昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来

制作 : 倉骨 彰 
  • 日本経済新聞出版社
3.70
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本棚登録 : 980
レビュー : 72
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784532168605

作品紹介・あらすじ

現代の工業化社会=西洋社会と伝統的社会の違いを浮き彫りにし、そこから判明する叡知をどのようにわれわれの人生や生活に取り入れ、さらに社会全体に影響を与える政策に反映させるかについて解説。世界的大ベストセラー『銃・病原菌・鉄』の著者、ピュリツァー賞受賞者が人類の未来を予見する。

感想・レビュー・書評

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  • 世界的大ベストセラー『銃・病原菌・鉄』の著者、ジャレド・ダイアモンドによる本書。
    この『昨日までの世界』は、文明社会が興る前の人類の伝統的狩猟採取社会ではどのような生活が行われていたかを、最近まで、あるいは現在もこの伝統的狩猟採取社会を営んでいるニューギニア奥地の少数狩猟民族やアマゾン奥地に住む狩猟採取民族らの調査を通じて解き明かしていく学術書である。

    人類が現在のような中央集権的国家社会を営むようになったのは、およそ5000年ほど前だ。人類誕生が約600万年前、つまり人類歴史のほとんどの期間は伝統的狩猟採取生活による社会で人類は生きてきたのだ。

    現代社会に生きる我々は、現在の生活様式が一番優れていると勝手に思っている。
    例えば、国家や軍隊を作り、法律を整備して警察を作り、争いごとが起きれば裁判によって解決されるという社会だ。
    しかし、このような社会的生活は歴史的にみればほんの最近始めたことに過ぎない。
    果たして本当にこれが正しい人間の生活なのだろうか?
    それ以前の人類の歴史のほとんどを占めている狩猟採取生活にメリットは全くないのだろうか?

    本書は、非常に分かりやすく記されており、歴史初学者であっても容易に理解することが可能だ。ちなみに僕がこの上巻を読んで一番驚いたのはヨーロッパ人と初めて遭遇(ファーストコンタクト)したニューギニア奥地に住んでいた伝統的狩猟部族達の回顧録だ。

    彼らは、1900年代に入るまでまったく他部族との接触はなく、同じ部族だけで暮らしてきた。他の人種の存在などまるで知らなかった彼らが、肌の色の白い、人に似た形をした生き物と突然出会うことになったのだ。
    その部族の人たちは、肌の色の白い人間は死んだ人間であると思い(人は死ぬと腐敗し、色素が白っぽくなるからだろう)、この白人達は自分たちの死んだ先祖が蘇ってきたものだと考えたのだという。

    もちろん言葉は通じず、同じ人間であるかも疑問だった。
    そこで彼らはこの白人達が自分たちと同じ人間であるかどうかを調べる為、こっそり白人達の使っていたトイレに忍び込み、白人達の排泄物が自分たちと同じような排泄物であるかを調べ、さらに自分たち部族の若い女性を白人の男達の元へわざと行かせ、彼らと性行為をさせ、白人の男が自分たちと同じ性器を持ち、同じ性行為をするかどうか調べさせたのだ。

    なんという勇気だろうか。
    逆の立場になって考えてみて欲しい。
    もし自分達の前に、謎の飛行物体が降り立ち、その中から
      形は人間の女性のように見えるが、言葉は通じず、髪の毛の色は真っ赤で、しかも肌の色が真緑の生き物
    が出てきたとしよう。
    自分の部族の長老から、
      あの生き物が人間の女かどうか調べろ。とりあえずお前、アレとちょっとヤッてこい。
    と命令されたらどうだろうか。
      は?いやいやいや、あれ、どう見ても人間と違うでしょ!?肌緑色だし・・・
      え?ちょ、ちょ、ちょ、おま、ま、待って、絶対、無理無理無理無理無理無理~~~!!!!
    となるだろう。
    このような命を受けたニューギニアの少数部族の若い女性も同じように感じたのではないだろうか。
    それでも彼女は使命を果たしたのだ。まさにヤマタノオロチの生け贄にされた乙女の心境だったに違いない。もの凄い勇気だ。まさに尊敬に値する。

