- Amazon.co.jp ・本 (156ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560071151
作品紹介・あらすじ
ある夜運びこまれた身元不明の他殺死体。死体置場の番人スピーノは、不思議な思いにかられて男の正体を探索しはじめる。断片的にたどられる男の生の軌跡。港町の街角に見え隠れする水平線。カモメが一羽、ぼくを尾けているような気がする、と新聞社の友人に電話するスピーノ…遊戯性と深遠な哲学が同居する『インド夜想曲』の作者タブッキの傑作中編。
感想・レビュー・書評
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死体置き場で働く男が、なぜか興味を惹かれた身元不明の若い男の死体。誰に頼まれたわけでもないのに俄か素人探偵となった主人公スピーノは死体の身元調査を始める。新聞記者の友人に時折入れる報告の電話、いくつかの手がかりを元に追跡していくうちに探偵ごっこの探偵はミイラとりがミイラになるように何かに巻き込まれていく。しかし待ち合わせの相手はいつも現れない。
明確なオチはないし、結局死体の正体もわからない。手がかりを追って転々と移動する主人公の旅(狭い範囲だけれど)、どこかの時点でひとつに重なってしまったかのような死体と主人公の行動。しかし死体は死んでいて、主人公は生きている。作者の意図は難解といえば難解だけど、文章自体はすらすら読めてしまってあっけないほど。イタリアの小さな港町の路地から路地へ迷路の中へ迷い込んでいくような感覚は心地よかった。須賀敦子の翻訳はいいですね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
遠い水平線の果てで天と地が結び付くように、私も貴方と一つになってしまえたら。生と死の境目も、緩やかに飛び越えてしまいたい。身元不明の遺体の正体を追い続けるスピーノの動機は、「彼は死んでいるのに、わたしは生きているからです」。世界の境界線を融解させてしまおうとする彼の振る舞いは正しくスピノザ的汎神論であり、自分自身に対する呼びかけでもある。吐息交じりに紡がれているような柔らかなテンポで記される、須賀敦子さんの訳文がとても心地よい。それは半醒半睡のなかで見る夢のように、この世界に浸っていたいと思わせてくれる。
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1番好きな作家の1人である須賀敦子さんなのに、翻訳を読むのは初めてで、そして改めてさらに好きになった。エッセイの時の個性は消しつつも、驚くほどに気持ちの良い文章の読み心地は、流石。殺人事件以上探偵小説未満の幻想的な物語も最高に好みな一冊。すごく好き。
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再読。閉じた瞼の奥で夢を見送りながら、煙りつづける耳の底へと次々に降りてくる声に、濡れ促されるようにして本書を開いた。
簡単に時間が跳ねて今になる。現在が流れつづけることだけが永遠で、皆その傍らで死んでゆく。死体置場の番人である男は、他人には謎めいた世界に面している窓があることを発見した。窓の向こうには海が広がっている。水平線を作るのは自らの視線。まばたきするたびに崩れる一本の線は生と死の境界のように意志の行き来を許すものだ。自分がついに何者でもなかったことに気づく歓喜と恐怖。微笑みと清潔な孤独が旅の持ち物。 -
いきなり死体が出てきてドキッとする。
どのページを読んでいても美しいし楽しかった。鎮まっていく気持ちと高揚感を同時に感じる。
他人のうちに自分を見てしまったとき、思いがけずその境を越えてしまったとき、一方が生者で他方が死者であった場合の不可思議さ。
消されようとしている何かは、自分の中で解決していない何かなのかもしれない。
突き動かされるままに、謎めいた幻想的な時間を旅するようでした。せつない充実感が残る。 -
タブッキは本当にどんなに臭くて暑そうな場面を描いても、陰鬱で死が色濃く影を落とす場面を描いても、謎の透明感がある作家だな〜。話の筋は正直あんまりよくわかってないけど、それでも読んでいるとスッと風が小径を通っていくような感じがして心地よかった。長い休みにもう一回ゆっくりゆっくり読みたい。
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まるで呼吸するかのような一文、一文の、なかで、呼吸を続けることとやめ(ざるをえなくな)ることについて、心が考える。考えた。港町が舞台なのは、其処そのものがさまざまな――もしかすると彼方や此方も含めた――場所への出入り口になるからかなと、ひとまず呼吸の終わった本を閉じて、考えたり、した。
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過去と、現在が水平線でまじりあう。
時間だけでなく、場所が、人が、思い出が、水平線で接する。
一見全く何の接点もないものたちが不思議に出会って、どこかでつながっている様子が描かれている。
じっくりと文を楽しめる本。
読書は娯楽でもあり、スリルでもあり、ゆっくりと味わうものだと再認識する本。 -
インド夜想曲を彷彿とさせるような幻想的な物語。
ヴォネガットの「スローターハウス5」を読んだ直後だったからか、生と死という共通のモチーフが感じられた。
ヴォネガットの作品では、人間はある時間で見れば生きているし別の時間で見れば死んでいて、悲しむべきものは何もないというトラルファマドール的な考え方が展開される。
こちらは水平線をはさんだ空と海のように生と死があるイメージ。
もちろんどちらも作風はまるで異なるのだが不思議なつながりを感じた。
それもまた本書でタブッキが言うところの「偶然」なのだろう。