中村屋のボース: インド独立運動と近代日本のアジア主義

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  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560027783

作品紹介・あらすじ

R.B.ボース。1915年、日本に亡命したインド独立の闘士。新宿・中村屋にその身を隠し、アジア主義のオピニオン・リーダーとして、極東の地からインドの独立を画策・指導する。アジア解放への熱い希求と日本帝国主義への止むなき依拠との狭間で引き裂かれた、懊悩の生涯。「大東亜」戦争とは何だったのか?ナショナリズムの功罪とは何か?を描く、渾身の力作。

感想・レビュー・書評

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  • インドの独立運動家 ラス・ビハリ・ボース(以下、ボース)の伝記をベースに、戦前の日印関係やアジア近現代史の解説が上手く配合されている。
    日本での潜伏先であった新宿中村屋とのエピソードも盛り込まれており、緊迫感がありながらも心温まった。(ちなみにタイトルの「中村屋」を歌舞伎の屋号の方と勘違いしていた。どちらの中村屋さんもごめんなさい…)

    ボースは15歳で独立運動に目覚めてから、今か今かと反乱のチャンスを窺っていた。
    自ら爆弾の製造を進め、デリーにて時のインド総督ハーディングへの爆弾テロを遂行する。そしてイギリス側から追われる身となった彼は国外逃亡を決行。
    インドへ武器を密輸入させること、そして国外からインドの独立を支援することを目的に、当時日露戦争の勝利に湧いていた日本へと渡った。しかし同時に日本は日英同盟に調印しており、ボースはここでも執拗に追われる身となる。

    前半の逃走劇はとてもスリリング!
    見張っていた探偵が途中で眠りこけていたりとフィクションよりも面白く、著者が脚色しているんじゃないかと思ったくらい。日英同盟が解けるまで逃げおおせられるとは、やっぱり後世語り継がれる人って豪運の持ち主なんだなーって妙に感心してしまった。

    「大英帝国の申入れにおびえて亡命客を追出すなんて、何という恥さらしな政府だろうと、主人も私も憤慨した」

    日本政府が身柄引渡しに応じようとしていた、また、黒龍会(!)顧問の頭山満からの依頼だったとはいえ、爆弾テロの首謀を匿うなんてよく引き受けようと思ったもんだ。中村屋夫妻は、ボースが母国で何をしたのかちゃんと知らされていたのかと疑ってしまう。

    そんな困難な状況でもボースは「印度亡命志士」「気遣いの人」と人々から慕われ、メディアへの寄稿や政治活動も積極的に行った。
    帝国議会議員への立候補やナチスドイツへの連携を訴えていたのには驚かされたが、彼の目的はあくまで「インドの独立」。日中戦争も「イギリスが中国をけしかけて起こしたもの」と捉え、日本の軍事力をもってイギリスを打倒するチャンスだと論じていた。

    「打倒イギリス」でいえば、彼が気分転換に作ったインドカリーが後に中村屋の看板メニューとなったのは有名な話だ。(自分は読むまで知らなかったけど…←おいおい)イギリス経由で伝えられた「カレー」ではなく、実際にインドで食されている「カリー」にこだわったという点に凄まじい敵意が感じられる。

    「私はかつて闘士であった。もう一度、闘おう。それは最後で且つ最善の闘いだ」

    本書で一番ガツンと来たのは、ボースが日本側から慕われていた理由である。
    当時の外国人に対する評価基準は「日本的であること」だった。そのせいで中国や東南アジアへの植民地支配は悪化の一途を辿ったし、ボース自身もインド国民軍から「日本側の傀儡」とみなされてしまった。

