キャッチャー・イン・ザ・ライ

制作 : 村上 春樹 
  • 白水社
3.39
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レビュー : 486
  • Amazon.co.jp ・本 (353ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560047644

作品紹介・あらすじ

村上春樹の新しい訳でお届けする新時代の『ライ麦畑でつかまえて』。

感想・レビュー・書評

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  • さようなら、サリンジャー。
    ついに永遠の若者小説「ライ麦畑でつかまえて」を、村上春樹訳バージョンで読みました。
    究極の落ちこぼれ少年、ホールデンによる自伝調小説です。

    社会のあらゆるものを、自らの信条に合わないもの全てを否定しながら生きている主人公ホールデン。
    イケメンルームメイトと喧嘩しコテンパンにやられても、「相手は暴力をふるったことに内心ビクビクしてる低能野郎だ」と自分の弱さを認めない。
    女の子に逃げられたら、「知性の無い女だった」と一蹴。
    学校を退学になれば、「あんなクズ野郎どもが行く学校はこちらから出てやった」と自分で学校を辞めたかのように振る舞う。
    全てを捨てて故郷を飛び出し、アメリカ西海岸でパイオニア的生活を送るんだ!…と意気込んでみたものの、結局最後はお家に帰って学校に行き直す。
    うーん、本当に根性無しのダメ人間。

    でも、なぜか共感できる、この若さゆえの傲慢。若さゆえの虚勢。
    「自分は優秀だ、何でも出来る」と思いたい、「自分に降りかかる災難は自分のせいじゃない、周りのせいだ」と思いたい。
    私自身、ちょっと前までそう考えることがよくありました(ま、最近はむしろ自分の非を認めがちですが…それが大人になった証拠かな)。
    この本が永遠の若者向けだという意味が良く分かりました。
    時代が移ろうと、若者は若者、その思いはどこかで繋がってるんじゃないでしょうか。

    恐らく、我々はすでに、若者からそうじゃない者への過渡期にいます。
    今が共感できる最後のチャンスでしょう、サリンジャーへの追悼の意味も込めて、ぜひ読んでみてください!

    最後になりますが、本書は名言に溢れています(攻殻機動隊を見た方はご存じですよね)。
    その名言を数個、個人的チョイスでご紹介します。


    「つまり僕が言いたいのはさ、君はなんらかの意味でこの前の君とは違っているということなんだ」
    (展示物は変わらないが、見ている我々が以前とは変わっている、それを確認出来ることが博物館の良い点なんだ、というホールデンの言葉、意外と冴えてる)

    「けっきょく、(あなたは)世の中のすべてが気に入らないのよ」
    (10歳の妹フィービーに愚痴ったホールデンが、その後妹に言われた一言、これはきつい)

    「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」
    (ホールデンの恩師アントリーニが精神学者ヴィルヘルム・シュテーケルの詩から引用。みんな、生きようぜ!)

    以上です、長々と失礼しました。

  • 村上訳は率直に読みやすいと感じた。
    サリンジャーは数年前までご存命だったと知り、追悼の意を込めて改めて手に取ったのがこの村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」。

    ホールデンは誰の胸にもいる。
    どこか斜に構えて、大人の世界を嫌悪する主人公は、
    多くの人に共感をいただかせたヒーローである。

    誰だって、世の中に不満の1つや2つはある。
    でも「それが当たり前」と流され流され、今の世は回っている。
    そこで不満をぶちまけ、世を変えようと爪を立てる事は、
    ただの犯罪者やテロリストと大差ない。
    ホールデンはそうじゃなかっただろう?

