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Amazon.co.jp ・本 (340ページ) / ISBN・EAN: 9784560071403
感想・レビュー・書評
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どれも小説としての筋は重要ではないというか、感想書き留めにくいというか(^_^;)
情景描写を重ねて、重なったところで見えてくるというか。最近「羅列」の手法を読んで読みづらいなーと思ったんだけど、情景を重ねるのと羅列するのってやっぱり違うよなあとおもった。
『シンドバッド第八の航海』
『アラビアンナイト』のシンドバッドは七回の旅に出ている。「危ない旅から帰り安定するが、その退屈さに堪えられずに旅に出て、危険な目に合って後悔するが、その危険から帰ると退屈で…」を繰り返してきている。
そんなシンドバッドが八回目の旅に出たら?という章と、七回の旅を終えて静かに老境生活送るシンドバッドの章と、シンドバッドの物語の解説の章が代わる代わる語られる。
西洋に紹介されたアラビアンナイトは翻訳者の語り口によっても印象が変わる。ここでの八回目の航海はバートン版に拠っているみたい。
解説の章では「この物語はシンドバッドの語りによるが、それを語るのはシェネラザードだ」という「語りの語りの語り…」という入り組みを示してくる。
『ロバート・ヘレンディーンの発明』
夢想家のロバートは、想像により女性を創り出した。その女性との散歩を楽しむロバート。だがロバートが知らない男、知らない家族がが出てきて…。
『アリスは、落ちながら』
「不思議の国のアリス」が、うさぎ穴を落ちる場面に注目したお話。落ちていることが冒険なのか、落ちてから冒険が始まるのかとか、ルイス・キャロルが物語を語った日とか。
物語は落ちている途中から始まり、落ちている途中で終わる。
『青いカーテンの向こうで』
いつもはお父さんと映画にきていた少年が一人で映画を見ることになった。映画館に入ったけどいつもと違う扉があり、いつもと違う人たちがいて、いつもと違う部屋があって。そんな寄り道をしてお父さんとの待ち合わせに戻りましたとさ。
『探偵ゲーム』
書き方が面白い。映画になったらおもしろそう。
ロス家の三人きょうだい、26歳のジェイコブと24歳のマリアンと15歳のデイヴィット。上の二人は家を出ているが、今日はデイヴィットの誕生日のために集まっている。きょうだいは心が繋がっている。ジェイコブの恋人スーザンを交えて四人で「探偵ゲーム」をしている。
それぞれが人物のコマを選び、配られた容疑者カード、凶器カード、部屋カードで殺人の犯人を当てるボードゲームだ。
このロス家のプレイヤー4人と、それぞれのゲームのコマの人物が入れ替わって語られます。人間に操られるコマたちも、ゲームの中では人間のように感情を持ちプレイヤーにはわからないところで関係を持ち合っている。そしてプレイヤーたちの心の動き。
映画にならないかなー。
『セピア色の絵葉書』
恋人と喧嘩した男が、週末は都会から離れて田舎町に滞在することにした。風変わりな店に入りセピア色の絵葉書を買う。ホテルに帰ってよく見てみたら、二人の人物、男は怒り、女は顔を背ける。まるで自分たちのよう。
不思議な町、不思議な店、不思議な絵葉書。最後はちょっと気持ちが落ち着いたみたい。
『バーナム博物館』
19世紀のアメリカ興行師P・T・バーナムの名前を冠する、摩訶不思議のバーナム博物館の描写。次々増築されたような不思議な外観、高い塔、どこまでの降りるだけの地下階段。中にいるのも、人魚、空中浮遊者、そしてこここそが現実で、外は幻影と思う隠者たちもいる。
『クラシック・コミックス #1』
漫画のコマ割りのように書かれる物語です。これも短編映像化したら面白そうだなあ。
『雨』
雨の日のちょっと幻想的空想的状況。
車の中から見る街の光とか、水が膝まで上がってきたなあ、とか。
『幻影師、アイゼンハイム』
ユダヤ人家具職人の息子エドゥアルトが、見事な仕掛けを作って「幻影師アイゼンハイム」として人気を博す。やがてあの世の人を呼び戻す幻影を見せ、社会を騒がせたとして警察に目をつけられる。アイゼンハイムは本当にあの世を覗いたのか…。
ミュージカル『イリュージョニスト』の原案でしたか!
