軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い

著者 :
  • 東洋経済新報社
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  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492223802

作品紹介・あらすじ

真山 仁氏推薦!
「『遺族の責務』を探し続けた男が挑む不条理
闘う遺族を静かに寄り添うジャーナリストが辿り着いた
日本社会の欺瞞と脆弱」

「責任追及は横に置く。一緒にやらないか」
遺族と加害企業の社長。
相反する立場の2人は巨大組織を変えるためにどう闘ったのか。
あの事故から始まった13年間の「軌道」を描く。

私は、この事故を淺野弥三一という一人の遺族の側から見つめてきた。
彼の発言や行動は、これまで私が取材や報道を通して見聞きしてきた事故や災害の遺族とは何かが決定的に違っていた。
淺野の視点と方法論は独特で、語る言葉は時に難解で、JR西に対する姿勢は鋭く峻烈でありながら、柔軟で融和的に見えるところもあった。(「プロローグ」より)


<本書の内容>
乗客と運転士107人が死亡、562人が重軽傷を負った2005年4月25日のJR福知山線脱線事故。
妻と実妹を奪われ、娘が重傷を負わされた都市計画コンサルタントの淺野弥三一は、なぜこんな事故が起き、家族が死ななければならなかったのかを繰り返し問うてきた。
事故調報告が結論付けた「運転士のブレーキ遅れ」「日勤教育」「ATS-Pの未設置」等は事故の原因ではなく、結果だ。
国鉄民営化から18年間の経営手法と、それによって形成された組織の欠陥が招いた必然だった。

「組織事故」を確信した淺野は、JR西日本自身による原因究明と説明、そして、組織と安全体制の変革を求める。
そのために遺族感情も責任追及も封印し、遺族と加害企業による異例の共同検証を持ち掛けた。

淺野の思いに呼応し、組織改革に動いた人物がいた。事故後、子会社から呼び戻され、初の技術屋社長となった山崎正夫。
3年半でトップを退くが、その孤独な闘いは、JR西日本という巨大組織を、長年の宿痾からの脱却へと向かわせた。
それは、「天皇」井手正敬の独裁に依存しきった組織風土、さらには、国鉄改革の成功体験との決別だった。

淺野と山崎。
遺族と加害企業のトップという関係ながら、同世代の技術屋ゆえに通じ合った2人を軸に、
巨大組織を変えた闘い、鉄道の安全を確立する闘いの「軌道」を描く。
そこから見えてきたのは、二つの戦後史の「軌道」だった──。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    福知山線脱線事故から18年。ネットで検索すると、当時の事故状況を物語る衝撃的な画像を見ることができる。先頭車両がマンションの1階部分に突っ込み大破、そのすぐ後ろには横倒しになった車両がぴったりとくっついているのだが、何とそれは「3両目」。あいだの2両目は、マンションと3両目に押しつぶされ、板のように平らになっている。財布に入っていた硬貨が折れ曲がるほどの衝撃だったというのだから、いったい中に乗っていた人はどれほどの力を受けたのだろうか。彼らの苦しみを思うと、胸が張り裂ける思いである。

    本書は、福知山線脱線事故の遺族である淺野弥三一が、事故の原因究明をめぐってJR西に追及を重ねていく様子を描いたノンフィクションだ。JR西との対話の中で、この事故は「運転士個人の不注意」ではなく「組織的な欠陥」が原因であると確信した淺野は、なんと加害企業のJR西と遺族との間で「共同検証」を行おうと提案する。淺野は「被害者と加害者の立場を超えて同じテーブルで安全について考えよう。責任追及はこの際、横に置く。一緒にやらないか」、と社長の山崎に持ちかけ、これ以降両者間で再発防止策の策定が進んでいく。

