暴走する資本主義

  • 東洋経済新報社
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  • Amazon.co.jp ・本 (379ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492443514

作品紹介・あらすじ

私たちは「消費者」や「投資家」だけでいられるのではない。日々の生活の糧を得るために汗する「労働者」でもあり、そして、よりよき社会を作っていく責務を担う「市民」でもある。現在進行している超資本主義では、市民が労働者がないがしろにされ、民主主義が機能しなくなっていることが問題である。私たちは、この超資本主義のもたらす社会的な負の面を克服し、民主主義をより強いものにしていかなければならない。個別の企業をやり玉に上げるような運動で満足するのではなく、現在の資本主義のルールそのものを変えていく必要がある。そして「消費者としての私たち」、「投資家としての私たち」の利益が減ずることになろうとも、それを決断していかなければならない。その方法でしか、真の一歩を踏み出すことはできない。

感想・レビュー・書評

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  • 暴走は良くない。単車から降りなさい。

  • 何故かamazonにレビューがかけなかったのでメディアマーカーやブログなどを利用して本書の感想分?所感?を記載します。

    「グローバル経済は資本主義の純粋化の実験であった」として、「その実験が破綻した」と書いている。

    資本主義化で株主は利益を追求する。

    しかし、その株主は消費者でも有り、低価格を求める。その狭間で、企業は絶え間ないコストカットを強いられている。労働者の賃金は抑えられ、格差は拡大する。しかし、この労働者もまた消費者である。つまり企業も従業員も「みんながハッピー」という時代は終わった。

     企業が業務外の投資にのめりこんでいったのだが、、それがサブプライム危機で破綻した。ここでも、資本主義の限界にぶち当たった。

    大国の大企業の今後は、悲惨だ。消費者はより安いものを求めるし、株主の要求は、強い。

    しかし、先進国は、人件費がかかりすぎて、コストダウンにも限界がある。

    市場も成熟しているから、売り上げは伸びない。新たなパイは新興国に求めるしかないが、新興国では更なる低価格とコストカットが求められる。

     今の資本主義は、コストカットとコストカットによるしわ寄せを受けて購買力が落ちる、更に株式デイトレードゲームなどには増すことで更に自分が株式を買いながらコストカットに追いやられるという負の循環にはまっているということを感じました。

  • 原題は、Supercapitalism。グローバル化した今日の企業行動を批判している。キーワードは、民主主義と資本主義。
    安易に民主主義を語るところが、どうもあわない。

  • 資本主義の高度発達が、社会を蝕んでいるという主張
    多分当たっているけれど、代替案は見つけにくいんだ。

  • 著者は、クリントン政権で労働長官を務め、オバマ次期大統領の政策ブレーンでもある人物。
    その経歴や、日本語タイトルからは、共和党の金持ち優遇政策で暴走を続け一気に崩壊したアメリカ流金融資本主義を批判した本であるかのように思えてしまいますが、内容は全く違う。
    まず、原題"Supercapitalism"を「暴走する資本主義」という邦題にしたのがミスリーディングで、本の中では「超資本主義」と直訳されています。
    米国において戦後長らく続いた、古き良き「民主的資本主義」の社会が1970年代を境に変容し、企業はグローバルなサプライチェーンを展開し、生産性は急激に向上し、株価の爆発的な上昇を描く経済成長の時代、それが「超資本主義」の時代と呼ばれています。

    この超資本主義の時代における勝者は、消費者であり投資家である国民ひとりひとりである、と論じられます。
    消費者としての我々は、以前に比べて格段に選択肢の増えたモノやサービスを安価に手に入れることができるようになり、投資家としての我々は個人投資家として、或いは年金基金などを通じて株価上昇の果実を得ることができるようになった。
    超資本主義による恩恵の最大の受益者は、強力な力を与えられた、消費者そして投資家としての我々である、と。
    が、一方で消費者・投資家であると同時に「市民」であるところの我々国民は、超資本主義の弊害に苦しめられる存在でもあります。
    上がらない賃金、不安定な雇用、崩壊する地域コミュニティ、環境破壊、莫大な報酬を得る大企業CEOやウォール街の金融マンとの格差感・不平等感。
    政治にも商業主義が入り込み、企業ロビイストや弁護士、広報専門家が幅を利かせる。
    民主主義が機能しなくなっているという問題が生じている、と。