    まあ、冗談はさておき、本書の上巻では、『部族同士の抗争』、『子育て』、『高齢者への対応』の三つがメインテーマとして描かれている。

    『部族同士の抗争』については、我々が思い描く銃と大砲を駆使した『戦争』とはかけ離れており、弓矢と槍での戦闘が行われていた。死者数も当然微々たるものである。
    しかしながら、彼らにとって抗争は自分たち部族の生存と滅亡を左右する最大の凶事だった。
    本書のなかに記されたデータは驚くべきものであった。
    少し詳しく書くと、100年間の平均で最も戦争による死亡率が高かった国家は20世紀のドイツとロシアであった。
    この両国は第一次世界大戦と第二次世界大戦という二つの大戦争によって国土の大半が戦場と化し、多くの死亡者をだした。その戦死者指数はドイツ0.16(人口1万人あたりで年間16人が死亡するという意味)、ロシアは0.15(人口1万人あたりで年間15人の死亡)となっている。
    ちなみに同時期の日本は原子爆弾の投下や沖縄戦の惨禍などがあったにもかかわらず0.03(人口1万人あたりで年間3人の死亡)という数字だ。

    しかし、伝統的狩猟採取民族の戦争死亡率は0.25(人口1万人あたりで年間25人の死亡)に跳ね上がる。これは弓矢と槍での戦闘で、一回の死亡者数が少ないといえども常に隣接する部族と抗争を行い、酷いときには片方の部族が女子供も含め皆殺しになるという状況では、世界大戦を上回る数の割合での犠牲者が常時発生していたのだ。

    ニューギニアの少数狩猟民族が中央国家により、抗争を禁じられた時、少数狩猟民族の男達は反対するかと思ったら、誰一人それに異論を唱えなかったという。
    なぜなら、彼らは一様に
      「終わりのない戦いは怖かった。何処にいても油断が出来なかった。人を殺すのも殺されるのも嫌だった」
    と話し、中央国家による部族への介入を喜んだという。

    また『子育て』の章も非常に興味深いものだった。
    伝統的狩猟民族の子育てはまさに『子供ファースト』の社会だった。
    体罰や厳しいしつけなどは全く無く、赤ん坊の乳離れの平均は3歳になるまでだという。
    もはや信じがたい事実だが、考えてみると狩猟民族の食生活には僕たちが普通に利用する赤ちゃん用の離乳食や牛乳などは当然なく3歳になるまでの子供に与えられる『食事』は母乳が一番安全で効果的で効率的だったのだ。
    その為、3歳までの子供がいる母親が再び妊娠し、出産してしまうと二人の乳幼児に十分な母乳を与えることができず、やむを得ず、新しく生まれた嬰児を遺棄する(殺害する)という嬰児殺しも発生する。しかし、この可能性は非常に低いらしい。なぜなら授乳中の母親の妊娠率は非常に低いためだという。

    ただ、この『授乳中の母親は妊娠しない』というのは現代社会に生きる女性にはあまり適応できないそうだ。それは伝統的狩猟民族の母親と現代の母親の授乳をする頻度が全く違うからだという。
    伝統的狩猟民族の母親はひっきりなしに乳児に授乳している。眠るときも赤ん坊と添い寝をし、日中も乳児を抱きかかえて、ぐずればすぐに授乳するのだという。

    ちなみに『赤ん坊が泣いたり、だっこを求めたりする時にすぐに対応してはいけない。すぐには対応すると赤ん坊がわがままな子供に育つ』と僕などは子供の頃、そう教えられたのだが、これは全く根拠のないことらしい。
    伝統的狩猟民族の赤ん坊は泣けばすぐに周りの大人が対応する。

    伝統的狩猟民族の赤ん坊の泣いている時間と現代の文明社会で暮らす赤ん坊の泣いている時間を比べたら、伝統的狩猟民族の赤ん坊はほとんど泣いたまま放置されるということはないという。

    その結果、伝統的狩猟民族の子供はみなわがままに育ったかというとそうではない。もちろん、同一環境による比較実験が出来る訳ではないのでこの結果はなんとも言いがたいが、僕らが教わった子育てが一番正しいという思い込みはもしかしたらあまり根拠のないものなのかもしれない。

    さらに『高齢者への対応』についても非常に興味深いものがあった。
    伝統的狩猟民族において高齢者はいうなれば『外部記録媒体』なのだ。
    つまり、文字や紙のない部族においては、『知識や経験』は高齢者の専売特許であり、日常生活に役立つこと(どの植物が食べられるか、どの植物に毒があるか等)から緊急事態(過去の台風や災害などの生き残り方法)への対応方法など、高齢者がいなければその部族が生き残れないという状況だった。