    では、淺野が指摘する「組織的な欠陥」とはいったいなんだったのか。
    その一つに、JR西が利益を重視するあまり安全性を蔑ろにしてきたことが挙げられる。自動列車停止装置(ATS-P)の設置といった安全対策のための投資を後回しにし、列車の輸送能力をひたすら向上させてきたのだ。
    1987年4月にJR西日本が発足した当時、宝塚駅~大阪駅間は最速列車で31分であった。 それが、福知山線事故が発生する直前の2005年3月には、22分までスピードアップされていた。一方、阪急電鉄は同じ期間中に、36分だったものを30分に6分短縮した。つまりJRと阪急電鉄の差は、5分から8分に拡がったのである。この8分の差はJR西日本に競争上の優位をもたらした。阪急電鉄の宝塚駅~梅田駅間の輸送量は、1995年度の2億437万人をピークに2001年度には1億7885万人と年間約2550万人も減少しているが、 この要因の一つは阪急電鉄からJR西日本に相当数の乗客が流れたことにある。
    とくに福知山線ではダイヤ改正のたびに余裕時分が削られ、また駅の停車時間が短縮されていった。このため、運転士は余裕のない運転を強いられ、同路線では列車の遅れも慢性化していた。
    そして、スピードアップした時点で整備すべきだったATS-Pは98年から長く放置されていた。設備投資は新製車両の導入など競争力強化のための投資に優先され、安全性は二の次にされてきたのだ。

    また他の原因として、事故を起こした高見運転士へのパワハラが挙げられる。
    高見運転士は過去3回日勤教育を受けていたが、指導というよりはむしろ懲罰的な側面が目立っていた。上司から何時間にも渡って事情聴取を受けており、その内容は人格否定や恫喝に近かった。事情聴取後は給料手当が一部減らされたうえに「再教育」が行われるが、何十通ものレポートを書かされ続けるといった内容で、自己改善の意味合いは薄く、根性論による指導に近かった。

    そして一番の問題は、これらを「問題行為」と捉えず、改善する意思のないJR西の組織風土であった。脱線事故についても「運転士のヒューマンエラーによるもの」「ATS-Pの設置は適切であった」「現在のダイヤ編成でも、標準的な運転をすれば定時運行はできる」という答弁を行い、事故そのものを「予測不可能な天災」だったかのように扱ったのだ。

    本書では、そこまで組織が硬直化した理由として、JR西日本の天皇、「井手正敬」の存在に言及している。

    井出がトップだったころのJR西の社風について、事故後に社長に就任した山崎は、「安全には厳しいが、事故が起これば厳しく責任追及するという手法で、考え方が違うと思った」「震災のあった96年頃から活発な議論がなくなった。私自身、叱責を受けることが多く、意見を言いにくかった」と証言している。幹部の南谷や垣内も「物を言いにくいという声は一部にあった」と、井手独裁の弊害を認めている。

    一方の井手は、「組織風土に問題はない」と断じ、JR西の内情をめぐって次のように主張している。
    ――民営化当初や震災時は「野戦」だから、自分がすべて決めた。怒鳴りつけてでもやらせた。それで一定の成果を上げた。しかし、社員に依存心が生まれて、何も決められなくなった。責任を負わず、過剰に自分を忖度し、おもねる人間ばかりになった。創業期はそれでよくても、守勢に入る10年目以降は変わらねばならない。だから、株式上場を機に自分は会長へ退いた。現場への関わりも弱めた。だが、会社は変われず、むしろ国鉄時代に戻ってしまった。そして、福知山線事故が起こると、企業体質、つまり自分を筆頭とする旧経営陣のせいにし、会社全体が責任逃れに走った。そういう戦略で組織を守り、南谷垣内は地位を守ったのだ。

    世間は、「井手こそが官僚主義体制を作った」と認識しているが、井手は「官僚主義体制は国鉄時代からあった。自分は国鉄改革をしてその悪政を打ち破ったんだぞ」という認識を持っている。
    井手の立場から見れば、これはこれで筋が通っているのだろう。だが、別の視点で見れば、 主張にはいくつも矛盾が見える。官僚主義の原因といわれる予算・法令・前例などの縛りが、 民営化後は「井手の意向」という、より強力な縛りに一元化され、取って代わっただけである。自分が社員の手足を縛り、ミスを責め立てながら、「顔色をうかがうな」「自由に発想し ろ」と言っていたのではないか。「次に譲りたい」「いつまでも頼るな」と言いつつ、部下が独自決めたことには「判断が間違っていた」と不満を漏らしているのではないか。

    井手はずっと、国鉄の幻影と戦っていた。しかし、事故のあった2005年当時でも、民営化してから既に18年が経っている。この間にビジネスのフィールドではCSRの取り組みが進んでいたが、JR西は変われないままだったのである。