    超資本主義が生まれた要因として、一般的にはレーガノミックスによる減税や規制緩和が挙げられますが、著者の見方は異なります。
    冷戦が生み出した、輸送や通信に関する技術革新が実用化され、国境を越えたサプライチェーン構築が可能になった企業間に激しい競争が生まれたことが、その要因である、と。
    大企業CEOの莫大な報酬も、優秀な経営者を獲得するための企業間の熾烈な競争の当然の帰結であり、それを金満主義と批判・糾弾したところで溜飲を下げられるかもしれないが根本的な解決にはなりはしない。
    それよりも、消費者・投資家である我々が利益を求めれば求めるほど、市民としての我々の不利益や不満は溜まっていくという二面性の構造を自覚することが本質だ、と論じられます。

    著者の主張は、簡単にまとめれば上のような内容で、このことが豊富な実例の紹介をもって丹念に解説されていきます。
    きわめて客観的でバランスのとれた議論で、特に、我々のなかにあるアンビバレンスについては、自分も常々感じていたことなので、このように明解に説かれると嬉しくなってきます。

    米国を題材に議論が進められていますが、超資本主義の現象は、先進国では共通に見られるものであることは著者も指摘しています。
    日本においても、格差社会論や市場原理主義批判などが盛んに語られるなど、米国ほどではないまでも、同様の傾向を感じることができます。
    著者は、超資本主義への処方箋として、法人税を廃止する代わりに企業の(法)人格を否定し、人間のみが市民としての権利・義務を保有し、民主主義を個人に取り戻すことを唱えます。
    やはりポイントになるのは、我々国民ひとりひとりに政治の主体となる覚悟がちゃんと備わっているか否かなのでしょう。
    いくら政治家や官僚や大企業の振る舞いが酷いとしても、それをただ批判するだけで、我々自身が受け身の姿勢を脱することを心がけなければ、社会は変わらないのでしょう。
    自戒を込めて。

  • ・結果として、消費者と投資家は、より多くの選択肢とより良い条件を得た。しかし、富の分配を調整したり、市民たちの共通の価値観を守っていた制度は崩壊し始めた
    ・第二次大戦後、米国巨大企業のCEOは自らを「企業ステーツマン」と見なし、その責務を株主や従業員、一般市民の主張をバランスさせることだと考えるようになった
    ・規模の経済と20世紀半ばに栄えた民主的資本主義の終焉を急がせたもの(①グローバル化 と呼ばれるようになったもの、新しい生産方式の到来、規制緩和、②これに、金融の緩和が重なることで投資家は巨大投信や年金へ。これらの主体が企業への高収益圧力を高め、激しい競争を生み、その結果として人件費が削られる)
    ・新技術の興隆によって、安定的な生産システム⇒動きの早い多数の売り手が台頭
    ・ウェルチ就任前はほとんどのGE従業員は終身雇用
    ・消費者や投資家としてのすばらしい取引の一部は低い賃金・福利厚生水準に拠る
    ・我々は共犯者。市民としての私たちは相対的に力が衰えている
    ・我々は伝統的な地域社会が衰退するのに力を貸しながら、昔ながらの時代を懐かしむ
    ・カリフォルニアの心優しい公務員は、旧いヨーロッパに超資本主義を持ち込んでいる
    ・内なる市民が、内なる消費者・投資家に打ち勝つには、購入や投資を個人的な選択ではなく、社会的な選択にする法律や規制を作ること
    ・結局は、経済が構造的に変化して1970年代に始まった消費者や投資家獲得のための競争が激しくなっているということ
    ・競争がエスカレートした結果、政治的争いに参入するコストは上がり続けている
    ・投資家の圧力によりボディショップ創立者は顧問に追いやられ、ベン&ジェリーズはユニリーバに買収されてしまった
    ・企業が擬人化された特質を持つことにすると、人々は企業を人間のような存在と勘違いしてしまう。その結果人間に帰属している義務と権利が企業にも与えられている(納税の義務、政治のプロセスへの参加資格)
    ・解決策=政治の意思決定プロセスを巨大企業から市民に取り戻すこと → 企業献金の規制、ロビー活動などへの企業支出の規制

  • 思索

  • ●技術革新により資本主義は暴走するに至り、公共の利益を追求する市民としての私たちの力は格段に弱まってしまった。この超資本主義のもたらす社会的な負の面を克服し、民主主義をより強いものにするにはどうすべきかを論じている。

