経済論戦は甦る

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  • 東洋経済新報社
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  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492393864

作品紹介・あらすじ

日本経済の低迷からの脱出策をめぐって、百家争鳴・甲論乙駁の論争が行われている。本書は、まるで小説を読むように、楽しみながら経済論争の論点を学べる。

感想・レビュー・書評

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  • 2002年発行だが、2017年に読んでも状況が変わっていないことに驚く。

  • あなたはデット・デフレーションのフィッシャー派? 清算主義、創造的破壊のシュムペーター派?

    経済学の考え方はいろいろあるのだが、この2つの考え方を対比させてみるのが現状の経済論戦を俯瞰するには適している。
    この二つの経済理論を軸に整理をしてみようという本。

    整理してより明確になることだが、大恐慌のころからこの2軸の論戦はあり、いまだ明確な決着はついていない。
    これをどうとらえるか。どちらも正しいが、どちらの論を取るべきが状況把握が難しいととるか、この2軸論戦そのものが無駄と取るか…。

  • 33冊目。
    【要旨】創造的破壊と金融緩和(リフレ)の対立について。世界恐慌時にはシュンペーターに代表される創造的破壊によってはデフレ不況を脱し得ず、フィッシャーに代表される積極的な財政金融政策(リフレ)によって脱した、という著者の経済史的考察をもとに、現代日本を取り巻くデフレ不況の処方箋として小泉政権の構造改革路線は不適切であるという主張が展開されている。
    【感想】本文中でも指摘されていることだが、日銀が長らく低金利政策を続けている現状でのリフレというのはどのようなものになるのかいまいちイメージがわかない。本当にマクロ経済学は思想そのものというか、真理の見えない、いや存在するのかどうかさえわからない代物だなと。

  • 「創造的破壊」を唱えるフィッシャーと、「デッド・デフレーション」の理論のシュムペーター。積極的な財政金融政策で不況を解消すべき。

  •  金本位制のもとで起こった大恐慌
     まず、あとの場面の意味がわかりやすくなるように、大恐慌が起こった時代の世界経済の仕組みと、大恐慌が起こったメカニズムとを簡単に説明しておこう。最近は「インフレ目標」のように、大恐慌のときにはじめて用いられた経済政策が、平成不況の処方箋として持ち出されることもあるが、それが本当にいまの日本で有効かを考えるためにも、いまと当時の、経済の仕組みの違いを認識することが必要である。
    金本位制の第一の性質
     ということで、今日との大きな違いをみると、大恐慌が勃発する一九二〇年代から三〇年代ごろまでは、主要国は「金本位制」を採用していた。これは、必ずしも、金貨だけが支払手段であったという意味ではない。製造コストの点でも、携帯の便利さの点でも、金貨よりは、紙幣、硬貨、小切手の書ける当座預金のような「信用通貨」のほうが便利だから、こうした「信用通貨」を支払手段として使う一方で、その「信用通貨」を一定のレートで金と兌換することを政府(中央銀行)が保証するというのが、「金本位制」 の仕組みだった。
     より具体的にいうと、中央銀行は、「現金」と「中央銀行におかれた当座預金勘定」を合計した「マネタリー・ベース」に対応する「金準備」を持ち、一定の交換レートで免換の要求に応じる。しかし、マネクリー・ベースに対して、つねに一〇〇%の金準備が持たれていたわけではない。通常は、金準備率の下限が四〇%ぐらいと決められていた。簡単な例を使って説明するとこうなる。
    いまここに、J00キけロの金塊が日銀の金庫にあったとしよう。日銀は、金の価格を一キロ=一億円と評価していたとする。したがって、金庫のなかにある一〇〇キロの金塊は、日銀の一〇〇億円分の金準備というわけだ。すると日銀は、J00億円の金準備に対して、二・五倍にあたる二五〇億円まではマネクリー・ベースを増やすことができる。なぜなら二五〇億円のマネタリー・ベースの四〇%が、ちょうど一〇〇億円という金準備の価値に等しいからだ。マネクリー・ベースは一国のマネー・サプライを決めるのに重要な働きをするから、これは金本位制のもとではマネー・サプライの規模が拘束されていることを意味する。これが、金本位制の持つ、第壷目の重要な性質である。

