軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い

著者 :
  • 東洋経済新報社
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レビュー : 44
  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492223802

作品紹介・あらすじ

真山 仁氏推薦!
「『遺族の責務』を探し続けた男が挑む不条理
闘う遺族を静かに寄り添うジャーナリストが辿り着いた
日本社会の欺瞞と脆弱」

「責任追及は横に置く。一緒にやらないか」
遺族と加害企業の社長。
相反する立場の2人は巨大組織を変えるためにどう闘ったのか。
あの事故から始まった13年間の「軌道」を描く。

私は、この事故を淺野弥三一という一人の遺族の側から見つめてきた。
彼の発言や行動は、これまで私が取材や報道を通して見聞きしてきた事故や災害の遺族とは何かが決定的に違っていた。
淺野の視点と方法論は独特で、語る言葉は時に難解で、JR西に対する姿勢は鋭く峻烈でありながら、柔軟で融和的に見えるところもあった。(「プロローグ」より)


<本書の内容>
乗客と運転士107人が死亡、562人が重軽傷を負った2005年4月25日のJR福知山線脱線事故。
妻と実妹を奪われ、娘が重傷を負わされた都市計画コンサルタントの淺野弥三一は、なぜこんな事故が起き、家族が死ななければならなかったのかを繰り返し問うてきた。
事故調報告が結論付けた「運転士のブレーキ遅れ」「日勤教育」「ATS-Pの未設置」等は事故の原因ではなく、結果だ。
国鉄民営化から18年間の経営手法と、それによって形成された組織の欠陥が招いた必然だった。

「組織事故」を確信した淺野は、JR西日本自身による原因究明と説明、そして、組織と安全体制の変革を求める。
そのために遺族感情も責任追及も封印し、遺族と加害企業による異例の共同検証を持ち掛けた。

淺野の思いに呼応し、組織改革に動いた人物がいた。事故後、子会社から呼び戻され、初の技術屋社長となった山崎正夫。
3年半でトップを退くが、その孤独な闘いは、JR西日本という巨大組織を、長年の宿痾からの脱却へと向かわせた。
それは、「天皇」井手正敬の独裁に依存しきった組織風土、さらには、国鉄改革の成功体験との決別だった。

淺野と山崎。
遺族と加害企業のトップという関係ながら、同世代の技術屋ゆえに通じ合った2人を軸に、
巨大組織を変えた闘い、鉄道の安全を確立する闘いの「軌道」を描く。
そこから見えてきたのは、二つの戦後史の「軌道」だった──。

感想・レビュー・書評

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  • 福知山線事故の遺族、JR西日本との闘いを追ったノンフィクション。

    人的責任ではなく、企業本体の闇に光をあて
    改善していく長い長い闘い。

    ヒューマンエラーで片付けてはいけないという事が、良くわかる。

  • 福知山線脱線事故の被害者の目線から事故を追ったルポ。

    事故で、妻と娘を失った淺野さんは、JR西日本を感情的に弾劾するのではなく、二度とこのような事が起こらないように、事故が何故起こったのか、二度と起こさない為にどうすべきか、というスタンスで西日本に接する。

    民営化による利益追求。阪急など強い私鉄との熾烈な競争。過激なサービスの向上は結果として、安全面を犠牲にする事になる。

    資本主義、利益追求のなか、人の命を預かる基幹業務との安全性をいかに意識しなければならないか。

    官僚的な大規模な組織は硬直し、現場でも責任の所在は曖昧に。失敗すると個人が責められる。

    最近はヒューマンエラーを責めない会社が増えて来ているとの事。
    人はミスを犯すものだからこそ組織的な安全の仕組みが必要だ。

    何よりも前半の事故の生々しい描写、悲惨な様子に衝撃を受ける。

    筆者は長年淺野さんの近くに居たとの事。
    だが、そんな筆者も淺野さんのスタンスを図りかねてこの本をどうまとめれば良いかわからない時期があったとの事。

    想像もしなかった事に出会い、一瞬で大切なモノを失う。
    当事者としても整理がつく事はないのでは、と思う。
    その中で今までの活動の延長で事件と向き合う。
    社会性の面とプライベートのどうしようもない喪失感が、カオスの様に個人の中でも渦巻いてあるような状況なのではないのだろうか。

