神経内科医の文学診断

著者 :
  • 白水社
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レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560031803

作品紹介・あらすじ

脳と神経の第一人者が三十作品を診る。

感想・レビュー・書評

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  • 脳と神経の第一人者である筆者が、文学作品中に現れる自身の専門領域の病気や症状について語ってくれる本。書店で見つけて興味を持ち、目次を見る。芥川龍之介の『歯車』に現れる閃輝暗点の記述があった。これはその昔、当時つきあっていた彼女が教えてくれた話で、彼女自身も閃輝暗点を経験していた。

    妙な懐かしさを感じて本を購入した。

     内容には専門的な記述もあるが、話が固くなり過ぎないように配慮されている。なによりも文学好きな筆者の気持ちが伝わってくるのが読んでいてよくわかる。須賀敦子に対する記述などは読んでいて共感できる部分だ。単なる文学論ではない、病の部分に触れた内容は、とても興味深く読むことができた。

  • 近頃、何でもない漢字が突然書けなくなったり、しゃべっている途中でろれつがうまく回らなくなり、俗に言う「かんで」しまうことがふえた。人の名前が出て こないことは、ずっと前から少しずつ徴候として出てきてるので、加齢によるボケの始まりだろう、と軽く考えていたのだが…。

    岩田誠氏の『神経内科医の文学診断』という新著を読んでいて、少し不安になってきた。谷崎潤一郎の「鍵」についてふれた一章の中に、失名辞失語の症例が出 てくるからだ。文章そのものの主題は失語症についてではなく、ババンスキー反射という、「大脳皮質運動野から脊髄の下方に至る随意運動の経路、すなわち維 体路のどこかが破壊された」場合に起こる足趾の反り返り運動についてである。

    谷崎の「鍵」の中に、足の裏を擦りあげるバハンスキー反射を調べる医師の行為が実に精密に書かれていることに神経内科医である著者が驚いているという内容 である。それ以上に驚かされるのは、同じく維体路障害の診断に用いられる挙睾筋反射の記述である。睾丸の根元の両側の皮膚を擦ることで睾丸を吊っている筋 肉の反射を見る、というものだが、「右の睾丸はゆっくりと鮑が蠢くように上り下りの運動をするが、左の睾丸はあまり運動する様子がなかった」という記述 は、文学作品の中で書かれた挙睾筋反射の最も正確な描写だろうと著者は言う。

    著者はこれが、谷崎自身が自分が診断されたときの経験をそのまま書いたものだと推理する。その根拠は、維体路障害診断で必ず行われる腹壁反射についてふれ ていないからというものだ。座位で行える挙睾筋反射の診断とちがい、腹壁反射は仰臥位で行われるのが普通で、谷崎自身は見ることができなかったから書けな かったのだという診断である。

    谷崎の文学が、これほどまでに科学に忠実であったのかというのが、驚きの一つである。しかし、個人的にはその後の谷崎の病歴の方が気になった。谷崎は『高 血圧症の思ひ出』の中で、失名辞失語の経験についてふれているのだが、人名だけでなく犬の名前や魚の名前も出てこなくなったらしい。一過性ではあるが漢字 や仮名も読めなくなったこともあるという。

    著者によれば、これらは脳虚血症状が生じていたことによる。「頭頂・側頭葉を中心とする大脳半球後方の白質には、かなり高度の変化が生じていたのではなかろうか」というのがその診断である。

    素人には、ボケの始まりくらいにしか思えない失名辞失語の症例も、専門医となると脳のどの部位に変化が起きているのかまで分かるらしい。著者は、谷崎は適 切な治療を受けていなかったのではないかと推測している。物忘れくらいと思って放置しておくのは考えものかもしれない。一度脳のCTスキャンを受けてみる 必要があるのではないか。そういえば、同僚が脳ドックに申し込んでいた。その時は、何を大げさな、と笑ったのだが、笑い話ではすませられなくなってきた。

    本自体は、専門的な知識をひけらかすのではなく、文学に堪能なドクターの文学エッセイといったおもむきで、実に読みやすく、また採り上げられた作品、作家も洋の東西を問わず、選び抜かれたものばかりで、著者の文学的センスがなかなかのものであることを窺わせる。

    健康な人なら気楽に読めるにちがいない。また評者のように自身の健康を診断してみようかという向きにも、案外役に立つのではなかろうか。著者は須賀敦子さんの愛読者。須賀さんの本の好きな人には、お馴染みの作家や作品が並んでいるので、一読をお薦めする。

  • たまたま図書館で見かけて、「神経内科医」の書評本ということで、私の興味対象が二つも重ねあわされていた本書に吸い寄せられるようにして借りてみた。
    期待を裏切らないどころか、期待以上の面白さに★5つ。

    神経内科医の著者が、神経学的視点から文学作品を読み解くという、その切り口が面白い。
    作りごとであるはずの小説のなかで、登場人物が病気になったり、体に不具合を起こすというのはよくあることだが、意外と医学的にかなった表現がされているというのが興味深い。
    ここで紹介したくて、わざわざ神経学的な描写を探してまで取り上げたお気に入りの本(司馬遼太郎「胡蝶の夢」)もあったと白状されているので、そういう作品をあえて取り上げているのかもしれないが。

    「天才と発達障害」のなかで題材になっていたルイス・キャロルや、「天才は語る」にあったチョムスキーの例文が出てきたり、著者の敬愛する須賀敦子さんの話や、ベルンハルト・シュリンクの「朗読者」、谷崎潤一郎の「鍵」、森鷗外の「澁江抽齊」、北杜夫「楡家の人々」など、つい最近読んだり、興味を持ったり、親しみを持っていた作品や作家が数多く取り上げられていた。

    「朗読者」は、5,6年前に読んで二人の悲恋ばかり記憶にあったが、文盲である女性の、文盲であるがゆえにナチに協力させられてしまった悲しさについて著者の臨床経験から触れていた章と、また北条民雄というハンセン病患者の著作「癩院受胎」のくだりと、同じく著者がハンセン病患者の療養所を訪問していた時の思いについて書いた章が強く強く印象に残っている。

  • 古今東西の有名な文学作品から、医師である筆者が気になった描写をひいて、それに解説などをつけた作品。医師ならではの視点に医師でないわたしはびっくりしました。

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著者プロフィール

1942年、東京生まれ。東京女子医科大学名誉教授。メディカルクリニック柿の木坂院長。専門は神経内科学。著書・編書に『脳とことば』(共立出版)、『パリ医学散歩』(岩波書店)、『神経症候学を学ぶ人のために』(医学書院)、『見る脳・描く脳』(東京大学出版会)、『脳と音楽』(メディカルレビュー社)、『神経内科医の文学診断』(白水社)、『鼻の先から尻尾まで 神経内科医の生物学』(中山書店)、『臨床医が語る 認知症と生きるということ』(日本評論社)ほか多数。

「2015年 『続 神経内科医の文学診断』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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