     金本位制の第二の性質
     ここでもう一つの国を話に入れることにしよう。それをアメリカとする。そこで、アメリカの中央銀行である「連銀」も、やはり一〇〇キロの金塊を持っているとする。連銀は、一キロ=一〇〇万ドルの価格で金塊を評価している。したがって、100キロの金塊はアメリカの表ドルの金準備である。同じ一キロの金塊が、アメリカでは一〇〇万ドル、日本では一億円というわけだから、ドルと円の交換レートを考えた場合、一〇〇万ドル=一億円、すなわち一ドル=一〇〇円という為替レートが算出される。これが公定相場である。
     公定相場は、すぐ後でみるように、現実の為替レートに影響をあたえるが、現実の為替レートそのものではない。現実の為替レートを決めるのは、外貨の売買を実際に行う為替市場である。そこで、為替市場に目を移すことにしよう。
     いま、一ドル=一〇〇円という、この公定相場のかわりに、為替市場ではかりに、一ドル=五〇円という、公定相場の半額の円でドルが買える為替レートがついていたとしよう。つまり、為替市場は、公定相場とくらべて、ドルが安く、円が高い。ドル安・円高である。そうであったとすれば、いったい、何が起こるだろうか?
     こんなときには、リスクのいっさいない、ポロ儲けができる。つまり、一ドル=五〇円の為替レートが成立している為替市場で五〇億円を出して一億ドルを買い、それでアメリカの連銀から一〇〇キロの金塊を残らず買い取る。つぎにその金塊を日本に輸出するわけだ。そうすると、日銀は一キロ当たり一億円、一〇〇キロなら一〇〇億円で金を買い取る公約をしているから、そのとおりに買いとってもらって一〇〇億円を手にする。つまり、この取引によって、五〇億円の元手が一〇〇億円になる。しかしこれでは、金が日本に輸出されて、アメリカの連銀の金庫には金塊が空になり、アメリカは金本位制を続けていけない。
     もう一つ。今度は打って変わって、為替市場では一ドル=二〇〇円というような、公定相場とくらべて、ドル高・円安の為替レートが成立していたとしよう。何が起こるか?
     このときは、逆の方向に金を輸出すれば、やはりリスクのないポロ儲けができる。つまり、為替市場では一ドルが二〇〇円になるわけだから、五〇〇〇万ドルを出して一〇〇億円を買い、それで日銀の金庫にある金塊を残らず買い取り、アメリカに輸出して、連銀に売りつければよいのである。アメリカの連銀は一〇〇キロの金魂を一億ドルで買う約束だ。だから、これで元手の五〇〇〇万ドルが、その倍の一億ドルになる。
     つまり、金本位制のもとでは、川金の輸送費がこうした金塊の輸出をともなう取引が割に合わなくなるほど高い、か、そうでなければ、?金の輸出が禁止されている、のどちらかでないかぎり、為替市場では公定相場より大幅に安くなった通貨を持った国からは、金が流失する。だから、為替レートを公定相場から大きくはずれないようにしないかぎり、金本位制は維持できないわけである。ようするに、世界経済において金本位制が維持されるかぎり、為替レートは公定相場の近傍の値をとり、安定的になる。これが金本位制の持つ、第二番目の重要な性質である。
    金本位制の第三の性質
     為替レートがほぼ固定されることは、各国の物価水準にも影響を持つ。いま話をわかりやすくするために、日本もアメリカも、何か一つの同じ商品、たとえば、「ボールペン」だけを生産していたとする。はじめの状態では、「ボールペン」 の価格は日本では一〇〇円、アメリカでは一ドルだったとしよう。このとき、一ドル=一〇〇円が公定相場であり、同時に為替市場で成立している為替レートであったとしてみよう。そうであるなら、「ボールペン」は両国でまったく同一価格になるから、何の不都合も生じない。この場合、「ボールペン」という同じものが世界中で同じ価格で売られることになるが、その状態を指して 「購買力平価条件が成立している」ともいう。
