パウル・ツェラン詩文集

制作 : 飯吉 光夫 
  • 白水社
4.20
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感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560081952

作品紹介・あらすじ

未曾有の破壊と喪失の時代を生き抜き、言葉だけを信じ続けた20世紀ドイツ最高の詩人の代表詩篇と全詩論。改訳決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 「死のフーガ」から始まるツェラン詩集。
    “明け方に飲む黒いミルク”を、わたしはずっとアウシュビッツで捕虜たちが「コーヒー」と呼んでいた黒い液体だと思っていたが。
    本屋でしゃがんだまましばらく立ち読み(しゃがんでいるのに立ち読みとはこれいかに)していたら、あまりの言葉の重さにやられて動けなくなった。

  • あらたな流血の時代に、もういちど、ツェランの出生地から収容所への距離と、うしなわれてしまったものたちの一つ一つを、おもいださなければならない。そう思う。彼の詩は沈黙よりふかい。

  • 気軽に「評価」するのさえおこがましい。
    面白かったとか、つまらないとか、そんな閾はとうに超えている。とにかく、すさまじい。

    著者がいわゆる収容所体験をくぐり抜けてきた後で、いや著者に限らず、人間の言葉は以前のままでいられるはずがない。
    無垢なままでいられるはずもない。
    美しいだけでいられるはずもない。
    陳腐な醜さでさえ、美しい。
    文法は歪み、傷口を隠すはずのメタファーも引き裂かれ、言葉そのものが出血する。

    パウル・ツェランの詩を圧倒的に支配しているのは、沈黙だ。おそる、おそる、紡ぎ出された言葉はむしろ、沈黙の深さを計るために投げ入れられた、単なる小石でしかない。

  • 戦争と虐殺がひっそりと後ろにある。東側のヨーロッパのうっそりとした感じ。

  • 散文の一部のみ、読了。「思い誤るなー最後の灯が周囲を明るくしたのではないー周囲の闇がその深みを増したのだ」p.152-153 といった一節が印象に。

  • 石原吉郎さんの詩を初めて読んだとき(全詩集でなく、どこかに発表されていた詩や代表作)シベリアに強制収容されていてその上強制労働につかされ帰還した方だと知った。
    並んでドイツの詩人、パウル・ツェランが語られることがあるということだったが、そういうことをいつどうして知ったかも覚えがなかった。

    別な本を読もうとして、そこにパウル・ツェランの詩の一節が引用されていた。それで読む前の参考にとこの本を読んでみた。
    全詩集ではなく代表作を集めたものだった。、特に、その特徴は、思いがけない災厄に出合ったこの詩人の作品のなかから、東日本大震災で被害にあった方たちの心に響く作品が選ばれたということ。
    ツェランがユダヤ人で、ナチスに両親が殺され、自分も強制労働につかされた、悲惨な過去が詩の底にあること、そういったものを集めてこの詩文集が編まれている。

    参考までにドイツの詩人はと、調べてみるとハイネが出てきた。「ローレライ」の歌詞を書いた人である。

    パウル・ツェランの詩は日本の戦後詩に当たる時期に書かれたといえる。サルトルだったか、詩人の言葉で「水車」といっても、それは現実に思い浮かべる「水車」ではない、と言うようなことが述べられている。
    パウル・ツェランも言葉をメタファーとして使う詩人であり、言葉にどういうイメージが含まれているか、詩の中に詩人は何を現したかったのか、あるいは訴え、表現したものは何だったのか。
    読んでいるうちに深く打たれるものがある。

    パウル・ツェランの詩はその技法に慣れて、読んでいると、奥深く潜んでいる原体験、非常に深い傷跡が読み取れる、
    詩篇は不思議なリズム感があるが、悲しみと、それとともに両親への追悼の心が、悲しい響きを伝えてくる。
    読むうちに、破綻のない詩の形に偉大な詩人が死を見据えた魂の声を聞くことができる。

    解説は後部に、一編ずつつに対してつけられ、詩文集は彼の少ない講演の記録や文章を集めている。

    代表作「罌栗と記憶」の中の「詩のフーガ」が冒頭にあるが、それではなく、趣旨に沿って

    「ひとつのどよめき」を

    ひとつのどよめきーーー いま
    真実そのものが、
    人間どもの中に
    歩みいった、
    暗喩(メタファ)たちのふぶきの
    さなかに

    訳者解説

    「暗喩たち」というのは、詩の代名詞と考えていい。詩について喋々喃々している間に「どよめき」が(災厄)が持ち上がった。



    石原吉郎さんの詩も(手持ちの名詩集から)

    泣きたいやつ

    おれよりも泣きたいやつが
    おれのなかにいて
    自分の足首を自分の手で
    しっかりつかまえて
    はなさないのだ
    おれより泣きたいやつが
    おれのなかにいて
    涙をこぼすのは
    いつもおれだ

  • 冒頭『死のフーガ』で叩きのめされ、『迫奏』ではどこかに連れて行かれそうだった。詩論のほうも『子午線』などなかなか興味深かった。

  •  ドイツ系ユダヤ人の著者は、本国ドイツでのみならず、国際的な評価が非常に高い、20世紀を代表する詩人だ。両親を強制収容所で失った著者の作風にはその影響が色濃く、本書は「東日本大震災後の状況において心に響く詩を」という要請により、著者の代表的な詩と詩論が収められている。
     著者は、「もろもろの喪失のなかで、ただ言葉がだけが、手に届くもの、身近なもの、失われていないものとして残りました」と、1958年にブレーメン文学賞の受賞スピーチで印象深いあいさつをし、その後もコンスタントに詩を発表し続けたが、1970年、セーヌ川へ身を投じてしまう。
     ホロコーストを扱った文学は、日本では『夜と霧』を代表作とするヴィクトール・フランクルの名がよく知られている。彼は、もう1つの代表作で、『それでも人生にイエスと言う』と言った。ホロコースト後の世界を生きる、2人の偉大な文学者の生死を分けたものは何だったのだろう。

  • 20世紀ドイツ最高の詩人と呼ばれ、両親をナチスに奪われたルーマニア出身のユダヤ人、ツェランの代表詩篇と詩論を編纂した「2011年、喪失を経験した人達に」向けられた詩文集。切り詰められた言葉の難解さは喪失を受け入れることの困難さそのものであり、それは理解できずとも鎮痛剤の様に解きほぐすことが困難な痛みを鎮めてくれる。「もろもろの喪失の中で、ただ『言葉』だけが、手に届くもの、身近なもの、失われていないものとして残りました」この言葉が、本当に必要としている人たちへ届いてくれればと、そう、強く願わずにいられない。

  • 3.11後において心に響く詩としてのツェランという発売意図に関しては賛同しないものの、ツェランの代表的な詩論と散文が収められていることは評価したい。「子午線」の用心深くも断固として進む道、「エドガー・ジュネの夢のまた夢」の読み解き(結局はツェランの詩に近づいてしまうのだが)。ジゼル・エストランジュの版画一葉、エドガー・ジュネの絵画二葉もあわせて収録されている。

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