THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―

  • 東洋館出版社
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レビュー : 35
  • Amazon.co.jp ・本 (430ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784491036175

作品紹介・あらすじ

2018年ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラド、自伝刊行。
21歳でイスラム国に家族を虐殺され、自身も性奴隷として壮絶な苦しみを受けた著者が
「戦時下での武器としての性暴力」の実態を告発する!

「この世界で私のような体験をする女性は、わたしが最後(ラストガール)であってほしい」



イラク北部にあるコーチョという小さな村。少数派の宗教、ヤズィディ教徒たちが貧しいながらも日々を平和に暮らしていた。
しかし、忍び寄る紛争の影が、平和を少しずつむしばんでいく。
そしてついにあの日、イスラム国の一群による襲撃が行われた。そして待っていたのは、
自分のすべてを踏みにじられる、性奴隷としての地獄の日々だったーー

戦争犯罪の被害者として、「武器としての性暴力」の実態の告発と根絶を訴え続けた著者が、筆舌に尽くしがたい自らの体験を、圧倒的な臨場感で語る。
イスラム国による他教徒への虐殺や性暴力・暴力の実態とは。
彼女が決死の覚悟で逃れ、イスラム国支配地域の現状を世界に向けて発信するまでに、彼女を支えた人々とは。

今、世界でもっとも注目されるノーベル賞平和賞受賞者の自伝、ついに翻訳刊行。

感想・レビュー・書評

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  • 恐ろしい。すさまじい。
    イスラム国の実態を、その悪魔のような所業を、著者の実体験に基づき告発したノンフィクション。これが物語の世界の話であればまだ救いのあるラストがあったかもしれないのに。信じられないような現実に言葉を失う。

    著者のナディア・ムラドは2018年にノーベル平和賞を受賞している。
    彼女はイラク北部のコーチョという小さな村に、少数派の宗教であるヤズィディ教徒として生まれ、たくさんの家族に囲まれて倹しくも平和に暮らしていた。
    しかし2014年。コーチョはイスラム国に襲撃される。誰かに助けてもらえるとの期待は儚く散り、男と年上の女は皆殺しに、少年は洗脳教育により兵士とさせられ、娘達は連れ去られて人身売買される。ナディアの母と兄弟は殺され、ナディア自身も姉妹や姪らと共にサビーヤ(性奴隷)として売られる。

    美容院を開きたいというささやかな夢、結婚してたくさんの家族と暮らす未来。一人の女性としての尊厳、大切にしてきた信仰、楽しい家族との時間。これらすべてを蹂躙され、思い出したくない地獄のような日々を詳細に思い起こすことは、癒えない傷口を抉って広げ、血を流し続けるような苦痛を伴うだろうと想像に難くない。
    でもナディアはこの本を執筆し、自身の経験を語り続けることで闘っている。
    今もなおイスラム国に捕らえられている被害者を助けたくて。ヤズィディが滅ぼされようとしているのをただ見ていることはできなくて。無関心な国際社会を動かしたくて。正義を実現するために。『私を最後にするために』。

    ずっとイスラム教のことはよくわからなかった。
    だから今まで、イスラム国の戦闘員の芯にはある種の(狂信的であっても)信仰心といえるものがあるのかと思っていた。でも、どんなにイスラム教を知らなくても、それは絶対に違うと思った。
    彼らは宗教を隠れ蓑とするだけの卑劣な犯罪集団だ。彼らが従うのは神ではなく、殺したい奪いたい犯したい支配したいという獰猛な欲望。そこには一分の理もない。ヤズィディ教徒ら宗教的少数派は、国も持たず、布教もしない閉ざされたコミュニティであることから、彼らが標的とするのに都合が良かったのだろう。今、ヤズィディは滅亡の危機に瀕しているという。

    "ISに収監されているヤジディ教徒の苦境は変わっていません。逃れられないし、ISに破壊されたものは何も復興されていません。今のところ、虐殺へとつながる罪を犯した犯罪者は誰も裁かれていません。私はもう同情はいりません。それらの気持ちを、行動に移して欲しいのです。"