     ところがいま何かの事情で、一ドル=一〇〇円という公定相場と為替レートは変わらないが、日本にインフレが起こって、「ボールペン」の価格が二〇〇円まで上がったとしよう。一ドル=一〇〇円の為替レートのもとでは、一ドルのアメリカ製「ボールペン」を日本において一本=一〇〇円で売っても、もとがとれるのだから、アメリカからの輸入が急増し、日本製品はまったく売れなくなる。アメリカからの輸入の支払いにはドルが必要となる。そのドルを為替市場で購入するために、ドル買いの需要は強くなる。ところが、日本からは輸出してドルを稼ぐことができないために、ドル供給は少なくなる。為替市場では需要が多く、供給が少なくなったドルの価値が上がって、ドル高・円安の傾向が生じるわけである。
     ところが、一ドル=一〇〇円という、公定相場から大きくはずれて、ドル高・円安になるならば、先ほどみたように、日本の金準備が大量に流失する。日銀はそれをストップするような政策を打たなければならない。「ボールペン」の価格が二〇〇円にもなるインフレが問題の根本なのだから、今度はデフレを起こして、「ボールペン」の価格を一〇〇円に戻す必要があるわけである。そのためには、マネタリー・ベースを縮小させなければならない。
     というわけで、金本位制度は、高インフレ国に金流出の圧力をかけて、高インフレ体質を改めさせる効果もある。金本位制度のもとでは、物価水準が比較的安定していたといわれるのはこのためだ。これが金本位制度の持つ第三番目の重要な性質である。
    世界各国は続々と金本位制へ復帰
    しかし、ここからが大事なのだが、緊急に財政支出を増やさなければならない場合、または国内不況が深刻な場合、政府はマネクリー・ベースを増大して、なおかつインフレを放置せざるをえないことがある。じつは、二〇世紀が進むにつれて、金本位制の存続がむずかしくなった理由はこれである。
    第一次世界大戦 (一九一四〜一八年) がその転換点だった。
     五年にも及んだこの巨大な世界戦争を遂行するために、各国とも財政支出が膨張した。しかし、徴税の仕組みをそれにあわせてレベルアップすることができなかったために、いきおい財源を求めて、国債の中央銀行引き受けが行われた。つまり通貨が増発されたのである。一方で生産は増えないので、生産にくらべて過剰なマネー・サプライが、インフレを生んだ。こうなると、金本位制を続けていたのでは、金がどんどん流失するから、第一次世界大戦にかかわった主要国は、つぎつぎと金本位制を離脱した。金の免換を停止するか、または金の輸出を禁止したわけである。
     第一次世界大戦が終了しても、金本位制の停止はしばらく続いた。戦争が終われば終わったで、復興費、賠償金、戦時債務の返済、などの財政支出を膨張させる材料はある。しかも、物価水準も膨張していたので、早急に金本位制へ復帰することはむずかしかったのである。
     ところが、金本位制がなくなってみると、為替レートは変動するし、インフレ率も高くなる。ドイツやフランスのように、ハイパー・インフレや高率なインフレを経験する国も出てくるなど、いろいろな問題が発生した。そのため、先進国では、金本位制への復帰を望む声が日増しに強くなってきた。
    これを受けて、一九一九年のアメリカを皮切りに、一九二四年のドイツ、一九二五年の英連邦、一九二八年のフランスと、主要国は続々と金本位制に戻る。
    旧平価解禁ではデフレが起こる
     最後に日本だけが残された形になったが、その日本も、一九三〇年一月、つまり前年一〇月にウォール・ストリートの株価大暴落が起こり、世界経済がすでに不況に突入した段階になってから「金解禁」、つまり金輸出を再自由化する政策を発令した。あとでみるように、日本における政策論争の焦点は、まさにこの判断の是非にあった。このとき、第一次世界大戦前の旧公定相場、つまり、かつてと同じ金の党換レートによって金本位制への復帰が行われたが、それが問題であった。というのは、金本位制を離脱していた期間におけるインフレの進行に、国ごとの大きなばらつきがあったからである。
     先ほどの 「ボールペン」 の例でいうなら、アメリカのインフレ率はゼロで、「ボールペン」は一本=一ドルである一方で、日本では一〇〇%のインフレが進行して、一本=二〇〇円になったような場合を考えればよい。このとき、為替レートが一ドル=一〇〇円ではなく、一ドル=二〇〇円という大幅な円安になっていたなら、アメリカで一ドルの 「ボールペン」は、このレートで挽算して、日本では二〇〇円だから、日本の二〇〇円の 「ボールペン」が競争力を失うこともなく、貿易上の問題はない。
     
