外交 上

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  • Amazon.co.jp ・本 (603ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784532161897

作品紹介・あらすじ

今世紀最高の外交史。リシュリュー、ビスマルクから現代まで、為政者達の思想を通して近現代外交の全貌を描く世界的話題作。

感想・レビュー・書評

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  • 600ページを超える大作(のそれが上巻)であるが、今のヨーロッパでフランス・ドイツ・イギリスがどのような考えでこのような形になったかは、この中にすべて書いている。
    とても勉強になる1冊。

  • 今回感想を書くのは、キッシンジャー『外交』(上・下)の2冊です。今年の正月に読む予定で、既に感想を書いているはずなのですが、予定外の授業が入ったために感想を書くのが大幅に遅れました。

    これらの本を読んで思ったのは、大学院在学中(修士課程に相当)に読むべき本であるが、なぜ読まなかったのかと後悔する。理由については特にないが、読まなかったことに対する後悔だけが残る。今後、キッシンジャーの文献を通して、冷戦期の米ソ関係の歴史のサーベイをしたいと思う。今後の研究の方針については日を改めて書きたい。

  • 2023年11月末にキッシンジャーが齢100歳にて亡くなりました。長らく積読していた本書に取り掛かることにしました。

    以前より欧州の歴史についてはいくつか本を読み、その中には、チャーチルの著書や、ドゴールの評伝なども含まれていますが、米国の国務長官を務めたキッシンジャーは、米国の世界観という視点にたって、17世紀ヨーロッパから20世紀末の米ソ冷戦終結に至る数世紀の国際関係の変遷を分析しています。

    30年戦争の帰結としてのウェストファリア条約(1648)により、国家主権そして国益の概念が誕生することにより、ヨーロッパの国家元首たちは、自国の利益を、パワーポリティックスやパワーバランスといったダイナミックの中で最大化しようとします。キッシンジャーは、フランスのリシュリューの冷酷なまでの手腕を高く評価しています。神聖ローマ帝国は解体され、ドイツの統一は19世紀のビスマルクの出現まで遅れたと。

    18世紀末から19世紀初頭にかけて、ナポレオンが共和制の理想をひろめるために欧州全域で戦争をし、その戦後にメッテルニヒの外交の成果として、欧州協調によるウイーン体制が成立します。欧州の中央に位置する地域に、ドイツ連邦を成立させることによって地域に安定をもたらすこととなる一方、弱体化するオスマン帝国下でのバルカン地域の不安定化という、所謂東方問題(eastern problem)は残ります。

    島国の英国は、大陸欧州に領土的野心をもたない一方、大陸欧州の大国間が均衡状態を保つことにより、“光栄ある孤立” (glorious isolation)を保持することを国是とします。グラッドストンやディズレイリといったヴィクトリア朝時代の代表的な政治家が登場します。一方、英国の海外での地位を脅かす存在として、中央アジアを通してインドやコンスタンティノープルへのアクセスを支配するロシアが挙げられています。

    クリミア戦争(1853-56)後に、ビスマルクの政治手腕(リアルポリティークと称される)でプロシアの国益が増大する一方、ナポレオン3世下でフランスは相対的に弱体化し、両国の対立の結果として1870年の普仏戦争でフランスはプロシアに大敗し、アルザス・ロレーヌ地方を失います。この禍根に、キッシンジャーは第一次世界大戦の萌芽を読み取っています。また、今日まで続くフランスの外交スタンスが、その国力に比して現実的でないことについてのキッシンジャーの鋭い指摘が本書の155-156ページかけて記述されており、米国のフランスに対する視点として興味深く読みました。

    1907年には、英仏露による三国協商が成立し独墺同盟を包囲する一方、バランスオブパワーは同盟間の均衡という文脈に代わります。その二大勢力が、ヨーロッパの火薬庫とよばれたバルカン諸国をめぐって利害関係を重複させ、サラエボでのオーストリア皇太子暗殺(それが偶然の産物であったエピソードには驚愕します)により大戦が勃発することとなります。

