- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532280338
作品紹介・あらすじ
『生半可な學者』で講談社エッセイ賞も受賞した名手の作品を初の文庫化。レストランにおける食べ方の美学、消しゴムの自己実現と自己消滅、文庫本とラーメンの知られざる相似性。-世界がすこし違って見える、柴田目線の徒然なる日常。
感想・レビュー・書評
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なんたる目線。
かなり新鮮。
ただの変人。笑
薄い本なのに、なぜか
読み進めない。
でも読み終えた。
そんな本だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
エッセイかな、と思いきや、柴田先生の短編が楽しめます。
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翻訳ものは余り多くは読みませんが、有名な柴田元幸さんのコラムってどんなだろう?と読んでみた。
うん言語にまつわるエピソードや技術的なこと?は面白かった!? -
文庫本とラーメンの話が面白かった。飄々としている先生のエッセイ
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村上春樹さんと仲がいいようなので、どんなおもしろい人かな、と期待して読み始めました。
自分が関心のある人が、親しくしているからと言って、その人にも関心が向く、と言うわけではないよです。薄い本ですが、最後まで読むのが苦痛でした。途中で、やめればよかった。 -
久しぶりに柴田元幸さんのエッセイ。単行本を読みそびれていたので、少し前に出た文庫版を手に取った。
柴田さんの文章は几帳面で品がよいけれども、ただスノッブではなくて、クリーンな筆致が読んでいて心地よい。そこに、媒体ごとにテーマが織り込まれて、知的で軽やかな読みものに仕上げられていく。掲載された媒体によって、アメリカ文学をからめたものもからめないものもさまざまなので、ちょっと散漫な感じは否めないし、苦手そうなテーマのものは、「柴田先生、これはたぶん苦手なんだろうな」とあっさり推測できてしまう(笑)、ばか正直さも感じる。逆に、音楽とアメリカ文学が投入されると、一気に文章の密度が上がってくるので、「おおーっ、きたきた!」とこちらのテンションも上がってくる。
個人的には、文芸誌『リテレール』に掲載されていたエッセイをまとめた第Ⅲ部と、音楽と文学を織り交ぜてつづられた第Ⅳ部が好み。「コリヤー兄弟」で描かれる、他人と接触を断って生き続けた2人男性の人生は、ただのゴミ屋敷物語というわけではなく、フォークナー『エミリー(へ)の薔薇』的にも見える。「ニューヨークの空気」は、NYCのイメージをビリー・ホリディとヴァーノン・デュークとアーウィン・ショーでギュッと濃縮し、ラストでお茶目にまぜっかえして、「でも日本人の憧れ、ニューヨーク!」と仕上げる、きらきらした文章がワンダホー。
今年の春に東大の先生を辞されてから、毎月どこかの出版社から翻訳が出ているような、柴田先生のすごいお仕事っぷりにはほんとうに驚嘆する。この本のようなエッセイもすごく巧みでいらっしゃるけれど、柴田先生はやっぱり翻訳がいちばんお好きなんだろう。ちょっとだけ、「心ここにあらず」な感じがどのエッセイからも漂っている気がする。「文は人なり」というように、ほんとうに、正直なかただと思った1冊だった。 -
翻訳家の柴田元幸さんのエッセイ集。
元は1997年に単行本として刊行されたものらしい。結構前ですね。
当時の本業は東大の先生だったみたい。
帯の「文庫本とラーメン」から引用されたラーメンと本の相似性に関するくだりを読んだことが、この本を買ったきっかけ。
内容は日常のことや英語や英米文学作品、食べ物、モノ、音楽、ショートショートっぽい読み物などなど、いろいろと多岐に渡っていて、統一感は感じられない(笑)
先の「文庫本とラーメン」はもちろん、クロコダイルとアリゲーターの違いの話とか、「人工」と「自然」をCDとレコードやエアコンと扇風機に例えた話とか、とてもおもしろかった。
英米文学ってあんまり読んだことないんだけど、柴田さんの翻訳作品に興味が湧いてきた。
まずはこの本に紹介された作品から読んでみようかな。 -
単行本で既読。
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『生半可な学者』に続くエッセイ集。
時代を感じさせるテーマのものが少なかったせいか、単行本が17年前に出ていたと知って吃驚。
冒頭の元号についてから、日常のことまで書かれているが、秀逸なのが文庫本とラーメンの価格を対応させたくだり。
柴田説によると、『薄い文庫本と普通の醤油ラーメン』、『厚めの文庫本とチャーシューメン』が大体同じ価格帯に属していることになるのだが、その『薄い文庫本』にカテゴライズされるであろう本書の定価が680円(税抜)、手近にあったものでちょうど本書の倍ぐらいの厚みがある『マインド・イーター[完全版]』の定価が1100円(税抜)。かなりいい線じゃない?