  • 経済・社会学の専門家による民主主義と資本主義について論じた本。民主主義社会でありながら、超資本主義にコントロールされる世界となっており、政治が企業を中心とした経済界の言いなりになっていることを批判している。CSRも結局は企業の都合で導入されていると述べている。説得力があり、ほとんど同意する内容ではあるが、これは米国の状況を言っているのであり、日本には当てはまらないと感じた。
    「ネオリベラリズム、新古典派経済学、新保守主義、あるいはワシントン・コンセンサスとさまざまな呼び方がされているが、これらの意味するものは自由貿易、規制緩和、民営化であり、より一般的には、政府よりも市場に、公正さよりも効率性に重きを置く考え方である」p15
    「私たちの大半は消費者であり投資家であり、そして、それなりに超資本主義から大きな恩恵を受けているということである。例えば、ウォルマートは多くの商品の価格を大幅に引き下げており、それが顧客の利益になっている」p16
    「アイゼンハワー大統領の経済諮問委員会委員長によると、米国経済の究極の目標は、消費財をどんどん生産することであった」p37
    「「グローバル化」「新しい生産方式」「規制緩和」の3つが規模の経済と20世紀半ばに繁栄した民主的資本主義の終焉を急がせたのであった」p81
    「コンテナは1950年代半ばにはすでに使われていたが、広く使われるようになったのはベトナム戦争からで、当時の米軍は東南アジアのジャングルでの旺盛な食欲に見合う物資供給システムを必要としていた。従来使われていた木箱は小さいうえに頼りにならないため、海軍はカムラン湾にコンテナ港を建設し、米国の港湾もコンテナ輸送に対応できるよう改造された。予期せぬ結果の一つは、このことが、日本から米国への輸出を後押ししたことだった。船会社はアジアから空のコンテナのまま米国に戻すより、途中で日本へ立ち寄って米国向けの日本製時計、テレビ、台所用品を積み込んで戻る方が儲かることに気付いた」p82
    「(コカコーラ元CEO ゴイズエタ)企業というものは経済上のニーズを満たすために生まれたのだ。もし、万人のための万物たろうとすると失敗する。我々の仕事は一つ、株主のために正当な投資収益を生み出すことだ。我々は自ら本当の任務にこだわり続けなければならない。それは、時間をかけて価値を創造することなのだ。言い換えれば、株価を最大限にすることである」p101
    「(ジャック・ウェルチ)従業員の下から10%を切り捨てるのは残酷だとか野蛮だと言う人がいるかもしれないが、それは違う。その正反対だ。私が野蛮であり、偽りの優しさだと思うのは、成長も進歩もしない人間をいつまでも自分のそばに置いておくことだ」p104
    「1955年時点で、民間部門の米国労働者の1/3以上が労働組合に属していたが、2006年、その割合は8%未満にまで下落した」p108
    「規制緩和された産業では、消費者は非常に得をした(電化製品、自動車、輸送費、航空運賃、電話料金などの下落)」p127
    「コストコとウォルマートとは、真っ向からの競合同士とはいえない。コストコの平均的な顧客は2005年の年収が7万4000ドルで、ウォルマートの平均顧客の年収の2倍以上であった」p138
    「なぜ政府がリーダーシップを発揮できなくなっているかといえば、企業側が、彼らが好まない方向に変更を余儀なくされるような環境などの諸問題に対して、政府が正面から取り組むことがないよう、非常に巧みに行動してきたからである」p231
    「この理屈でいけば、利益を上げる企業はすべて社会的責任を果たしていることになる」p234
    「(フリードマン)事業にとって、大事なことは利益を上げることであり社会的に有益なことに従事することではない」p237
    「読者がフリードマンに同意しようがしまいが、超資本主義下での企業にはもはや立派であろうとする自由度はない。競争があまりにも激しいため、企業が消費者や投資家にツケを回さずに、社会的な面で何かを達成することはできないのだ」p237
    「社会的に不快な企業活動が、市場では必ずしも不快な存在とは限らない(タバコ産業、アルコール飲料、武器産業、賭博など)」p240
    「消費者は社会的責任が大事だというが、実際はそのために余計に払う人はほとんどいない」p245
    「米国で肥満が増えている原因はフードスタンプなどに頼る貧困層が質の悪い加工食品を食べ過ぎているからだという指摘がある。米国貧困層では家庭で調理するという生活習慣そのものが、ここ二世代ぐらい、すでに消えているのである」p357

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