僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS)

著者 :
  • 同文舘出版
3.23
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本棚登録 : 317
感想 : 29
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784495533212

作品紹介・あらすじ

幼い頃に「自分の死」のイメージに思い至ってより、「生きていること」の不思議さや儚さに思い巡らせてきた著者が、思考の世界と現実的な生活との折り合いをつけてゆく試行錯誤の記録。

感想・レビュー・書評

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  • タイトルを見て
    「あ~ミニマリスト系の話?」
    なんて思ったら…大間違い!

    哲学の話です。

    深い…
    でもおもしろい。

    他者からの承認欲求ではなく
    自分という人物を追求していくって難しい

    哲学は生活の中にある…
    それを実践しているような方の頭の中を書いた本。

  • 「生活に合わせて自分を造ってゆくことが難しいならば、自分に合わせて生活を造ってゆくしかない。」
    この結論に至るまでの(至ってからも)著者の頭の中のぐちゃぐちゃを文字で追うことのできる一冊。こういう人とリアルで話した時、この人が頭の中で考え続けてきたことのどれだけを感じ取れるのだろうと思う。

  • 生と死、そして自分を深く見つめた末にたどり着いた"小屋"

    あまりに生きづらすきて隠遁したところ、無限の自由と孤独を手に入れ、計らずもミニマリストとして注目された男の哲学的自叙伝です。

    自作スモールハウスでの質素な暮らしぶりが注目された筆者の、幼少から現在までが書かれたあくまでも自伝あって、ハウツーミニマルライフやスモールハウスの作り方を説いた本ではありません。

    幼少期の筆者はある日突然「死の概念」を自覚してからずっと死の恐怖を感じながら生きることとなったとのこと。普通の子どもならば例え死の恐怖を知ったとしても、喉元過ぎれば他に興味が移ったり、考え続けることに疲れたり、忘れたりで、絶対にいつか自分にもやってくる死をわきにどけておけるのでしょうが、筆者はずっと死と自分を見つめ続けてしまいます。きっと脳に高品質なメモリを積んでるがために負荷が高い処理をし続けてしまえるのでしょう。自分を誤魔化すこともできず、真正面から死に向き合ってしまいます。

    自他に高いハードルを課し、生きづらいほどに肥大した自我を抱えた筆者は、成長するにつれ社会の中で生きていくことが困難になっていきます。可能な限り自己完結し、時間やタスクによる制限がない生活を望み、路上生活者にもなったりした末、30代で山の中の安い土地を買い自ら小屋を建て、圧倒的に自由で孤独な「安全地帯」を手に入れるのです。

    山の中の生活を手に入れるまでは読んでいて重く苦しいです。ひたすらネガティブな自分語り(自叙伝なので当たり前ですが)が続きます。自分は他の人間と違うと受け取れるような部分もあります。そんな著者を「厨二病」と揶揄することは簡単ですけど、脱ぎたくても脱げない自分自身という生きづらさを背負い続ける苦難は想像を絶します。しかし山の中での暮らしを書いた章では、文体がイキイキしていて、自力で生活する困難さも自然に受け入れ解決していく姿が微笑ましく、読んでいて転がるように目が次の文を自然に追っていきます。

    著者が東大で哲学を学んでいたことも手伝っているのか、やや周りくどい文体ですが、読みづらくはありません。ただ筆者が自らの深淵をあまりに深く見つめ続けるため、底の見えない暗い穴が続き、読んでいるこちらが手を伸ばそうとしても著者の考えにしっかりタッチできたような実感は少ないです。しかし簡単に共感させないところに著者の誠実さを感じます。それは当たり前のことで、ひと一人の考えなんてホントのところはそうやすやすと共感できないものだとも思います。

    自己完結することの居心地の良さは、空想を楽しむ一人遊びが大好きだった一人っ子の私も大いに共感できました。同じように幼少期に死の恐怖で一時的に不眠にもなりましたが、まあ上等なメモリを積んでなかった私の脳味噌は、うまいことうやむやにできました。ある程度の鈍感さは身を助けますね。

  • ホンモノ病の話。

    「『ホンモノ』の定義ははっきりしている。それは、ある行動の『結果』ではなく『動機』に関わるものである。」
    巷に溢れるSNS上の承認欲求をめぐる一連の議論は結局このホンモノ病に関する人々の直感に起因するのではないか。
    すなわち、それがどうしようもなくただ単に好きだからやっているのではなく、人に見せるためにやっているとしたら何と不純な動機だろうか。カントは美は客観的にはあり得ないとした。ホンモノは単に自分がそれを好きだからそれを為すのであり、結果などは一切気にしない狂人である。

  • こうした自序的なエッセイ物ってどうしてもこうした流れになってしまうと思うのだが、読んでいて似たようなことの繰り返しで退屈した。

    結構昔から読みたいと追っていた書籍だったので読書前は自分の期待値も高かったが、結果的に私の感想は上記の通り。

  • 2022/11/16

  • この本は好きです。

    山奥小屋暮らしの本かと思ったら、哲学色が強かった。その分色々と共感するところも多い。

    かなりの変人。だからこそ、この本が面白く興味深い。

    山奥に家を建てるとなると、電気ガス水道などを引く必要があり、凄く大変に思ってしまうが、

    作者は電気はソーラーパネル、水は水場で汲む、ガスはカセットコンロで済ます。という簡素に山小屋生活を実現している。

    こんな生き方があったかと発見の連続。

    誰とも触れ合うことなく、何にも拘束されない山奥の自由な暮らし。

    ただ、作者自身がこの本は山小屋生活についてポジティブに書きすぎた。実際の山小屋生活は孤独感強くなるし色々大変なことがある。と言っていたので安易に考えない方が良いだろう。


  • ★大半が哲学的過ぎて小難しくて良くわからなかったが、小屋が自分の自我そのものというくだりは何となくわかった。
    ★旅寄りの日常、日常生活よりの旅ってのがわかりやすかった

  • 何もしなくて、買ったり、体いいものを食べたり、人とのつながりを保とうとしたりしなくても、映画や教養を高めなくても、生きてるだけでいいんだと肯定された気がする。すっきりした
    著者はそんなこと聞いたら嫌がるかもしれないけど。
    そうすっきりすると、必要最低限のことだけに意識が行って、実は我慢してたこととか、いらないものとか明確になって、どうでもいいと振り落とされることが多いと気づく

  • 本の最後のほうで、

    ”病気ではないことははっきりしているし、医者に症状を言えば病気と言われるであろうこともはっきりしているし、医者には治せないであろうこともはっきりしているし、症状が治ればいいという問題ではないこともはっきりしている。”

    と書いてあるのだけども(^^;
    作者さんが一人で向かい合っていることは、きっと私たちが心のどこかに押し殺していることで、作者さんは自分でも気づかないうちに、人類代表として闘っているのかもしれない。

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