数学嫌いな人のための数学 数学原論

  • 東洋経済新報社 (2001年10月11日発売)
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本 ・本 (352ページ) / ISBN・EAN: 9784492222058

感想・レビュー・書評

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  • 数学が嫌い過ぎて、この本さえ10年以上放置してしまった。本には読み時があるという。世界史やイデオロギーそして聖書を知り、古典と言われる書籍にも多少触れた今、まさに読み時だった。やっと最後まで読み切ることができ、この10年間で得た知識が大変役に立ったと思った。

    この本の最初は、聖書の話で始まる。なぜ西欧諸国は論理に強いのか。そして日本、中国との対比の中で、各国の歴史をおさらいできる。中盤くらいでやっと数式が出てくる。経済学の数式だ。この辺はとても説明が丁寧だ。そして最後にわっと結論が出る。で、次は?という間に本は終了する。次は?と思うから、もっと経済学が知りたくなる。大変工夫された本だと思った。

    ずっと手元に放置されていて気づかなかったが、著者は結構有名人だった。しかも、色々な本の中で著者の論が引用されていたりするのを目にする。数学嫌いの私だったが、アマゾンを見ていたら、他の著書も読んでみたくなった。

  • 必要条件、十分条件を理解している人間は意外と少ない。これがわかるだけでも本書には価値があるといえるだろう。
    猫は哺乳類である。というとき哺乳類であることは猫であることの必要条件であり、猫であるとこは哺乳類であることの十分条件である。わかってしまえば簡単でこれだけのことであるが、わかってない人間にはわからないのである。
    また矛盾律、同一律、排中律についても解説。

  • うーん、私も数学は大っ嫌いだし興味もないのですが、小室直樹氏の著作なので、つい魔が差して買ってしまいました(苦笑)。
    ただ、数式などはほとんど出てこないので、なんとか読めるかもしれません(自爆)。
    評価は小室氏の本というだけで最低でも4はつけちゃいます(笑)。

    目次
    1 数学の論理の源泉―古代宗教から生まれた数学の論理
    2 数学は何のために学ぶのか―論理とは神への論争の技術なり
    3 数学と近代資本主義―数学の論理から資本主義は育った
    4 証明の技術―背理法・帰納法・必要十分条件・対偶の徹底解明
    5 数学と経済学―経済理論を貫く数学の論理

  • 1485

    330P

    小室直樹
    政治学者、経済学者。1932年、東京生まれ。京都大学理学部数学科卒業。大阪大学大学院経済学研究科、東京大学大学院法学政治学研究科修了。東京大学法学博士。この間、フルブライト留学生としてアメリカに留学し、ミシガン大学大学院でスーツ博士に計量経済学を、マサチューセッツ工科大学大学院でサムエルソン博士(1970年ノーベル賞)とソロー博士(1987年ノーベル賞)に理論経済学を、ハーバード大学大学院ではアロー博士(1972年ノーベル賞)とクープマンス博士(1975年ノーベル賞)に理論経済学を、スキナー博士に心理学を、パースンズ博士に社会学を、ホマンズ教授に社会心理学を学ぶ

    数学嫌いな人のための数学(新装版)
    by 小室 直樹
    数学における証明は、「正しい」か「正しくない」かどちらかである。そのいずれであるかが、一義的に決められなければならない。 裁判における証明(判決)は、「正しい」か「正しくない」か、どちらかに決められるものでは、本来、あり得ない。その「あり得ない」ものを、「ごまか」して、 恰も証明したようなふりをする。それが「判決」である。まことに、法律における噓の効用たるや絶大なものがある(末弘厳太郎『噓の効用』川島武宜 編、冨山房百科文庫、一九九四年参照)。

    既にちょっと触れたが、カール・フリードリヒ・ガウス(一七七七~一八五五年)という偉大な数学者がいた。「アルキメデス、ニュートン、ガウス、この三人は偉大な数学者のなかで格別群を抜いている。その功績によって、三人の間に上下をつけることが、凡人の力の及ぶところではない」(E・T・ベル『数学をつくった人びと(上)』田中勇・銀林浩訳、東京図書、一九九七年、二〇八頁)といわれるほどの偉大な数学者である。

    彼は、 n 次方程式は n 個の解(根)を有することを証明した。この「ガウスの大定理」(代数学の基本定理)は、言うまでもなく画期的なものであるが、発表の仕方も時流を抜くことを表している。  彼がなした第一の心配は、大学教授が果たして理解しうるかどうかということである。ガウス自身が懸念しているとおり、この時代には、最高の権威者でも、実在するのは実数だけであって虚数を想像上の数(imaginary number)と呼んで実在するのかどうか分からないとしていた。

