- Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560082621
作品紹介・あらすじ
放射能の光にたゆたう核戦争後の風景を明るい絶望の中に描く、神聖アチャラカ喜劇。日本の小劇場演劇における記念碑的な名作戯曲に、書き下ろしも加えシリーズ4作品を完全収録。
感想・レビュー・書評
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演劇
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見しことも見ぬ行末もかりそめの枕に浮ぶまぼろしの中
式子内親王
掲出歌は、今まで経験したことも、まだ経験していない未来のことも、ただはかない「まぼろし」なのだ、という意味。
なるほど、ヒトは忘れることのできる動物だが、過去に実際に経験したことを「まぼろし」にすり替えてしまうあやうさまで示唆した歌として、深読みもできそうだ。
この歌が、北村想の戯曲集「寿歌【ほぎうた】」に引用されており、見つけた瞬間、思わず声を上げてしまった。
というのも、2013年に「劇団東京乾電池」札幌公演で、この「寿歌」を観ていたからである。予備知識は一切なく、出演の柄本明と角替和枝夫妻の存在感にただただ圧倒されるばかりだった。
あらためて活字で読み、背景に息をのんだ。実は「核戦争後」の設定で、放射能の光が時折見える廃虚の中、生き残った旅芸人ら3人が、リヤカーを押し、がれきの合間をひたすら歩くという内容だったのだ。
ゲサク(男性)のセリフ―「見わたすかぎりガレキの山や、これやったらどこへむかって行っても行き先は一緒や。もうほとんどの人間は死んでしもうて、影に見えるのは月の光が空気にぶつかってる姿だけや」。
タイトル「寿歌(=祝いことほぐ歌)」とは対極にある状況で、むしろ掲出歌の「まぼろしの中」に近いはかなさも感じる。
シリーズ4作を読み通すと、予言のようであり、かつ、生き続けようとする人々の息遣いも伝わる。過去を「まぼろし」にすり替えるな、という警鐘もありそうだ。
(2015年6月21日掲載)