    この本は青少年には必ず読んでもらいたい。
    きっと成長出来るから。
    そして、大人にもたまに読んでもらいたい。
    きっと反省できるから。

  • 以前から気になっていた本だ。
    やっと読めた。
    昔読んだ野崎さん訳の「ライ麦畑でつかまえて」を、最近再読した。
    なので、この本と比較がしやすい状態で読んだのだけれど、村上さんのほうが言葉遣いや語彙がすんなりと入ってきた。
    それはやっぱり、時代の変化が言葉に反映されるからだろう。
    そして、村上さんのホールデンのほうが、少しおとなしくって上品で、野崎さんのほうがちょっぴりやんちゃな印象を受けた。
    村上さんの訳は、ホールデン以外の人物の気持ちもにじみ出てきて、感じられたし、野崎さんの役は、まだまだ青いホールデンと他人との距離感が、より強い風に感じられた。
    どちらの訳もそれぞれの持ち味があるのだなあ、翻訳って奥が深いなあと、改めて感じ入った。

    この本は読みやすく、わかりやすいと思った。
    また10年くらいしたら読み返してみたい。
    次は原文で読んでみたい。
    そしたらまた、印象は変わるのだろうな。

  • あぁ。こんなとこにも「やれやれ」とか言っちゃう「僕」はいるわけね…。

    最初はなんだか癖のある口調で読みにくかったんだけど、途中からなんだか楽しくなってきた。
    息子に近い年だからかな。
    本当にしょうもないんだけど、かわいくなってきた。
    完全に親目線で読む。
    小6の息子もたまにホントに意味不明な事言うんだけど、なんだか通じるとこあるのかも。
    もちろんここまでひどくないけどね。

    これ16歳で読んだら共感できたのかなぁ、

    この子かなりこじらせてるけど、こういう子が案外常識的な大人になったりするんかもなぁ。

  • 「翻訳された文章」が苦手で野崎訳は序盤で投げ出してしまったが、こちらは何とか読みきれた。ほぼ唯一共感しながら読み進められたのはミスターアントリーニとの会話部分。なのにその説法の直後に主人公は謎の衝動に駆られてアントリーニ家を飛び出してしまう。一体何なんだこの主人公は・・・落ち着きなさすぎだろ・・・。青春小説の金字塔として名高い本書だが、全く響かなくなったら大人になれたということだろうか?そうだとしたら大人になるのも悪くなさそうである。

  •  村上春樹の訳も、すっと入ってきて、面白かったです。外国語の小説を訳す時によくありがちな、直訳っぽくて何を言っているのかよく分からない文章はまったくありませんでしたし。

     村上春樹の初期の作品なんかに、ずいぶん影響を与えた作品なんじゃないかなあと思ったりしました。

    〈あらすじです。ネタばれがあります。ご注意ください〉
     主人公のホールデン・コールフィールドは、成績が悪いため学校を辞めなくてはならなくなった十六歳の頃のことを、十七歳になった時に回想しています。
     コールフィールドは、ジェーン・ギャラガーという女の子に好意を持っていますが、寮の同室のプレイボーイが、そのジェーンとデートに行ったことを知り、彼と殴り合いの喧嘩をして寮を出ます。コールフィールドは、ホテルに泊まりますが、向かいの棟でカーテンもせずに変態行為をしている宿泊客を見て、ムラムラきてしまい、娼婦を部屋に呼ぶことになります。でも、寝る気持ちになれなくて娼婦を帰しますが、値段のことで口論となり、娼婦の親玉にお金を取られてしまいます。なんだか落ち込んでしまった彼は、真夜中に、サリーという女の子の家に電話して、翌日にデートの約束をしますが、サリーに、「二人でキャンプ場のキャビンみたいなところに行って、そこで仕事を見つけて、二人で暮らそう。それから結婚しよう」と言いますが、サリーに、「わたしたちはまだ子供なんだから、そんなことはできない。もうすこし待って」と言われ、「もうすこし待ってなんかいたら、ほんとうに行きたいところなんてなくなる。」などと言っているうちに、彼女のことを「スカスカ女」と罵ってしまい怒らせてしまいます。
     コールフィールドは前いた学校の恩師のアントリーニ先生に会いに行きますが、先生の部屋でパンツ一枚になって寝ていると、先生が暗闇の中でコールフィールドの頭を撫でたりしていることに気づき、びっくりして逃げ出します。
     そんなこんなでとことん落ち込んでしまったコールフィールドは、学校も辞めてしまうので、自分は西部にヒッチハイクで行ってそこで何十年も暮らそうと考え、妹のフィービーにお別れの挨拶をしようと考えます。勘のいい彼女は、コールフィールドが学校を首になったと思い、「何に対しても文句を言いたいのね?」などと、コールフィールドに言います。彼は、何に対しても文句を言うわけじゃない、と弁明します。そして、「あなたは、学校を辞めて、いったい何をやりたいの?」とフィービーに尋ねられ、コールフィールドは、昔、寮から飛び降り自殺した男の子のことを思い出したりしながら、「自分はライ麦畑みたいなところの崖っぷちにいて、道を間違えて崖から落ちようとする人をつかまえる人(キャッチャー)になりたい」、などと話します。
     しかし、予想に反して、フィービーが私も一緒に連れて行って、などと聞き分けのないことを言うので、思わず、「黙れ」、などと言っているうちに、彼女を怒らせてしまいます。が、彼女の機嫌をとりながら、動物園に行き、彼女が回転木馬に乗っているのを、大雨が降る中でいつまでも眺めています。



