不在の騎士 (白水Uブックス)

  • 白水社
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本棚登録 : 180
感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560072103

作品紹介・あらすじ

鎧の中はからっぽ――奇想天外な騎士道物語
 時は中世、シャルルマーニュ大帝の軍勢に、サラセン軍との戦争で数々の武勲を立てた騎士アジルールフォがいた。戦場にあっては勇猛果敢、謹厳極まる務めぶりで騎士の鑑ともいうべき存在。だが、その白銀に輝く甲冑の中はからっぽだった――。肉体を持たず、強い意志の力によって存在するこの〈不在の騎士〉は、ある日その資格を疑われ、証を立てんと15年前に救った処女を捜す遍歴の旅に出る。彼に恋して後を追う女騎士ブラダマンテ、さらにその後を追う若者ランバルドの冒険とあわせ、奇想天外な騎士道物語が展開する。文学の魔術師カルヴィーノが、人間存在の歴史的進化を寓話世界に託して描いた《我々の祖先》三部作開幕。「指輪、ナルニア、ゲド、どれも世界を語るに足りないと思っている人への贈り物! これでだめだったら、ファンタジーに絶望していい」(金原瑞人)。

感想・レビュー・書評

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  • 騎士道そのものが、理想として存在しているが、実際には騎士の中の騎士そのもがいないという。

    戦場で
    理想だけが、実在している、理想が存在し続けるために必要なこと、その理想が疑われる時、、、

    理想という存在が滑稽なのか?理想とかけ離れた現実が滑稽なのか?とても面白い

  • 20年以上前、カルヴィーノにハマった私がせっせと読んでいたのは、こういう非SF系の作品群だった。
    (今でもレコスミコミケの良さはたぶん分からない)
    この作品を含む、我々の祖先三部作はわりと初期に読んだ覚えがある。
    当時、まっぷたつの子爵の暗さから救ってくれたのは、不在の騎士と、木のぼり男爵だった。
    (でも、どちらかというと、木のぼり男爵のほうが明るい話だったね。)
    騎士物語は私の本籍地なので、それもあって楽しんで読んだ気がするが、20年後に再読して、こんな話だったかなと思った。

    まず、話が本格的に動くまでが長い。
    全体の真ん中までいって、トリスモンド、ソフローニア問題が起きてようやく話らしい話が始まる。
    そこからの描き方は羽があるように自在で、書き手のテオドーラが海や国境をまたがる描写を作り出す様子はメタ的な笑いに富んでいて、手塚治虫マンガのワンシーンのよう。
    ソフローニアとの近親問題もジョークのようにとんとん拍子で話が解決して、そのスピーディさに笑ってしまうのだけど、ここに真相を知らぬまま、主人公アジルールフォは自分の鎧を脱いでしまう。
    そのまま終わることに、やはり驚く。
    なぜ彼は消えてしまったのか。
    それは幸せな結末なのか?
    ブラダマンテが突然明るく正体を表して、一見大団円のまま物語は終了する。

    今読むと前半の、アジルールフォがキッチリなんでもやることで、陣営の普通の騎士やシャルルマーニュに疎まれるシーンがリアルで笑える。
    ランバルドが仇の眼鏡係に行くところ、通訳無しに戦争は成り立たないところも笑ってしまう。
    そして、プリシッラとの謎の一夜も、トリスモンドの聖杯騎士たちのダメダメぶりも全ては騎士道物語への盛大な一撃で、皮肉な笑いに満ちている。
    1959年の作品とのこと。カルヴィーノの目が素晴らしい。

  • 中身のない鎧が一人で勝手に動いてたらホラーなんだろうけど
    それがちょっと間抜けなくらい生真面目で、
    手のかかる道連れに頭を悩ますとか、
    カルヴィーノらしいユーモアのある楽しい小説でした。

    とはいえ話の全体の作りはなかなか込み入っていて
    ユーモアだけではない企みのある作品だ。

    不在なのはこの騎士だけではなくて、
    父親が不在であったり、物語の所以が不在であったり
    あらゆるものはほとんど空振りに終わる。

    けれどもカルヴィーノのユーモラスな筆致は
    それをヒロイックに描くのではなくて、
    はじまりが空虚であっても続いていく物語そのものの愉しみに誘ってくれる。