    ――震災復旧をきっかけにした急成長は井手の言う通り、真の民間企業への脱皮だった。だが、それは同時に、井手のカリスマ性をより高め、権力集中を決定付ける出来事でもあった。「あの震災後、誰も井手さんに物が言えなくなった」と幹部たちは言い、井手自身もそれを認める。井手独裁体制は、こうして完成した。

    ――――――――――――――――――――――――
    【感想】
    0 まえがき
    2005年4月25日、JR西日本の宝塚駅発同志社前駅行きの上り快速電車が脱線事故を起こし、尼崎市久々知3丁目のマンションに激突した。JR福知山線脱線事故である。
    事故調査が認定したのは「運転士のブレーキ遅れ」、つまりは個人の注意散漫によるミスだった。
    しかし、これはただの「結果」に過ぎない。
    本当の原因は、それを引き起こしたJR西日本という組織の問題だった。

    分割・民営化を主導した「国鉄改革三人組」の一人であり、「JR西の天皇」と呼ばれるほどの権勢を誇った井手正敬は、追悼慰霊式にも姿を見せなかった。事故につながる組織風土を作った最重要人物として、淺野ら遺族たちが再三面会を要望してきたが、歴代社長裁判の法廷以外、公式の場に出てきたことはない。事故以降、マスメディアの公式取材に応じたこともほとんどない。
    井手に代表される「国鉄一家」の強烈なエリート意識と、それゆえ自らの過ちを決して認めず、部下や現場にもミスを許さない「無謬主義」。その強固な組織の論理に、淺野は事故後の10年余り、自らのすべてをかけて挑み続け、ついに硬い岩盤に穴を穿った。


    1 ずさんな体制
    「おそらく彼(JR西日本会長の南谷)はこれまでもそうしてきたし、あの会社ではそれでも出世できたんでしょう。だけど僕にすれば、これほど非常識かつ稚拙な人間がトップにいる組織に女房は殺されたのか、殺されねばならなかったのかとあまりにも不条理ですよ。その時から、この事故を不条理ととらえ、なぜそんなことが起こったのかを考えるようになっていった」
    これがJR西日本という組織に対する淺野の第一印象である。「誠心誠意の謝罪」「100%当社に責任がある」と口では言いながら、その実、被害者に与えた損失や苦しみや窮状を一つも理解しようとせず、自社の論理や組織防衛ばかりを優先する。

    JR西という巨大組織は迷走していた。脱線事故発生から6時間後の記者会見では、「置き石が原因、速度超過による脱線は起こり得ない」と説明をしていたが、3日後の国交省の事故調で否定され、安全推進部長が謝罪を行った。

    JR西日本は5月末に安全性向上計画を国交省に提出している。そこでは、
    ▽事業運営に余裕がなく、安全への取り組みが形式的だった▽減点主義がミスを隠す風潮につながった▽経営トップが現場に足を運ばず、現場社員間でもコミュニケーションが不足していた▽前例主義や縦割り意識の影響で事故対策が対症療法的だった――と組織風土を反省したうえで、▽運転士の新たな研修制度や適切な再教育の導入▽ATS-Pの設置をはじめとする安全設備の強化▽所要時間や制限速度など列車ダイヤの見直し▽安全諮問委員会の設置など安全推進部の機能強化
    といった再発防止策が列挙されていた。

    淺野は6月18日の遺族向け説明会で、JR西の幹部に手書きのメモを手渡す。懲罰的な日勤教育、余裕のないダイヤ編成、ATS-Pの設置遅れ、会社全体の安全管理体制。まずそれらについて、JR西自身の見解と納得のゆく説明を求める、という通告だった。淺野は「原因究明と結果説明を求めていくことが、われわれ遺族の使命、社会的責務だと思う」と述べた。


    2 うやむやなままの事故対応
    JR西は事故1年を過ぎても、実質的には何も変わらなかった。佐藤弁護士が言う「非常に硬直した、官僚主義の、責任や誤りを決して認めず、絶対に譲歩しない」組織風土は、事故後に一層強化されたといえる。

    それを物語る事故2年目の出来事がいくつかある。
    その一つが、「天下り問題」と言われた、退任役員の処遇とその隠蔽である。事故直後に引責辞任した元幹部3人が関連会社の社長などに就いていたことが、2006年6月の株主総会をきっかけに表面化したのだった。