    読み終わってから、彼女のスピーチを何度も何度も読んだ。助けてもらえると何度も信じ、救いを求めては裏切られ、最後は希望も潰えて絶望の淵に追いやられ…。彼女達をジェノサイドの被害者にしたのは、間接的には無関心な国際社会、我々だったのだと思う。
    この本をたくさんの人に読んでもらいたい。読んでからずっと、私は何ができるのだろうと考え続けている。

  • ISISに捕らわれ、サビーヤ(性奴隷)にされながらも、辛くもその手を逃れた女性の物語。

    ヤズィディ教はイラク北部に住む人々の一部が信仰する少数派宗教である。ゾロアスター教の流れをくみ、他の宗教からの影響も受けた独自の教義を有する。ヤズィディ教への改宗は認められず、ヤズィディから生まれたものしかヤズィディにはなれない。ヤズィディ教徒はヤズィディ教徒同士で結婚し、そのコミュニティはある種、大きな家族のようなものである。
    少数派であるヤズィディの人々は、他のコミュニティから排斥されることも多かったが、人々は土地や権力を求める野心はもたず、また信仰を広める気持ちもなく、貧しくとも穏やかに日々を過ごしてきた。
    イスラム過激派、ISISが勢力を広げてくるまでは。

    著者、ナディア・ムラドは小さな村コーチョに住んでいた。貧しいながらも、愛情深い母、頼りになる兄たち、仲の良い姪たちと平和に暮らしていた。中学校で歴史を教え、家に美容サロンを開くのが夢だった。
    イラクは、さまざまな民族、宗教が入り混じった国で、あちこちで紛争が起こっていた。不穏な空気は村の周辺にも漂っていたが、ついにある時、ISISが村を包囲する。
    ヤズィディの人々は改宗を迫られた。敬虔な彼らがこれを断ると、ISISは力でヤズィディを制圧しにかかった。
    男たちは殺された。
    妙齢の女性たちは連れ去られて性奴隷にされた。
    高齢の女性は殺され、穴に埋められた。
    少年の中には洗脳され、ISISに加わったものもいた。
    コミュニティの絆はずたずたに断たれた。

    ナディアは母たちと引き離され、男たちが連れ去られた方から銃声が響くのを聞いた。
    他の娘たちと連れ去られ、ISISの戦闘員の奴隷となった。
    無理矢理に改宗の儀式を受けさせられ、何度もレイプされ、持ち主の男が飽きれば次の男へと売り渡された。
    心の拠り所である宗教を奪われ、身体を汚される。それがどれほど残酷なことか。
    ヤズィディの人々は純潔を重んじる。彼女を最初にレイプしたISISの男は「おまえは落ちぶれてしまった」と言い放つ。宗教を捨て、処女でなくなったお前を、家族やコミュニティが元通りに受け入れるはずはない、と。
    悲しいことだが、ナディア自身もそれをもっともだと思う。
    信じていたものを心ならずも汚すことになってしまった。これほど残酷な痛手があるだろうか。
    肉体は殺されなくとも、彼女の心はこの時に殺されてしまったのだ。

    ISISの暴虐の陰には、異教徒であるヤズィディを改宗させるのは、その魂を救うことになるのだから善行だという理屈がある。聖典を持たないヤズィディ教徒は徹底的にレイプしてもかまわないともしている。
    ヤズィディの男たちを殺したのは文字通り大量虐殺(ジェノサイド)だろう。
    一方で、娘たちにしたこともまた、精神的ジェノサイドではなかったか。

    小柄なナディアはサビーヤにされる過程でもされた後も、幾度も幾度も抵抗する。
    ISISの男たちや取り巻く人々を冷静に批判的に見つめる。
    彼女のどこにそんな力があったのだろうか。
    くじけそうになりながらも、こんなことはおかしいと彼女のうちで何かが叫ぶ。
    それはあるいは、誰の心にもある尊厳そのものであったのかもしれない。

    ある時、見張りが手薄になったのを見計らい、彼女は逃亡に成功する。匿ってくれたムスリムの家族に助けられ、何度も危ない橋を渡った後、義理の兄との再会を果たす。
    だが何人もの兄たちは殺され、母もまた殺されていた。姉や姪たちの中には、逃亡の途中で命を落としたものもいた。甥っ子の1人はISISに洗脳されてしまった。