    それにしても、一番最初は異教徒の軍勢と戦ってたような気がしたんですが
    結局どうなったんですかね。ま、いっか。

    >>
    「だが、貴公は存在せぬとすれば、どのようにして奉公しようというのかな?」
    「意志の力によって」と、アジルールフォが答えた。「また我らの聖なる大義への信念によって!」(p.11)
    <<

    ほとんどとんち合戦のような閲兵式での一幕。
    ユーモラスな中にも存在せぬもののプライドを感じる。
    存在せぬものは虚業と呼ばれることもある文筆業ともどこかで重なっている。

    >>
    「それで、君は、将軍クラスであった父上、ロッシリヨーネ侯爵の仇を討ちたいというのかね!どれどれ、将軍一人の仇を討つのには、最良のやり方は少佐三人を槍玉にあげることだ。簡単なやつを三人、君にふり当てることができるがね、それで君も文句なしというわけだ」(p.27)
    <<

    仇討ちの直訴に行った若武者ランバルドを出迎えるセリフ。
    戦場で彼は父親の仇を探し回るけれど、仇の眼鏡係までしかたどり着けない。
    ランバルドは生身代表として散々振り回される感じだけど、
    物語の主観は不在の騎士にあるというのが面白いバランスでもある。

  • 「不在の騎士」の話を書いている修道尼が、「不在の騎士」のストーリーに出て来るキャラクターと同一人物であるという構造の本で、なりきり小説を書く夢見がちな人間の話かと思ってしまった。特に後半のご都合主義な展開は修道尼が子供であることを表しているのかもしれない(訳者あとがきの「子どもの視点」の話からそう思った)
    しかし、「不在の騎士」のストーリー自体は「全てを兼ね備えた理想の騎士は存在しない、それならば存在しない理想的な騎士が存在しないということはありうるのでは?」という出発点があるのでそれだけで楽しめた。何故なら私も架空の人間を架空だからこそ好きでいられているので……。というのも理想の人間が架空の存在であるからこそ、現状への諦めと同時にある種の現実への希望を持つことが出来るからである。
    従者グルドゥルーはなかなか味のあるキャラでとても良かった。存在感がすごい。

  • 品切だったのが、白水社から出版され、ついに3部作読破。『木のぼり男爵』が一番面白かったけど、これも作家の想像力に感服。なぜ不在なのに存在?やはり不在?奥が深すぎ、十分に理解できたかわからない。

  • からっぽのヨロイである「不在の騎士」アジルールフォ、理想と現実のはざまで元気よく生きて恋するランバルド、自分と他人の区別がつかず、メチャクチャに生きているグルドゥルー、生身の男に幻滅した女騎士ブラダマンテ、こんな人々が織りなす中世騎士物語風の話です。語り手は修道院の罰でお話を書かされている修道女テオドーラなのだが、なんとも頼りにならない語り手で、めんどくさくなって話を端折ったりする。アジルールフォは几帳面で現実的、騎士道小説のなかにいながら、騎士の「物語」を「記録」によって「事実」に格下げしてしまうので、ほかの騎士からはうとまれている。そんなかれに騎士の資格が否定されるという事件が起こるという部分が話の筋です。物語の人物がどのように自ら存在するようになるのか、「存在することを学ぶ」というなんとも形而上的な小説、というか寓話であると思う。アジルールフォが存在がつねに物を数えることによって、自らの存在しない存在を確認するところは、SNSでつねに反応を数えている現代人にも通ずるところがあるのではないかと思う。最後はなんとも面白いシカケである。

  • 『冬の夜ひとりの旅人が』に続き、『不在の騎士』もUブックスに。
    『木のぼり男爵』『まっぷたつの子爵』と共に『我々の祖先』3部作を構成する。
    『冬の夜〜』とはまったく違う雰囲気で面白かった。割と滑稽味が強いが、読後感に妙な寂しさがある。

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記は控えさせていただきます。

    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=9232

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著者プロフィール

イタロ・カルヴィーノ(Italo Calvino)
1923 — 85年。イタリアの作家。
第二次世界大戦末期のレジスタンス体験を経て、
『くもの巣の小道』でパヴェーゼに認められる。
『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』『不在の騎士』『レ・コスミコミケ』
『見えない都市』『冬の夜ひとりの旅人が』などの小説の他、文学・社会
評論『水に流して』『カルヴィーノの文学講義』などがある。

「2021年 『スモッグの雲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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