金利の歴史

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  • 中央経済社 (2024年11月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (232ページ) / ISBN・EAN: 9784502514517

作品紹介・あらすじ

現在の金利は適正なのか。これから下がるのか上がるのか。シンプルな問いであっても答えることが難しい金利について、有史以来の変遷を見つめ、その実態と展望を読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 図書館の新刊コーナーで出会った本。
    いつまで経っても置いてあるので、何となく気になって自宅に連れてきてみた。
    私の家でも、数週間放置(次の貸出希望がつかなければ、何度でも借り換えできるので)後、せっかくうちにつれてきたのだからと、ようやく読んでみることにしました。

    結論、想定外に面白かった!
    金利から見た歴史、だけで、ヨーロッパ、アメリカの歴史経済史を語れるとは!

    筆者はおそらく最終章の日本の金利が専門なのかなと思いますが、敢えて古代史から書きはじめるところがすごい。たかが金利、されど金利、今まで全く知らなかった視点から歴史を眺めるという面白い体験になりました。



  • 金利の歴史を学ぶ意義:
    現代社会において、住宅ローン、事業資金調達、国債問題、日本銀行の異次元緩和政策の正常化など、金利に関わるニュースは枚挙にいとまがありません。これらのニュースを正しく評価するためには、現在の金利が歴史の中でどのような位置づけにあるのかを理解することが不可欠です。
    本書は、「現在の金利の位置づけと、将来の金利の見通しを描けるように、30のテーマに絞って『金利の歴史』を播くもの」であり、歴史的視点から現代の金利に関する疑問に答えることを目指しています。
    「大きな転換点であるだけに、金利についての疑問を懐く人も多いだろう。このような疑問に答えるために、本書は、現在の金利の位置づけと、将来の金利の見通しを描けるように、30のテーマに絞って『金利の歴史』を播くものである。」(「はじめに」より)
    ルネサンスにおける商人、宗教、そして金利:
    古代から中世にかけて、「徴利は罪悪」という宗教的観念から、一般社会における利子付きの融資は否定されていました。しかし、商人間の信用取引は低利で行われていました。
    旧約聖書には「同胞には利子を付けて貸してはならない」という記述があり、キリスト教も徴利を禁じていましたが、貧者とそうでない者との間で解釈の余地がありました。
    イスラム教も高利貸しを禁じ、社会の安定を図っていましたが、実際には高利貸しを行う商人や、抜け道も存在しました。
    15世紀以降、キリスト教社会では高利貸しが社会不安の原因となる時代には忌避感が高まりましたが、商業の発展とともに状況は変化し、公益質屋(モンテ・ディ・ピエタ)の登場により、高利貸しから人々を守る試みがなされました。これらの質屋は比較的低い金利で融資を行い、高利貸しの必要性を薄める役割を果たしました。
    「モンテス・ピエタティスは、(中略)おおむね6%という非常に低い金利水準で、(中略)大衆を、高利貸しから守ることを目的としていた。」(p. 48より要約)
    ヴェネツィアとメディチ家の教訓:
    ヴェネツィアは、王室よりも信用度の高い政府として知られ、発行する公債(プレスティティ)は市場での換金性が高く、金利支払いも滞ることがなかったため、投資対象としての信頼を得ていました。一方、王室は債務不履行が頻発し、商人や銀行家からの借入金利は高額になる傾向がありました。
    メディチ家は、当初は慎重な融資姿勢を取り、規模拡大よりも安定性を重視していました。しかし、政治的な状況の変化や各国の財政悪化により、王室への融資を余儀なくされることもありました。
    アダム・スミスは、「商人の性格と主権者の性格と、これ以上両立しない2つの性格はないように思われる」と指摘し、君主の浪費癖と商人の効率的な利益追求は相容れないとしました。
    アントワープ、ジェノヴァ、オランダの金融覇権:
    16世紀前半にはアントワープが国際的な商業・金融の中心地として繁栄しましたが、宗教対立やスペインの支配の影響を受け衰退しました。
    その後、ジェノヴァがスペイン王室の資金調達を担うことで台頭しましたが、スペインの衰退とともに影響力を失いました。
    17世紀にはオランダ(アムステルダム)が金融覇権を確立しました。中継貿易による資本蓄積、能率的な人材の流入、そして高貯蓄率が低金利を支え、ヨーロッパの金利のアンカーとしての役割を果たしました。プロテスタンティズムの禁欲的な倫理観も貯蓄を促進したと考えられています。
    「オランダは、中継貿易を中心に資本の蓄積が進んだため、(中略)国内での資金余剰から資本輸出国となり、英国をはじめとする国々よりも資金調達コスト(金利水準)が低く、欧州内での金利のアンカーとしての機能を果たしたのである。」(p. 60より)
    オランダでは、多くの一般大衆が年金公債を購入しており、政府の資金調達は円滑に行われていました。
    バブル経済とその後の国債市場:
    18世紀には、イギリスの南海バブル事件やフランスのミシシッピ・バブル事件が発生し、投機熱とその崩壊が金融市場に大きな影響を与えました。バブル崩壊後には、安定的な資産運用手段として国債市場に資金が流入する傾向が見られました。
    フランスのミシシッピ・バブルは、ジョン・ローによる大胆な金融政策がきっかけとなり、一時的に株価や国債価格が上昇しましたが、過度な紙幣発行などにより崩壊しました。
    イギリスは、南海バブルの混乱を経験しつつも、少数の投資家に依存するのではなく、多くの投資家からの支持を得られるよう国債管理の改善を図り、低利調達の伝統を築きました。
    19-20世紀のイギリスとアメリカの国債管理:
    19世紀のイギリスは、対仏戦争を除き比較的平和な時代であり、政府債務の対GDP比率は低下しました。健全な財政運営が、国債の円滑な消化と低利での維持を支えました。
    アメリカは、独立戦争や南北戦争など、資金調達の必要に迫られる場面が多くありました。19世紀から20世紀にかけての国債市場は、イギリスのコンソル債のような長期にわたる代表的な銘柄が少なく、データの連続性に課題がありました。
    連邦準備制度(FRB)の設立(1913年)以降、アメリカの国債市場は大きく変化しました。第一次世界大戦や大恐慌を経て、政府と国債市場の関係はより緊密になりました。
    大恐慌後、FRBは公開市場操作を通じて国債市場に介入し、金融緩和を推進しました。第二次世界大戦中には、FRBは財務省の国債利子負担軽減に協力し、長期国債だけでなく短期国債の価格も維持する政策を採りました。
    アメリカ財務省と連邦準備制度の対立と協調:
    第二次世界大戦後、FRBは市場の自由な価格形成を重視するビルズ・オンリー政策を採用しましたが、財務省との間で意見の対立が生じました。
    1960年代以降、FRBは短期金利だけでなく中長期金利も視野に入れた政策へと転換しました。
    1980年代には、FRBによる貨幣価値管理の徹底と、財務省による市場のニーズを反映した国債発行(調達管理の拡充)が協調的に実施されるようになり、政府債務残高が増加しても、国債利回りは安定的に推移しました。
    金利の下限水準:
    歴史的に見ると、17世紀のオランダから20世紀前半のイギリスやアメリカにかけて、公債利回りの下限水準は2%程度であったと考えられています。これは、貿易や産業革命により富が蓄積した資本輸出国に多く見られる傾向です。
    しかし、近年では主要国でこの2%ラインが崩れる事例も見られ、イギリスではマイナス金利政策も採用されました。これは、世界的な金融危機以降の経済状況の不安定化と、政府による市場介入の強化によるものと考えられます。
    「2%ラインというのは、持てる国の潤沢な貯蓄性向が、資金金融が円滑に機能すれば金利水準も低ドするという、いわば歴史的な最低金利水準として重要な水準だったといえよう。」(p. 132より)
    日本の金利史(明治維新以降):
    明治政府初期には、国内の資本が乏しかったため、ロンドン市場でポンド建ての国債を発行し資金調達を行いました。日露戦争時にも、高橋是清の活躍により外貨建て国債の発行が成功しました。
    第一次世界大戦後には内国債が拡大しましたが、日中戦争以降、外貨建て国債が暴落する一方で、国内国債価格は安定していました。これは、高橋是清による日本銀行の国債引き受けや、国内での国債保有優遇政策が実施されたためです。
    戦時統制下では、政府は国債利回りの低位安定を目指し、日本銀行による国債買い支えなどの政策が行われました。
    戦後、復興期には人為的な低金利政策が推進されました。その後、1980年代末までは、日本銀行は卸売物価を最優先の判断基準として公定歩合を操作し、物価安定を図りました。
    1990年代以降、金利自由化が進み、市場機能による価格形成が行われるようになりましたが、金融危機や経済停滞を受け、日本銀行は非伝統的な金融緩和政策へと転換し、再び統制色の強い政策へと回帰しました(イールドカーブ・コントロールなど)。
    バブル崩壊後、日本の国債利回りは乱高下する局面もありましたが、2000年代以降は低位で推移しています。

