黒いいたずら (白水Uブックス 67)

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  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560070673

感想・レビュー・書評

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  • 最初、何を読まされているのか全く分からず、相当に混乱した。
    イギリス文学と思って手にしたのに、何これ、ラテン文学?

    落ち着いて、ゆっくり読めば、マジックリアリズムではないことはわかった。
    内乱中のアザニアでは、生き残るのは自分の才覚に頼るしかない。
    だから誰もが目の前の人と手を結び、見えなくなった途端に裏切るのだ。
    国を見捨てて逃げ出そうと、最後にアザニア帝国に残っていた人たちの裏切りによる裏切りという生存競争の果てに、なし崩しに勝ちを手に入れる皇帝・セス。

    皇帝は何もしない。
    ただ勝利の知らせを待つのみ。
    無能なイギリス公使。
    イギリスに対する反発だけで空まわりし、ありもしない謀略の証拠を次々デッチあげるフランス大使館。
    どんな商機も見逃さず、誠意のかけらもないアルメニア人のユークーミアン。
    そして、皇帝がオックスフォードに留学していた時に、ちょっとだけ接点のあったイギリス人のバシル・シール。

    とにかく登場人物の一人としてまともな人がいない。
    人心は腐敗しているが、暑い日差しの中、物だって腐敗する。
    汗と香料と多分ドラッグと腐敗臭。

    そんな中、内乱に勝利した皇帝は、たまたま訪れたオックスフォード時代の知人であるバシル・シールを近代化省の長官として優遇する。
    というか、憧れの近代化を、ヨーロッパの書物とささやかな留学中に目にしただけの浅い近代化を実現するために、朝令暮改以上の煩雑さでシールを振り回す。

    このバシル・シールという男がまた、本国ではただの金食い虫で、面白そうなことには何でも首を突っ込んでは、借金を踏み倒して逃げ回るというろくでもない男。
    それがアザニアでは結構真面目に仕事に精を出すという不思議。
    本当は皇帝のたわごとを実現することではなく、諫めることが大事だと思うけどね。

    現地の民は近代化の何たるかも理解しようとしない。
    近代化の一環として、近衛兵は必ず靴を履くこと、という法律ができ、兵隊たちに靴が配られる。
    渋る将軍(そんなものはいたら病気になる)とは別に大喜びする兵たち。
    そして次の日、足ではなくお腹を壊す兵たち。(靴を美味しくいただいた結果である)

    目の前の民を見ないで、机上の空論にしがみつく皇帝は、結局人望を失って再び内乱へ。
    この期に及んでも各国の外交官、つまり上流階級の無能っぷりは健在で。

    多分大英帝国が一番輝いていた頃の植民地の状態を揶揄していると思うんだけど、あまりにぶっ飛びすぎて理解が追いつかない。
    原題のMischiefとは、いたずらと訳されるが、「悪意はないが人に迷惑をかける」ことなのだそうだ。
    つまりこれは、黒人皇帝セスのことですね。
    確かに迷惑千万で、哀れでありました。

  • 東アフリカのソマリア沖に浮かぶ島国、アザニア帝国。内乱のあと、若干24歳のセスが皇帝の位に就いた。セスのオックスフォード時代の同窓生バシル・シールは、面白いことになりそうだとアザニアへ向かう。進歩と近代化を目指すセスのもと、バシルは近代化省の長官として登用されるが、セスの気まぐれで次々と出される命令に翻弄されることになる。その裏では密かにクーデターの計画が進んでいて…

    イギリスからアフリカに舞台を移して繰り広げられるドタバタ劇。先住民が靴を知らなかったり食人を行ったりと、ウォー作品のなかでももっとも過激かも。差別的なだということで、復刊や新訳は難しそう。

    『大転落』で登場したアラステア・トランピントンはバシルのまた、前作『卑しい肉体』からマーゴット・メトロランド、新聞『デイリー・エクセス』のモノマーク卿も引き続き登場し、ロッティ・クランプや首相のアウトレイジ、ピーター・パーストマスターも名前だけ出てくる。

    バシルは後の作品『Put Out More Flags』(未邦訳)でも主役を務めるらしい。

  • この風景には見覚えがあるぞ、という既視感(デジャヴ)にも似た印象が読みすすむ裡に募ってきた。文明から遠く離れた人喰い人種の棲む島を統治する孤独な皇帝。密林の中を縫って敷かれたまま、いつしか列車も走らなくなってしまった鉄道。権力の中枢に食い込もうと権謀術策を恣にする将軍や大臣。新しい物好きの独裁者によって次々と繰り出される理不尽な布告。叛乱、裏切り、処刑等々。まるで、ガルシア=マルケスの世界を先取りしたようなこの作品が書かれたのは、なんと1932年だというから驚く。