    また、事故でパートナーを失った32歳の女性が06年10月、自宅マンションから飛び降りて死亡する事件が起こった。
    事故犠牲者の男性と1年間同居する事実婚関係だった女性は、4.25 ネットワーク(事故被害者の会)に参加していた。彼女の訴えによると、JR西は事故直後の2ヵ月間は生活費を支払ったものの、未入籍を理由に打ち切られたという。弁護士を通じて交渉すると、ようやく生活費を持参したものの、妻や遺族として扱われないこと、男性にとって「存在しない人」と見なされていることに、女性は深く悩んでいた。
    JR西は補償について、遺族に対しては、逸失利益(犠牲者が生きていれば得られたはずの収入)、慰謝料、葬儀関係費の3つを柱に提示し、負傷者へは治療費、休業補償、慰謝料を基本とする方針を示していた。前社長の垣内は辞任会見で「数人の負傷者と補償交渉が合意し、一部の遺族と具体的に話し合う準備ができた」と話したが、実際に示談が成立したのは多くが軽傷者で、重傷者や遺族とはほとんど交渉にも入れていなかった。

    安全対策についても思想は変わらないままだった。
    事故後に最も強い批判を浴びたのは日勤教育である。日勤教育とは、ミスをした乗務員を一 定期間乗務から外して行う再教育であり、その内容が極めて懲罰的で、運転士のプレッシャーになっていることが指摘されている。日勤教育に教育内容や日数の規定はない。各現場長の判断で、反省文や就業規則の書き写し、線路の草むしり、トイレ掃除、ホームに立って列車が到着するたびに挨拶と礼を繰り返すなどを行わせた。上司との面談で長時間にわたって罵声を浴びせられた、人格否定まがいの叱責を受けたという職員も多く、JR西労や国労は長年是正を求めてきた。
    しかし、丸尾は意見徴収会で「問題はなかった」と主張する。加えて、
    ▽車両検査に怠りはなかった▽ATS-Pの設置計画は順次、適切に進めている▽余裕時分がない運行計画(ダイヤ編成)でも、標準的な運転をすれば定時運行はできる▽ヒヤリハットの報告、JR他社の事故などを参照し、ソフト・ハード両面で安全管理体制を整えてきた
    と、その内容は弁明と責任逃れ、自己正当化に終止し、事故調の調査方法を批判までする無反省ぶりだった。


    3 事故原因
    事故が起こった原因の一つに、都市圏の列車のスピードアップがある。
    1987年4月にJR西日本が発足した当時、宝塚駅~大阪駅間は最速列車で31分であった。 それが、福知山線事故が発生する直前の2005年3月には、22分までスピードアップされていた。一方、阪急電鉄は同じ期間中に、36分だったものを30分に6分短縮した。つまりJRと阪急電鉄の差は、5分から8分に拡がったのである。この8分の差はJR西日本に競争上の優位をもたらした。阪急電鉄の宝塚駅~梅田駅間の輸送量は、1995年度の2億437万人をピークに2001年度には1億7885万人と年間約2550万人も減少しているが、 この要因の一つは阪急電鉄からJR西日本に相当数の乗客が流れたことにある。
    とくに福知山線ではダイヤ改正のたびに余裕時分が削られ、また駅の停車時間が短縮されていった。このため、運転士は余裕のない運転を強いられ、同路線では列車の遅れも慢性化していた。
    そして、スピードアップした時点で整備すべきだったATS-Pは98年から長く放置されていた。設備投資は新製車両の導入など競争力強化のための投資に優先され、安全性は二の次にされてきたのだ。

    また他の事故原因として、高見運転士への日勤教育が挙げられる。
    事故を起こした高見運転士は過去3回日勤教育を受けていたが、指導というよりはむしろ懲罰的な側面が目立っていた。上司から何時間にも渡って事情聴取を受けており、その内容は人格否定や恫喝に近かった。事情聴取後は給料手当が一部減らされたうえに「再教育」が行われるが、何十通ものレポートを書かされ続けるといった内容で、自己改善の意味合いは薄く、根性論による指導に近かった。