    でもそれって現代にも言えること。相手の外国人が礼儀正しく素直であれば我々は安心する。上手くいけば、こちら側に取り込むことだって可能だ。まだまだきな臭いなー…

  • 近代の日本の状況に明るくない私にはびっくりすることばかり書いてあった。インド独立を目指す革命家が何人も日本に来ていて、料亭で会合を度々開いていたとか、日本側もその状況をつかんでいたとか。ラース・ビハーリー・ボースは日本に来た時イギリスに睨まれていたため、日英同盟を結んでいた関係から日本でも隠れながら暮らしていて、中村屋に転がり込んだのは、身を隠すためだった、とか。
    それにしても、インド独立のためとはいえ、帝国主義になっていた日本のやる事を肯定し、しまいにはインドの人達からも信用されなくなってしまったボースは気の毒だった。それほどインド独立が悲願だったという事なのだが、読みながら、えー!ナチス肯定しちゃうの?なんだそれ、等何度か幻滅もした。ただ、アジア主義の理想を追い続けた生涯にきっと後悔はない、と思う。大東亜戦争という名称には意味があったと分かった。ボースの願う日本にはならなかった訳だが。
    今後、新宿中村屋でインドカリーを食べることがあったら、必ずボースの事を考えるだろうと思う。

  • ▼かなり以前に読んで、感想を書くのを失念していました。なのでほとんど細部は忘れているんですが。

    ▼チャンドラー・ボースさんの伝記本ですね。中島岳志さんの本を一度読んでみたかったので。ボースさんについては、インド独立運動の志士、という10文字だけは知っていました。なんだか日本で匿われ活動していた?という意味だと孫文と混同してしているような。

    ▼つまり新宿の中村屋さんに匿われて、そこで家族になっちゃった。お嬢さんだかたれかだったかとご結婚されて所帯を持たれた。したがって中村屋にはインドカリーがある。インドカリーの件は主題ではありませんが。そのような経年事実がありながら、つまりはインド独立について、その植民地支配について、色々ふむふむがあり。そのあたりを鏡として日本を写した時に、浮かび上がるもの。そんな狙いが感じられ、実は大変面白かった。いい読書でした。

    ▼日本は明治維新で、植民地にされることから免れたんです。日清日露にも勝利して、実はその段階でようやく「明治維新完成」とも言えると思っていますが。そして日本の人々は、清国やインドなどにも、「俺たちの真似をして、植民地から脱しよう!」というアジアとしての連帯を訴えたりもしてたんですが。

    ▼ところが日露戦争後に、朝鮮を植民地にしてしまう。つまり加害者側に転向してしまう。これはインドから見たらどう見えるか。

    ▼そもそもそれ以前に、日本の明治維新とはつまり、欧米に伍する軍艦を作ることだったんです。独立を維持できたら、それが出来たんですが。軍艦を持つことでアジアにおける利害代弁者になれますよ、という資格をもちえて、日英同盟が成る。もうこの段階で、英をはじめ列強のアジアアフリカ支配を糾弾できません。日本の近代とはなんともはや、搾取される側から脱した時に、自分の兄弟たちのことは見殺しにするのが必須条件だった。やれやれな運命です。

    ▼ボースさんは文字通り七転八倒しますけれど、結果あまり効果的な独立運動は展開出来ない。この辺りの辛さは、丸谷才一「裏声で歌へ君が代」です。ボースさんの後半生は、日本とアジアのやれやれな運命の炙り絵のよう。そして読み終えてつまりはボースさんの亡くなるくだりで、思わず胸が熱くなりました。これは書き手の技術ですねえ。中島岳志さん、またご縁があったら是非読んでみたい作家さんになりました。

  • 長年気になっていながら読んでいなかった一冊。
    歴史に翻弄され、日本に身を置きながら祖国インドの独立に奔走した男の一生。
    そして、和菓子の中村屋が果たした役割がこんなにも深かったとは知らなかった。
    カリーのエピソードも胸を打つ。
    アジア人として、忘れてはならない歴史が描かれている。

  • 行ったことはないが、新宿中村屋の名前は知っていた。月餅の包装紙にあるロゴも見覚えがある。中村屋を開いた相馬愛蔵と黒光の名前は、安曇野にある碌山美術館を訪ねたときに眼にした。中村屋の敷地内には、碌山荻原守衛のアトリエがあった。碌山は黒光を愛していた。代表作「女」の像は、別の女性をモデルにして制作されたが、完成した作品を見た子どもたちは「カアさんだ!」と叫んだそうである。

