国策民営の罠: 原子力政策に秘められた戦い
- 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版 (2011年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532168117
作品紹介・あらすじ
なぜ原発事故が起き、賠償支援策は迷走するのか。電力会社の原発推進を決定づけたのは50年前のひとつの法律だった。その成立に秘められた知的な戦いをミステリータッチで解き明かす。
感想・レビュー・書評
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九電力会社体制や原賠法の設立のやりとりなど、原子力政策がどのように国策民営の道を歩んできたか、興味深く読めた。民営化は悪くはないが、責任や負担を、国や国民に求める民営化にどんな意味があるのだろうか。改めて深く考えさせられた。
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引用に書いた部分が印象的です。
要旨としては以下3点を、順次著者の問題発見プロセスをフォローするような形で迫っていく、という内容になっている。そのせいで趣旨を理解するには若干もったいぶった構成になってはいるが、そのために読みやすい部分もあるので、この構成は一長一短かなあ。
1. 「原発って産業政策的肩入れがなければそもそも市場からは選択されないんじゃん」という発見
2. 「そもそも9電力体制がなんだか歪んだ国策民営体制になってるのが、どうしてなのかの歴史的プロセス」という発見
3. 「原子力賠償責任法がどうして中途半端な感じな代物になってるのって、要するに国策民営で原発作りたかった時に、推進派と慎重派が妥協した結果だよね」という発見
一通り読み終わると、最後の「エピローグ」、引用に書いた部分がすごいしっくりきます。 -
前半の原子力発電がビジネスモデルとして破綻しているかどうかという議論は、海外試算の紹介程度で計算も議論も粗く、例もわかりにくいだけなのであまり役には立ちません。唯一、事実上の国策推進とすることで資本コストを下げていたという指摘だけ面白いと感じましたが、経済書ならば電力債金利の国債との比較と原子力発電割合の関係あたりを分析してほしいところです。
一方で後半の、五十年前の原子力損害賠償法の設立経緯を紐解いて行くところば読み応えがあり、明確な国家負担を盛り込んだ吾妻答申案に対して、国の負担を抑制したい旧大蔵省の下書きのもと現在の体制があるということが分かってきて面白いです。また、政権が変わったことで、原賠法十六条を解釈適用して支援して破綻もさせないことを政治的に避け、将来に渡る事業者負担を破綻に代わるある種の「見せしめ」として求める現行スキームは、パトスとルサンチマンの政治が優勢であるこの国には似合っているように思えました。 -
福島第一原発の事故以来、様々な分野の人たちが意見を述べている。
一方で、原子力事故に対しては法律、規制、炉物理と原子炉安全と放射線(原子炉工学では、それぞれは別分野である)、賠償金、リスクコミュニケーション等の様々な分野が複雑に交わり、問題を形成している。
したがって、原子力に対して個々の問題を専門家の目線で論じることはできるが、包括的に議論することは難しい。
翻って、これらの問題を広く議論できるのはどの分野の人であろうか。
原子力の専門家か社会学の専門家か。おそらく、統一的な尺度-経済性という尺度で-を用いて議論する経済学者であると考えている。
筆者は、経済学者であり経済性という観点で原子力を議論している。
本書の中心的な議論は大きく分けると2つである。原子力発電の経済性と原子力賠償に対する法的解釈。
前半の原子力の経済性は資本コストを計算し原子力の経済性を示している。
結論を先に述べれば、原子力の経済性は火力発電のそれと比較して、決して安いものでないということである。
一般に、原子力発電はその経済的妥当性を以って、その存在意義を有してきたと考えている。ではなぜ、電気事業者は原子力発電を推進してきのか。答えは、それが国策となったからである。国策である以上、国から税金という形で電気事業者に有利になるように資本が入ってくるということである。ということは、事故を起こしたときにはどのような形で補償するというスキームになっていたのか。というのが後半の主題である。
前半の議論でよくわからない点が何点かあるのだが。例えば、原子力発電所の減価償却について、以下の記述がある。
(引用p.14)
今、200万円を払って自動車を手にし、商売を始める個人タクシーがあったとしよう。タクシーの1年当たりの走行距離は長いから、いつまでも老朽化したタクシーを乗り続けるわけにはいかないので、そこで4年間で減価償却することを考え、再び200万円の車を購入するために毎年、50年間ずつ減価償却を積み立てる計画を立てていたとする。ところが実際には4年たってもタクシーを新車に取り替えず、減価償却の狂いが生じた。
(中略)このタクシーのビジネスに対してどのような判断ができるのだろうか。
「うまくいっていない」ことは明らかである。減価償却を積み立てるための利益がなかったということだ。
(引用終わり)
タクシーを原子力発電所に替えて例を引用しているのだが、原子力発電所の耐用年数は30年とされている。
が、国に申請し、国が技術的な評価を行い、まだ使用できると判断されれば使用延長が認可される。
それは決して、利益がなかったため、まだ動かして減価償却しようという考えからではない。
また、筆者の経済性の前提条件が示されていないので、コメントできないが、原子力発電所と火力発電所の寿命を何年としているのだろいうか。
前述したとおり、原子力発電所の寿命が延ばせれば総原価方式であるので建設コストが高い原子力発電所には有利な条件となり、コストが下がる。
以前の法律では最大60年で廃炉となるが、今は最大30年ということを想定しているがまだ決定していない。正しくは、火力発電所の燃料費をパラメータで振っているので、原子力発電所の使用年数に対しても試算しないとフェアーではない。(おそらく50年運転すると、恐ろしく安い電源となる)
なお、余談であるが福島第一原発の事故を受けて、経済産業大臣が原子力発電所の寿命に対して言及したが、今回の福島第一原発の事故は古いから起こったわけではない。なぜ、こんな短絡的な思考で決めてしまうのだろうか。
また、経済性に関して米国の原子力発電所のコストを参考にしているがエネルギーセキュリティーという観点がごっそり抜け落ちている。
米国は資源が豊富で、原子力が無くてもベースとして石炭、石油等を代替エネルギーとして使用できるが、日本ではそのようにはいかない。原子力は準国産エネルギーと言われ、一度ウランを輸入すれば比較的長く使用することができる。
石油ショックが起きて、エネルギーが足りないという事態になると、今度は原子力が必要だとい議論になるのだろうか。。。
そしたら、全く同じ議論で火力発電所と原子力発電所のコストは同じくらいなので、原子力発電の方がエネルギーセキュリティーに優れて良い電源だと結論されるのだろうか・・・笑
さて、後半の賠償金問題である。原子力賠償法について、論点は、以下の3つ。
・ニュースでお馴染みの「異常な天災」に対しては事業者が免責となる、という点。
・それでない場合は、事業者の無限責任となるのか、有限責任となるのか。
・一般に、民間企業の事業に対して有事の際には補償金を国が補填するという考え方。
このような、法律の「そもそも論」には法律が作られた当時の記録をあたってみるという原則よろそく、本書もそのアプローチで上記問題を論じている。
最近の原子力に関する書籍は、今回の原子力事故の問題点やエネルギー政策に対する書籍であるが、原子力賠償に関して論じる本はあまり多くないのではないかと思う。(前半の経済性の問題は議論が荒いので、あまりオススメしないが)