台湾海峡一九四九

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  • Amazon.co.jp ・本 (434ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560082164

作品紹介・あらすじ

人びとが下したささやかな決断と、それがもたらした壮絶な流浪の軌跡。台湾随一のベストセラー作家が満を持して放つ歴史ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • https://www.hakusuisha.co.jp/book/b205929.html
    上記リンク先より転載

    時代に翻弄され、痛みを抱えながらこの小さな島に暮らしてきた「外省人」と台湾人。“敗北者たち”の声に真摯に耳を傾け、彼らの原点である1949年を見つめ直す歴史ノンフィクション。

     1949年、国共内戦に敗れた国民党政府軍と戦乱を逃れた民間人とが大挙して台湾へ押し寄せた。その数ざっと200万。一方、50年にわたる日本の統治期を経て、「外省人」という新たな勢力の大波にのみ込まれた台湾人。互いに痛みを抱えながらこの小さな島に暮らしてきた外省人と台湾人の「原点」を、60年が過ぎたいま、見つめ直す。
     抗日戦終了後、休む間もなく国共内戦に投入され、最後は国民党軍の撤退とともに台湾へ逃れてきた軍人とその家族たち。南洋にあった日本軍の捕虜収容所で監視員を務め、戦後、戦犯として裁かれた台湾人。たまたま隣の島へ荷物を届けて、海域を封鎖された漁師―。
     本書は、あらがえない時代の流れのなか、限られた運命の選択肢に自らを賭し、必死で生き延びてきた人々の姿を、当時の日記や史料をもとに丹念に描いた歴史ノンフィクションである。と同時に、これまで語られることのなかった〝敗者〟の声を真摯に汲み上げた記録文学でもある。
     「世界で最も親日的な国」といわれる裏にどんな事情があるのか、独立か統一か現状維持かで常に揺れ動く背景に何があるのか。東アジア全域を舞台に、台湾随一のベストセラー作家が満を持して放つ歴史大作!

  • 国共内戦時の兵士、一般人の語る凄惨な歴史の記憶が忘却されぬよう、この一冊に広汎且つ詳細に記述され、台湾海峡を隔てた大地と島の苦難の時代を深く知ることが出来ました。

  • 1949年。国共内戦が「終結」したその年を一つの軸に、戦場で、荒野で、海で、歴史に翻弄されていった「民」の話。毎日すれ違う人々に、電車で乗り合わせた人々に、それぞれの暮らしがあって、それぞれの大事な人がいたように、それぞれの1949を追う。あまりに辛くて、救いのない、けれど読むのをやめられない。
    兵役により、まもなく入営しなければならない19歳の息子に向かって母が歴史を語る形式。その9割は歴史の話だが、時折挟まれる母から息子へのメッセージがせめてもの救い。

    著者は文学であると断言する。あまりに重い、しかし忘れてはならない、かつて本当にあった人々の話。凄まじい、文学でした。

  • 台湾の人の第二次大戦に関する立場は複雑だ.被害者でありながら加害者でもある.さらには戦後には国民党が中国本土からやって来て,内省人と外省人の2種類の人々が同居することになった.この第二次大戦や国共内戦,国民党の台湾移転(本書タイトルの1949年)までの,台湾(と中国)の暗黒時代ともいえる10年間について,膨大な資料の分析とインタビューをもとに構成されたルポタージュ.
    日本兵として日中戦争/太平洋戦争に参加した台湾人,国共内戦で国民党側に参加して台湾に逃れた外省人,いずれも若い田舎の青年であった.2009年に原書が台湾で発刊されたが,従軍した人々の年齢からして,取材するにはギリギリのタイミングだったといえる.

  • 其實我沒在上海和台北工作的話,我沒想到看這書本。一頁一頁好難看。人生是什麼?命運是什麼?我感謝活著在現在平穩的時代。

  • 国民党軍として、中国大陸から台湾へ渡ってきて、外省人と呼ばれるようになった人々から始まり、第二次世界大戦で日本兵として出征した台湾人たちの苛烈な運命も含め、20世紀の両岸三地を生きた個々の人々の多数の物語を綴った骨太のノンフィクション。戦中の物語はあまりに衝撃でこちらの心も読んでいて痛くなる。
    国籍は関係なく、戦争が引き起こすものの残酷さを改めて思うし、これまで触れてきた台湾の映画や書籍、旅して見てきたこともここに繋がっていく。
    親日やらなんやら言われたり、国民党を親中扱いするような単純な言論もあるが、この本が翻訳され、読めたことで台湾好きとしては気持ちが一層引き締まるのであった。

