パ-ル判事: 東京裁判批判と絶対平和主義

著者 :
  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560031667

感想・レビュー・書評

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  • パール判事=日本無罪論の人

    パール判事=純粋な法学者
    という印象に変わった

    理由は以下

    パール意見書曰く
    通例の戦争犯罪は良いとしてもても、裁判所憲章で急に湧いて出た人道に対する罪や平和に対する罪は行為時にはなかったものである罪刑法定主義や遡及処罰の禁止という近代法の原則、証拠不十分といったところから「刑事責任は問えないため」無罪を宣言すべきであるが、「道義的責任」はあるとしたことが

    主張された残虐行為の鬼畜のような性格は否定しえない。
    本館は事件の裏付けとして提出された証拠の性質を各件毎に列挙した。
    この証拠がいかに不満足なものであろうとも、これらの鬼畜行為の多くのものは、実際行われたのであるということは否定できない。

    という部分からも読める。

    さらに、通例の戦争犯罪の訴追についても現場に出ていないA級戦犯の指揮監督権の程度から「不作為(残虐行為の抑止など)」があれば刑事責任を問われるべきだが、証拠不十分であると主張したにすぎない。

    また東京裁判についても裁判そのものの意義を否定したわけではなく、裁判所の構成が戦勝国が多数を占めることから「正義」ではなく「報復」と捉えられる可能性が高いことから批判したまで。

    どう読み変えれば「完全無罪」に繋がるのか理解ができない。

    パールの息子→「プライドー運命の瞬間」に怒り
    パールの判決やパールの存在が東条の正当化の道具にしかされていない。

    個人的に東京裁判について述べると

    戦勝国の政治的な意図や報復的な色はあったにしても、後世からも非難されるべき行為を行った事実は消えず、いかに直接手を下したわけではないとはいえ戦争遂行の上で多大な犠牲を出したことは断罪に値する

    そして、そのような非難や断罪の結果を国民全体で受け入れることなく、戦犯釈放運動→戦犯や遂行者の支配層復帰(正力松太郎、中曽根康弘、岸信介など)といった無反省はアジアとの軋轢や原発といった現在の問題にもつながる。

    そして、清瀬代理人の提起した戦勝国の戦争犯罪の問題は素晴らしい指摘ではあっても、東京裁判とは別に論じられるべき問題である。

  • 『文献渉猟2007』より。

  • 2007年刊行。東京裁判のパール判事に関する人物評伝。いわゆる東京裁判の被告人が刑事法的に無罪だとしても、道義的な非難責任は免れないよ、これがパール氏の真意だ。これが著者の主張。確かに、判決文からは道義の問題は本来的に導き出せるはずはなく、パール氏の他の言行から著者の主張を裏付ける材料も有り得るところ。一読の価値はある。

  • 法理論の遵守という観点で、事後法に基づく東京裁判を批判。
    戦争を否定する仕組みとしての国際法の在り方、世界連邦の役割と可能性について、50年前から進歩していない世界を見せつけられた思い。

  • 東京裁判を否定しているものが、その判事の一人を担ぎ出して「日本無罪論」、とかいって勝ち誇っていること自体、ある意味滑稽ではある。当の本人にしてみれば、こうもいいとこ取りをされるとは思っても見なかっただろう。
    愛国者の底浅かりし。

  • 靖国神社は似合わない。

  • パールは、日本無罪論を主張してくれた人として、「日本に全く罪はなかったにょだ」と主張する人たちにうまく利用されてきた。

    でも、彼の生い立ち・思想を見ていくと、簡単じゃない。

    ガンジー主義者たる彼は、日本の中国侵略を許さなかった。
    それと同時に、アメリカの原爆投下に怒っていた。
    欧米列強の植民地主義にも怒っていた。

    東京裁判は、事後法だ。
    戦勝国が、自分達のやったことは棚に上げて、敗戦国を一方的に裁くことは正義に反する。けれどもその事実は、日本の残虐行為を正当化するものではない。ただ、証拠不十分なだけだ。

    彼の結論を、よく検討すること。これが未来への一歩だ。

  •  パール判事は全員無罪と主張した。と、受験の日本史のバイブル『山川の日本史用語集』に書かれている。東京裁判で並み居る連合国側の判事の中で、彼がただ1人異論を貫いた事実は、だから知られていて当然の常識である。