http://illusionist-musical.jp/
ミュージカルは恋愛絡みの殺人とか陰謀のサスペンス要素が強かったです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
シンドバットの第八の航海は
物語と共にシンドバットのお話の作者別の解説みたいなのが挟まっていて
詳細や違いを知りたい性格のわたしには面白く読めたが
とにかく読むのに時間がかかる。。
短編がいくつか入った一冊だったが
時間の都合上、幻影師アイゼンハイムの、
2作のみ読了。
描写が細かくいろいろと想像力が刺激される
脳内で描写が進む
そんな時間でした。 -
初めて読んだ作家でしたが、面白かった。
永く永く続く一瞬の出来事。
手を触れればたやすくぐんにゃりと融けてしまう現実。あるいは非現実。
そう。ダリの「柔かい時計」のような。
現実と非現実の不確かさを感じながら読んでいたはずなのに、最後の作品「幻影師、アイゼンハイム」でも、いつ現実と非現実が入れ替わったのか、さっぱりわからない。
想像を現実化していく主人公たち。
だが、彼らだって作者の創造した人物なのだ。
そして、現実に生きているはずの私を、現実だと証明しうるものは今のところない。
これすらも、誰かの想像の産物なのかもしれないのだ。
バーナム博物館。
あったら行きたなあ。
世の中は不思議なことだらけのようだよ。京極堂。
ことのほか面白かったのが、「アリスは、落ちながら」と「クラシック・コミックス #1」
特に「クラシック・コミックス #1」は、詩を漫画化したものを文章で説明するという、ほぼ無意味な試み。
しかし、面白い。
真面目にやっているはずなのに、だからこそ、形式の違いによる着眼点のずれが実に愉快。
読み終わってもしばらくニヤニヤしていたのは内緒だ。 -
想像につぐ想像の世界は、まるでコーヒーの表面で粉末状のミルクが永遠にゆるゆると浮沈しながら奇妙な模様を描いていくようでもあった。他者の想像をのぞくということが、いかに淫靡で魅力的で、はっと気づいたときに少しばかり居心地の悪い恥ずかしさを感じてしまうものか……言うなれば、読んでいるうちに否が応でも自分の浅ましさをほじくり返されるという(苦笑)、あまりありがたくない小説だった。
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例えば『セピア色の絵葉書』は、終始、絵葉書に関しての情景描写について語られている。絵葉書についての状況が変わっていくに連れて、描写も変化していく。どの物語についても同じことが言える。耽美的で、幻想的で、精緻な語り口は、読者の想像力をかき立ててくれる。めくるめき万華鏡の世界に浸りたい方には是非お勧めします。
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自動人形、盤上ゲーム、魔術、博物館……。『不思議の国のアリス』や『千一夜物語』を下敷きにして夢と現実の境を取りはらった驚異のミルハウザー・ワールド
【シンバット第8の航海】
千夜一夜からきてるようだけど、まず千夜一夜を読んでない…持ってるけど手付かず…
これを読んだらもちろん読みたくなった。
第八の航海とテキスト批評が交互に書かれていて最初よく分からなかったけど、面白い。
千夜一夜を読んだら是非再読したい。
【バーナム博物館】
面白い!
これは映画になったら観たい。
こんな博物館行きたいし、通いたい。
心に残った文面↓
博物館ではなくても、誰にもこの博物館的な存在はあるだろう。どうしてかなどという答えなどいらない、こんな存在が。
ひたすら外の生活のつらさを忘れるために私たちが博物館へ逃げ込むのだと決めつけるのは早計というものである。
むしろ安らいだ心、内なる充足とともに博物館にやってくることの方がはるかに多いのである。私たちは日常の世界を決して忘れはしない。まさに日常の世界を意識しつづけていればこそである。
本当ですよー。美術館や舞台や娯楽を現実逃避と言う人がいるけれど、それは違うでしょ。
【幻影師、アイゼンハイム】
舞台に行く予定だったけど、コロナで中止になり、行けなかったので本を。
幻想的…。
この話が元なのかは分からないけど、似たような映画とかあった気がする。
アイゼンハイムという映画はあって、原作はこの本のようだけど、別物として捉えた方が良さそう。
この本の内容はなかなか映像には出来ないだろうし、しようと思ったらそれこそフェイクだらけになってしまいそう。
本って、文章って、文字って、偉大だ。 -
■『エドウィン・マルハウス』もそうだったけど、細かいことをだらだら、だらだらと書いていて、……もう我慢ができない。この作者は好きなんだろうなぁ、こんな風に書くのが。
■エドワード・ノートンの『幻影師アイゼンハイム』はとっても良かったんだけど、原作は全くもって別物なんですね。全然知りませんでした……。 -