    論理とは論争(討論)の技術である。ゆえに論争のないところでは論理学は発達しない。日本人は、飛び抜けて論争を好まない。ゆえに、論理もそのように発達しなかった。  日本人がどれほど論争を好まないかは、隣の韓国人と比べただけでも一目瞭然たるものがあろう。韓国人の喧嘩は、 罵詈讒謗 の集中砲火から始まる。その場にいたたまれなくなるようなダーティワードが後から後から飛び出す。相手が如何にひどい奴であるかを証明するために言い立てる。口合戦に、こんな時間とエネルギーを費やしていいのかなあ、本番のときにどうするのかなあと、他人事ながら心配になってくる。

    でも、大概これでいいのだ。いや、口合戦が「本番」で、よほどのことがない限り、これでおしまい。日本では、昔から「口で言うより手のほうが早い」という喧嘩法が尊ばれてきたが、韓国でこんなことをしたら大変。どうしようもない暴漢だということにされてしまう。中国でもそうだが、論争というものを非常に重視しているのだ。  今でも韓国人が尊敬している 安重根(朝鮮の独立運動家、一八七九~一九一〇年)。実は、当時の日本人も安重根を尊敬していた。

    ここが、日本人の論理と、朝鮮人・韓国人、中国人の論理との大きな違いである。日本人は、矛盾に気が回らない。朝鮮人・韓国人も中国人も、矛盾には敏感に反応する。矛盾律までは意識しなくても、矛盾には、すぐに気を立てる。日本人は、「矛盾」という言葉は知っていても、矛盾には気を留めない。  このことは日本の朝鮮統治に対する朝鮮人・韓国人の誤解の最大の根源となった。

    ここに気づかず、日本人は何回でも論理無視、論理 蹂躪 を繰り返す。そして、それが善意だと思い込んでいる。これでは、不信は累積されるばかりではないか。その結果、欧米植民帝国主義諸国におけるよりも、はるかに小さい差別でさえも、この不信あるゆえに、拡大鏡にかけられ、途方もなく大きなものに見えてくる。

    現在の経済学は数学と結合した(あるいは、比喩的に数学と結婚した)が、それが可能となったのは、物理学が数学と結合したのと同じ理由による。すなわち、物理学の諸変数(変位、速度、加速度など)は抽象性を獲得した、ということである。古代ヘレニズムにおいて、幾何学が数学(形式論理学)と結合した。幾何学の諸図形(点、直線、円、それらが作る諸図形)が抽象性を獲得したからである。

    直線とは、太さ(幅)が全くなくて長さだけがある図形である。こんな図形は抽象の産物であって、実在し得るものでないことは言うまでもない。点に至っては、その在り場所だけがあって大きさは全くない! 抽象の産物のみによって作られるユークリッド幾何学の諸図形は、もちろん、抽象の産物にすぎない。これらの抽象の産物にすぎない諸図形と形式論理学とから、ユークリッドは壮大な『幾何学原論』を作り上げたのである。

    物理学が高度の抽象性を獲得したことを理解するための格好の例は、 質点(mass point)である。質点とは、大きさが全くなくて、質量を有する点のことであるとされる。質点が実在しないことは明白である。もし実在したとすれば、質点の比重は無限大となる。こんな物質が実在するわけがないではないか。

    リカードの経済理論は、表面に数学は使わないが、実質的には数学によって構成されている(森嶋通夫『リカードの経済学』高増明・堂目卓生・吉田雅明訳、東洋経済新報社、一九九一年)。マルクスもまた、経済学における数学の使用を督促した(『マルクス 数学手稿』菅原仰訳、大月書店、一九七三年)。ヒックス、サムエルソン以降は、経済学における数学の使用は当然視されるようになった。今では、経済学のどの教科書を読んでも、山盛りの数学を見出すことになるわけである。

    それでは、経済学は一体全体、何を研究しているのか。  資本主義社会における経済法則である。それは、資本主義だけを研究対象とし、それ以外の社会を研究対象とすることはない。この意味で、経済学は極めて特異な科学である。

    政治学は、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどと、古代ギリシャの政治哲学から研究を姶める。  法律学では、「ローマ法」は、今でも重要な基礎テーマである。古代中国の法律から、ソビエト法の研究に至るまであって、資本主義の法律だけを研究するのではない。  社会学では、もちろん、資本主義の社会だけを研究するのではない。人間社会だけではなく猿社会もまた重要な研究テーマとなってきた。猿以外の社会にまで研究に及ぶ人まで出てきている。  心理学(psychology)では、今や、人間の行動ではなく、ネズミの行動が研究の中心となっている。いや、ネズミでも高等すぎるとして、ウナギやミジンコを主に研究する人も現れてきている。人類学では、研究の主眼は、いわゆる未開人(barbarian)にある。二〇世紀の中頃、単純社会(simple society)の研究に画期的業績をあげたことが契機となって、一応の方法論が確立した。その方法論で、資本主義社会の研究は困難である。少なくとも、あまり成果が期待できない。ゆえに、…

