うちは精肉店

著者 :
  • 農山漁村文化協会
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  • Amazon.co.jp ・本 (36ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784540122224

感想・レビュー・書評

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  • 独特のにおいが苦手で牛肉を食べられない私だが、読んでからそれを深く恥じた。
    知らないことは、山のようにあるものである。
    解体現場の写真など見たら肉は食べられなくなるかと言うとその反対で、今度こそ心から「いただきます」を言おうと、そして完食しようと本気でそう思ったのだ。

    大阪貝塚市にある北出精肉店。
    市場で仕入れた子牛を肉牛に育て、その牛を解体し、精肉して売るまでを家族ぐるみで行う。
    江戸時代末から続くその仕事はもう7代目になるらしいのだが、「貝塚と蓄場」が閉鎖されることで精肉店もたたむことになる。
    これは、北出精肉店の最後の屠蓄の仕事(2011年10月31日)をカメラに収めた、モノクロのドキュメンタリー絵本だ。
    こういった題材を絵本にして出すという勇気に、まず脱帽。
    その中身もまた、命に真剣に向き合う家族の体温まで伝わってくるようで、厳粛な気持ちになる。
    10分弱で読み終えるので、読み聞かせはもちろん大人の方にもぜひ。

    表紙を開くと裏側にまず現れる黒毛和牛。
    牛舎からひかれてきたばかりなのだろう。左端で、白衣姿の三人が心配そうにのぞいている。
    ここから物語のスタートだ。
    眉間を、特殊なハンマーで気絶させる瞬間。
    鮮やかなナイフさばきでの解体作業。内臓の仕分け。
    小学生らしい息子さんも、真剣な顔で精肉の作業に関わる。
    皮をなめして、祭りの太鼓になるまでの一連の流れ。
    「いのちをいただき、そしてそのいのちをいただく」とは、こんなにも大変でこんなにも真剣勝負なのだ。
    精肉店には、屠蓄した家畜たちのための「獣魂碑」があって、いつも花が供えられている。

    映画にもなったというこの本は、本橋成一さんの文と写真で成り立っている。
    文章もカメラも限りなくやさしい。心の奥にまで届く、精肉店の写真集である。

  • 精肉の過程を知る本として『きみの家にも牛がいる』という本がありましたが、あちらはイラストで、また焦点が精肉というよりは、牛をめぐる全体の話しということもあり、精肉の過程は精肉工場での一連の流れ作業のような感じがありました。こちらは、写真です。そして家族経営の小さな精肉店が1頭の牛の屠殺/解体する様子を描いています。1つ1つ手作業なのは精肉工場でも同じなのですが、こちらはまさに1頭の牛と向き合っている感じがします。グロテスクな部分に反応してしまう人も多いと思いますので、無理に読ませるべきだとは思いませんが、私は大変興味深く読みました。なかなか稀有な本だと思います。

  • この本をつくった本橋成一さんをはじめ、北出新司さん昭さんご兄弟のお人柄や仕事に対する熱い想いが、飾ることなくスッと胸にしみいってくる、そんなステキな本。

    北出新司さんの、
    「瞬間やからね。牛のいのちをいただくというのは、瞬間やねんな」
    という科白に胸が熱くなった。

    そして、この本を読み終わったあと、思わずお肉が食べたくなる、そんなすばらしい本。

  • 京都・新風館にあるカフェoyoyで見つけた『うちは精肉店』(本橋成一)。

    この本が図書館にて「児童書」として分類されていた事に最初は少し驚いたけれど……

    「「子どもにとってかなりインパクトのある事だから」と避ける事ではないよな」と読んでて思いました。

    ただただ食べるだけでは「この食べ物があるおかげで、生きる事ができている」という事がわからない。

    ご飯を食べる前に「いただきます」と何故言うのかがよくわかる一冊で、

    大人にとっても重要だと思いました。

    以下「!」と思った文達です。

    ❶ 屠畜は、特殊なハンマーで牛の眉間を叩いて気絶させることからはじまります。屠場には、張りつめた空気が流れます。新司さんがハンマーをふりおろした瞬間、牛のからだがくずれ落ちます。牛を食べるために、いのちをいただき、そしてそのいのちを生かす仕事。それが、屠畜です。

    ❷ 「どういう肉がいちばんおいしいと思いますか?」と新司さんにたずねてみました。すると、「牛にしてみれば、自分の肉に等級をつけてほしいと思って生きてたわけじゃないからね。」といって笑いました。

    ❸北出精肉店には、屠畜した家畜のための獣魂碑があります。この獣魂碑は代々受けつがれてきたもので、いつもお花が供えられています。「人は、いのちをいただくことで生かされている。牛の肉が人のからだになる。生きるということは、いのちをつなぐということ。だから牛に感謝し、誇りをもってこの仕事をしてきたんだ。」そう、昭さんが話してくれました。

    ❹人は、食べものとしての肉をみると「おいしそう」といいますが、牧場で草をはむ牛をみると「かわいい」、その牛が屠畜される場面になると「かわいそう」という。食べものとしてのおいしそうな肉がどのように、だれがつくってくれているのか、そこのところが、いまの社会ではなかなかみえないですね。

  • 「読みたい」に分類しておきながら評価がついているその訳は、この作品の著者がプロデューサーとして名を連ねていた「ある精肉店のはなし」(2013) という映像作品を先に鑑賞する機会を得ながらもDVD化されていないことから検索結果にのぼらないという裏事情があったため。なのでこのレビューの内容もその鑑賞記。晴れて書籍に触れることができたそのあかつきには再読記録として更新しよう…