ミルハウザーを読むのは2冊目。
初めて読んだ「ナイフ投げ師」は僕にとって極上の一冊だったのだが、本作もそれに勝るとも劣らぬ一冊となった。
「探偵ゲーム」というタイトルながら、内容はまさに心理を読み合う「心理ゲーム」であったり、「セピア色の絵葉書」はちらっとフリオ・コルタサルの「悪魔の涎」を思い起こさせたり、何も無いところから人間(らしきもの)が登場してくる内容の「ロバート・ヘレンディーンの発明」「幻影師 アイゼンハイム」があったり、どこまでも落ちていく「アリスは、落ちながら」があったり……。
「雨」や「青いカーテンの向こうで」などは小品ながらも、現実の中に突然現れる非現実な世界を見事に描いていると思う。
いわゆるマジックリアリズムとも違う(もっと現実側に寄り添った感じだろうか)その不思議な世界は、はまると二度と抜けられなくなる。
情景描写がかなり多いので、その点を「読みづらい」と感じる方も多いかと思うが、一度その面白さを味わってしまったら、もっともっと読みたくなる中毒性を持っている。 -
ミルハウザーはまだ2冊目ですが、自分ではサクサク面白く読み進んでるつもりなのに、どうも通常より読了に時間がかかる気がして不思議に思っていたところ、やっと理由がわかりました、心理や行動の描写じゃなく、情景描写が圧倒的に多いからだ!(気付くの遅いよ)。微に入り細にわたる、そのくどいくらいに執拗な細部の描写を、いちいち脳内でイメージ化しているからその変換に時間がかかるんですよね。たぶん映像で見せてくれたら、一瞬で理解できることなんだろうけど、自分の脳で、文字から映像に起こす作業は大変です。そしてミルハウザーのほうでは、その逆の作業(脳内にあるイメージを事細かに文字に起こしてゆく)がきっと大好きなんだろうなあ(苦笑)。
表題作の「バーナム博物館」は、ひたすら架空の博物館の展示物の説明、コミックスを文字起こしした態の作品「クラシック・コミックス#1」も、感情の入り込む余地はなくひたすら描写(コマに描かれた絵の説明)のみで、いかにミルハウザーが脳内イメージの顕在化に執着していたかが伝わってきます。
この短編集は奇しくも、作者同様、脳内のイメージをあまりにも綿密に想像(創造)したあまり、それが実体化するかのような作品が多く含まれていました。その最たるものが「ロバート・ヘレンディーンの発明」。そしてある意味「幻影師、アイゼンハイム」も、同じ系列のお話。あまりにも綿密に想像(創造)された被造物は、それ自体が独自の「生」を生きるようになってしまうんじゃないかという考えは、夢のようでもある反面、とても恐ろしい。
ボードゲームをする人々と、ゲームの駒たちのドラマが同時に進行する「探偵ゲーム」、絵葉書の中で物語が進行していく「セピア色の絵葉書」、スクリーンの向こう側に映画の登場人物たちの生きる世界がある「青いカーテンの向こうで」 、誰かに語られた物語の登場人物たちが自ら語る「シンドバッド第八の航海」「アリスは、落ちながら」、いずれも創造物たちが独自の命を生きているという共通点があり、つまりそれはもしかしたら自分が現実と信じているこの世界や自分の実体さえも、誰かの想像の産物に過ぎないのかも、という、マトリョーシカ状の一種のパラドックスに陥ってしまう危険を孕んでもいます。
余談だけれど今ドラマでやってる「泣くな、はらちゃん」の世界で、漫画のキャラクターたちが作者を「神様」と呼んでいるのを見るにつけ、やっぱり似たようなことを考えました(笑)。 -
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たとえば聖フランチェスコのように、世界に対し、限りない共感を抱くことができれば、造り主である神に感謝し、御業を誉め讃えていればすむ。しかし、現実に生きていれば、何かしら世界の在り様に不備やら不満、或は異和を覚えずにはいられない。共感にあふれてこの世界に入ってきた子どもなら、この世界の現実に触れたときに感じる幻滅は、感受性の強い者ほど大きかろう。
多くの人は、その段階で世界と妥協し、それを受け容れることで大人になろうとする。大人は、何も造り出すことはない。只管、世界と慣れ、馴染み、それを享受しようとする。今ある世界に何かをつけ加えようとか、変革しようとか考える人間は、世界のすべてを共感を持って受け止めてはいないのだ。だから、その反感の徴として、作品を創造する。作家の仕事は、小さいながら神の代理人としての仕事である。
自分の想像した人物や世界をわざわざ提出しようというのだから、そこには何か、世界に対して言い分があるにちがいない。ところが、多くの作家は作品の舞台として現実の世界を選ぶ。いや、むしろ現実以上にリアルであろうとさえする。ごく稀に世界をひっくり返そうとする人物を描くことがあったにせよ、人物自体の存在は現実をなぞっている。大人の読者を想定する以上、それは当然だろう。
