いつの日も泉は湧いている

著者 :
  • 日本経済新聞出版社
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レビュー : 7
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784532171254

作品紹介・あらすじ

大切な女性がこの世から姿を消してしまった。1969年のことをいま、書かずにいられない。痛みと悲しみにみちた快心の青春小説。

感想・レビュー・書評

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  • 読み出したら途中でやめることができず、一息に最後まで読んでしまった。きっとそうだろうと思ったとおり、痛々しく、そして、優しい小説だった。

    主人公の名前が守田で、その人生の軌跡は作者盛田さんのプロフィールとほぼ同じ。大筋は自身のことが語られていると考えていいだろう。ベ平連や高校でのハンスト闘争の仲間であり、その後の人生でも深く関わりを持った女性の死をきっかけに、この女性のこと、高校時代のことを小説にする決意をしたと書かれている。どこまで事実かということはさておき、何よりも「これを書いておかなくては」という作者の強い思いが胸に迫ってくる。

    守田は1954年生まれ。「赤頭巾ちゃん」の薫君は1950年、村上春樹は1949年の生まれだ。このあたりの年齢の方たちは、一年違うだけでもかなり異なった学生時代を過ごしたはずで、数年の違いはずいぶん大きいのではないかと思う。私自身は1959年生まれで、高校は「三無主義」の終わりの方、大学はバブル前夜、安保も全共闘も伝聞でしかない。

    それでも、ここに書かれた守田の戸惑いや高揚や喪失感は、わかる。初めてのデモの興奮と恐怖、秀才でラディカルな友人へのコンプレックス、親や教員との軋轢の苦しさ、運動の広がりに胸を熱くし、やがて言いしれぬ敗北感を抱く…。ごく普通の高校生である守田を通して、自分もその場にいたらどうしただろうと、我が身に問いかけながら読んでいかざるを得ない。たとえ同じ経験をしていなくても、その思いは共有できる。守田だけでなく、登場する高校生一人一人、また、その親や教員それぞれに、作り物ではない胸痛むリアリティがある。

    守田は、真生子という女性と、高校時代から四十年にわたって折に触れて関わっていくことになる。この真生子の死の前後を中心に、最近の出来事が綴られていて、ここは哀切だ。そういう意味で本作もまた、青春小説であり、中年小説でもある。

    ハンスト闘争の最後に歌われる「ワルシャワ労働歌」、サイレントの八ミリ映像の中で生徒たちが歌う「We shall overcome」、どちらも深く胸を打つ。

  • 教師の友人が、生死の瀬戸際に、「日教組が日本の教育をダメにした」と熱に浮かされながら繰り返しつぶやいていたのを思い出した。普段自分の心情を吐露する人でないので、彼の告白に驚くとともに、あの時代学生の熱狂に思いを馳せたのを思い出した。

     さてこの本、学年が一年違うだけで全くちがう価値観を持ってしまったことに、ひどく驚いた。学生でも難しい言葉を話し自ら発言するその勇気と賢明さにも驚いた。人はそんなにも熱くなれるのか。教育で骨抜きにされたわたしでは計り知れないことだ。私は現代史に詳しくない。私の努力不足もあるが、教育のなかの日本史の立場がいかに弱いかを表してしているのではないかと軽薄にも感じてしまった。
     読了後、あらためて表装を確認すると、何とも言えない感じが残る一冊だった。

  • 2014/11 二人静のときもそうだったけれど、もどかしい小説。でも心に残る。

  • 「70年安保闘争」を当時の高校を舞台に書かれた長編小説。
    「何かを獲得するためには、同じだけ何かを失わなければならない」
    ほろ苦く青臭い10代の頃を思いだし夢中で読みました。
    反戦映画を観たり小説やルポルタージュを読んで、
    その世界を知ったつもりでいた10代。
    安保闘争を知ろうと思わなかったのは何故だろう。
    この著書を読んでも
    当時の高校生の思いを全て理解する事は難しい。
    我が子を見守る親の気持ちに共感。

  • 1969年、僕の知らない高校紛争があった時代

    ケータイもwebもコピー機もなく唯一「人」がネットワークだった時代に高校生達は大学生と同じように自分で考え、自分の体を使って行動した

    行動することで傷つき
    痛みとともに何かを失い

    その後大人になっていった人生の時間の中でもさらに何かが奪われ失われてゆく人生

    彼らがその何かを失いながらも傷つき痛みと哀しみを抱え戦った最も輝いて生きた時代とその後の人生…そして訪れる大切な人の死

    想いとともに枯れることなく決して忘れないという祈りと願いのような気がした

    この小説で描かれた10年後に、自分は制服のない自由な公立高校に当たり前のように入学し、その後、新人類と呼ばれバブル期を迎えた

    10年前の小説の時代は全く知らなかった

    制服もなく、パーマもヒゲも麻雀もパチンコも最初から当たり前に自由だった僕の高校時代は

    自由は当たり前でも最初からあったわけでもなく当時の高校生達が勝ち取ってくれたものだった

    僕は知らなかった10年を知ることができた

    その時代を過ごした世代だけではなく、知らない世代にも読んで欲しい素晴らしい小説

  •  マンデラという平和の巨星が逝き、参議院本会議で特定秘密保護法を成立させてしまった2013年12月6日、「いつの日も泉は湧いている」を読了した。
     「基本的人権を踏みにじることを許すな」という精神もそして声も届きにくくなりつつあるこのときに一九六九年の日本を思い起こしています。

     「いつの日も泉は湧いている。涸れることなく湧き続ける。・・・泉は人間の営みと一切関係なく湧き続ける。たとえ人類が滅んでもこんこんと湧き続ける。真生子は自分の死を強く意識したとき、そんな涸れることのない泉を想起したのではないのか。」

     「ねえ、守田くん、どうしてあなたは書かないの」
     そう言った大切な女性がこの世から姿を消してしまった。だからこそ、一九六九年のことをいま書かずにいられないと、盛田隆二が書いた私小説的青春小説。

  • 政治闘争していた頃の高校生活を振り返るお話で、鴻上さんの『僕たちの好きだった革命』を思い起こさせるが、鴻上さんは盛田さんの4つ年下(鴻上さんが1958年生まれ、盛田さんは1954年生まれ)。この時期のこの年齢差は大きい。ちなみに村上春樹が1949年生まれ、村上龍が1952年生まれ。
    1969年の安保闘争のとき、盛田さんは高校入学したばかりだったのに対し、村上春樹は大学生で、鴻上さんは小学生。主人公の年齢設定は作者本人と同じで、名前まで守田君なんだから、いろいろなできごとはともかく、当時の学校の雰囲気に関しては、盛田さん自身の記憶に基づいていると考えていいだろう。
    鴻上さんの小説が、高校で政治活動を行う主人公をかなり引いた目線で描き、すでに冷めてしまった高校生と、熱い時代から「復活した」高校生のギャップを中心に描いているのに対し、こちらはどっぷり政治の時代の主人公の主観にはまっている。
    現在との対比を明確にした鴻上さんの小説のほうが、私たちから見て、当時の高校生への「イタさ」「あこがれ」のないまぜになった感覚がよりはっきり伝わってくるかもしれないが、こちらのほうが、当時の高校生の心情と、その後の挫折感などが伝わってくる。
    今の高校との雰囲気があまりに違うことに(すでに知識としては知っていても)、唖然とさせられつつ、もう少しバランスのよいかたちで、政治参加ができないのかなということは、再び強く感じさせられた。

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