    周知のとおり、活動家となった彼女は2018年にノーベル平和賞を受賞する。
    彼女の活動はもちろん、大きな意義を持つものであるけれども、一方で、彼女が懐かしく思い出すコーチョの暮らしが美しく悲しい。
    二度と取り戻せることのない、幸せだった日々。
    The Last Girl。こんな思いをするのは私が最後であってほしい。
    その叫びがずしりと重い。

  • イラク北部にある小さな村・コーチョ
    少数派のヤズィディ教徒たちがつつましく平和に暮らす村
    ある日の突然のISISによる襲撃。
    略奪と破壊、そしてジェノサイド(集団殺戮)と女性の人身売買
    しかしそのニュースは世界に報道されることはなかった…

    この本は、そんな恐ろしい体験をし、それでも自分の体験を世界に語ることで、こんな体験をする女性を「最後の一人」にしたいと活動するナディア・ムラドさんのノンフィクション

    あまりの残酷さになかなか読み進むことができなかった
    ページをめくるたびに様々なことを考えさせれ
    女性として悲しみと憤りを感じ、
    都合のいいことばかり唱えるイスラム国に怒りを感じた。
    ISISでは占領した土地に住む女性を性奴隷(サビーヤ)として売買、または贈り物として扱うことができる…
    そんなことを認める神様なんて絶対にいない!!

    ISISだとか、イラクだとかシリアだとかクルディスタンだとかニュースでは聞くけど、日本に住む私たちにとっては「どこか別の国の戦争」というような感じで見ているのではないだろうか?
    恥ずかしながら、私はそうでした
    こんなひどいことが2000年になっても
    まだ起こっている…
    そしてそれを知らない人が私を含め、多すぎる…

    著者のナディアさんは自分自身が受けたひどいできごとを世界に発信しつつイスラム国を大量虐殺と人道に反する罪で国際刑事裁判所の法廷に立たせるために現在も活動している。(2018年にはノーベル平和賞を受賞)

    もし私がナディアさんのような過酷なできごとを体験したら…勇気をもって行動できるだろうか?

    女性として本当に勇気がいる活動だと思う。
    そして、彼女の戦いは今も続いている。

    世界中が彼女の戦いを知ること
    ISISが一体どういうことをしてきたのか…
    知るということが戦うことの一歩になる

    小さな声でも訴え続ける…
    勇気をもって立ち向かう…
    戦う一歩は小さくとも
    それは大きなムーブメントにつながると信じたい

  • ★の数で評価をすることにいつもより大きい抵抗感を持ちながらも、できるだけ多くの人に読んでもらえるかもしれないという思いで5つつけました。ナディア個人が遭ってしまった残忍で理不尽な体験について書かれているだけでなく、その出来事がISISやその他の様々なグループがせめぎあっているイラクにおいてどういうパワーバランス・政治地図・地理的歴史的背景に基づき起ったのか(起こっているのか)、ということの解説にもかなりページが割かれていたので、信仰や宗教心についてゆるやかな認識と経験しか持っていない日本人読者である私にとってもいくばくか状況が想像できる気がしました。長く続いてきた小さく密度の濃いコミュニティの伝統というか価値観について、そのコミュニティの外の人間が良い悪い・古い新しいという判断を勝手にすることは余計なお世話というか失礼なことと自覚しつつ、ヤズィディ教聖地の指導者である男性が形式ではなく本質を志向しようと努め、「自らの意志に反してそうされてしまっただけなのであるから(本来の信仰からすると逸脱してしまった存在になってしまった)彼女らを我々はヤズィディ教の信者として受け入れる」という旨を、公式な見解として出したことが分かって、良かったと思いました。ナディア本人は自らの意志に反してされたことではあるけれどヤズィディ教の教義信義を外れてしまったので、脱走して生き延びだけれどもヤズィディ教のコミュニティに受け入れられなかったとしても仕方がないと書いていましたし、これはなかなかすごいことなのだろうと想像しました。うまくまとめられませんが、多くの人に読まれることを願います。

  • イラクの小さな町コーチャで暮らしていたヤズディ教徒のナディアが、実際に自身の身に起きた、胸がつぶれるような・・・そんな安易な比喩が屑にしか思えないような、体験を語った一冊だ。

