乱するーー;
✔実名(諱)を避けるためや、同じ姓の人たちを区別するために、官職名や住居地の地名、特技特色などを通称として使うようになった。京都に藤原が増えすぎたので場所と役職で九条関白、琵琶が得意なので枇杷大臣など。通称には呪詛力はない。
✔女性の場合は、実名がわからないので、紫式部はヒロイン名と父親の役職、赤染衛門は父の役職。清少納言の”少納言”の出どころは不明らしい。
✔入道の法名を名乗る場合。武田信玄、斎藤道三など。
✔通称が始まったのは江戸時代。役職を使ったものは「〜右衛門」「〜輔」など。
兄弟の順番である輩行ノ仮名を使った「〜太郎」など。「熊谷次郎直実」、父から次男。十番目以降は「余一」(十一男)「与四郎」(十四男)。
【通称としての輩行ノ仮名(ハイコウのケミョウ)】
✔兄弟に生まれ順。
○太郎、○二郎など。
父が祖父から次男で、自分は父から次男の場合は「小次郎」(長男の長男は「弥太郎」、三男の三男は「又三郎」など)となる。
…ということは、平家物語で熊谷次郎直実が熱盛を見て「我が子小次郎が齢ほどに…」と思いを馳せたが、直実が父の長男でその次男が小次郎だったわけだ。
✔○太郎などの○の部分は氏名の場合もある。平氏系の場合は「平三郎」など。
平家物語で言えば「悪源太郎義平」は、源頼朝の長男のため、源の家の長男という意味だ!
✔橘系の場合は「橘太郎」から「吉太郎」へ変化した。そのように、「源三(ゲンザ)」が「ゲンゾウ」に変化し、さらに「源蔵」に変化した。
戦国時代くらいにはこの風習は無くなってきた。
✔輩行ノ仮名は江戸時代には実名になったり兄弟の順番は関係なくなっていった。平太郎は通名ではなく本名で平家系の長男ではないとか。官職名は明治以降禁止された。
鬼平の「長谷川平蔵」は、古来だったら「平氏一門の三郎」なんだろうけれど、戦国時代には名前が変化しているのでそこまでの意味はなくなっている(鬼平犯科帳によると平蔵は長男だし)。
【通称としての役職名】
✔官職名として、蔵之介、大学、治部…などなどを通称にする。
石田三成なら石田治部などという呼び名は時代劇で色々出てきますね。「酒井雅楽」などは時代劇で耳で覚えていたのんだが実名を知らなかった(酒井忠清らしい)。
✔律令官職名が変化した名前。各部署ごとに、長官(かみ。部長)、次官(すけ。課長)、判官(じょう。かかりちょう)、主典(さかん。主任)
それぞれの省により名称が違っていた。例えば次官は中務省では「輔(すけ)」、中宮職では「亮(すけ)」、図書寮では「助(すけ)」、国司では「介(すけ)」。
これでとても納得がいった。「すけ」という名前に対して、大介、大輔、大助、大佐、大弼、大祐、大亮…って「すけ」の字がなんでこんなにあるんだろう?という疑問がなんとなくあったのですが、もともとが次官(すけ)だったのか!
✔唐名官職名から通称名。菅丞相(道真)、小早川金吾(小早川秀秋)など。
【実例】
・蘇我(家の名前、氏)大臣(姓名)蝦夷(実名、諱)
・九条(称号→名字)右大臣(官職名)藤原(家の名前、氏名)兼実(実名)
・畠山(地名→名字)荘司(畠山荘の司という役職名)平(家の名前、氏名)次郎(次男)重(通字)忠(重忠、で実名)
・大石(苗字)内蔵助(通称、字)藤原(氏名)良雄(実名)詳細をみるコメント0件をすべて表示