    まだ武蔵野の名残を残す内藤新宿にあって、中村屋は一つの文化的なサロンとしての役割を果たしていた。高村光太郎をはじめ、芸術家や文化人、政治家が出入りしては、交流の輪を広げる場となった理由の一つに、「中村屋のインドカリー」があった。そのインドカリーの生みの親こそが、本評伝の主人公、中村屋のボースこと、ラース・ビハーリー・ボースであった。

    インド統治の責任者であったハーディング総督に爆弾テロを行ったR・B・ボースは、インドにいられなくなり、伝手を頼って日本に渡る。しかし、英国よりの態度をとる日本政府はボースに対し国外退去を命じる。政府の弱腰の態度に業を煮やしたのが頭山満、玄洋社の首魁であった。その頃、新聞でインド独立の闘士の窮地を知った相馬夫妻は、頭山を通じてボースを中村屋敷地内にあったアトリエに匿うことになる。一歩も外に出られないボースは、アトリエにあった炊事場でインドカリーを作って故国を偲んだ。その味が「中村屋のインドカリー」の原点である。

    後に黒光の娘俊子を妻にしたボースは、日本に帰化し、日本にいながらインド独立のために奔走することになる。日本語を流暢に話し、独特の魅力を放つボースは、頭山満や大川周明という超国家主義者の領袖を筆頭に、犬養毅、東条英機、広田弘毅という名だたる顔ぶれを知人の列に加えることにより、日本の国策である大東亜共栄圏の宣伝に協力することになる。

    ボースの頭にあったのは、ガンジーの非暴力主義では英国の支配からインド独立を勝ち取ることは難しい。だから日本の武力をもって英国を排し、インド独立を果たすというプラグマティックなものであった。だが、当初は日本の韓国、中国に対する差別意識を批判していたボースであったが、日本政府に重用されるうちに批判色を薄め、国策に絡め取られてしまう。

    日本の心情的アジア主義者には思想がなかったと筆者はいう。インド独立を焦り、結果的に日本の超国家主義に協力することになってしまうボースもその点では同罪である。しかし、9.11以降、西欧的世界観にも限界があるのも明らかになりつつある。インドや中国というアジアの国々が台頭しはじめている今、アジア的な視座に立つことにより、西洋的世界を見直し、より普遍的な世界を目指す方法もあるのでは、という問いかけが生じる。そこにこそボースの希求した世界像がある。

    新宿中村屋の名物「インドカリー」の陰に埋もれていた一人の男の人生を激動の昭和史を背景にくっきり浮かび上がらせて見せた功績が大きい。出生の地インドを訪ね、逃走ルートを実際に走り、体を張った調査で、過去を活き活きと甦らせる。アジトでの潜伏、繰り返される転居という逃走劇は映画を見るようで手に汗を握る。タゴールや、チャンドラ・ボース、『ドグラマグラ』の夢野久作の父親、杉山茂丸をはじめ記者時代の山中峯太郎等、登場人物の顔ぶれも凄い。文学・歴史好きにはこたえられない一作。