     この作品は、映画化はかなり難しそうです。なぜなら、小説でしかできないことをやっていると思われるからです。
     話としては、あらすじを読んでもらえれば分かるとおり、たいした内容ではないのですが、ユーモアや、おかしみのある文章で、読ませてくれます。たいした内容でないのに、こんなに面白く書けるというのは、やはり一種の才能だと私は思います。たいした内容を、面白く書くのは、簡単です。しかし、たいした内容じゃないものを、面白く書くのは、やっぱりたいしたものだと思うのです。サリンジャーだから、これだけ面白くなったけれど、他の人が書いたら、「何これ?」というものになったかもしれないのです。
     この作品は、青春の苦しみとか、大人になる前の苦しさとか、そういうものを描いたものです。学校でも、ろくでもないクラスメートと、仲良くやっていかなくてはなりません。ですが、感受性の強いコールフィールドは、どうしてもそれができません。そして、かなり苦しんでいます。
     サリンジャーの作品は、「バナナフィッシュにうってつけの日」とか、さらっと読めてしまうものでも、奥が深いので、これから他の方の感想も読んで、勉強していきたいと思います。

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    にゃんくの本『果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語』より
    (あらすじ)

     七歳になるリーベリの元に、或る日、継母のケイとその娘ミミがやって来ます。継母に虐められ、リーベリは学校にも通えず、幼い頃から働かされ、友達すらいなくなります。
     リーベリの心の拠り所は、亡くなったママ・ジュリアが遺してくれた魔法の教科書だけ。リーベリは毎日魔法の勉強をし、早く大人になり自由な生活を送れる日が来ることを夢見る毎日です。
     成長したリーベリの唯一の仲間はぬいぐるみやカラスだけです。
     或る日、そんなリーベリは、海岸にひとり男が倒れているのを見つけますが……。


    ↓ここから本を試し読みできます

    http://p.booklog.jp/users/nyanku

  • ライ麦畑で後先考えずに走りまわり崖から落ちそうになった子供をキャッチする人になりたい、とホールデンは言う。衝動的で批判的で、社会に馴染めないホールデンこそ、今にも崖から落ちそうに見えるのに。
    物語は、学校を退学したホールデンが、家に戻るまでの数週間を描いている。ホールデンは散財し、ホテル暮らしをしながらふらふらと面白くない放浪期間を過ごす。ホールデンは少しでもインチキ臭いと感じると、すぐに嫌になってしまう。クラスメイトや先生、バーの店員や居合わせた客まで何から何まで気にいらない。少しでも知的でマシな会話が出来る相手を探している。それは死んだ弟だったり、まだ幼い妹だったりする。
    物語の終盤、学校に行かないで家出すると言い出した妹にホールデンは学校に戻るよう説得する。思い止まった妹が回転木馬で遊ぶ姿を見ながら涙を流すところで物語は幕を閉じる。妹をキャッチしたことで、ホールデン自身も崖から落ちずに済んだのか。ホールデンの心情は読み取れない。けれどわたしもいつか、似たような涙を流した気がする。毎日をこなせるようになった今、わたしが忘れてしまった苦痛や憤りをホールデンは持っていた。

  • 「僕が本当にノックアウトされる本というのは、読み終わったときに、それを書いた作家が僕の大親友で、いつでも好きなときにちょっと電話をかけて話せるような感じだといいのにな、って思わせてくれるような本なんだ」
    (本文引用)