  • 死亡者数107人、負傷者数562人を出した福知山線脱線事故を題材にしたノンフィクション。
    著者は、元神戸新聞記者で現在はフリーランスのライター。
    この事故で最愛の妻と妹を失い、娘が重傷を負うという悲痛な体験をした都市計画コンサルタントの淺野弥三一氏の「肩越し」に、淺野氏ら遺族会とJR西との闘いを追った書です。
    この種の本は、加害者(ここで言うJR西)を断罪して終わることが多い。
    だが、本書はそうではありません。
    JR西を真に安全を最優先する組織に変えようという淺野氏に共感し、そこからブレずに文字通り1つの軌道を走ります。
    はじめは通り一遍の謝罪でその場をやり過ごし、事故の責任を運転士1人に負わせたJR西。
    だが、淺野氏ら遺族会の粘り強い交渉で、利益重視偏重や極端なトップダウンなど組織的な問題であることをJR西に認めさせます。
    そして、遺族会とJR西が同じテーブルに着き、お互い納得のいく、合理的で実効性のある安全対策を立案するに至るのです。
    そこがまずもって本書の大きな読みどころでしょう。
    これは、淺野氏ら遺族会の地道な努力によるところが大きい。
    ただ、それだけではJR西という巨大な組織を変えることは難しい。
    実は、事故後に社長に就任した山崎正夫氏の存在が大きかったと本書は指摘します。
    事務屋の指定席だった社長ポストに、技術屋として初めて就いたのが山崎氏。
    同じ技術屋として、淺野氏も「話せる相手」として山崎氏に信頼を置きます。
    これが先述した安全対策へと結実するのです。
    いろいろと考えさせられる逸話です。
    懲罰的な日勤教育は、実は事故の抑止にはほとんど効果がないなど、安全について考えるうえでも本書は非常に有用です。
    ぜひ多くの方に読んでいただきたい1冊です。

  • ニュース映像を見て絶句した福知山線脱線事故。事故のその後と、その要因を被害者家族の一人を起点に書き上げたノンフィクション。
    こういった大企業が起こした事故についてのルポは犯人が誰かということに終始することが多い気がするけれど、本作では趣が異なる。
    もちろんJR西日本が当事者として一番の責任があるのは間違いないけれど、被害者遺族にもこの事故を社会化させ、二度とこのような惨事を引き起こさないようするために会社と一丸になって問題の抽出と事故の教訓を引き出すのが責務があるとしている。
    妻と妹を失いながら、そのような冷静な判断と行動ができる本作の遺族に畏敬の念を感じる。
    ニュースでは懲罰的な日勤教育ばかりが問題視されていたと思うけれど、ことはそれほど単純ではなく、会社の成り立ちや地域性、国の政策等が絡み合った結果このような事故が引き起こされたのだと気付かされた。

  • インフラを扱う一人にとって、吉村昭著の高熱隧道に並ぶ、重要な作品となった。
    淺野氏及び事故被害者の方々には心からの追悼の意を表すると共に、淺野氏の行動に、大きく心を揺さぶられた。
    JR西はもとより、社会インフラに関与している全ての人が、本書から訴えられる安全に対する意識を持ち、何度も反芻しながら業務に従事することが出来れば、と思う。
    この気持ちを拡げて周囲を巻き込む事が、淺野氏や著者への恩返しになるのではないか。
    終わりなき旅だが、不断の努力はきっと意味がある。

  • 【あらすじ引用】
    乗客と運転士107人が死亡、562人が重軽傷を負った2005年4月25日のJR福知山線脱線事故。
    妻と実妹を奪われ、娘が重傷を負わされた都市計画コンサルタントの淺野弥三一は、なぜこんな事故が起き、家族が死ななければならなかったのかを繰り返し問うてきた。
    事故調報告が結論付けた「運転士のブレーキ遅れ」「日勤教育」「ATS-Pの未設置」等は事故の原因ではなく、結果だ。
    国鉄民営化から18年間の経営手法と、それによって形成された組織の欠陥が招いた必然だった。