    宗教マイノリティであるという理由で(ヤズディ教徒はムスリムからすると不信心者、と考えられていた)ナディアをはじめとするコーチャの住人は台頭してきたイスラム国に襲撃される。

    守ってくれるはずの兵士は逃げ出し、なすすべもなく、男や老いた女は殺され、若い女たちは「サビーヤ」と呼ばれる性的奴隷として拉致された。

    ジェノサイド。大量虐殺。
    多くの人間が、ただその宗教を信仰するというだけで殺される。

    しかも、彼らはすぐに殺されたのではない。
    包囲され、逃げることも叶わないまま助けが来ることを願いながら暮らし、虐殺する側の準備が整った後に、殺されたのだ。

    殺される前に貴重品を集められる、というくだりが、ナチスのユダヤ虐殺を思わせてぞっとした。
    虐殺する側がとる行動というのは、思想も時代も超え、類似性を持つ。
    虐殺は決して衝動で行われるのではない。
    営利を理解し、奪えるものはすべて奪ったことを確認してから殺すのだ。

    そして、敬虔な信仰を持つ女性たちの精神を何度も殺す、イスラム国から繰り返される暴行の数々。
    人権もなく、モノとして乱暴に扱われ、気力を喪っていく日々の描写は、克明で、確かにあったことなのだとわかる。

    彼女が逃亡をはかるくだりは、不謹慎だがまるで映画のようだという思いが、一瞬、脳裏をよぎる。
    そう感じることで、自分は、ナディアの身に起きたことを自分と地続きには考えられず、この本を読んでもなお、遠く感じているのだと気づく。

    気づいて、胸をうたれる。遠い、安全な場所で暮らす自分は、なんて傲慢なんだろう。


    読み終えてまず思ったのは、彼女が弾劾する人々と自分に、人間としてどれほどの違いがあるというのだろうか、ということ。

    ナディアは、自分の家族を殺し自分を犯したイスラム国の人間たちだけではなく、彼女たちの存在を知りながら見て見ぬふりをした市民や、イスラム国に迎合した者たちすべてを断罪する。

    ナディアは、イスラム国の人間は、全員がもともと残忍な人間性を持っていたというが、果たしてそうだろうか。

    嗜虐趣味のある人間は多く集まったかもしれないが、たとえば紛糾を重ねる国家で生まれ育たず、まったく違った環境にいれば、もしかしたら彼らの多くは善良な市民とは言えずとも、大きな犯罪を犯すことはなかったのではないだろうか。

    もちろん、環境が人を狂わせた、というのはナディアにとっては耳を汚すだけの言い訳でしかなく、全員が最悪な犯罪者であることは間違いないし、イスラム国の人間を弁護するつもりは皆目ないが、ようは、自分も、自分たちのまわりの人間も、環境が変われば同じことをする可能性がゼロではない、と思うのだ。

    自分の身を守るために、あるいは自分の利益を守るために目をつぶり耳を塞いだイラク市民については、イスラム国の兵士よりもさらに自分に近しい、と思う。

    奇跡的に彼女は良心を持った市民に救われるが、そういった良心や勇気を持てないものは多いし、もしも自分が自身の生命の危険と引き換えに人命救助をできるかと問われれば、答えは非常にあやふやになる。

    「そのときになってみなければわからない」

    日本に暮らす自分は幸いにして「そのとき」に遭遇する確率は低い。

    しかし、たとえば戦禍が日本を襲い、隣人が密告者ではないかと疑心暗鬼に駆られて未来も見えないまま息を潜めて暮らしているある日、大いなる権力に追われている少女が自分の家のドアをノックした時、温かく迎え入れることができるだろうか?
    あるいは、ナディアと同じ状況下に置かれたとき、心を折らず、信じているものを捨てず、さらには生き延びた後に自分の体験を語ることができるだろうか?

