- Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560072080
作品紹介・あらすじ
3つの言語が奏でる新しい文学
『台湾生まれ 日本語育ち』の著者の鮮烈なデビュー作、Uブックス版で登場!
台湾人の両親のもと、台湾で生まれ、日本で育った19歳の楊縁珠は、大学の中国語クラスで出会った麦生との恋愛をきっかけに、3つの言語が交錯する家族の遍歴を辿り、自分を見つめ直すが――。すばる文学賞佳作の「好去好来歌」に、希望の光がきざす表題作を併録。『台湾生まれ 日本語育ち』とあわせて読むと、著者の成長の過程も辿ることができる。
「ニホンゴ、中国語、台湾語、ママ語、すべて音として同等に混ざって生きている言葉たちを、温さんが文字として示していくそのありさまが、日本社会の中で自明ではない存在の人たちの生きざまそのものを表現している。そのほとばしるような熱い生の感覚が、この小説の言葉からはあふれてくる」(解説・星野智幸)
感想・レビュー・書評
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台湾生まれ、日本語育ちの主人公たちを描く二作を収録。
一作目では、主人公は周囲の日本人の言葉尻から期待値を汲み取り、静かにそれを体現しますが、ときにその理不尽さや自己矛盾にぶち当たり、込み上がる怒りを発露させます。それが胸を衝きました。
タイトルの『好去好来歌』は万葉集から取っているのか、娘たちを見送る親の温かい眼差しと祈りが込められているようで、切なさと愛おしさが込み上げました。
しとしととした静かな恐怖を感じさせる一作目から翻って(=物心がつく前から日本に暮らし、同じ場所・文化・言葉を共有しているにも関わらず線引きされてしまうことへの恐怖)、二作目は、自分はそのままの自分で居心地が良いという朗らかさが底流しており、この二作の組み合わせが一冊に収められていることにすごく感動しました。
アイデンティティに葛藤していた著者が、自分なりに落とし所を見つけて生きやすくなった過程を作品から感じることができる、そんな気がしたからです。愛おしい、と感じられる作品でした。
「私はなぜ今まで多文化性にばかり気を取られて多言語性のことは無視してきたんだろう?」という自問自答にも一定の答えが得られました。
日本では「ふつう」からの距離が敏感に測り取られます。その距離感が一番露わになるのが、本作の主人公にとっては「言語的違和感」であり、私にとっては「文化的違和感」だったんだろう、と。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
温又柔さんだからこそ書けるこの物語。
両親が台湾人で、日本育ちで日本語しか話せない主人公の2篇の物語
日本語、台湾語、中国語が家庭内で話される環境で育つこと。
両親が外国人であるということ。
自然に複数言語を習得できて羨ましいななんて思ってしまうけれど、そんな単純な面だけではない深い葛藤や、アイデンティティの悩みや周囲からの視線への思いなどがよくわかりました。
「僕なんかがみたら、あっという間に日本の生活に馴染んでいるように思えるけど……きっと、僕らのようなふつうの日本人には想像もできないような苦労があって必死でがんばっているんだろうね。」 -
台湾語、日本語、中国語という三つの言葉が混在するという文脈での解説が多いけど、少女小説だわこれは。少女小説はなんか照れて苦手だ。
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いまの状況に耐えられなくなったときにおすすめです。
きっと、「もう少し踏ん張ってみよう」と思えるでしょう。 -
「愛」つながり
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「ことば」は「音」と「文字」と「意味」
「好去好来歌」と「来福の家」は台湾生まれ日本育ちの作者自身が日本語で作った小説。
二つの物語は、幼い頃から「台湾語」「日本語」「中国語」の混在した環境で育った主人公が、日本で暮らしていく様子が描かれている。
「好去好来歌」は置かれた環境と周りからの何気ないひとことで、自分の感情との違和感でキリキリと苛まれるような緊迫した雰囲気を持つ。
対照的に「来福の家」では、同じ環境にありながらその違和感を「音」を味わうように楽しむ様子を、嬉々として語っている。
いずれも、自ら望んだ訳じゃない状況下で、子どもたちは自らの出口を探る。
自分も普通に使ったことのある何気ないひとことで、言われた人がどんなふうに感じたのか……。
最も気をつけなければならないのは、既成概念に囚われた「おとな」だ。
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文学
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2016-11-10
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<内容紹介より>
台湾で生まれ、日本で育った楊縁珠は、大学の中国語クラスで出会った麦生との恋愛をきっかけに、三つの言語が交錯する家族の遍歴を辿り、自分を見つめ直すが――。すばる文学賞佳作受賞の鮮烈なデビュー作「好去好来歌」に、希望の光がきざす表題作を併録。日本語、台湾語、中国語が奏でる新しい文学の誕生!
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言葉を知らなかった頃の記憶を出発点に、小説を書いてみたい。赤ん坊だった自分の周囲にあふれる音のざわめき、大人たちが交わしあう声のリズムや抑揚。言語を言語と認識する以前の、ありとあらゆる言語が私の「母国語」となり得る可能性を持っていた幸福な無文字時代の記憶を書くところから、小説を始めたい(あとがきより)。
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日本で暮らす、在日外国人が主人公の作品は多くありませんが、この作品は一読の価値があると思いました。
「異質な他者」としていじめられているわけでも、社会の中で過剰な生きづらさを感じているわけでもない。ただ、両親の母語である「台湾語」と、祖父母が幼少期に教え込まれた「日本語」、現在台湾の共通語である「中国語」の3つの言語が入り混じった家庭で育った、中国(台湾)の名前を持つ日本語しか話せない主人公。
幼いころには気づかなかった、「日本人」の友達とのちがいを、学齢が上がるにつれて意識するようになり、「きちんとした」日本語を話せない両親に不信感を募らせることもありました。
はたして自分は「ナニジン」なのか。自身のアイデンティティを探りながらも、一歩ずつたしかに前へと進んでいく姿には胸を打たれるものもありますし、まさにこの作者でなければ描くことができなかった物語だと感じます。
多くの外国籍(あるいは日本語以外の言語を母語として家庭内で使用している)生徒が少なくない昨今、学校教育にかかわる方には強くお勧めしたい1冊です。 -
「普通」という言葉が、移民を線引きし、見えなくさせるために使った。「標準」から排除されてるとどこかで感じ、「ふつう」「ちゃんとした」「本当の」「正しい」といった言葉にいつも脅かされる。
「日本人のくせに、どうして中国語を喋るの?」
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日本に移民してきている人の気持ちって考えたことなかった。日本で生まれたり日本語で育つと日本語はもちろんペラペラになるし、でも、厳密には日本人じゃない? 言葉と民族は繋がってて重たいものだと感じた。うまく言えないけれど、この小説だと親が台湾のひとたちでそしたら主人公たちも本当は台湾のひとになるわけで、でも台湾は島国だし、中国でも言葉は違うわけでそうするとどこに所属しているのか考えちゃう気持ちも分かる気もする。難しい。でも、この小説はとても良かった。水餃子を食べたいです、とても。
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書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記は控えさせていただきます。
http://www.rockfield.net/wordpress/?p=8197