    =====

    役者は一人も混じっていないのです。

    ドキュメンタリーだから当たり前なのではあるけれどその登場人物の語る言葉のひとつひとつがあまりにも大きなメッセージを持っていて、並みの脚本家ではこうはいかんなとつい倒錯した考えにも陥ってしまったりも。

    「いのち」をいただいて暮らしていること、忘れてはいけない。


    奇しくも先日和太鼓のパフォーマンスをみせていただいたのだが、改めて間近に見る和太鼓はこの作品を通して全く違う造形を持って自分の目の前に現れたのです。不思議なできごとでありました。

  • ベラルーシの豚を育てる名人のおばあちゃんが、「この豚はうんとかわいがったからうまいよ」という。どうして小さい声で言うのって聞いたら、「豚に聞こえないように」だって。かわいがったからうまいという感覚は昔の日本にもあったと思うけど、もうぼくらは忘れてしまったんじゃないか。

  • 牛の肥育から屠畜、さらに精肉までを行ってきた大阪の精肉店を営む家族。
    屠畜と解体の仕事を最後にすることになった、その1日の仕事を追った白黒写真のドキュメンタリー。
    なかなかこの過程の逐一を知ることはないのでグロテスクさが際立つかなと思ったがそうでなく、むしろ牛1頭のすべてを無駄にしない手仕事の凄さ、向き合う家族たちの覚悟に美しさすら感じる。

  • 本屋さんにはごめんなさい
    立ち読み・ぱら見しました。

    以前、某ブログで「ウサギ狩り」について炎上致しましたが、そんな中、このような本を「児童書」として出版なされる勇気に脱帽しました。
    写真が白黒なので、インパクトはかなり控えめですが、これは誰もかれもに読んで(観て)戴きたいと思います。
    お肉を食べる人にも、食べない人にも。

    この本は、とても大切な事を伝えてくれています

  • 2013/10/7

    648.2||モ (5階産業)

    貝塚市の北出精肉店では代々、牛の肥育から屠畜、精肉までを営んでいた。牛は屠畜・解体され、肉や太鼓となって生まれ変わる。
    いのちをつなぐ家族の仕事をつづったドキュメンタリー写真絵本!
    牛肉を食べるときに、
    “牛のいのちをいいだく”
    気持ちになれる・・・?

  • 「大阪・貝塚市の北出精肉店では代々、牛の肥育から屠畜、精肉までを営んできた。牛は屠畜・解体され、肉や太鼓となって生まれ変わる。2011年秋、精肉店での屠畜・解体は幕を閉じた。その最後の仕事が、はじまる。いのちをつなぐ家族の仕事をつづったドキュメンタリー写真絵本!」

    ・時代とともに流通の仕組みが変わり、屠畜される牛の頭数も減って、屠場が閉鎖されることになった。
    ・「牛を食べるために、いのちをいただき、そして、そのいのちを生かす仕事。それが屠畜です。」
    ・獣医師も屠畜の作業を見守る。
    ・「牛の心臓はハツ(ココロ)、4つの胃はミノ、ハチノス、センマイ、ギアラ(アカセンマイ)、横隔膜はハラミ、小腸はヒモなど、生き物であったときの名前が、食べ物の名前へと変わる」
    「人間は家畜のからだをあますことなく、くらしに利用してきました。牛のからだも、ひとつてとして捨てるところがありません。「鳴き声以外捨てるところがない」と言われるほど。」
    骨や血→肥料
    皮→皮革製品に
    脂肪→油脂
    骨や腱→ゼラチンや膠(にかわ。接着剤)に生かされる

    皮で太鼓を作る過程も紹介。

    あとがきより:
    ・江戸時代の日本は表向きは肉食が禁止されていた。が、武士は「薬食い」とか理由をつけて食べていたらしい。
    ・江戸から斃牛場(へいぎゅうば)といって、病気やケガで動けなくなった牛を武具とか馬具のための皮を取るため処理する施設があった。
    ・屠場法という法令が出来たのが明治39年(1906)
    文明開化で日本人はアメリカやドイツなどから医療を教わり、安心できる肉を外国人に食べさせるために、屠場を衛生的に整備。

    「いま、近代化された牛や豚の屠場では、可能なかぎり人の手をかけなくなり、システム化された工場のようだ。衛生的に管理されと閉ざされたことによって、かえって生き物たちの生と死は、ベールの中に隠されてしまった。それは自分たち自身も、いのちあるものだという自覚を失うことでもあるのだ。ー昭さんが講師を買い付ける時に選ぶ基準はまず、(いのちをともにする)その2年間をともに生きる相性だという。彼らの仕事ぶりを見ていると、その意味がよくわかる。七代にわたって、いのちと関わりつづけてきた北出さんの家族はとてもやさしい。」

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著者プロフィール

東京生まれ。1968年「炭鉱〈ヤマ〉」で第5回太陽賞受賞。1995年 写真集「無限抱擁」で日本写真協会賞年度賞、写真の会賞を受賞。1998年「ナージャの村」で第17回土門拳賞受賞。同名の初監督ドキュメンタリー映画作品は文化庁優秀映画作品賞を受賞したのをはじめ、海外でも高い評価を受ける。2002年映画2作目の「アレクセイと泉」で第52回ベルリン国際映画祭ベルリナー新聞賞及び国際シネクラブ賞ほか受賞。2013年写真集「屠場〈とば〉」「上野駅の幕間(新装改訂版)」で日本写真協会賞年度賞を受賞。主な写真集に「サーカスの時間」(河出書房新社)、「上野駅の幕間」(平凡社)「無限抱擁」(リトル・モア)、「ナージャの村」(冬青社)、「アレクセイと泉」(小学館)、「バオバブの記憶」(平凡社)、「昭和藝能東西」(オフィスエム)、「屠場〈とば〉」(平凡社)などがある。

「2015年 『炭鉱』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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