- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532196493
感想・レビュー・書評
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小関氏の本は3冊目。4年前の本で、その10年前との比較があったのがまず良かった。鉄やSUSの性質や、職人独自の感覚が、取材先の言葉そのまま記されている。これが実に楽しい。今はNCも5,6軸と増え、コードも色々使えるが、旋盤時代の技術はほぼそのまま活きるという。さらに治具(これは確かに究極の一品一葉で最高のノウハウ)の話もあり、充実。また類書、続書を読みたい。
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自身も旋盤工である著者が、モノづくりの職人の仕事ぶりを通じて、「職人」とは何かを語っている。それはすなわち、仕事とはなにか、働くとは何かといったことの、ひとつの答えとなっていた。
文庫本のためのあとがきによると、ここで紹介された職人が経営する町工場は、リーマンショックや東日本大震災があった十数年の荒波にも耐えぬいて、ほぼすべてが健在であったという。
職人は、お決まりの仕事をして満足せず、常に何が求められているかを考え、原材料や機械との対話を通じて、課題解決の工夫や改善を積み重ねていく。これが経験や勘の蓄積となり、マニュアル通りに機械を使うことでは真似できない技術・仕事の質を生み出し、事業の継続を果たしている。
まちがいなく厳しい世界ではあるが、ここに描かれた職人たちは、あるものは1000年のタイムスパンで自分の仕事が評価されればいいとか、報酬よりも仕事の結果が喜ばれるのがうれしいといった動機で、楽しみながらやっているところもすごいと感じた。
著者の仕事柄、ここに紹介されているのは、町工場の事例が多かったが、職人レベルか、ただの労働者なのかは工場に限った話ではない。いかなる職種のどんな仕事にでも当てはまると思う。
そんな観点から参考になった点など・・・
職人とは、ものを作る手だてを考え、そのための道具を工夫する人。
ただ手慣れてしまったら、ロボットと変わらない。そのような働きぶりからは、どんな進歩も発見も、働く楽しさも生まれない。
感性を豊かにすることが、ものづくりをするための技術を身につける第一条件である。素材などものづくりの対象と親しくなることで、対象がまるで命を宿したもののように身近な存在に変わる。
常に恥をさらして生きることを通じて、本当の学びがある。自分の恥と向き合うことなしに、技術の向上など絵空事でしかない。
机上の設計ではそうなる「はず」でも、いざ作ってみるとそのとおりにはいかない。その「はず」を現実のものとして実現するのが職人の技能である。
ラインがブラックボックス化されると、プロセスが見えなくなるので、何の気付きもなくなる。それは人間にとってもはや機械ではなく、ただの装置でしかない。
不可能を可能にしたのは知恵である。知識ではない。知恵はどんな本にも書いていないし、大学でも教えてくれない。知恵は訓練だけでは得られない。問題に直面している現場に居合わせ、ものと向き合った時に初めて湧いてくるのが知恵である。
熟練は器用さとは違う。手の技プラス知恵で、困難を超える問題解決能力を持っている職人こそ、熟練工と呼ぶにふさわしい。
こういう仕事になると、図面を見た瞬間に、それを作るプロセスをどうイメージできるかです。イメージのできない人は、あれやこれや理屈を並べて、結局はできません。
机上では計算できなくとも予測はできた。いわば職人的な勘である。動物的な、本能的な勘ではない。現場で鉄と向き合ってきたもののみが獲得しうる勘なのである。
人の体、あるいは手に蓄えられた技を、デジタル化するという試みは、技を一般化するうえで一定の役割を果たすことは確かである。しかし、それが一つの手段となり得ても、すべてにはなり得ない。記号や数値で表現することのできる技術とは違って、技能は常に人の体温と共に存在しているからである。
実体験のなかから生み出されてきた知恵を、どのように知識としてゆくか。体を通して獲得した技能を、どのように技術化することができるか。そのためにはまだ、知識の側、技術の側の言語があまりにも貧しいのだということに気づくべきである。情報という程度の言語では、技術者のメモに隠された、省略されたプロセスを読み解くことができない。技能は言葉を持たない技術である。言葉を持っていないぶんだけ底知れぬほど奥深いのが技能だということに、ひとはもっと気づくべきであろう。
ものは雄弁である。いい仕事をしていれば、きっと誰かがみてくれる。人が見ていなくても神様はきっと見てくれている。 -
個人的にはプロジェクトxみたいな番組はなんだかなぁ、と思う。
著者は自らが旋盤工ということもあり現場の息遣いがわかる作品。