  •  ラース・ビハーリー・ボース、彼は時のインド総督に爆弾を投げつけた過激なテロ事件の首謀者で、1910年代のインドを代表する独立運動の指導者であった。その彼は、新宿中村屋のインドカリーの生みの親でもあった。 
     官憲に追われ日本に亡命してきたボース、彼を匿ってくれた中村屋の娘と結婚、その後日本国籍を取得し、二人の子どもも生まれた。彼は、頭山満、大川周明ら ナショナリストと交際するとともに、時の首相の犬養毅や浜口雄幸とも交流があった。彼は、インドの独立に情熱を燃やし、その夢の実現目指し、日本の援助をえるため、力を尽くすが、日本は大東亜共栄圏構想をかかげ、戦争への道を歩んでいく時期でもあった。その構想は、必ずしもボースが期待するような、真にアジアの繁栄を望むだけのものではなかった。その中でボースは…。異国の地で、インドの独立の日を見ることなく死んでいったラース・ビハーリー・ボース。死にのぞんで彼の心に去来したものは…。
     丹念に資料を追って集め読み込み、現地も訪れ、彼の娘の信頼もえて、彼の足跡をたどっていった若き中島岳志。情熱あふれる筆致は読む者を強く引き付ける。今、中国、インドが世界の中でも、大きな役割発揮をしようとしている。既に成熟国になり、世界の中での存在価値を落としている日本。その中で、アジアの中での日本とは何かを考えるうえでも好著。

  • 著者が心血を注いで書ききったことが分かる。
    主人公である中村屋のボースだけでなく、そこに纏わる人々。20世紀前半の日本やアジアをめぐる熱気。多くの文献にあたり、それらを一つの物語に仕上げている。

  • インド独立のために奔走したボース氏の事は本書で初めて知った。どの国にも苦難の歴史があり、欧米のデモクラシーが善悪で定められていることによって、この様な過去の苦労があること、それが今の日本やインドに繋がっていることを、理解できた。

  • I was a fighter. One more fight. The last and the best.
    (私は闘士だった。もう一度、闘おう。最後で且つ最善の戦いを。)

    「中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義」で取り上げられている植民地インド時代の独立運動家Rash Behari Bose (1886-1945)が、日本に亡命した晩年、イギリスからのインド独立を再度目指すために帝国陸軍と協力して独立戦争を闘おうとした際に書いていたという言葉です。訳は本を少しアレンジしました。

    タイトルの「中村屋」は、新宿の中村屋のことで、彼が日本で官憲から隠れて中村屋で生活をしていた際に紹介した「インドカリー」が、今も定番メニューとして残っているインドカリーの元祖だそうです。イギリス植民地政府に対してテロも起こした独立運動家が日本に伝えた「カリー」が現在も残って、彼の存在すら知らない日本人(僕も食べたことはありましたが本を読むまでまったく知りませんでした)の間で定番メニューになっているというのは、奇縁と言わざるをえません。

    インド独立をトリガーとした「アジア解放」の思想を追求するものの、大日本帝国の拡張政策に乗っかってイギリスと戦い独立を実現せざるを得ないという現実という相克に対し、帝国主義路線にも柔軟に対応しながら現実的解を達成しようとして、その結果としてインド人同胞からの信頼を失い、道半ばで病に倒れ、インド独立をその目で見る前に亡くなるという壮絶な人生は、稀有なものでしょう。相克するものにはさまれて苦悩しつつ、また家族には優しい父であろうとするその姿には感じ入るところがありました。

    近代的産物である植民地主義という思想を克服するために「アジア主義」というある種脱近代的な思想を志向するいっぽうで、ネイション・ステイトとしての独立という近代的な手段しか持ち得ないというアポリアは、どこか現代のアフリカにも当てはまる気がしてなりません。ボースが日本人の心情的アジア主義者たちから受け入れられたのは、彼の思想故ではなく、亡命してもインド独立を求めてやまない革命家に「心情的に」共鳴したからであり、彼らはボースの思想に対しては関心を抱かなかったと筆者が看破した点についても、どこか相似形な気がします。

  • 中島先生の講演を聞いて読んでみました。マニアックだけど読みやすく、何よりボースへの愛を感じます。なぜそうなったのかも聞いてみたい。

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著者プロフィール

1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『思いがけず利他』『パール判事』『朝日平吾の鬱屈』『保守のヒント』『秋葉原事件』『「リベラル保守」宣言』『血盟団事件』『岩波茂雄』『アジア主義』『保守と立憲』『親鸞と日本主義』、共著に『料理と利他』『現代の超克』などがある。

「2022年 『ええかげん論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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