    イーヴリン・ウォーは、第一次世界大戦後のイギリスで人気を博した作家だが、その独特のヒューモア感覚が理解され難いのか、近頃はあまり読まれていないようだ。本作も黒いヒューモアという点では飛び切りの味わいを持つものの、物語の幕引き部分は、ここまでやるかといった体のもので、評価の分かれるところだろう。しかし、その代表作である『ブライヅヘッドふたたび』、それに本作と吉田健一が訳しているところから見て、この作家の実力が知れようというもの。原文は実に優雅なスタイルで書かれていると聞くが、日本語で読む読者にとっては翻訳に頼るほかはないわけで、その意味でも吉田健一訳というのは嬉しい。

    時は大恐慌時代。金本位制に揺れる大英帝国議会をしり目に、父の跡継ぎとして議会入りを期待されているバシル・シールは自堕落な生活を続けていた。折しも新聞でアザニア帝国の紛争が報じられているのを見て、バシルはアザニア行きを決める。新皇帝セスは、オックスフォードの同級生だったからだ。

    小説の舞台はアフリカにある架空の地アザニア帝国。かつてはアラビア人との交易で栄えた地だが、支配者の交代で今は混乱している。伝説的な皇帝アラムスの孫で英国留学中であったセスは、母である皇后の死去にともない帝位を継ぐため帰国するが、父セイドの叛乱に遭い苦戦中であった。未開の地を文明化しなければと思い定めたセスは、旧知のバシルを近代化相に任命する。同じく経済担当相に命じられたアルメニア人ユークーミアンとともに、セスに協力するバシルであったが、アザニアの保護領化を画策する各国大使の暗躍や盟友コノリー将軍との対立を契機に改革は停滞する。そこへ向けて近代化を焦るセスの脈絡を欠いた布告の濫発が重なり、ついに王座を追われたセスは密林の奥深くに逃げ込むことになる。

    密偵の暗躍するサスペンス冒険活劇風の展開だが、そこはウォー。パーティーの座興で綴った文が、フランス公使夫人と将軍の不倫を暴いた暗号にまちがえられたり、裸足で行軍するのを日常としている兵士に履かせるため支給された大量の靴を、兵士が食料だと思って食べてしまったりという、ばかばかしくも可笑しいエピソードが満載。

    ウォーの特徴の一つは、その人物造型の巧みさにある。自分の妻を「黒んぼの牝」といって憚らないアイルランド人のコノリー将軍は、現在なら人種差別主義者として非難の的にされるだろうが、妻を愛していることにかけては誰にも負けない。典型的な商人であるユークーミアンは危急存亡の際、脱出用ボートの妻の席を僅かな金で売るような男だが、争い事を好まぬ徹底した平和主義者として皆に愛されている。主人公のバシルにしてからが、人並み優れた才能を持ちながら、時代状況に適合できない困った人物として遇されている。

    解説の中で吉田はこう書いている。「このウォーの創造物を前にして、われわれはその生気に感じ入るばかりである。こういうのを型破りというのであろうか。しかし型にはまったものなどというのは二流、三流の小説家の頭にしかないものである。道ばたの小石にも、二つと同じものはない。まして人間のような複雑な存在には型などというものを当てはめることはできない(中略)。同時にまた、型にはまった人物が出てくる外国の小説など誰が苦労して翻訳するだろうか。」

    個性溢れる面々が入り乱れ、頓珍漢な会話が交わされる、極上とはいわないが得も言われぬ味わいがある。後味に少々苦味が残るかも知れないが、そういう風味を好む御仁には癖になる書き手だ。名うての文士が腕に縒りをかけた名訳である。古本屋の棚に埋もれさせたり、図書館の閉架書庫の隅に眠らせておいたりするには惜しい。サイードが目をむきそうな「オリエンタリズム」溢れる描写も、人種差別主義者も真っ青になる訳語も、全部分かった上で読める大人の読者なら年代物のワインを飲むような味わいを愉しむことができるだろう。翻訳者の気概溢れる解説は一読の要あり。

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著者プロフィール

Evelyn Waugh(1903-1966)
イギリスの著名な出版社の社主で、文芸評論家でもあったアーサー・ウォーの次男として生まれ(長兄アレックも作家)、オクスフォード大学中退後、文筆生活に入る。デビュー作『衰亡記』(1928)をはじめ、上流階級の青年たちの虚無的な生活や風俗を、皮肉なユーモアをきかせながら巧みな文体で描いた数々の小説で、第1次大戦後の英国文壇の寵児となる。1930年にカトリックに改宗した後は、諷刺の裏の伝統讃美が強まった。

著作は、代表作『黒いいたずら』(1932)、ベストセラーとなった名作『ブライヅヘッドふたたび』(1945)、T・リチャードソン監督によって映画化された『ザ・ラヴド・ワン』(1948)、戦争小説3部作『名誉の剣』(1952-61)など。

「1996年 『一握の塵』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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