「三島あるいは空虚のヴィジョン」
まずは、訳されている三島由紀夫の全ての小説、戯曲、あらゆる記事、写真にまであたった上で、この評論を書いているというその収集力と謙虚さに驚く。ユルスナール曰く「人の持っている知識が十分に深いということはありえない。」のだそうだ。早合点しがちな自分の肝に銘じたい。
あらゆる彼の著作を、人生と絡めながら語るこの評論の中でクライマックスとなるのは、やはり「豊穣の海」と割腹自殺についてだ。豊穣の海とはいかにも豊かさに満ちた名前だが、実際には月の砂漠であって何もない。このことが、結局全ては本多の思い込みに過ぎなかった、全ては空虚である、という物語の結末をはっきり表していると指摘する。確かに...!と感動してしまったが、ユルスナールはこの程度は当然というように極めてさらっと触れている。読者としてのレベルが違うというか、自分の読み方の浅さを思い知らされる。
最もユルスナールらしさを感じたのは最後の部分だった。自刃後、据えられた三島の顔の写真を見たユルスナールは、その死人の目に本当の空虚を見る。三島は人生の果てに本多の空虚を書ききったが、皮肉にもその死に顔をもってそれを越える圧倒的な真の空虚を示すという恐ろしさ。...最も遠い夜空の星の向こうに、それより遥かに果てのない宇宙が広がっているのを見せられたような気になった。