    そして他にも、宝塚―尼崎間のダイヤがあまりに過密すぎて遅れが常態化していたこと、現場カーブへのATP-Sの設置が遅れていたことが問題となった。

    JR西は、利益追求のためにスピードアップと職質の過剰な締め付けを行う一方で、安全投資を怠り、現場の意見も上がりにくく、ミスを報告しにくい組織になっていた――さまざまなところで指摘されてきた「組織風土」「企業体質」の問題を、事故調査委員会は丹念な聞き取りや資料調査で具体的に指摘した。


    4 組織改善に向けた協同
    事故後、JR西の新社長となった山崎正夫。彼は子会社から呼び戻され、JR西で初の技術屋社長となった。しかし兵庫県警からの在宅起訴を受け、3年5ヶ月で社長を退くこととなった。
    山崎とたびたび対話していた淺野は、「責任逃ればかりしてきた役員たちとは違う」と感じていた。そして、事故調最終報告が出てから考え続けてきた構想を話した。遺族の代表者とJR西の関係者、それに中立的な学識経験者を加えた三者による事故の共同検証委員会の設置である。「組織的・構造的問題を具体的に解明し、安全を再構築するために」と、検証委員会の設置を求める要望書を、4.25ネットワークからJR西へ、4月に提出していた。

    「被害者と加害者の立場を超えて同じテーブルで安全について考えよう。責任追及はこの際、横に置く。一緒にやらないか」淺野は山崎にそう語りかけた。

    しかし、09年9月25日、今までの調査の根底を揺るがす重大な不祥事が発覚した。福知山線脱線事故の調査に当たった事故調委員の山口浩一が、調査対象であるJR西の社長、山崎に報告書の内容を公表前に漏らしていたというのだ。これをきっかけに、自己調査や捜査に対するJR西の工作が次々と報道などで明らかになった。
    ・議事録未提出
    ・鉄道部会長への接触
    ・意見徴収会の公述人依頼
    ・供述内容の口裏合わせ

    山崎はつぎのように釈明した。
    「事故当時の混乱の中で社長に就任し、孤独な手探り状態から始めざるを得なかった。報告書の内容によっては、今後の社の方向性が変わるかもしれないという危機感があり、国鉄一家の絆に頼って、思慮に欠けた愚かな行動をしてしまった」
    山崎は就任後社内で孤立しており、自分一人でなんとかしないとと必死になって、組織防衛に走ったのだ。

    一連の不祥事は、最終報告書の事実性・公正性への疑い、事故調そのものの中立性の疑問視、そして山崎自身への信頼を崩れさせる結果となった。

    山崎の過失責任をめぐる裁判は12年1月11日に無罪の判決が言い渡された。「予見可能性の程度は相当低く、注意義務違反は認められない」と、山崎の主張がほぼすべて認められる内容だった。一方で裁判長は、JR西の安全対策について「リスク解析やATS整備のあり方に問題があり、大規模鉄道事業者として期待される水準になかった」と批判した。

    淺野が山崎に構想を語った共同検証委員会・「課題検討会」は計16回に渡った。その後、課題検討会の成果を踏まえ、淺野ら遺族とJR西、安全問題の専門家たちが今後の安全対策を議論・提言する目的の「安全フォローアップ会議」が開かれた。同会議は11回に及び、組織事故の構造を明らかにしたうえで、ヒューマンエラー非懲戒、リスクアセスメントの充実、第三者機関による外部監査などを提言。「追悼と安全のつどい」で淺野が総括した。
    2016年には鉄道事業者としては初の「ヒューマンエラー非懲戒」の新制度がスタートした。

