ベスト・オブ・ベケット 1

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (196ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560034965

感想・レビュー・書評

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  • 登場人物は主人公二人と通りすがりの二人、それから各幕の最後に登場する少年一人だけ。
    主人公二人はひたすらゴドーを待ちますが、ゴドーが何者か、どうしてゴドーを待っているのか、彼ら自身もわかっていません。
    なにやら終末観や閉塞感を感じさせる空気が全体的に流れますが、運命や必然を感じさせる事件が起きるわけでもなく、かといって何か物語の因果関係というものも存在しません。
    かつてこの作品を幾つかの劇団が演じたのを観ましたが、どれも人間性を直接に描いていないにもかかわらず、逆に人間とは何かを考えさせられる、そんな心に残る物語です。

  • ひとまず思ったことを書くのが大事だと思ったので書くけど、読み返したら変わる気がするし、なにを語っても正しいという気はしない、というか正しさを求めるものでもない(というこの言説すら正しさを規定する姿勢からは逃れられないのだけれど、キリがないのでやめにする)。小説三部作を読んだあとだからというのもあって、あれらの小説とこの戯曲とが響きあってそれぞれに対して新しい視点を得たように感じた。なにかのために語られるのではなくただ言葉を繋ぐために語られる言葉たち、という小説三部作(特に『名づけえぬもの』)に顕著だった特徴はこちらにも見受けられ、しかしそれが身体の接触や暴力を導くさまは、まさしく演劇に固有の広がりといえる。言葉と身体という切っても切れない関係は、決して論理的で整然としたものとしては描かれない。そう思うと今度は、小説三部作のほうに語りの問題ばかり見出してしまったけれど、もっと身体にも気を配るべきだった、などと思う。そうしてやっぱりあの小説群とこの戯曲を切り離して考えられないのだとすると、ゴドーというのは意味なのだと思った、いや、でもこれは陳腐で安直でいかにも文学部一年生ふうな解釈の気もする。正直海外のいわゆる名作というのはそれこそ文学部的(もう卒業してずいぶん経つのに)な教養として手に取ることが多く、読んでもあんまり面白いと感じないこともあるけれど、ベケットはほんとうにどれもめちゃくちゃに面白いと感じるので、ベケットが血肉とした過去の神話、戯曲、小説、思想にも触れてから、また何度でも読み直したいと思った。

  • 謎の存在「ゴドー」がやって来るのを待つふたり
    様々な解釈はあろうが、僕はゴドーを「女」だと思っている
    妄想によって欲望を満たすこともできないふたりは待ち続けるしかない
    ゴドーの出来と同時にふたりの友情は終わるのかもしれないが…

    ベケットが刑務所の慰問で上演したところ
    これがバカウケだったらしい

  • 喜劇的なまでの絶望。GodotはGodなのかと思ったりもしたけど、これは何者でもかまわないか。神か、死か、希望か。各々が勝手に思えばいいのだろう。
    一幕では間抜けにも見える待ちぼうけが、二幕で永遠性を帯び、絶望感に襲われる。自分もゴドーを待っているのかもしれない。飽くまでも受動的に与えられた生に絶望を覚える。

    スーザン・ソンタグは戦時下のサラエヴォでこれを上演したという。待てども来ないNATO(クリントン)への皮肉だったのか。

  • 「ゴドー~」だけ読了済。なんだかジムジャームッシュの映画みたいな感触だなあという感想を持ちました。来るのか来ないのか、居るのか居ないのか。「待つ」という状態、ただそれだけを描写。

  • 今年に入ってから何回か『ゴドーを待ちながら』というタイトルを耳にすることがあり(GEBでも出てきたような)、これは今年読むべしということだなと思い、手を取りました。
    私のイメージする戯曲まさにという感じで、これは少なくとも読める英語でチャレンジすべしです。

    エストラゴン(ゴゴ)とヴラジーミル(ディディ)

    読了後の感想、それから久しぶりにSparknotesやらを見た感想としては、高橋康也の解題が一番しっくりくるサマリだと思っている。すなわち、
    『ゴドー』に接して、人はむしょうにおしゃべりになりたがっている自分を見出す。…テクストの内部に自己矛盾の隙き間を見つけて、そこから作品を腑分けし、脱構築しようとしても、実は全篇これ隙き間で成り立っていることを悟られるのである。…急いで断っておくが、議論や解釈がむだというのではない。無数の解釈が生まれ、すれちがい、ゆらめき、消尽されてゆく、その過程がまさにこの作品を観たり読んだりする経験の実体にちがいないのだ。だから、解釈はたぶん多いほどいい。それだけ、すれちがいのエネルギー、ゆらめきのゲーム、消尽のスリルが大きくなる理窟だから。
    そもそも表題がそうだ。「ゴドー」を「ゴッド」のもじりと解して、神の死のあとの時代に神もどきを待ちつづける現代人、その寓意的肖像画の画題がここにある。ーこの解釈が抗しがたい誘惑力をもつことは事実だが、同時に、口にするのも気恥ずかしいほど陳腐なのも確かだろう。それに、神の死といったとき、話はあまりにキリスト教的に限定されすぎてしまうのではないか。…

    まさに!!読みながらこれはあれそれを指し示しているのか、テーマはモチーフは、と分析するのも楽しいが、1954年に出版された、現代のこの劇が、そんなにシンプルにまとめられるものなのか、というのも同時に強く感じるわけで。

    なおSparknotesでは
    Estragon and Vladimir want so desperately to have a sense of purpose in their lives that they fully commit to waiting for Godot, whom they believe will save them, to arrive. This innate need for purpose serves as the play’s central conflict, although Beckett emphasizes throughout that their goal is impossible to achieve.

    These differences from Act One suggest that humankind can never truly understand the world around them due to the influence of chance, or randomness.

    The bleak tone of the falling action, which features Estragon and Vladimir committing to wait the following day, finalizes Beckett’s ultimate argument that human experience is meaningless and suffering is inescapable.

    全体的に人間や人生の不条理さ、不毛さを読み取る、"王道解釈"で、勿論WWIIの後なのだからその要素も強くある。一方で、果たしてそれだけ、とも2024年の私は思ってしまうのだが、それは平和ボケのせいだけなのか。信じられていた人類の知性・理性などは自分の生まれる前に崩壊し、混沌の時代と言われ続けている中で自我が芽生えた身としては、そもそもの前提がそんなものだともいえるわけで、やはり今の時代を切り取る言葉、詩や歌、劇、表現、思想、といったものが、この後生まれてくるのだろうか?

    なんにせよ、面白かったです。

  • よく分からんけどなんだか面白い、というタイプの演劇脚本です。

  • どのようにでも読める。
    余白。

  • 【印象】
    不在がもたらす想像の美化と渇望の純粋化。
    男2人が未だ訪れない救いを木の下で待ちわびる話。

    【類別】
    戯曲。
    悲喜劇的。

    【脚本構成】
    二幕構成。

    【表現】
    認識能力に関するなんらかの大きな欠落を持つ人物らのみの視点で会話が為されていくため、鑑賞者が欲する情報の諸々は明かされないまま物語が進んでいきます。

    【備考】
    底本としては1952年の仏語初版が主に用いられています。

  • なんかよくわからないまま読んでいたらけっこうおもしろかったかな?

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著者プロフィール

1906年アイルランド生まれ。小説家・劇作家。『モロイ』『マロウン死す』『名づけられないもの』の小説三部作や、戯曲『ゴドーを待ちながら』を発表。1969年ノーベル文学賞受賞。1989年没。

「2022年 『どんなふう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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