  • 桃山学院大学附属図書館電子ブックへのリンク↓
    https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000178708

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  • 宗教政治的な観点から金利は嫌われてきたというのはなるほど
    資本主義、経済が世界共通以降の日が浅く語れるほどには安定していないらしいが、有史以来の概観をつかめた

    過去は低金利でも2%ラインで度々反発したり、低金利から急激な高金利に変化することから、異常な日本でも今後の高金利ルートは全然あると

    (過去オランダは下の要素から低金利の歴史があり、現在の日本と共通点多い
    ・国民として倹約を好む
    ・通商による膨大な利益
    ・当時の永久債や預貯金文化による政府側の調達が容易な仕組みが存在)

    インフレとか金利up要素とか銀行の需要しかないように見えるなぁ

  • 配架場所・貸出状況はこちらからご確認ください。
    https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=10283224

  • 東2法経図・6F開架:338.12A/H69k//K

  • 物々交換の前に信用取引が行われていたらしいが、さもありなん。

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著者プロフィール

東京海上アセットマネジメント株式会社 執行役員運用本部長
1989 年横浜市立大学商学部卒業、94 年青山学院大学大学院国際政治経済学研究科修士課程修了、2018 年埼玉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。1989 年大和証券投資信託委託入社、97 年東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)入社を経て、現職。約30 年にわたりチーフストラテジストやチーフファンドマネジャーとして、内外株式や債券等の投資戦略を策定・運用する。著書等に、『金利史観』『振り子の金融史観』『国債と金利をめぐる300 年史』(共著)、研究論文「1936 年の低利借換えと国債市場」(平成30 年度証券経済学会優秀論文賞)などがある。

「2019年 『戦前・戦時期の金融市場』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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