  • 2005年に起きた福知山線脱線事故。
    脱線してマンションに列車が突っ込み、見るも無惨な様子で横たわる様子を今でも覚えている人は多いと思う。
    この事故で100名以上の命が失われたわけだが、そのある遺族が遺族という枠を超えて、JR西日本と一緒になって本気の組織改革を成し遂げる様子が描かれている本である。
    この事故はたただのヒューマンエラーではない…以下の4つの要因が複雑に絡まり合って起こってしまった、偶然ではなく必然的に起こった事故だと訴えている。
    ① 高速化を追求しすぎたが故の無理なダイヤ編成
    ② 非常ブレーキ蔵置(ATS-P)の設置遅れ
    ③ 安全管理体制
    ④ 日勤教育(過度な罰を与える不適切な社員教育)
    この4つの問題も最終的に根っこは同じところに行き着くわけだが、それが旧国鉄時代に培われてしまった隠蔽体質である。この組織風土が一番の問題だった。
    自分も比較的大きな会社に勤めているので、組織風土が簡単に変わるものだということは良くわかっている。これを事故の遺族とともに変えていく姿、取り組みというものは非常に心打たれるものがあった。
    今でこそ、不適切な社員教育やヒューマンエラーを責め立てるような犯人探し、吊し上げ的なことをする会社は少なくなってきていると思うが、このJR西日本の事故後の歩みがその一翼を担っていることは間違いないだろう。
    失敗することを攻めるのではなく、失敗することを前提にしてシステムや環境、ルールを整備していくことの大切さを改めて感じた。
    組織に属する人間であれば、読んで損はない本だと思う。非常に勉強になった。

  • 最悪の大事故の原因は、企業風土・膠着的な組織がもたらした?

    【感想】
     なぜ、福知山脱線事故は起こってしまったのか。それには、JR西日本の膠着的な企業風土が起因していた。短期的な賞罰教育と、常に内向きの理論で意思決定を行ってしまう大企業。そのために、過去にあった事故から、再発防止の仕組み・育成方式を作り上げることができていなかった。自社の責任から目を背け、外部や特定の個人に問題を擦り付けようとした。作中に筆者も取り上げているが、まさに「失敗の本質」で語られているような、旧日本軍的な空気による支配・意思決定が横行する組織となってしまっていたのである。107人もの死者をもたらした未曽有の大事故は、その空気的な企業風土が最悪の結果として結実したと言える。

    【本書を読みながら気になった記述・コト】
    ■大企業の組織的風土を変革していくことの難しさ。保守的になり、社会や消費者のことに目を向けられなくなる難しさ

    ■家族の大切さ。福知山脱線事故によって、大切にしていた家族を突然失った。家族のハブとなっていた母が亡くなってしまい、子どもや夫の関係性がより希薄になってしまった。家族の中に暗い影が落ちたこと

    ■事故でパートナーを失った女性が、後追い自殺をしてしまったこと。大切な人を亡くす辛さ。誰にでも起きうることだが、本当に辛く、苦しいものである

    ■独りで生きていく寂しさ、辛さ。最後は皆独りで死ぬことになる。そのこtに、どう向き合うか

  • 福知山線事故の遺族、JR西日本との闘いを追ったノンフィクション。

    人的責任ではなく、企業本体の闇に光をあて
    改善していく長い長い闘い。

    ヒューマンエラーで片付けてはいけないという事が、良くわかる。

  • 福知山線脱線事故の被害者の目線から事故を追ったルポ。

    事故で、妻と娘を失った淺野さんは、JR西日本を感情的に弾劾するのではなく、二度とこのような事が起こらないように、事故が何故起こったのか、二度と起こさない為にどうすべきか、というスタンスで西日本に接する。

    民営化による利益追求。阪急など強い私鉄との熾烈な競争。過激なサービスの向上は結果として、安全面を犠牲にする事になる。

    資本主義、利益追求のなか、人の命を預かる基幹業務との安全性をいかに意識しなければならないか。

    官僚的な大規模な組織は硬直し、現場でも責任の所在は曖昧に。失敗すると個人が責められる。

    最近はヒューマンエラーを責めない会社が増えて来ているとの事。
    人はミスを犯すものだからこそ組織的な安全の仕組みが必要だ。

    何よりも前半の事故の生々しい描写、悲惨な様子に衝撃を受ける。

    筆者は長年淺野さんの近くに居たとの事。
    だが、そんな筆者も淺野さんのスタンスを図りかねてこの本をどうまとめれば良いかわからない時期があったとの事。

    想像もしなかった事に出会い、一瞬で大切なモノを失う。
    当事者としても整理がつく事はないのでは、と思う。
    その中で今までの活動の延長で事件と向き合う。
    社会性の面とプライベートのどうしようもない喪失感が、カオスの様に個人の中でも渦巻いてあるような状況なのではないのだろうか。