    第一次世界大戦(1914-1918)はヴェルサイユ条約にて終戦を迎えますが、ウイルソン大統領は十四か条の平和原則にて、国益の擁護でなく、法的概念としての平和の擁護が必要とする考え方を打ち出し、国際連盟の設立を提唱します。キッシンジャーは、これがアメリカ的な概念と説明します。敗北したドイツには、苛烈な地理的、軍事的、莫大な経済的賠償が課せられますが、キッシンジャーは、地政学的に強国にしてしまったと述べます。その理由は、周辺国が小国かつポーランドがロシアとドイツの間の緩衝地帯としての役割を果たす位置づけになったことによる、と。フランスは、大陸欧州のドイツ西側の安定をほぼ一国で担うこととなるのですが、その東側のパートナーとなりうるロシアはボルシェビキによる革命(1917)による共産党政権樹立という不透明な状況に陥ります。

    実際、ドイツと新生ソ連は、イデオロギーを超えて協力関係を模索し、ヴェルサイユ体制の切り崩しを目論みます。またフランスが支配することとなったルール地方の鉄鋼、石炭産業はドイツ政府の指示による従業員のボイコット、ドイツのハイパーインフレーションで失敗に終わります。ドイツ外相のシュトレーゼマンは、ボルシェビキの防波堤としてのドイツを前面に押し出し、米国の銀行家ドーズによるドーズ案で借款を受け、国力を回復していきます。ロカルノ条約(1925)で、ヴェルサイユ条約の修正がなされ、ドイツはラインラントの非武装化を英仏に承諾させます。この翌年には、独ソ中立条約が調印されます。

    ドイツがその地の利を着々と固めていく中、フランスはマジノ線を防衛ラインとして構築するのですが、ドイツの進出路として予想されるべきベルギー国境までの延長を行わず、結果としてナチスドイツの占領をゆるす原因になります。1936年には、スペインでフランコ将軍による内戦がはじまり、フランスは、独伊の支援をうけるフランコのスペインを背後に抱え、正に前門の虎後門の狼という状況に陥ります。第二次世界大戦に向けての大陸欧州での緊張が高まります。

    キッシンジャーは、ソ連のスターリンをドイツのヒットラーとのパワーバランスの駆け引きという文脈で分析します。ヒットラーはドイツの二正面戦争を避けるため、ソ連にはレーベンスラウム(生存圏)を望みます。スターリンは、民主主義国同士が戦うことによる消耗を目し、またポーランドを巡って、英独の間で立ち回ります。こうして1939年に独ソ不可侵条約が締結されますが、ヒットラーは結局ソ連を攻めて、その資源をもって英に対峙する選択をし、独ソ開戦に至ります。日本は、ヒットラーからユーラシア大陸の南北分割を提案されていたと言いますが、その不条理な行動原理を見抜けず、独ソ戦を予想できなかったと言います。

    神の最高の恩寵による孤立主義(所謂モンロー主義)を掲げていた米国では、ルーズベルト大統領が、航空機の発達による欧州からの脅威を主張し、国論を参戦へと向かわせる手を打っていきます。1941年のニューファンドランド島沖合でのチャーチルとの会談による大西洋憲章宣言後、欧州でドイツと、太平洋で日本と対峙する決断が下されます。

    日本に対しては、そのインドシナ占領に際し、通商条約の廃棄、屑鉄と石油禁輸、満州含む全占領地からの撤退を要求します。これを承諾できない日本は、真珠湾攻撃へと向かっていきます。

    欧州での戦後処理をめぐってチャーチルが、ソ連に対峙するためのパワーバランスの再建を願ったことに対して、ルーズベルトはにべもなく否定します。そして、1942年には、モロトフに対して4人の警察官(米、英、ソ、中国)による世界平和維持の考え方を披露しています。ルーズベルトが内輪の夕食会で言ったという、英国に対する不信感、嫌悪感が米国の伝統にある、という件は、一方で特別な関係と称される英米という位置づけにも、ニュアンスが根底にあることを印象づけています。チャーチルとルーズベルトは個人的にとても親しい間柄であったことは、チャーチルの第二次世界大戦という著書にも書かれていますが、キッシンジャーの冷徹な分析には震撼するものがあります。