    現代の文明社会においては、この高齢者のメリットはどんどん減っている。
    過去の出来事がすべて紙や電磁的媒体に記録され、実際に経験をしなくても誰でもその情報を得ることができるからだ。
    伝統的狩猟民族でも当然、このようなメリットを提供できなくなった高齢者は部族のお荷物となる。伝統的狩猟民族の移動について行けなくなった高齢者は遺棄され、殺害されることもある。

    これに対する伝統的狩猟民族の高齢者の防御策もなるほどとうなずけるものであった。
    例えば「所有権を死ぬまで若者に譲り渡さないこと」や「男性の結婚は40歳を超えた者にしか認めない」などといった僕たちには信じがたい掟を作っている部族もある。
    『所有権を譲り渡さない』というのは、家畜や土地などの所有権は全て父親に所属し、息子達はそれを父親からの直接の相続によってしか得ることができない。つまり、年老いた父親は相続権を餌に息子達に死ぬまで自分の面倒をしっかりとみさせることができるのだ。
    『40歳を超えなければ男性は結婚できない』というのは、文字どおりそのままの意味であり、40歳を超えて初めて部族の若い娘と結婚をすることができる。
    40歳という年齢は平均寿命が50歳代の伝統的狩猟民族とってはかなりの高齢であり、ほぼ『高齢者』と言っていいだろう。
    これは、部族を維持していくには『高齢者』を大切にしなければならないというルールを若者にたたき込むという意味があるのだ。

    なぜ若者はこのような、ある意味、合理的でない掟に従うのか?
    これは、自分の番がいつか回ってくると分かっているからだろう。
    今我慢すれば、自分が年をとった時にいい目をみることができる。この一念だけで、若者は我慢をすることができるのだ。

    『昨日までの世界』この上巻を読んだだけでも目から鱗が落ちる体験を何度もすることができた。
    我々人類は、そのほとんどの期間を過ごしてきた伝統的狩猟民族としての生活をほぼ全て捨ててしまっているが、こうしてみると有利な面もいくらでもあったのだと気がつかせてくれるのだ。下巻も楽しんで読んでいきたい。

  • 伝統的な社会(西欧的の反対)と、我々の社会(西欧的)を、その良いところ悪いところを比較しています。伝統的な社会も、我々が通ってきた世界で、タイトル通り「昨日までの世界」。現代の我々が、何を得て、何を失ったのか、冷静に見ることができます。
    上巻は、自分以外の他人への対応、戦争、子育て、高齢者への対応について。
    今までの著作よりも、冷静な視点から書かれているのを感じました。

  • ニューギニアの空港で、チェックインを待つ著者の視線から、長い人類史への旅が始まります。ほんの数十年前までそこに存在していた〜現在は失われつつある〜「伝統的社会」を通じて、文明がどのように始まったのか、人間の社会はどのように進化してきたのかを広く、深く考察するのは「銃・病原菌・鉄」で知られるジャレド・ダイアモンド。もともとは鳥類の研究のためにニューギニアの奥地に通っていたそうです。そこにあった先住民たちの風俗習慣は、我々の住む世界のそれとは全く違うものでした。
     本書では大きく「空間の概念」「戦争」「子供と高齢者」「危険に対する対応」「宗教、言語、健康」という章立てとなっていますが、もっとも重要なのは「戦争」についての考察でしょうか。
     数十人から数千人規模の小さな集団の間での関係は、国家という概念が出来る以前の文明の姿を我々に教えてくれます。敵と味方という概念が生まれ、あるいは交易が始まり、そして戦争が起こります。少なくともニューギニアにおいては小規模な戦争は日常的に起きていたようで、死因の大きなパーセンテージを戦争が占めていました。「野蛮な文明人と平和を愛する原住民」というケースはここには当てはまらなかったようです。隣接する部族の間では常に戦闘と報復が繰り返され、戦士だけでなく女性や子供もその対象になっていました。その一方でより遠方の相手とは平和的に交易が行われたりもしています。これはどういうことなのでしょうか。戦争の原因は様々で、食料や水、あるいは生活空間そのものといった「資源」の奪い合いなどが考えられます。しかし最も多いのは「報復」だといいます。個人間の揉め事、女性や奴隷の収奪、家畜の盗難、偶発的な殺人などに対する報復です。当然隣り合って接触する頻度が高い地点でそれは起こりがちです。そのあたりは現代の国家間の関係でもあまり変わっていません。著者は「パールハーバーを忘れる」という項を立てて、人間が復讐心をコントロールすることで戦争を防ぐことが必要だと説きます。ここに通底しているのは「被害者意識」なのでしょう。人間は自分が被害者である、虐げられている、と思うときに最も攻撃的になるし、残酷になれるという一面があるのです。
     伝統的社会から、文明を発達させてきたはずの我々ですが、世界中で続く戦争や暴力の連鎖を観るに付け、まだまだ成長していないのではないかと思うのです。果たして人類の未来は明るいものに見えるのでしょうか?どこかに希望を見つけたいと願います。