     だが、彼の主張の中身を「日本無罪論」と解釈するのは誤りである。
     20数年前、予備校生だった私は神保町の大型書店で『パール博士の日本無罪論』なる書を見つけた。その本自体が異様に小さく粗末なつくりで、いかにも少数派の主張みたいな装丁だった記憶がある。
     その時、立ち読みして思ったのは、それまで知らなかった意外な事実であるということ。だが、どう読んでも連合国側判事の主張の誤りは指摘されていても、けして「日本」無罪論なんかじゃないのでは、との疑念だった。書名に偽りアリと感じた。

     昨年『中村屋のボース』を読んで感銘を受けていた。偶然この『パール判事』が同一の著者の最新著作と知り、大急ぎで書店に見に行った。
     序章を立ち読みした。そこには①なぜ著者がこのテーマで書くことになったのか、②パール判事の主張は「日本無罪論」と曲解され、右派の主張の根拠としてご都合主義的に流用され続けている・・・と明解に記されていた。

     冒頭のわずか8ページだけで、私の長年のわだかまりは氷解した。この書の存在を知らせてくれた方への感謝を念じながらレジに進んだ。

     箱根にあるというパール判事の記念館を著者が訪ねたときの記述から本書は始まる。地元のタクシーでさえ場所を知らず、訪問を予告したのに記念館は無人で、館内は埃にまみれ、資料は荒れ果てていた。
     そこまで読んで私は、20年前にひょんな事情から愛知県の三ヶ根山を訪れたときの事を思い出した。人に頼まれてその無名の山に車で登った。そこには、第二次大戦で玉砕した島々や、沈没した艦船の遺族会の、無数の慰霊碑が集められ一種異様な場所だった。朽ちた石碑の状況確認と、手ごろな石材業者の手配を私は頼まれていた。なんで?私が、という思いのままさまよっていた。夥しい石碑群の不気味な広場の一番隅に、一層不可解な一角があった。
     東条英機ら死刑になったA級戦犯の遺骨を安置した場所だと記されていた。え、と思った。未だ彼らは靖国神社の合祀もされず、東京裁判否定の主張など街宣カーの拡声器でしか流れなかった時代である。廃棄物として焼却処分された遺体の灰を密かに盗み出し、この地に葬ったと書かれていた。遺体をゴミとして処理する仕打ちが人道上許されるものとは思えない。だがそれが信用し得る事実か否かはそもそもあやしい。ともかくこの事も私の中に何十年もわだかまっていた。
     その後、A級戦犯は知らぬ間に合祀されていたことが明らかになり、首相が参拝したり、昭和天皇は合祀を憂慮していた事実が暴露されたりと、この問題には変転があった。
     だが、私の数々のわだかまりは晴らされないままであった。

     そこで出合ったのがこの本であったのだ。
     誠にフェアーな視点から極めて丁寧に書かれた本である。1人でも多くの知識人(これもはや死語?)が読むべき一冊だとさえ思う。

     本書をきっかけにパール判事の主張の真の意味が、あまねく日本の読者層に理解されることを切に念願する。

  • 東京裁判の伝説(?)の判事の思想が、よくわかる気になれると思います。
    中学生の頃かな、「東京裁判」という長い映画を見た記憶があります。あらためて東京裁判の全貌を知りたいと思いました。

    小林よしのり氏による言いがかり的な反論(だとぼくは思います)は残念ですね。
    ただ、全面的に言いがかりなのかは判断できない内容もあります。
    どちらの言い分が真実に近いのか。著者の反論も聞きたいところです。

    [07.10.11]

  • パール判事の人となり、判決の意味がよくわかる本。
    色々と都合のいいように解釈をしてはいけないと思った。

    そしてパルさん(馴れ馴れしいw)は私の尊敬する人のひとりとなりました。

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著者プロフィール

1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『思いがけず利他』『パール判事』『朝日平吾の鬱屈』『保守のヒント』『秋葉原事件』『「リベラル保守」宣言』『血盟団事件』『岩波茂雄』『アジア主義』『保守と立憲』『親鸞と日本主義』、共著に『料理と利他』『現代の超克』などがある。

「2022年 『ええかげん論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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