     もちろん、一ドル=一〇〇円の公定相場にしたままで、金の輸出を自由に認めれば、これだけ為替レートが円安になった場合、日銀の金の在庫はなくなる。だが、金輸出が禁止されていれば、この為替レートでも問題はないわけだ。
      しかし、どうしても金輸出の解禁をしたいというのなら、一つの方法がある。金の兌換レートを一キロ=一億円から、一キロ=二億円へと引き上げればよいのだ。この再評価によって公定相場も一ドル=二〇〇円となるから、一ドル=二〇〇円という購買力平価条件が成立する為替レートと一致する。
     だが、あくまでも、金評価を一キロ=一億円にしたままで、どうしても金輸出を解禁しようとするならば、そのままでは金の流失が起こるから、あまりよい手段とはいえないが、先ほどみたように、マネタリー・ベースを減らし、デフレを起こして、「ボールペン」 の価格を無理にでも現状の二〇〇円から一〇〇円まで引き下げる以外に残された方法はない。これがあまりよい手段ではないというのは、デフレを起こせば不況になるからだ。
     金本位制を離脱した国から回復した
    一九二五年に、イギリスの蔵相ウィンストン・チャーチルが、第一次世界大戦前の金の党換レートで金本位制に復帰する決定を下したとき、ケインズはそれを批判した。その批判はまさにこの点に向けられていた。
     ケインズの計算によれば、旧金兌換レートに戻るためには、イギリスの国内物価水準を一〇%から一五%くらい引き下げなければならない。もちろん、「商品価格」、「家賃」、「賃金」などを同時に同率で引き下げられれば、誰も揖をせず、不況も生じない。しかし、物価の同時調整は現実には困難である。とくに、「賃金」 の引き下げがきわめて困難なことは知られている。したがって、「商品価格」の引き下げができても、「賃金」は据え置きとなる。そうなると、労働力を雇用するコストは割高となるから、解雇が進む。そういう理由で、旧金党換レートで金本位制に復帰すれば不況になると、ケインズは予言した。実際、その予言どおりになった。
     金本位制への復帰により、もう一つの憂慮すべき問題が生じた。そもそも、一九二九年一〇月に起こったウォール・ストリートの株価大暴落をきっかけにした世界不況に歯止めをかけるためには、金融緩和によるマネー・サプライの増加が必要であった。つまり、マネー・サプライの増加は、物価上昇を引き起こすが、失業が深刻なときには、賃金はすぐに上昇しないので、労働力が割安になって雇用が回復するのである。
     ところが、世界不況が起こった時点で、主要国はすでに金本位制に復帰していたのだから、先ほどみたように、マネー・サプライを増やそうにも、そのきっかけとなるマネタリー・ベースの拡大ができない。これが憂慮すべき問題というわけである。で、どうなったか? 主要国は、不況対策を模索する過程で、つぎつぎと金本位制を再停止した。それによって、金融政策のフリーハンドを獲得した国から順番に、不況を克服したのである。これが、「大恐慌」 が克服された経過である。
     さて、これだけの準備のもとで、大恐慌のもとで起こつたいくつかの出来事をみていくことにしよう。
    ベルリン、一九三一〜三二年、
    一九三二年の秋ドイツの首都ベルリンの国会議事堂にある一室。これから、社会民主党の方針を決める重要な政策会議が開かれようとしている。緑色のカバーがかかった馬蹄形の大きなテーブルを囲んで、真ん中には、議長をつとめる社会民主党委員長、オットー・ヴエルスが座っている。左手に四〇人のドイツ社会民主党議員団。右手には、社会民主党傘下の労働組合、ADGB(労働組織一般連合) の同じく四〇人の代表が陣取っている。
     ドイツ最大の労働組合でもあるADGBには、当時、全労働組合員の八割が加入していた。会議を待つ一同の注意は、「党」と「組合」をそれぞれ代表する二人の人物に向けられている。
     先駆的な「ケインズ的政策」を提案
     この二人の高名な経済理論家のあいだで闘わされる論争には、社会民主党にとってだけではなく、ドイツ全体にとっても重要な意味があった。労働組合の側からは、丸顔に眼鏡をかけ、ふさふさした口髭を蓄えた小柄な人物が、みずからの提案を持参してきている。ウラディミール・ヴオイテンスキー(一八八五〜一九六〇)。ユダヤ系ロシア人のこの経済学者の半生は、「闘争」に明け暮れた。