ミルハウザーの描き出す世界が、時を少し遡った時代であったり、ヨーロッパや東方の国であったりするのは、作家の現代世界に感じる異和の現れである。大人になることは、自分の愛するもので溢れた世界を喪失することを意味する。繰り返しその作品に登場し、ミルハウザーの強迫観念と化した自動人形や博物館は、矮小化された人間とその世界にほかならない。
ミルハウザーは現実の世界に敬意を表したりしない。傲岸なまでに自分の夢見る世界を構築して見せようとする。主題が変わらないのも題材が似てくるのも当たり前だ。彼こそが世界の創造者なのだ。作品世界は彼の夢想によって形作られている。彼こそは小さな神なのだ。作家には、自分ひとりの手で、自分の欲する世界を創造する必要があったにちがいない。
「ロバート・ヘレンディーンの発明」は完全な空想によって作られた女性が現実世界の浸出によって歪みはじめ、やがて崩壊に至る物語。ポオの『アッシャー家の崩壊』や『ウィリアム・ウィルソン』の影響が見られる。この作家にはめずらしく夢想に対する自虐的な言及が目立つアイロニーに満ちた作品である。
生きている人魚や本当に空を飛ぶ絨毯を見ることができる「バーナム博物館」。その内部は、決して終わることのない工事で、常に迷路のように変化し続ける不思議な博物館。いつ入場しても驚きに出会える、作家の愛してやまない世界の縮図である。
「シンバッド第八の航海」は、富裕な商人で、かつて船乗りシンバッドであった男の回顧譚、今現在冒険の渦中にあるシンバッドの物語、そして、千一夜物語の比較文学的考察、という三つの異なったテクストが、分断され、交互に記述されるというポスト・モダン風な構成を持つ。「探偵ゲーム」とともに、物語の登場人物と話者が入れ子状にメタ・レベルに立つボルヘスを思わせる作品。
「幻影師、アイゼンハイム」は、作家の独壇場である、孤独な芸術家の苦闘ぶりを描いた作品の系譜に属する。気になるのは、「ロバート・ヘレンディーンの発明」といい、この作品といい、主人公が精魂傾けて創り出すものが、実体の伴わない幽霊のような存在であることだ。かつては、子どもの頃に夢見たものへの確固とした信頼の上に立ち、小さくとも現実に存在する物を制作していた主人公が、1990年に出版されたこの第二短編集で現出させた物が、実体を欠いた観念のお化けのようなものであることに興味を覚えた。さしものミルハウザーも、この時期、夢想の実体化という飽くなき夢の追求に、疑問を感じはじめていたということだろうか。 -
思ったより理詰め?っていうのか、何だろうな…。
幻想まみれって訳じゃない作風なんだな…。 -
原書名:The Barnum museum
著者:スティーヴン・ミルハウザー(Millhauser, Steven, 1943-、アメリカ・ニューヨーク州、小説家)
役者:柴田元幸(1954-、大田区、アメリカ文学) -
細密画を描くが如く言葉を紡ぐミルハウザーの幻想世界がたまらなく好き。
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数多の修飾語に彩られた美しい本。
情景描写が多いのに、しつこさを感じさせないのが凄い。
『アリスは、落ちながら』『雨』『探偵ゲーム』『シンドバッド第八の航海』が好み。 -
いかにもミルハウザー的なものから、古典的名作のパロディまで秀逸な短編集。
「シンバッド第八の航海」
最初の夢のような冒険譚で、がっちりと心を掴まれる。
「アリスは、落ちながら」
アリスがゆっくりと落ちながら、終わりの見えない不安も増幅していく。
「探偵ゲーム」
ゲームを行うロス家の人々の話しと、ボードゲームの登場人物の世界が同時に進行する。それぞれの思いが交錯して、面白い作品。 -
「ロバート・ヘレンディーンの発明」
「バーナム博物館」
「幻影師、アイゼンハイム」
この辺りはいかにもミルハウザーといった作品。
「雨」の表現がとくに好き。
溶けてゆく世界。 -
幻術師アイゼンハイムの原作
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幻想文学って夢と現実が混ざるようなのもあれば、幻影と現実、虚構と現実、の組み合わせのものもある。現代アメリカの作家であるこの人の作品で、懐かしくさみしく美しく、読んだ人のこころにしみるのはまぎれもなく幻影、だとおもう。故郷なき新大陸アメリカの郷愁よ我は汝を愛す...!!過去たくさんの人々にあいされてきた文学作品を下敷きにしたものや、一見クラシカルでありきたりなミステリー小説にほどこされたゲーム盤のしかけなど、憎いね!小憎らしいね!!クックゥゥ〜!!って唸っちゃう短編ばかりで、その並び方もなにげに素晴らしい。T・S・エリオットの詩の『漫画訳』小説にはたまげた!!!
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