供述によるとペレイラは… (白水Uブックス 134 海外小説の誘惑)

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560071342

作品紹介・あらすじ

ファシズムの影が忍びよるポルトガル。リスボンの小新聞社の中年文芸主任が、ひと組みの若い男女との出会いによって、思いもかけぬ運命の変転に見舞われる。タブッキの最高傑作と言われる小説。

感想・レビュー・書評

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  • 音楽的というか旋律的で不思議と強い余韻が残る作品。
    序盤はとても単調な印象なのに、そして、中盤も特別大きな展開はないはずなのに、最後の最後には、不可思議だけど確かな「人」の強烈なエネルギーを叩きつけるように見せつけてきて、しかもそれが決して無理ではなく、滋味豊かな印象すら与える。

    文体は静かだけど叙情的。
    反面、構成や言葉の効果は徹底して緻密に計算されて、冷たすぎるほどに利用し尽くされていて、無駄がなさすぎるほどに無駄がない、という印象。

    なんだか、モーリス・ラヴェル作曲の「ボレロ」を彷彿とさせる。

    寄せては返すさざ波のように同じリズムとメロディを繰り返していたかと思いきや、いつのまにか大きな波になっていて、最後には鑑賞者を容赦なく飲み込んでくるような様が。

    1938年混乱期のポルトガルのリスボン。
    刊行したばかりのしがない弱小新聞社所属の、しかも文芸担当で、混迷し過激さを増す政情とは距離を置きつつ侘しいやもめ暮らしをしているまごう事なき小市民の中年男ペレイラ。

    ふとしたことから知り合った、従業員候補で、周囲に影響されやすい未熟な青年ロッシの言動にどうにも日々を掻き回され気味ではあるけれど、そこは小市民である彼のこと。距離を取ることを意識しながら変わり映えしない平凡すぎるくらいに平凡な日常生活を淡々と送っていたはずだったのに…。

    「ペレイラは供述によると…」
    「…とペレイラは供述している」

    冒頭の書き出しから、毎ページどころか数行に一度の配分で繰り返されるこの不穏な「供述」フレーズは、「この平凡な男の物語はただでは終わらないぞ」という、作者からの喧伝どころかもはや挑発とすら思えるのだけど、それが嫌味ではないのはなぜだろう。

    これもまた、同じ旋律を繰り返しながらも徐々に奥行きを出してくるというか巨大化していくボレロ効果なのか。

    私は訳者の須賀敦子さんのエッセイの文章が好きで、須賀さんが訳した文章なら…と初めて手に取ってみた作家なのだけど、その不思議な吸引力に、別の作品を読んでみたくなりました。
    どうやら本作は、「タブッキらしくないけど秀作」と言う感じのものだったらしいので、いかにも「タブッキらしい」作品を一度じっくり噛み締めてみたい。

  • ファシズム勢力が拡大し、暴力的な政治権力に監視され、思うように行動を起こせない1938年という設定。
    主人公のペレイラは、文芸担当の新聞記者であり、政治に興味を持たない。妻に先立たれ、子供もおらず、老成した身体を気にしながら、静かな日々を過ごそうとしていた。ふとしたことから反ファシズム運動に関わる若者と関わることになり、巻き込まれていく。その過程で、秘めた良心が次第に目を覚まし、行動を起こすまでに至る。
    タイトルから想像できるが、ペレイラは警察の取り調べを受けたのだろう。逮捕されるまで何が起きたのか、ペレイラの内面の微妙な変化を描いている。
    ペレイラや彼が関わった若者のように、自分の信念に基づいて変化を起こそうとする人に対して、ファシズム情勢を盲信するだけの無抵抗な市民も描かれている。温暖な気候でノスタルジックな雰囲気が観光客の人気を集めるリスボンのイメージから少し離れて、人の生死や良心について考えるきっかけになる小説だった。

  • インド夜想曲とはまた違った感じの最後のどんでん返し。そこに至るまでは淡々とペレイラ氏の日常が丁寧に記されていて、そのリズムがとても心地よかった。淡々と、と書きましたが、それなりに事件も起きている、でもそれすらもメロディーの抑揚でしかないみたいな書き方に思えました。ペライラさん行きつけのカフェ・オルキデアで香草入りオムレツを食べてみたいです

  • 1938年、ヨーロッパのファシズムの波に大きく
    影響されるポルトガル。小新聞社の文芸面担当、
    一人暮らしのペレイラは、レモネードを何杯も飲み、
    家では亡き妻の写真に語りかけ、静かに孤独な
    生活を送っていた。その日常の中でなにげなく読んだ
    文章を書いた若者や、療養先の医師と出会いにより、
    緩慢に自己が変容していく。

    彼の自己の変容と同様に話のスピードも緩慢だが、
    小説なのか供述書なのかと錯覚する文章によって、
    日常なのに緊迫した雰囲気が絶えず漂っている。

    須賀敦子さんによる翻訳と後書きはすっきりと
    読みやすく理解しやすく後書きは情報を余す
    ところなく伝えている。

    多くを語らず薄い本なのに読みごたえがありました。

  • リスボンへの愛ある視線、香草入りオムレツとレモネードを初めとするおいしそうな食べ物。背景と小物はいつもと同じなのに、今回は時代をずらしながら今の世の中を生きるひとたちのたましいの在り方を問う作品。うっとりする話じゃないです。