  • 本書と直接は関係ないが、ふと思い出した文句をふたつ。

    「人間が彼らの地理的・社会的・知的空間の中で窮屈に感じ始めたとき、ひとつの単純な解決策が人間を誘惑する怖れがある。その解決策は、人間という種の一部に人間性を認めないということに存している。(略)アジアで私を怖れさせたものは、アジアが先行して示している、われわれの未来の姿であった。」
    レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』より

    「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」
    アドルフ・アイヒマン

    この本は、時間のなかに埋もれて、または統計のなかに埋もれて顔を失ってしまっていた一人々々の人間にそれぞれの顔をとりもどすための一冊だ。しかし、読んでいてあまりの悲劇の洪水に現実感を失いそうにもなる。

    印象に残ったのは、母親が用を足しているわずかな隙に列車が走り出してはぐれてしまった幼児(その行方は分からない)。国民党軍と解放軍の区別もあやしい、徴発された台湾出身の元兵士。レニングラードにも匹敵するが、歴史からかき消された長春包囲戦の飢餓。日本人の苦難も。

    しかし国民党軍の弱さにアメリカ政府があきれていたが(『コールデスト・ウインター』)、この無理矢理な徴発ではむべなるかな。

  • この本との出会いは、2012年高雄に出張した時だった。百貨店の本棚の歴史コーナーで見つけた。内容には興味を持ったが、分厚く、荷物を増やしたくなかったので、買わずにおいた。今思えば、それは邦訳が出てまだ間もなかった頃だ。2013年、近所の本屋で偶然再会した。縁を感じ、即座に購入した。しかし、戦時混乱の描写は、時にむごたらしく、時にやるせなく、なかなか読み進められないでいた。
    しかし、昨日、たまたまできた時間に読み始めたところ、時が経つのも忘れ、一気に読了することができた。読み終われば、なぜこれほど時間がかかったのだろうと、悔いた。それほどまでに、自分にとって、この本は読むべき本だった。
    来年で、終戦70年を迎える。この歳月は長いと感じるかもしれないが、戦争の記憶はまだまだ生々しい。戦争は、人々が持つ、価値観を崩壊させ、狂人にたらしめる。誰が家族と離散したいと思うか。誰が故郷を捨てたいと思うか。誰が人を殺したいと思うか。誰が人から不条理に殺されたいと思うか。
    この本は非常に価値のある本だ。登場する人物は、次々に入れ替わっていくが、それぞれに歴史と物語がある。そして、刊行された2009年は、生きていても80代後半、一人の一生の時間に該当する。
    歴史の持つ深さ、重みをリアルに理解するためには、本著がこのタイミングで出たことに、貴重な出会いを感じる。そして、我々はここから何を学び、次の歴史という舞台に立っていくべきなのか。
    歴史は、時間が経つとともに、失われ、そして繰り返されていくものがあるのだと思う。学校で習うのは、政治史や経済史などが中心だ。しかし、一人一人の人間が生きた証が、歴史なのだと本著は教えてくれた。
    著者曰く、”皆が自分で考え、自分の場所を見据え、何が本当の価値なのか見極められるなら、この世界も少しは変わっていくだろうか”。19歳の息子に著者が宛てた言葉である。