    まだ記憶が十分に新しい福知山線の脱線事故。既に14年も経っていたんですね。
    脱線した上にマンションに突っ込み、多くの人命が失われた前代未聞の大事故でありました。
    東京でも2000年に営団地下鉄で脱線衝突事故が有り、5人の人命が失われました。人数で比較するものではありませんが、福知山線では107人の命が失われるという未曽有の大事故でした。
    当時のニュースを思い返すと、運転手の暴走でカーブを曲がりきれなかった事によるものという印象でした。ともすれば、個人のミスによるものであるという認識が有ったかもしれません。
    しかしこの本を読むと、JR西日本の企業としての負の蓄積が噴出した起こるべくして起こった事故であったとわかります。
    井出会長が良くも悪くも剛腕で牽引し、赤字を出さない為に叱咤してここまで持って来たという自負、また崇め奉る事により誰も意見を言えなくなり、現場サイドの危険への意識を吸い上げることなく、ひたすらトップダウンでしかない一方通行の経営方針が現場の考える力、判断力を奪った。
    ミスに対して懲罰を与える事により、ミスを隠ぺいする体質が根深く出来上がってしまい、小さなトラブルの内に危険の萌芽を摘み取る事が出来なかった。
    収益重視の経営方針を推し進めた事によって、車両の増加、高速化を推し進め、それに比して安全対策がなおざりになっていた。

    そんな事故に家族が巻き込まれる事になった浅野氏は、都市開発、計画を長年に渡って手がけてきた人物です。事故に遭われたのは非常に気の毒では有るのですが、彼の妻子がこの事故に巻き込まれた事によって、JR西日本という会社の問題点が浮き彫りになり、最終的に同社の今の姿があるのだろうと思います。ある意味JR西日本の大恩人とも言えます。

    懲罰ありきで個人に責任を帰する風潮というのは、もしかして日本の根本的な問題なのではないかと思いました。スキャンダルにマスコミだけではなく一般市民まで群がり吊し上げ、責任を取らせるのではなくひたすら追い詰め辞めさせる。そして根本的な原因は置き去りになる。重大な問題がどんどん深い所に隠されていくのではないかと懸念されます。
    この本でも書かれていますが、ヒューマンエラーというのは原因ではなく、結果なのでさらに遡った要因を見つけなければ解決しないと思います。

  •  テスラの自動運転の死亡事故は、本来ブレーキをかけるべき運転者が前を見ずにスマホいじっていたのが原因だ。
     交通業界にいる身としては、お粗末すぎると思った。

     自動運転の技術革新が目覚ましく、世界中で開発競争が激しい。
     この新技術での遅れは、その国の科学技術が世界から遅れることに直結している。
     ということは理解している。

     翻って鉄道業界は、外部からではほとんど分からないほど変わらない技術だ。
     だがもし、テスラの事故と同じことを鉄道がやらかしとすると、社会の目は自動運転とは比べ物にならないほど大きい。
     トライ&エラーとか言ってられない、100%の安全が求められるのが鉄道業界だ。
     だから、新技術もひたすら何年もモニターラン・コントロールランを繰り返して、ようやく世に出せる。
     世に出るころには、すでに技術的には遅れていても必要なステップだ。

     13年前、107人の死亡者を出した列車脱線事故。
     平成の世にこんなことが起こるのか日本ヤベーなと思っていたが、鉄道業界の技術部門に入った身としては、起こりうるというのが現在の認識だ。 
     死亡者数の裏には、表には出てこない残された人たちの人生が隠れている。
     突然に家族を奪われた怒りと絶望がある。

     次はうまくやります。トライ&エラーです。なんてことを、人を殺すことがある業界は言ってはいけない、考えてはいけない。
     絶対安全じゃなければいけないのだ。

     便利、コストダウン、技術革新、未来の技術、そんな目先のきれいごとで交通業界が守るべき安全をないがしろにしてはいけない。
     新システムが人を殺す。
     技術者はそのことに恐れなければいけない。

  • 2005年JR西日本福知山線脱線事故で、妻と妹を失った浅野さんをモデルに、事故を起こした運転士よりもその会社体質正すことに費やした10年間。重大事故の対応として江戸の大火の昔から変わらずの個人責任追及主義、無関係者からの誹謗中傷を読んで憂鬱になった。

  • JR福知山線脱線事故のルポルタージュ。

    読んでいると、どうしても人に焦点を当ててしまいたくなった。
    「会社の体質」が見えにくいものだからこそ、形を取る個人に責任を求めていってしまう。

    淺野さんは「なぜ起きて、どうすれば起きなくなるか」を、この見えにくいところから見えるところに持ってきた方なんだと思う。

    日勤教育についても、焦点は「その人が更生するか」にあり、「なぜその過失が起きたか」ではなくなっていた。
    そして本質が見えないままの「更生」は、ただの懲罰でしかなく、権威を持つ人ほど、自分がそこに晒されないため手離したがらなくなる。