  • 死亡者数107人、負傷者数562人を出した福知山線脱線事故を題材にしたノンフィクション。
    著者は、元神戸新聞記者で現在はフリーランスのライター。
    この事故で最愛の妻と妹を失い、娘が重傷を負うという悲痛な体験をした都市計画コンサルタントの淺野弥三一氏の「肩越し」に、淺野氏ら遺族会とJR西との闘いを追った書です。
    この種の本は、加害者(ここで言うJR西)を断罪して終わることが多い。
    だが、本書はそうではありません。
    JR西を真に安全を最優先する組織に変えようという淺野氏に共感し、そこからブレずに文字通り1つの軌道を走ります。
    はじめは通り一遍の謝罪でその場をやり過ごし、事故の責任を運転士1人に負わせたJR西。
    だが、淺野氏ら遺族会の粘り強い交渉で、利益重視偏重や極端なトップダウンなど組織的な問題であることをJR西に認めさせます。
    そして、遺族会とJR西が同じテーブルに着き、お互い納得のいく、合理的で実効性のある安全対策を立案するに至るのです。
    そこがまずもって本書の大きな読みどころでしょう。
    これは、淺野氏ら遺族会の地道な努力によるところが大きい。
    ただ、それだけではJR西という巨大な組織を変えることは難しい。
    実は、事故後に社長に就任した山崎正夫氏の存在が大きかったと本書は指摘します。
    事務屋の指定席だった社長ポストに、技術屋として初めて就いたのが山崎氏。
    同じ技術屋として、淺野氏も「話せる相手」として山崎氏に信頼を置きます。
    これが先述した安全対策へと結実するのです。
    いろいろと考えさせられる逸話です。
    懲罰的な日勤教育は、実は事故の抑止にはほとんど効果がないなど、安全について考えるうえでも本書は非常に有用です。
    ぜひ多くの方に読んでいただきたい1冊です。

  • ニュース映像を見て絶句した福知山線脱線事故。事故のその後と、その要因を被害者家族の一人を起点に書き上げたノンフィクション。
    こういった大企業が起こした事故についてのルポは犯人が誰かということに終始することが多い気がするけれど、本作では趣が異なる。
    もちろんJR西日本が当事者として一番の責任があるのは間違いないけれど、被害者遺族にもこの事故を社会化させ、二度とこのような惨事を引き起こさないようするために会社と一丸になって問題の抽出と事故の教訓を引き出すのが責務があるとしている。
    妻と妹を失いながら、そのような冷静な判断と行動ができる本作の遺族に畏敬の念を感じる。
    ニュースでは懲罰的な日勤教育ばかりが問題視されていたと思うけれど、ことはそれほど単純ではなく、会社の成り立ちや地域性、国の政策等が絡み合った結果このような事故が引き起こされたのだと気付かされた。

  • インフラを扱う一人にとって、吉村昭著の高熱隧道に並ぶ、重要な作品となった。
    淺野氏及び事故被害者の方々には心からの追悼の意を表すると共に、淺野氏の行動に、大きく心を揺さぶられた。
    JR西はもとより、社会インフラに関与している全ての人が、本書から訴えられる安全に対する意識を持ち、何度も反芻しながら業務に従事することが出来れば、と思う。
    この気持ちを拡げて周囲を巻き込む事が、淺野氏や著者への恩返しになるのではないか。
    終わりなき旅だが、不断の努力はきっと意味がある。

  • 【あらすじ引用】
    乗客と運転士107人が死亡、562人が重軽傷を負った2005年4月25日のJR福知山線脱線事故。
    妻と実妹を奪われ、娘が重傷を負わされた都市計画コンサルタントの淺野弥三一は、なぜこんな事故が起き、家族が死ななければならなかったのかを繰り返し問うてきた。
    事故調報告が結論付けた「運転士のブレーキ遅れ」「日勤教育」「ATS-Pの未設置」等は事故の原因ではなく、結果だ。
    国鉄民営化から18年間の経営手法と、それによって形成された組織の欠陥が招いた必然だった。

