中井久夫の臨床作法 (こころの科学増刊)

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  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784535904361

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  • ・とにかく診断がつかなければとか、方針がつかなければだめだとおっしゃっている先生方は、聞かなくてもいいことをたくさん聞くのです。そうすると何が起こるかというと、次回は患者さんは現れないのです。僕はそれをいつも見て来ました。

    ・東洋医学への関心が漢方薬から鍼灸へと広がり、療治を求めている経絡やツボが浮き出て見えるようになり始めた頃、一本の経絡の上に数個のツボが見え、その中の抹消に位置するツボに気を送ると、より中枢側に位置するツボも消滅する、その逆はない、と気づきました。
    そのことを中井先生にお話ししました。先生はおっしゃいました。「システムを動かすには抹消から、というのがシステム論 の基本だ よ」。―神田橋

    ・名古屋市立大学で最初にお会いしたとき、入院患者が今夜自殺すると予知して、当直医はいるのに、ご自身泊まり込み自殺を阻止したことが二回あったとおっしゃいました。予知の感覚を「いくら手を伸ばしても、患者の魂が遠ざかっていく感触」と説明されました。真似しようとしましたが、この感覚は真似できません。代わって「患者に捨てられた、愛想を尽かされた」寂しさを感じることができるようになりました。それを手がかりに、患者が治療への希望を諦め、捨てようとしているのではないかと問い、これまでの不毛の経過からそう思うのは正常だと告げ、新規まき直しを提案する、その際、捨てられた寂しさの感情を載せて懇願の雰囲気にするという技法を作りました。やって みると何のことはない、ただの「正直」に過ぎないことが分かり嬉しくなりました。「型を脱した」歓びです。

    ・特に、統合失調症の方に言えるが、「そのセッションの中で、何か、小さなことでもいいから、<心地よい驚き>があるとよい」という言葉が印象に残っている。

    ・「人間(幼児)はまず消費から始まります」と、生産に第一の価値を置く風潮を批判されました。ほかにも「患者さんにいくらやさしくしてもよいが、ナメられてはいけません」「人間は一回のパンチには耐えられますが、ダブルパンチには耐えられません」「ココロとカラダは不可分で“コラダ”としか言えませんなあ」「贈り物をもらうと、あなた(患者)を特別扱いしてしまうから、と断っています」「患者さんから手紙 をもらったら、領収書程度でよいから返事を出しましょう」「医者が患者さんに自分を高く売ると、高く買い戻さなくてはならなくなります」「患者さんの家族構成をもっともよく知っているのは医者でも看護師でもなく、受付嬢です」など、例を挙げればきりがありません。

    ・うつ病の人に「わかってたまるか」という気持ちのあることを土居健郎は指摘しているが、その人の置かれている状況に対する理解のほうは、患者に(脅かすことなく)「相手がわかった」という感覚をもたらすように思う。

    ・言葉という「正門」よりも身体という「通用門」のほうが敷居が低い場合があると痛感させられた。

    ・中井先生は、統合失調症の予後を精神医学が予想できるのは約10年程度であって、その後は 偶然としか言いようのないものをどうつかまえ生かすかによる、と言っている。そして、精神病院がハプニングに乏しい場であることは、その精神的な「貧しさ」の大きな要因だとも。「未知には少しは小石や凹凸があるほうがよいのである。それは驚きをおこりやすくする」というのは、翻訳について書かれた文章だが、なんと含蓄のある言葉だろうか。

    ・人生は幸福と不幸でできているのではない、出来事でできているんだ。

    ・発病して二十数年で六度の急性期を経験した。「慢性化」した患者ということになるのだろうか。そんな私がもっとも惹きつけられたのは、中井先生の次のことばだ。
    「おそらくこの(慢性状態)からの離脱の前提条件は、患者の自己尊敬と士気とを回復し維持すること でしょう。」

    私のようなこじらせた状態から抜け出すには、まず「尊厳の回復」が必要だという。まったくその通りだ。たしかに今の私には、尊厳も士気も粉々になってしまった感がある。尊厳を失ってしまった背景には、おもに二つの側面があると思う。一つは病そのものによるもの。たとえば急性期の「奇行」によって信用を失い、社会的役割を失い、自信を喪失してしまったこと。そしてもうひとつは、急性期の治療によって、さらに尊厳を失ってしまったという側面である。

    ・山中 エビデンスをみんな間違えているのです。統計の対象にあるものがエビデンスだと思い込んでいるのですが、そんなものは僕に言わせるとエビデンスでも何でもない、残渣です。あるいは雨で落ちる水のことだけ、 捕まえた魚のことだけをいっているのです。
    我々の対象の精神科の患者さんたちがどういうふうに生きているのか、どこで困っているのか、その困っていたことから、生き生きと生きられる、生き直しを始められたときの表情とか、目の光とか、そういうものが僕に言わせるとエビデンスなのです。

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著者プロフィール

1937年生まれ。
1961年、九州大学医学部卒業。
1971-1972年、モーズレイ病院およびタビストック・クリニックに留学
1984年~ 伊敷病院(鹿児島市)にて診療。

本書『精神療法でわたしは変わった』の著者:増井武士、旧知の師匠。

「2022年 『精神療法でわたしは変わった』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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