    須賀敦子のあとがきによると、タブッキは1990年代前半のイタリアの政治状況にそうとう危機感を持っていたらしい。検索してみたところ、当時は歴史的な大疑獄事件があってそのあとファシスト的な政党が勢力を拡大して、そのあとも落ち着かない状況は変わらないよう(ベルルスコーニがとんでもないっていうネタニュースみたいなののあと、イタリアの政治のニュースって入ってこなくなった気がする。今の首相がだれなのかご存知でしたか? ジュゼッペ・コンテだそうです)。

    ペレイラの変化を精神分析学の用語を使って説明されるのは、かえってもやもやするんだけど(カルドーソ先生がまとめすぎじゃない? よその人にあんなふうにさっくり整理して背中押されたらカチンときそう)、でもあのおろおろしてばっかりのペレイラが、できることは全部やってみる展開にうるっとしないわけにはいかないのだった。ロッシはふにゃふにゃで図々しくて好きじゃないけれど、ロッシが魅力的だからということじゃなくて、ペレイラの中に現状への疑問の種があって、それがロッシとの出会いをきっかけに芽吹いたっていうことなんだろうな。それなのに「供述によると」なんですよ。泣いちゃう。

  • オムレツばかり食べ、レモネードばかり飲んでいる、心臓病みで肥満し、妻を亡くし妻の写真に話しかけ、カトリック系の保守的新聞社の文芸記事を書いている、いかにも「保守」を絵に描いたような中年男ペレイラが、外部からやってきた変化にはじめは浸食されていたものの、徐々にその変化を自ら引き受けてゆく過程には、感動を介さずして、いつのまにか感情移入させられている。
    本書を読んで思ったのは、わかりやすい「感動」や「カタルシス」というのは、それがある種のショックであるがゆえに、心理のどこかに反発をも含んではいないだろうかということ。その点ペレイラは、ごく自然に、こちらにするりと滑り込んできた。

  • なんていうか、何かに生命を燃やして「もう美しくはなくなった」というところに、ぐっとくる。生命は無限ではない。ほんとうに少ししかないけど、削って何かに差し出す。そういう生き方をしたい。ペレイラは、結果とか断面図ではなく、そのプロセスに思いを致して、自分も変わった。ささやかに、差し出した。はい、どうぞ。

  • 須賀さんの翻訳 ということで手にした本。

    1938年のポルトガルが舞台。
    ファシズムの影が忍び寄ろうとしている時代、
    誰もがどう生きるか 悩み考えたのだろうと思う。

    自分はどういう自分でいたいか、
    そんなことをふと思い出したりするような本。

    「供述によると・・・」と文章が進み、
    主人公ペレイラの今に至るまでにも、いろんなことがあったことは想像できるが、それらの点は不明のまま終わる。
    淡々と進む文章だが、ふつふつと熱くなってくる。

    須賀さんの翻訳、そしてあとがきは絶品。

  • ダブツキの傑作ということで手に取ったものの、何というか、若い調子のいい熱に浮かされた青年をどうしてぱっとしない中年のペレイラが助けるのか、釈然としないままに読み進めると、段々ペレイラが愛おしくなってきた。不思議な本。
    バターたっぷりのオムレツが食べたくなる。

  • 世界史の教科書読み返しながらがんばった
    最後まで読んでよかった
    政治と生活は隣り合わせだよなあ
    ささやかで真摯な、確固たる変化

    >もし、これまでの人生を悔やみたいのなら、それもけっこうでしょう。それを司祭に話したければ、話せばいいのです。とどのつまり、ペレイラさん、もし、あなたのおっしゃる若者たちのやっていることが正しいと思えてきたら、そして、あなたの人生がこれまでなんの役にも立っていなかったと思えるのなら、それもいいでしょう。これからは、ごじぶんの人生がこれまでのように役たたずだとは思わなくなるはずです。もし、あなたの主導的エゴのいうなりになる気持ちがおありなら。そして、その苦しみを、食物や、砂糖をいっぱい入れたレモネードに代行させないように。

    >カルドーソ医師がそとに出て街に消えてしまうと、彼はとり残された気持になり、じぶんがしんそこ孤独に思えた。それから、ほんとうに孤独なときにこそ、じぶんのなかのたましいの集団に命令する主導的エゴとあい対するときが来ているのだと気づいた。そう考えてはみたのだが、すっかり安心したわけではなかった。それどころか、なにが、と言われるとよくわからないのだが、なにかが恋しくなった、それはこれまで生きてきた人生への郷愁であり、たぶん、これからの人生への深い思いなのだったと、そうペレイラは供述している。

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著者プロフィール

1943年イタリア生まれ。現代イタリアを代表する作家。主な作品に『インド夜想曲』『遠い水平線』『レクイエム』『逆さまゲーム』(以上、白水社)、『時は老いをいそぐ』(河出書房新社)など。2012年没。

「2018年 『島とクジラと女をめぐる断片』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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