    まさにこの本は私にとってそういう本であった。
    3日間という短期間の話しで、特に起承転結があるという
    わけでもなく、ただ主人公がダラダラといろんな人に出会い、文句を言っている物語なのだが、不思議と惹きつけられてしまう。

    ホールデンのもつ、世界や俗物に対する否定的な考えには
    、同じティーンエイジャーとして共感する部分も多かった。

    学校を退学しまくり、喧嘩をすればボコボコにされ、女の人に手を出す勇気もなく、こんな弱いヒーローが今までいただろうか。いや、いないだろう。しかし、この物語を読み終えた時まんまと彼のことが大好きになってしまった私は、ホールデンと良い友達になれる気がする。

    物語全体から感じとれる、サリンジャーの無垢性、イノセンスの追求、そしてどこまでが本当の話しだろうかという不確か性(この物語はホールデンの回想であるため)は、読者に多くのことを語りかけてくるように思う。

    それにしても、こんなにおもしろい本にこの年齢で出会えたことを嬉しく思う。

  • 初めて手に取った中学だか高校のときには、
    主人公のホールデンに感情移入できず、途中で読むのを止めたはずです。
    村上春樹訳で出版された時に購入するも、積んだままになっていました。

    機が熟したのか何なのか、自然と手が伸びて読み始めると、
    気づけば、ホールデンの話す世界にどっぷりつかっていて、
    斜に構えたホールデンの物の見方、語り口に、
    思わず声に出して笑いながら読んでしまっていました。

    誰もが通過儀礼的に経験する、思春期の課題やら葛藤やら、
    当事者であった10代の頃に読んだときには、
    近親憎悪的な感情からか、自分の内面を直視するようで、
    見るに堪えなかったような気がします。

    ホールデンの言葉がこれほど心に沁み入ってきたのは、
    過ぎ去った青春時代への憧憬なのか、
    そんな時代を懐かしく思えるようになった今だからなのか。

    そんな時代の心を今のぞくのは、
    ある意味危うい行為でもあり、
    原点を振り返る貴重な経験でもありました。

  • 日本語タイトル「ライ麦畑でつかまえて」で有名な著作です。実はこの作品、高校時代に読んだのですが、主人公のホールデン・コールフィールドに全く共感できなかったため最後まで読めなかった作品でした。

    主人公のホールデンは、本作で何度か自身が語るようにガッツが無い。そのくせ他人には批判的。まだうつ病には無縁で、世の中のことを何も知らない田舎の高校生には、ホールデンがすごく嫌な奴に見えた。

    しかし、30代後半の今読むと非常にホールデンに親近感がわく。もちろん好きなキャラクターというわけではないのだけど。
    若い頃は自分の力量が計れず、なんとなく何でもできそうな気がしてたし、卑怯なことが許せなかったりした。でも、何年か社会人生活を送るにつれ、自分にもできないことがいろいろあって、結構ズルイところもあったりすることに気づく。
    そうすると、ホールデンがただの嫌な奴には見えなくなる。自分の一部を見ているような感じ。

    もう一つ感じたことは、斜めに見ている周りの状況すべてが嫌いであり好きなのだという作者からのメッセージみたいなモノ。作中では『「世の中は、自分が探していることの答えを提供してくれない」と考えた時』という感じで書いているのだけど、答えをくれるかな?という期待とくれないだろうという落胆。
    この2つの気持ちの狭間で、どうしようかなぁ・・・という戸惑い。

    この戸惑いに、以前に在籍した学校の教師ミスタ・アントリーニは「君は憎むべきつまらない授業を乗り越えなければいけない」といった答えのようなものを出しているのだけど、ホールデンは、一度は頼ろうとしたこの先生の所も出てきてしまう。

    答えが無い問いを抱えながら、差し延べられた手を素直に取れない。

    どう生きていけばいいのか・・・そういう答えはホールデンからは、私は得られなかったけど、ホールデンと一緒に彷徨しながら、「寂しいのは自分だけじゃないんだ」なんてことを感じました。

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