    この本は、自分の善良さや勇気を問いかけてくる。

    そもそも、そんな仮定を繰り返し問うのではなく、いま、現実的に自分たちにできることはないのか?
    遠い国の遠い人の出来事ではなく、自分と地続きの場所にある人たちのことだと実感して。

    言葉の、本の、持つ力は大きい、と改めて実感する。

    ひとりのヤズディ教徒の女性が吐露した言葉は、翻訳され、自分の元に届いた。
    ナディアや、彼女の家族や、彼女たちに起きたことについて、考える機会を持てた。

    本書の序文でナディアの弁護士が言葉を寄せている通り、自分たちの残虐性で彼女を黙らせることができると考えた人間たちは浅はかだった。
    ナディアの言葉を通じて、イラクの地で、何が起こったのかを知り、遠く離れた国で、私たちは考える。

    自分にできることはあるか。
    自分に同じことが起きたらどうするのか。

    ナディアの言葉を知ることができて良かった。
    生き延び、語り続ける彼女を尊敬する。

  • イラクの少数派宗教、ヤズィディ教徒である著者が、イスラム国に家族を虐殺され、自身も性奴隷として壮絶な苦しみを受けた自伝。

    イラクでイスラム国によるヤズィディ教徒の大虐殺があったのは2014年頃。
    男の人たちや高齢の女性たちは殺され、若い女性は思春期前でも性奴隷にされる。
    男の子たちはイスラム国の兵士として育てられ、洗脳される。
    家族はバラバラ。
    家族のつながりが日本よりもずっと強いのを感じられるので、なおさら胸が痛くなります。
    あまりの壮絶さにノンフィクションだと思いたくなりますが、れっきとしたフィクションであり…。

    ただ一方で、紛争というものはあまりにも複雑で、すぐにどうにかなるものでもないこともよく分かりました。
    だけどその中には宗教が違っても命をかけて救ってくれる人々がいたりする。
    一般の人々が、知らない者同士命の危険を侵してでも助け合っている。
    こうしている今も、無名の英雄たちがいるのだと思うと
    なんだか胸が締めつけられます。

  • 非常に重い内容であるが、翻訳の配慮か途中で投げ出すことなく読めた。
    このような体験をする女性が私で最後になるためにと付けられた書名。心身ともに疲労困憊し、途中で生きることを諦め、命は助かったものの抜け殻になる人もある被害者の中から、彼女のような人権活動家が出たことは奇跡だと思う。

    日本の人材不足は明かであるが、外国人材の導入も不信感が拭えないし、移民問題を積極的に考えている人がどれぐらいいるのかわからない。国内の問題に翻弄されてばかりでなく、私たちはもっと世界に目を向けなければならないと考えさせられた。

  • 金額¥1,800 413頁のギュッと濃い内容の一冊です
    読む前から、きっと読んでも気持ちの良い本であるはずがない事はわかっていました
    そしていざ読んでみるとやはり気持ちの良い本ではありませんでした
    少しずつ少しずつ澱のように鉛のような重たいものが心の中に沈殿していくような、何かが少しずつ腐敗して嫌な臭いを放ってくるようなそんな本です
    しかしそれが実際に世界のどこかで起きた出来事であり、力の弱い女性や子供、マイノリティの宗教を弾圧して良い理由にはならないことを認識しなくてはいけないと思わせる力を持った本です
    世界中で起きている悲惨な出来事の被害者を著者であるナディア・ムラド氏が最後の女性-LAST GIRL-になりますように祈ります

  • 壮絶、凄惨。

    宗教が暴力の正当性に利用され、
    女性はここでも弱者であり、

    これまでの紛争でも、証言していないだけて、こういう行為は起きていたのかもしれない。

    この読後感を適切に表す日本語が出てこない。

    ただただ、衝撃である。
    無知であることは、なんと罪深いことか。

  • 授業で慰安婦問題が取り上げられている時にちょうど読んでいて、現実今も苦しんでいる人がたくさんいることに胸が痛い。

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著者プロフィール

ナディア・ムラド(Nadia Murad Basee Taha, نادية مراد)
1993年生まれの人権活動家。ヴァーツラフ・ハヴェル人権賞、サハロフ賞を受賞し、人身売買の被害者らの尊厳を訴える国連親善大使に就任した。現在は、ヤズィディの権利擁護団体ヤズダとともに、イスラム国を大量虐殺と人道に対する罪で国際刑事裁判所の法廷に立たせるべく活動している。2018年、デニ・ムクウェゲ氏とともにノーベル平和賞を受賞。
2017年11月、著書 "The Last Girl" を刊行しており、2018年11月下旬、邦訳が発売される。

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