    これだけ凄まじい事故が日本で起きることに、当時の私はただ震撼したというか、大きな会社であっても致命的な事は起きるんだと思っていた。

    けれど、大きな会社とか、凄まじい事故という形容を外した時に見えるものは、自分にも分かるような「体質」と呼ばれるものだった。

  • タイトルの通り、福知山線の脱線事故後のルポルタージュです。特筆する点は、一つに遺族の一人、淺野弥三一氏の側からの視点で書かれていること、その淺野氏がJR西日本に対する責任追及よりも、JR西日本と一緒に今回の事故を検証して再発防止に繋げていけないかを模索した点です。紆余曲折ありながらも、最終的には、JR西日本、遺族側、第三者機関が同じテーブルについて、話し合いが行われることになりました。可能な限り冷静に客観的なデータに基づいて議論していく姿勢に感銘を受けました。また同時に「遺族の責務」という言葉が重くのしかかってきました。

    リスクアセスメントの考え方によれば、ヒューマンエラー、今回の件で言えば、運転士のスピード超過がカーブを曲がり切れず脱線に至ったわけですが、それは「原因」ではなく「結果」とします。もっと大きな視点に立って組織風土や環境要因など様々なファクターが複雑に絡み合って、今回の「結果」が生じたのだと。日本は昔から個人にその責を負わせる風潮があるようです。もちろんヒューマンエラーが主要因かもしれませんが、現代社会では事件・事故が大きくなればなるほど、その原因は複雑化します。個人に「原因」を集中させることは、ともすれば、複雑化した原因解明を遠ざけてしまう可能性があります。

    淺野氏は事故で妻と妹を同時に亡くしました。遺族としての辛い気持ちや葛藤も抱えながら、一方で氏のエンジニアとしてのプライドをもって事故の本質を詳らかにしようと、何度もJR西日本と交渉を重ねます。その姿勢はJR西日本を糾弾するのではなく、問題をオープンにして、一緒に考えていこうという非常に成熟した発想に思えました。

    3者で開催された「課題検討会」のオブザーバーであった柳田邦男氏がその報告書に寄せた一文があります。
    「私はこの社会に人間性の豊かさを取り戻すには、被害者(1人称の立場)や社会的弱者(同)とその家族(2人称の立場)
    に寄り添う視点が必要だと感じる。『これが自分の親、連れ合い、子どもであったら」と考える姿勢である。もちろん、専門家や組織の立場(3人称の立場)に求められる客観性、社会性の視点は失ってはならない。そういう客観的な視点を維持しつつも、被害者・加害者に寄り添う対応を探るのを、私は『2.5人称の視点』と名づけている。課題検討会におけるJR西日本の遺族たちに対する応答の仕方に、私は『2.5人称の視点』に近づこうとしている姿勢を感じた」
    柳田邦男氏の『犠牲(サクリファイス)ーわが息子・脳死の11日(文春文庫)』の中では1人称、2人称、3人称の死について述べられていました。相反する発想や価値観、立場を自らのうちに留めて、決して安易な結論に流されないよう、その葛藤に身を置く姿勢と解釈しています。それが、本質に近づける手段のように思えます。

    著者は元神戸新聞の記者で、現在はフリーランスです。文書構成もさることながら、非常に読みやすく、その文章力についつい引き込まれていった部分も否定できません。秀逸なルポルタージュには間違いありませんが、史実を元にしたドラマのような感動も覚えました。

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著者プロフィール

1970年大阪府生まれ。
神戸新聞記者を経てフリーランスのライター。
関西を拠点に政治・行政、都市や文化などをテーマに取材し、人物ルポやインタビュー、コラムなどを執筆している。
「誰が『橋下徹』をつくったか――大阪都構想とメディアの迷走」(140B)で2016年度日本ジャーナリスト会議賞受賞、「軌道 福知山線脱線事故JR西日本を変えた闘い」(東洋経済新報社)で第41回講談社本田靖春ノンフィクション賞」受賞。
webちくまで「地方メディアの逆襲」を連載中。
(新聞うずみ火主催「『大阪都構想』を考える連続講座②」)

「2020年 『住民投票までに知っておくべき「都構想」の嘘と真』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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