ミッシェル・セールの思想について、その全体像を把握することのできる本である。
最初にセールの伝記がある。南仏アジャンに生まれたセールは、船乗りや砕石工場の経営をしていた父のもとに生まれ、1936年にはスペイン内乱による難民の世話をした。ナチス・ドイツの占領下を経験し、二二歳のとき、エコール・ノルマルへ入る。ライプニッツ論で学位をとり、現在まで活躍している哲学者である。弟子のラトゥールや、人類学などにも影響を受けた人物は多い。
第一部は、「ヘルメス」(著作群)の『生成』と『自然契約』を論じている。基本的にセールはライプニッツと同様に多元論で、「あるがままの多」を探求する思想家である。「イクノグラフィ」(見取り図)は神の視点で一つであるが、「スケノグラフィ」(パースペクティブからの眺望図)は無限にある。こうしたスケノグラフィーはネットワークを形成し、それらの間を繋ぐのが、準・客体(ラグビーボールの譬喩)である。暴力から秩序が生まれるのが、あるがままの姿ではあり、富や権力もそうした暴力の変形ではあるのだが、非暴力を実践するには、「場」をみつけることであるとする。また、人間による自然の搾取(これも見えない暴力)を制限し、自然と人間が対等な立場で契約をすることが必要だとする。
第二部は、エピステモロジー(科学基礎論)で、ライプニッツの思想とセールの思想の連係がしめされている。19世紀・20世紀までの科学が、流体を意識して、電磁気学など、その影響を探るという科学であったが、情報革命以後、「固体」とそれをつくるネットワーク(モノ対モノ)をさぐる方向にかわり、思弁的実在論(人間の心を介さない実在論)がでてくる。
第三部は、人類学である。追放・腐敗(交換)・疎外・寄食・暴力などが論じられている。
終章は、ライプニッツの結合法則についてである。
むずかしいが、おもしろそうな哲学者で、セールの著作を読みたくなる本である。準客体については、中国にもこうした例はあるかもしれない。