農の営みから: 「創造的である」ということ上 (人間選書 254)
- 農山漁村文化協会 (2006年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
- / ISBN・EAN: 9784540053085
感想・レビュー・書評
-
KiKi がLothlórien_山小舎での暮らしを指向し始めた頃、KiKi はいくつかの疑問を自分の中に抱えていました。 その一番核にある問題意識。 それは
「自分はいったい何をやっているんだろう???」
というものでした。 仕事はそこそこ充実していました。 そこそこのポジションを得、どちらかというと経済的にもゆとりがある方だったと思うし、人間関係に大きなストレスを抱えているというわけでもなく、プライベートの生活にも小さな不満はあっても深刻な不満・不安があるわけでもない。 かといって充足感に満たされているわけでもなく、どこか違和感のようなもの・・・・・を抱えている。 それが何なのかはわからない。 「生きがい」だの「やりがい」だのという言葉にはどこか懐疑的で「自分探し」な~んていう言葉にも嘘臭さを感じ、消費一辺倒のライフスタイルにも疑問を持ち、でもどうすればいいのかわからない・・・・・。 でも決して鬱症状ということでもないみたい・・・・。 いったいぜんたい何なんだ!! どうすりゃいいのさ!!! そんな閉塞感にも似た想いでした。 正直、「こんなことを考えるのは贅沢な悩みというものなのかもしれない」と自分を納得させようとしていたようなところもありました。
そんなときに再読したのがミヒャエル・エンデの「モモ」でした。 久々に読んだあの本の衝撃たるや凄まじいものがありました。 もっともあの時にはまだまだ整理できていなかった読後感・・・・ではあったんですけどね(笑)。 で、その漠然とした読後感を行動レベルで突き詰めていった行く手にLothlórien_山小舎がありました。 でもね、KiKi は内山さんのように1つのことを突き詰めて考える「哲学者的」な根気には欠けるために、その読後感を整理して自分の思想に昇華するところまではまったく手がついていない人間なんです。 今回、この本を読んでみて、
「ああ、あの過程で KiKi が漠然と考えていたことの大半がここに言葉になって書かれている。」
KiKi はそう思いました。 まあ、哲学者の書いている本なので、今の時代に受ける「ああすれば、こうなる」的なマニュアル本的なものではなく、どちらかというと人が行動する際の考え方の根っこにあるものをつきつめると・・・・・・っていうことが書かれている本で、そういう意味では少なからず
「言いたいことも何となくわかるし、ご高説は拝聴させていただきましたが、要するに我々はどうすりゃいいのさ?」
みたいなスタンスで読むと「ふ~ん・・・・・」で終わっちゃう本だとは思うんですよ。 でもね、KiKi は自分が知らず知らずのうちに陥っていた「思考停止状態」に渇を入れたいと思っていて、そのためにどんな筋道を辿って物事を考えていけばいいのか、多面的に物事をとらえたいとは思っているけれど、どんな視点からものを見るようにしていけばいいのか、もっと言えば、自分が苦手としている目線がどの方向からのものなのか・・・・・を明確にはわかっていなかったので、今回の読書はその助けにはなったなぁ・・・・と思います。
(全文はブログにて)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
創造性とは、必ずしも芸術と結びついた言葉ではない。地に足をつけた農業や地域、自然との関わりから考える創造性、というアプローチに頷きながら読んだ。
-
ローカルな循環系社会を実現することを訴える。
●インディアンは自然の恵みを最小限いただきながら、自分達の生活を質素に営み、精神的には高い文化を築いていた。
●仕事と稼ぎは異なる。貨幣を得る事が稼ぎ。村を維持するための共同作業、寄り合いなどが仕事。
●中世社会は農村を軸に展開し、全体として自給自足的・循環系のなかで人々は生きていた。
●循環系の社会から離脱しながら、個人になっていく過程と単純な交換手段であった貨幣が次第に富をあらわすものになっていく過程は重なる。 -
農村共同体と家父長制の関係。これからの農と女性。→この本を読んでいて出てきた関心テーマ。
・半商品
・ローカルな「場所」を単位に循環系の社会を築く。
・貨幣を単純な交換財に後退させ、共同的文化的価値の再考を。
・時間の消費者から時間の創造者へ
・思想とは、風土が生み出した共同的価値 -
人の営みの根幹をなす「農」。
人と「農」、さらには「自然」とのかかわりとは、どのようなものであったのだろうか?
今、深く読んでる最中ですが、オススメです。