     かつて一〇年以上にもわたってロシア皇帝への政治闘争を行い、シベリアで長い「収監」を経験するが、一九二年の第一次ロシア革命により帝政が崩壊したのちは、穏健派となり、今度はレーニンの率いるボルシエヴィキ運動と闘う。ついにレーニンが全面勝利すると、亡命して、この時期にはADGBの統計局長と経済顧問をつとめていた。一九二二年から一九二五年にかけての『数字で見る世界経済』という七冊からなる大著は、全世界で大きな反響を生んだ。のちにアメリカに移住してジョンズ・ホプキンス大学の教授になる。
     ヴォイテンスキーは一九二九年の初めから、季節変動要因を除去したドイツの失業率が急激な上昇を示していることに注目していた。失業対策は、ロシア時代からの彼の得意分野であったが、このとき、ADGB上層部の支援のもとで、独自の失業対策を発表する。その柱は、一〇〇万人規模の失業者の雇用を目的とした公共事業であった。しかも、それを実施するための財源は赤字国債の発行でまかなうという先駆的な 「ケインズ的政策」 である。
     当時のドイツにおいてはデフレが急速に進行している。経営に行き詰まった商店や工場が商品を投げ売りする一方で、消費者は物価がさらに下落すると予想して買い控えをする。その結果、実際に、物価はますます下落する。それでも、賃金だけはあまり低下しないので、割高となった労働力が解雇されていく。ヴオイテンスキーは、不況の背後にあるこのようなメカニズムを観察して、需要を経済に注入する政策によって、とめどなく続くデフレ・スパイラルに歯止めをかけることができると確信した。その具体策として公共事業が浮かび上がったのである。
    マルクス以来最大のマルクス経済学者
     さて、社会民主党からも、その立場を代表する一人の経済理論家がきていた。やがてナチスの強制収容所で非業の死を遂げることになるこの人物の表情には、どこか沈鬱で物悲しげなところがあった。
    眼鏡の向こうの鋭い眼は相手を静かにまっすぐに見据える。それで、多くの者は抵抗するカを奪われてしまう。だが、今日はその眼が敵意に燃えていた。
     これまでの慣習によれば、「組合」は「党」 の出した方針に忠実に従うことになっていた。それを、今度は、「組合」 から 「党」 に対しての指図である。しかもその指図たるや、党のなかで権威を認められた自分の方針をまったく無視したものだ。ことの成り行きは、マルクス以来の最大のマルクス経済学者と自他ともに認めるこの人物にとって、さぞかし許しがたいものだっただろう。
     ルドルフ・ヒルファーディング (一人七七〜一九四一)。資本主義の発展とともに、産業を支配する権力は 「銀行」 に集中する。したがって、「銀行」を支配できれば、社会主義への移行は暴力革命なしに可能になる、という彼の古典的名著『金融資本論』 の基本テーゼは、「ユニバーサル・バンク」の機能を備えた銀行が、貸し手として、また株主として重要な支配力を持つドイツ経済の特徴に根ざしたものであり、これまでも社会民主党の政策方針に影響をあたえてきた。
    一九二三年に八週間、大蔵大臣をつとめたのに続き、カトリック中央党総裁ハインリッヒ・ブリユーニング (一八八五〜一九七〇) を首班とする前内閣のもとでも大蔵大臣を再任しているが、一九二三年の任期中に、放漫財政によって発生したハイパー・インフレーション (一九二〇〜二三年)の事後処理で苦労をした経験からか、今度は打って変わって、大不況の最中に財政の舵取りをまかされるという第二回目の任期においても、財政媛和による景気刺激という発想には真っ向から反対していた。
     そもそも、ブリユーニング政権のとった経済方針は、徹底したデフレ政策、すなわち「金本位制」を堅持する一方で、割高な国内物価水準を強引に下方調整する。そのためには、財政支出を切り詰めると同時に、物価や貸金に対する政令を設けて、無理やりにでも引き下げを実行するというものだった。これを大恐慌の最中にやったのだから、ドイツの不況は深刻になる。
     じつは、ブリユーニングには、ある程度ドイツの経済状況を悪化させたほうが、第一次世界大戦の賠償金の見直しをめぐるフランスとの交渉が有利になるという計算があった。しかし、いかに辣腕で知られたブリユーニングでも、高名な経済理論家ヒルファーディングの全面的な協力を得なければ、デフレ政策の強行は困難だっただろう。