  • 著者は「本書は文学」であるという。そして、「文学だけが、花や果物、線香やろうそくと同じように、痛みに苦しむ魂に触れることが出来る」のだ、とも言う。しかし、僕はこれだけ様々な苦しみを現実のものとして著している「文学」を知らない。
    本を読むことの一番の面白みは、知らないことを知り、自分なりに考える土台とし、自分の知識を系統立てて整理し、自分の考えを組み立てる礎とすることだ。だから、知らない事実を知らせてくれる本に出会うのは楽しい。この本を読んで、改めて自分が、そして多くの日本人が、そして多分多くの台湾人、多くの香港人、多くの中国人が、1945年8月15日以降に東アジアで起こっていたことについて、余りにも知らなすぎることに愕然とした。決して楽しい話じゃ無い。けれど、今この東アジアで起きていることへ結びつく全ての流れの中で、1945年からの4年間が欠落している事実は、人々を大きくミスリードすることになる、そう思った。
    僕は著者がこの本で著していることに全て同意はしない。著者龍應台は台湾文壇の大家で、戦争直後に高雄で産まれた外省人で有り、本人が思うほどその呪縛からは逃れられていないと思う。そこかしこに散らばるセンチメンタリズムや、若干の事実誤認は、日本人ばかりでは無く、少なくとも僕の知り合いの多くの本省人も同意しがたい部分もあるだろう。この本をHonzで紹介していた麻木久仁子みたいなぬるい評論はやめておこう。それでも、この本が報せてくれる、少なくとも僕の知らなかった事実は衝撃的で有り、それがたとえ国と国の戦争であろうが、内戦であろうが、戦争の犠牲になった者に区別の無いことを知ることになる。そして、あの数年間、ちょっとした運命のいたずらが、家族を、友人を引き裂き、60年経った今も問題の根底に転がっていることを。
    本書は2009年に台湾で発表され、原題を「大江大海一九四九」と言う。1949年、それは蒋介石率いる国民党軍が壊滅し、台湾へ敗走、その年の10月に、中華人民共和国が成立した年である。日中戦争に匹敵する犠牲者を出したこの国共内戦について、まともに知ってる日本人は殆どいないのでは無いだろうか。1945年8月15日は、日本人にとってはある種終わった日だった。しかし、東アジアにとっては、それは今をもつづく苦しみの通過点に過ぎなかったのだ、と言うことを、この本によって知った。
    2010年代の東アジアを、そこだけ切り抜いて見てはいけない。歴史は綿々と続くもの。たとえ今の世代の人間が過去に責任を負うことが不可能であるとしても、少なくとも知らなければならないことはある。そういう意味では、全ての東アジア人が、一度は読むべき本である。そして名作でもある、なにしろ、「中国大陸で発禁処分」という、「現代におけるある種の文学賞」の受賞作品なのだから。
    蛇足だが、この夏読んだ本ベスト3は、全て中国大陸発禁本ばかりだな。(苦笑)

  • 歴史を知ることは大切だ。教科書に1行しか書かれていないことにも、複数の味方があり背景がある。価値判断もあてにはならない。「正義」というのは普遍的なにおいがするがそうではない。何に対しての「正義」か。「大義」もしかり。p210「歴史というのはそもそも、勝った側が書いたものか、あるいは負けた側が書いたものかを把握していなければならない」…そして、それぞれ政治的イデオロギーと結びつき、ややもすると変説する。
    p366「…どちらが正しくて、どちらが間違っているとか、そんなことを言っているのではない。ただ考える。…」これなら、だれにでもできる。知識の有無は関係ない。「頭のいい人」に「ダメ人間」と見なされ、思考停止になったら思うつぼだ。だから、考える。筆者はこの本は「文学」だという。ということであれば、文学には力がある。他の形態であるならば、これほど心に響かなかっただろうから。

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著者プロフィール

作家,評論家。1952年,台湾・高雄に生まれ,74年,成功大学外国語学部卒業,82年,米国カンザス州立大学で博士号(英米文学)取得。83年に帰国し,書評集『龍應台評小説』で文壇にデビュー。85年,「中国時報」紙に掲載された評論が戒厳令下の台湾で多大な反響を呼び起こし,翌年出版の『野火集』は空前のベストセラーになった。その後も世論をリードする作品を次々に発表しつつ,86~99年,スイスとドイツに滞在。88年からハイデルベルク大学研究員兼講師。99~2003年,台北市文化局初代局長,05年,龍應台文化基金会設立。新竹清華大学教授,香港大学教授を歴任。12~14年,台湾行政院文化部部長。著書は『野火集』,『大江大海』(日本語版『台湾海峡一九四九』),『目送』(日本語版『父を見送る』),『人在歐洲(ヨーロッパにて)』,『百年思索』,『面對大海的時候(大海原に向かって)』,『請用文明来説服我(文明的に私を説得してください)』,『孩子你慢慢来(我が子よ,ゆっくりと歩いて)』,『親愛的安徳烈(親愛なるアンドレ)』など多数。

「2019年 『永遠の時の流れに 母・美君への手紙』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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