なぜ日本の街はちぐはぐなのか: 都市生活者のための都市再生論
- 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版 (2002年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532149680
作品紹介・あらすじ
生活道路に入り込む自動車、緑は多いが不便なニュータウン、高さがバラバラの商業ビル、進まぬ老朽建物の更新-。なぜこんなことになってしまったのか。私たちにできることは何なのか。
感想・レビュー・書評
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もっと早くに読むべきだった本。
自分が景観担当だった数年前か、京町家の研究をしていた10年前か。
景観法制定よりもだいぶ前に書かれているのでそれとは絡めていないが、自分が景観法を制定するときには必ず背景としてこの本の内容を紹介したい。
建設省の偉いさんだった筆者が、あろうことか自分のテリトリーである建築基準法をディスりまくっている。
サブタイトルにもあるように、都市を主にイメージして書かれており、また筆者自身の都市観が微妙に古いために、私の理想とは合わない。
しかし、今の建築基準法、都市計画法がいかに使えないものかをズバリ言っていて、いやほんとその通りですと膝を打つこと多数。
接道、斜線制限、容積率緩和などの基準法の骨格となる制度設計が、それだけではうまくいかない、いってないのが自明であるのに、運用では頑なに法を守らせるばかりである、と。
いや、もっとまち全体の価値を高めるために合意形成した上で柔軟に運用したらいいやん、という主張。
そこで私は気づいた、基準法を柔軟に運用するために、まちづくりスケールでの正義をふりかざす法律が要る。それが景観法の立ち位置だったのだと。
いかんせんこの日本では、個人の土地所有の意識が強すぎるためか、景観法ではかなりやんわりとした書き方しかできなかった。
そのため、建築部局と対等に渡り合えるだけの武器とはなり得なかったのだ。
今でも建築基準法は極めて強い立場におり、建築部局は厳格に運用し、個々の敷地は守られているが、まちとしてはちぐはぐなままなのである。
このバランスを筆者や私の理想にするためには、日本人の土地所有の意識、公共性への意識、不動産にかける経済状況、などなど、高すぎるハードルがいくつも並んでいるのである。
さらにはこれらの都市の理想すら一致していないのだから日本の街はいつまでもちぐはぐなままなのは決定的である。詳細をみるコメント0件をすべて表示