  • 著者の細かい事例の積み上げで論を組み立てるやり方は変わらないし、読んでいて面白くためになる。

  • 今まで読んだダイアモンドの作品とは一線を画している様な気がする。

    この作者がずっと研究してきた伝統的社会との比較を通じて、現代社会への問題提起をしている。
    どれが正しいとか間違っているとかの判断を下そうというものではなく、哲学的な色が強いかな。
    恐らく晩年に達している作者は、自分の研究から得た考えを集大成的する意味合いで作ったと思う。それだけに作者の強い思いが伝わってくる。


    自分と他者とを区別する境界線から始まって、「平和と戦争」・「子育てと高齢者」についての考察が上巻の内容。
    作者のいうところの工業化社会に属している自分にとって、全く別の価値観(伝統的社会の価値観)を提示することで、自分たちの考えを俯瞰して冷静に見ることができる。
    こういう風に自分の価値観をひっくり返す作業は、頭を柔らかくするには一番な気がする。


    個人的に面白かったのは終盤の高齢者の位置づけと価値の話。
    特に高齢化社会が今後も進んでいく日本としては、作者が提示する高齢者の価値(子育て・経験の共有・高齢だからこそできる仕事)は暗い問題に対する希望になり得るんじゃないだろうか。

    下巻への期待も込めて星四つで。

  • 1

  • 歴史

  • 『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイヤモンドの新作である。ふたたびニューギニア等の伝統的社会を取り上げ、健康、子ども、高齢者、言語、宗教、交易、生命への危険、紛争解決、「われわれ」と「見知らぬ他人」との関係といった、人類に普遍的なテーマを紹介し、我々現代社会人も、伝統的社会から学ぶべきことがあるのではないか?といった示唆を与える本である。文句なしに★★★★★である。

    たとえば、現代社会で売買に当たるものは、伝統的社会では互酬的な物々交換でなされるが、それは人間関係の構築に多いに役立っている。伝統的社会では、紛争を解決するために法律を持ち出さなくても、やはり互酬的に解決する。伝統的社会の子どもたちは、現代社会の子どもたちよりも、はるかに社会性を身につけ、情緒は安定し、自信に満ちあふれ、自律している。

    <目次>
    日本語版への序文
    プロローグ 空港にて
    第1部 空間を分割し、舞台を設定する
     第1章 友人、敵、見知らぬ他人、そして商人
    第2部 平和と戦争
     第2章 子どもの死に対する賠償
     第3章 小さな戦争についての短い話
     第4章 多くの戦争についての長い話
    第3部 子どもと高齢者
     第5章 子育て
     第6章 高齢者への対応ー敬うか、遺棄するか、殺すか

    2013.03.05 くまざわ書店で見つける。
    2013.03.08 予約
    2013.05.06 読書開始
    2013.05.17 読了
    2018.03.08 社内読書部で話題にする。
    2018.03.17 「本って「いいね!」練馬 de 朝活」で話題にする。

  • 【要約】


    【ノート】

  • 昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来

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著者プロフィール

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)地理学教授
1937年ボストン生まれ。ハーバード大学で生物学、ケンブリッジ大学で生理学を修めるが、やがてその研究領域は進化生物学、鳥類学、人類生態学へと発展していく。カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部生理学教授を経て、同校地理学教授。アメリカ科学アカデミー、アメリカ芸術科学アカデミー、アメリカ哲学協会会員。アメリカ国家科学賞、タイラー賞、コスモス賞、ピュリツァー賞、マッカーサー・フェロー、ブループラネット賞など受賞多数。

「2019年 『危機と人類(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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