    ここで、必要条件(necessary condition)と十分条件(sufficient condition)について述べておく。数学に突入し突破するために、これほど肝要なことはない。それでいて、実はこれを理解することは、大変困難なのである。  高木貞治 博士(一八七五~一九六〇年)は、「高等学校の学生(生徒ではない、ことに注意!)に必要条件と十分条件を理解させることは困難である」と述懐したことがあった。

  • 本書を購入したのがいつ頃か覚えていないが、長らく本棚に並んでいたものを読んだ。
    1932年生まれの著者が東京大学で法学の博士号を取得したのは1974年だが、もともとは京都大学理学部数学科を卒業している。その後、大阪大学大学院で経済学を学び、ハーバード大学では心理学と社会学を学んだ。帰国後の1963年に東京大学大学院法学政治学研究科に進み、1967年から「小室ゼミ」を開催していた。1970年に経済史の大家・大塚久雄について学んだ後、上記博士号を取得する、という経歴だ。
    万般を修めた小室直樹の著書は、その広汎な知識と「小室節」で、縦横無尽に語るところに特徴がある。
    本書では前半の「論理は神との論争から生まれた」の件が斬新で、目から鱗の内容であった。後半の経済学との絡みは私の知識不足でイマイチ理解ができなかったのが悔しい。経済学の基礎を学んだ上で、再読したい。

  • 数学というより論理学、経済学の本。
    ピグーの論理=古典派経済学の命題。=市場を自由競争に任せておけば、経済はうまくいく。
    その待遇は、経済がうまくいかないのは、市場は自由競争になっていないから。
    大恐慌の時、ピグーは、労働力市場は、労働組合、法律などで自由競争になっていない。だから経済がうまくいかない、と考えた。
    金融危機のときは、預金保護制度が自由を阻害していると考えた。預金保護制度によってモラルハザードが起きている。
    ケインズの有効需要の原理は方程式、古典派のセイの法則は恒等式。

    リカードの大発見=比較優位説。差額地代説、限界効用説や限界生産力説のはしり、労働価値説。

    セイの法則=Supply creates its own demand.
    古典派経済学では、公理=恒等式。資源の最適配分が実現する。ベストとは資源の最適配分のことをいう。
    失業者の存在は一時的なもの。

    有効需要の原理 Y=C+I。Yはyield生産物の略。消費と投資の和。Yは需要で決まる=恒等式ではなく方程式。恒等式と考えると、セイの法則になる。貯蓄がすべて等しに回った状態。生産が少ない状態、クラウディングアウト(締め出し)の状態。資金で投資ができない状態。

    クラウディングアウトがあればセイの法則が成り立つが、ケインズは供給側を問題にしないのでクラウディングアウトを無視した。

    合成の誤謬=貯蓄を殖やすと消費が減り有効需要が減少する。その結果生産も減る。個人を富ます貯蓄は経済全体を貧しくする。

  • 文章が雑で、非常に気持ちが悪い。
    面白い所もあるので、もったいない。
    やや独りよがりで、読者をほったらかしにしているように感じるところもある。
    材料は持っているが、調理が雑、といった印象を受ける。
    ところどころ、極論すぎると思った個所もあった。
    宗教の話は面白かったが、経済の話は途中まで面白くて、最後がややこしくてわかりにくかった。
    ともかく、語調が嫌い。
    やっつけ仕事のように感じた。



    【memo】
    ガウスの存在定理 n次方程式にはn個の解がある。
    ガロアの定理  五次以上の方程式は代数的には解けない。
    ⇒ つまり、解があることは分かっていても解けない方程式がある、ということ。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/27364

  •  この本で数学が好きになるとは思えん。

  • 数学ってこんなにおもしろいんだよ!と頭のすごく良いひとが推してくれる本。

    申し訳ございません先生。
    情熱は伝わったが理解は及ばない。
    私は義務教育が力になっていない人間です。
    力がつきなければもう何回か読みます。
    「人間の大概の選択(好み)は合理的」とおっしゃっているのを見るに、先生のまわりのかたと私は当然レベルが違うなぁと感じました。

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著者プロフィール

1932年、東京生まれ。京都大学理学部数学科卒。大阪大学大学院経済学研究科中退、東京大学大学院法学政治学研究科修了。マサチューセッツ工科大学、ミシガン大学、ハーバード大学に留学。1972年、東京大学から法学博士号を授与される。2010年没。著書は『ソビエト帝国の崩壊』『韓国の悲劇』『日本人のための経済原論』『日本人のための宗教原論』『戦争と国際法を知らない日本人へ』他多数。渡部昇一氏との共著に『自ら国を潰すのか』『封印の昭和史』がある。

「2023年 『「天皇」の原理』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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