- Amazon.co.jp ・本 (166ページ)
- / ISBN・EAN: 9784491033402
作品紹介・あらすじ
「授業というのは、この私が目の前の子どもとともに創っていくものである」と提案する著者の子ども観、授業観をまとめた名著を新装。
感想・レビュー・書評
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僕の言葉で綴るとありきたりな表現になってしまうが,子どもの可能性を信じ,対等な存在として関わっていくことの大切さを改めて感じさせてくれた。この先何度も読み返すことになるだろう。
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[読書]3 はじめに子どもありき 平野朝久(1994)
第一章 教育は信頼から
第二章 子ども観の問い直し
第三章 はじめに子どもありき
第四章 子どもを理解する
第五章 学習・生活の主体者
第六章 学ぶ者の理論路学んだ者の理論
第七章 授業観の変革
第八章 個性が生きる授業
第九章 個別学習の方法
第十章 教師の資質と役割
坂本さんが教えてくれた本
子どもと関わる時にどんなことを大切にするといいのか。そんな原点を知ることができた本です。
書かれ方が学習原論と似ていて、「現代版教育原論」っていう感じがしました。
「教育のあり方を考えるときに、子どもの成長は、子ども自らが作り出していくものであり、またそういう力が子どもが持っているという前提に立たなければならないということである」
「子どもに対して、将来の準備として知識や技能を身につけることが強調されすぎているようにも思う」
「自分が大事にしたいことをよく吟味し、それをより確かなものにしつつ、それに基づいて自分のより良いあり方を求め続けていかなければならない。真理はどこか他所にあるのではなく、それを求める人の心の中にあるということを忘れないようにしたい」(まえがき)
4ヶ月ぶりに学校に戻ったわけですが、自分の思う「こうありたい」と現場で求められる「こうあるべき」の乖離に苦しんでいにゃす。
日本の教育に一石が投じられた今週でしたが、教師がどんな働き方になろうとも「はじめに子どもありき」だけはぶらしちゃいけないことだと再確認したでありにゃす。
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子どものためにしたことをその子どもから感謝されて喜ぶのを超えて、子どもが成長していく姿を自分の喜びとできるような人になりたい。
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さる先生が読んでいると知り、気になって読んだ。
タイトル通り、教育の中心は子どもであり、それを常に忘れてはいけないという強い気持ちが込められていると感じた。
教師は主導者ではなく支援者であるという点は、ファシリテーターという役割が注目されていることからもわかるように、もはや一般的意見である。
まずは基本として、子ども=可能性に満ち溢れている存在であると捉えることが第一。これができるから、子どもを対等な人間として捉え、関わり、信じることができる。
私は研究や勉強が好きなので、本を読んだり他の先生方の実践を知ったりする中で、「こんなことをやりたい」と思うことがよくある。しかし、この時点で、主語は教師になっており、子どもでない。勉強して得た知識や方法は、いざという時に取り出せる引き出しにしまっておき、子どもの様子を見た上で良さそうなら使う…という考えを習慣として持っておきたい。
やりたいからやるではなく、必要だからやる。 -
善なるものを信じる、能動的学習者として信じる。
子育てにも部下育成にも通じることだと思いました。
カリキュラムに合わせるのではなく、子どもからみた事実を出発点にする。 -
この本は、もともと1994年に出版された本なのだそうだ。30年近く経った今でも決して色褪せることなく、教育とは何か、教師はどのように子どもと接するべきなのか、そうした基本的な、しかも一番大切なことを教えてくれる。既に教壇に立っている人はもちろん、これから教壇に立とうとしている人も、ぜひ側に置いて、いつでも見返せるようにするべき名著である。
しかし、この本に書いてあることを実践しようとすると、実に困難なことに気付くだろう。基本に忠実なことが、実は何より難しいのだ。まえがきで著者も言っているように、p.3「本書は、こうすればうまくいくというような具体的な方法は書かれていない。」基本を守った上で、自分の目の前の子どもとともに自分で授業を創っていくしかない。厳しいものである。
第九章では、個別学習の方法が述べられている。今の時代に個別学習というと、すぐに「個別最適な学び」を思い浮かべる人がいるかも知れない。しかし、筆者が言っている個別学習は、ICTを使っていろいろな問題を与える「個別最適な学び」とは、全く別物といっていい。教師が、一人一人の子どもと向き合って初めて実現が可能になる個別学習である。この本で書かれている個別学習を追究する限り、教師の仕事がAIに置き換わることはないと思う。
この本の中で、昔のLOGOのブームが紹介されていた(p.86)。その昔、アメリカでLOGOがブームになったが、すぐに沈滞してしまったという。それは、大人がLOGOをマスターしてしまったら、急に「教える」ようになったため、子どもがつまらなくなってしまったというのだ。大人も、子どもと一緒にLOGO探索することを楽しんでいれば、あるいは、もう少しブームが続いていたのかもしれない。今のプログラミング教育も同じ末路を辿るのではないかと心配になった。 -
卒業生が読んだ本が図書館にあったので借りてよんでみた。教育心理学の入門書としても使えそうな内容。子どもをどう見るか,教育という営みをどう考えるかで持っている知識をどう活用する,行った実践をどのように省察するかは変わってくる。教室は学級集団が学ぶ場所として機能することが多く,そのダイナミクスをどの視点で,あるいは複数の視点で理解することの大切さを示す。付箋を付けている場所:p.94「教師主導の授業では授業によって教師自身が変容することは期待できないが,子どもと共に創る授業では授業を行うことによって子どもと共に教師も成長することになる」他
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教師を目指す者にとって、非常に示唆に富む本。
常に傍らに置いておきたい。
常に意識したいことが沢山書かれた基本書。 -
心に刺さる言葉が幾つものっていた。
中でも、長岡文雄さんの引用で「教師の管理がきびしいと、子どもたちは姿勢をよくし、顔だけは教師の話しがわかったふりをする。『わかりましたか』と問われれば『はい』の威勢のいい声を出す。しかし、これでは、子どもが、やっかいな殿様のお付き合いをさせられているようなものである。」が自分を立ち止まらせた。この文を読んだとき、「教師ごっこに付き合わさせていないか。」という問いを思い出した。先生のこうあるべきを子どもたちに押し付けていないか。それは教育なのか矯正なのか。目の前の子どもたちのことを見えているのか。自身の学校における言動を今一度見直していこうと思えた。
子どものことを知ろうとする。子どももひとりの人である。教師もひとりの人である。だからこそ、対話を通して共に考えていく。「はじめに子どもありき」を心の真ん中に置いておきたい。