    一年前の激論
     ヴオイチンスキーが 「公共事業案」を公表して以来、ヒルファーディングとの仲は険悪になっている。ヒルファーディングを理論的権威と仰ぐ党は、ヴオイテンスキーの提案が「インフレーション」を招くという攻撃を、これまで機関紙を通じて行ってきたが、「ハイパー・インフレーション」 の記憶が生々しいドイツでは、この 「恐怖戦術」は効果があった。
     いま開かれようとする会議の約一年前にも、労働組合本部を舞台にして、二人は激論を交わしている。それは、一九三一年七月に、イギリスが「金本位制」 の離脱と、ポンド為替レートの切り下げを決めた直後のことである。「新事態」を迎えての党の方針を説明するために組合本部にやってきたヒルファーディングは、イングランド銀行の決定を「狂気の沙汰」とののしった。彼の憤慨は続く。
    「世界の金融の中心としての責任を放棄したことで、イギリス経済は回復までに一世紀を必要とするだろう。他の国は、イギリス抜きで世界経済を運営する必要がある。もちろん、ドイツは通貨を防衛しなければならない」。神のご託宣のようにその言葉に聴き入っていた者たちのなかで、ヴオイチンスキー一人だけがいかにも屈託がなさそうに、にやにやしていたが、突然、質問の手を挙げた。にあると考える労働者は、社会民主党を捨て、共産党やナチス党の支持に回っている。われわれは敗北しつつあり、もはや時間はあまり残されていない。だから、手遅れにならないうちに何かをしなければならない。われわれの計画は『何とか価値論』などというものとは、まったく関係がない。どの政党でもそれを実行できる。いや、どの政党かが、いずれ必ずそれを実行する。ただ一つの問題は、この計画を実行するイニシアチブをとるのが、われわれなのか、それともわれわれの敵なのかという
    ことだけだ」。
     だが、つぎに「ヒルフアーディングのいうことは間違っている・…⊥とヴオイチンスキーがいいかけたとき、それまで一言も発しなかった社会民主党委員長、ヴエルスが机をたたいて叫んだ。「ヒルファーディングのいっていることが開運っているだと! 君はヒルファーディングを嘘つきだというのか!」。党を代表する理論家が、多くの者の面前で批判されることが、ヴエルスには耐えられなくなったのである。
     たちまち、いたるところで怒声が飛び交い、会議は収拾がつかなくなる。結局、社会民主党は公共事業案を政策プログラムに採択しなかった。ヒトラー政権のもとで、大々的な公共事業が開始されるのは、それから一年足らず先のことであった。

  • 「創造的破壊」という構造改革主義の誤りと、リフレ政策の重要性を歴史的視点も絡めて解説している。こんなに面白い経済書は滅多にないと思う。

  • 日本は破産するとか、巨悪が蝕む小泉政権とかその手の半島系恐怖訴求マーケティングに騙されないためにも必読。構造改革路線の歴史的な論争の伽藍を理解できるだけじゃなく、レモン均衡とかホールドアップとか使えるコネタも網羅。使えるコネたってなんだw。橋龍が死に、小泉政権が終わろうとしている今だからこそ読むべきだと思う。総括の足がかりになることは間違いない。

  • 近ちゃん推薦

  • 依然として経済学の進路にとって重要な状況に立たされている日本。シュンペーターとフィッシャー、二人の経済学者の考えを元に、今後の日本経済の展望を探る。経済初心者にもおすすめできる。

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著者プロフィール

慶應義塾大学経済学部教授
1956年東京生まれ。81年慶応義塾大学経済学部卒業。86年同大学院経済学研究科修了。同年同大学経済学部助手。86年7月米国ロチェスター大学に留学、89年同大学経済学博士号取得。2019年より、経済財政諮問会議民間議員

「2020年 『WEAK LINK』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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