    まだ記憶が十分に新しい福知山線の脱線事故。既に14年も経っていたんですね。
    脱線した上にマンションに突っ込み、多くの人命が失われた前代未聞の大事故でありました。
    東京でも2000年に営団地下鉄で脱線衝突事故が有り、5人の人命が失われました。人数で比較するものではありませんが、福知山線では107人の命が失われるという未曽有の大事故でした。
    当時のニュースを思い返すと、運転手の暴走でカーブを曲がりきれなかった事によるものという印象でした。ともすれば、個人のミスによるものであるという認識が有ったかもしれません。
    しかしこの本を読むと、JR西日本の企業としての負の蓄積が噴出した起こるべくして起こった事故であったとわかります。
    井出会長が良くも悪くも剛腕で牽引し、赤字を出さない為に叱咤してここまで持って来たという自負、また崇め奉る事により誰も意見を言えなくなり、現場サイドの危険への意識を吸い上げることなく、ひたすらトップダウンでしかない一方通行の経営方針が現場の考える力、判断力を奪った。
    ミスに対して懲罰を与える事により、ミスを隠ぺいする体質が根深く出来上がってしまい、小さなトラブルの内に危険の萌芽を摘み取る事が出来なかった。
    収益重視の経営方針を推し進めた事によって、車両の増加、高速化を推し進め、それに比して安全対策がなおざりになっていた。

    そんな事故に家族が巻き込まれる事になった浅野氏は、都市開発、計画を長年に渡って手がけてきた人物です。事故に遭われたのは非常に気の毒では有るのですが、彼の妻子がこの事故に巻き込まれた事によって、JR西日本という会社の問題点が浮き彫りになり、最終的に同社の今の姿があるのだろうと思います。ある意味JR西日本の大恩人とも言えます。

    懲罰ありきで個人に責任を帰する風潮というのは、もしかして日本の根本的な問題なのではないかと思いました。スキャンダルにマスコミだけではなく一般市民まで群がり吊し上げ、責任を取らせるのではなくひたすら追い詰め辞めさせる。そして根本的な原因は置き去りになる。重大な問題がどんどん深い所に隠されていくのではないかと懸念されます。
    この本でも書かれていますが、ヒューマンエラーというのは原因ではなく、結果なのでさらに遡った要因を見つけなければ解決しないと思います。

  •  テスラの自動運転の死亡事故は、本来ブレーキをかけるべき運転者が前を見ずにスマホいじっていたのが原因だ。
     交通業界にいる身としては、お粗末すぎると思った。

     自動運転の技術革新が目覚ましく、世界中で開発競争が激しい。
     この新技術での遅れは、その国の科学技術が世界から遅れることに直結している。
     ということは理解している。

     翻って鉄道業界は、外部からではほとんど分からないほど変わらない技術だ。
     だがもし、テスラの事故と同じことを鉄道がやらかしとすると、社会の目は自動運転とは比べ物にならないほど大きい。
     トライ&エラーとか言ってられない、100%の安全が求められるのが鉄道業界だ。
     だから、新技術もひたすら何年もモニターラン・コントロールランを繰り返して、ようやく世に出せる。
     世に出るころには、すでに技術的には遅れていても必要なステップだ。

     13年前、107人の死亡者を出した列車脱線事故。
     平成の世にこんなことが起こるのか日本ヤベーなと思っていたが、鉄道業界の技術部門に入った身としては、起こりうるというのが現在の認識だ。 
     死亡者数の裏には、表には出てこない残された人たちの人生が隠れている。
     突然に家族を奪われた怒りと絶望がある。

     次はうまくやります。トライ&エラーです。なんてことを、人を殺すことがある業界は言ってはいけない、考えてはいけない。
     絶対安全じゃなければいけないのだ。

     便利、コストダウン、技術革新、未来の技術、そんな目先のきれいごとで交通業界が守るべき安全をないがしろにしてはいけない。
     新システムが人を殺す。
     技術者はそのことに恐れなければいけない。

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著者プロフィール

1970年、大阪府生まれ。神戸新聞記者を経て、現在はフリーランスのライター。関西を拠点に、政治・行政、都市や文化などをテーマに取材し、人物ルポやインタビュー、コラムなどを執筆している。著書に「第41回講談社本田靖春ノンフィクション賞」を受賞した『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』(東洋経済新報社、のちに新潮文庫)をはじめ、『誰が「橋下徹」をつくったか――大阪都構想とメディアの迷走』(140B、2016年度日本ジャーナリスト会議賞受賞)、『日本人のひたむきな生き方』(講談社)、『ふたつの震災――[1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』(西岡研介との共著、講談社)などがある。

「2021年 『地方メディアの逆襲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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