    ルーズベルトの死後、トルーマンが大統領となりますが、彼は米国の普遍的な価値観から、かつての敵国が民主主義に復活することを助けるため、マーシャルプランや、ポイントフォア計画を推進します。独ソ戦により数千万人の戦死者を出したソ連は、ポツダム宣言で戦果を獲得することが拒否され、更にアメリカの原爆投下を目の当たりにして、民主主義国の復活と脅威を感じとります。そして、ドイツ敗戦後にアメリカが欧州から撤退していく間隙に、東欧に衛星国を次々と打ち立てていくこととなります。1946年、チャーチルがミズーリ州フルトンの講演で、「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、鉄のカーテンが下ろされた」と有名な言葉を述べています。これによりアメリカはスターリンへの不信を強め、マーシャルプラン、大西洋同盟、西側の軍事力強化により対抗していくこととなります。キッシンジャーは、こうした米国の反応をスターリンが予想していなかったと分析しています。

    キッシンジャーは、チャーチルの情勢判断が極めて正確であったことを高く評価しています。一方、彼が英国の議会政治的に不遇であった理由として、「予言者がたたえられることが滅多にない理由は、同時代人の経験や想像をこえているからだ」と表現しています。

  • ナポレオン戦争後のヨーロッパから第二次世界大戦終了し冷戦が始まるところまでの外交史。非常に細かいところまで丁寧に為政者の視点から辿っているので、知識としてもリアルポリティークに沿った考え方という意味でも学ぶところが多々ある。

  • 【要約】


    【ノート】

  • アメリカ外交だけに限らず、世界史の流れ全体を理解する上でも、もっとも素晴らしい好著ではないかと思う。世界史の教科書の分かりにくさ感も、この1冊で解決。

  • かつては核武装を推進していた現実主義の重鎮4人が連名で、2007年1月4日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルにテロとの戦いに核はマイナス材料でしかないので無くす方がいいという趣旨の論文を寄稿した。

    共和党の元米国務長官ジョージ・シュルツ(90)、ヘンリー・キッシンジャー(88)
    民主党の元国務長官ウィリアム・ペリー(83)
    元上院軍事委員長サム・ナン(72)

  • 19世紀の欧州情勢は、今の、東アジア情勢に似ているという見方は新鮮。クリミア戦争に端を発する、ウイーン体制の崩壊、ビスマルクによるプロシアの統一、普仏戦争、そして第一次世界大戦へいたる枠組みの出現等、著者の指摘を通じ、リアルポリテークの世界を知らされます。東アジアのプロイセンとは、どこなのか? 

  • ベトナム戦争を終結させてノーベル平和賞を受賞し、米中国交正常化への道を開いた米ニクソン政権の国務長官、ヘンリー・キッシンジャーが著した欧米の外交史。
    上巻はリシュリューやビスマルクから第二次世界大戦まで、欧州の外交を中心に述べ、それに新興国アメリカが絡んでくる、という図式です。
    パワー・ポリティクスやバランス・オブ・パワーといった、国際問題では常識となっている用語が実際にどのように展開されてきたか?
    一口にバランス・オブ・パワーと言っても、ドイツのビスマルク型と、イギリス型とでは違うものなんですねw
    そして外交の目的が、「戦争を避ける」ことであり、その努力と失敗の原因について述べられています。
    特に第一次世界大戦を引き起こした近代ドイツ帝国の描写は、現代の中華人民共和国とダブッて見えます(^O^;
    親中派と言われるキッシンジャーですが、あるいは本書はその彼が、膨張する現代の中国に与えた警告でしょうか?

    それにしても、注が多い割りには、その注が全部下巻の巻末に載せられてるのは、構成が悪いですね!
    これじゃ上巻を読んでるうちは注を引けないから(>_<)
    各章の最初に、翻訳者・岡崎久彦の簡単な解説が1ページ載ってます。

    ニン、トン♪

  • もはや文学の香りが漂う。w
    19世紀ヨーロッパに関する省察はスバラシイ。

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