- 本 ・本 (318ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560084557
作品紹介・あらすじ
人気歌人の燃えたぎる生涯
平成の与謝野晶子とも譬えられ、恋や家族を高らかに歌い上げた歌人が他界したのは二〇一〇年八月。だが没後「河野裕子短歌賞」が創設されるなど、その評価はますます高まっている。
夫の永田和宏や娘の永田紅などによって、家族の肖像は多く明らかになっているが、今回その息子が初めて母の生涯を丹念に描いた。
誕生から幼少期を過ごした熊本時代、精神を病みながら作歌に目覚めた青春時代、永田和宏との出会いと結婚、多くの引っ越しを重ねながら子育てに勤しみ、短歌にも磨きがかかった時代、アメリカでの生活や晩年の闘病、そして最期……。
これまで未発表だった日記や、関係者への取材を通して明らかになる歌人の日々から、著者は新たな作家像を浮かび上がらせる。精神を病みながらも、同姓だった無二の親友と築いた文学的信頼関係。しかも彼女の自死。また最期を看取りながら病床で一首一首を口述筆記した様子は、読む者を深い感動へと導いていく。
対象への距離感と親子の親密感とがみごとに融合した、評伝文学の傑作である。
感想・レビュー・書評
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著者が生まれる前のご両親の話の時は、少し堅苦しくこ慣れない文章を読まされている感じが拭えなかったけれど、家族としての母の話となってきたところから、俄然面白くなってきた。子供の目を通して母としての河野裕子の人間像が強烈に浮かび上がってきた。そして最期はやはり涙が止まらなかった。
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たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
20代の若き日から、戦後女性短歌史の一翼を担った河野裕子。右はその代表歌である。
滋賀の野山で多感な少女期を過ごし、結婚を機に関東へ。見慣れた緑や動植物と離れ、夫と2児のみが拠り所だったころの作という。魂の原風景を、「昏【くら】き器」と歌わざるをえなかった心の陰影は、しかし、それゆえにこの秀歌に結晶した。
のち、滋賀近辺に居を移し、独特なオノマトペ遣いや、全歌作のうち4割近くもあるという「家族」詠で、多くの読者に慕われた。そのさ中、乳がんにより64歳で死去。
闘病中は、薬の副作用で精神が不安定だったという。河野の間断なき罵声を限界まで受け止め、ときに号泣するほどの葛藤をも共有した家族の様相は、夫である歌人永田和宏の「歌に私は泣くだらう」(新潮文庫)に詳しい。
本書は、2人の長男による評伝であり、熊本の曾祖母(河野裕子の祖母)の「ハイカラ」さから書き起こされている。
ハイカラとはいえ、河野の祖母、母ともに、封建制を足かせのように引きずりながら生き抜いた世代であった。そのような女性たちの生に、真っ向からあらがったのが、河野の、過剰なまでの家族詠であったという逆説的【パラドクシカル】な本書の読みは興味深い。
女子大時代の親友の自死が、河野の心に深い傷痕を残したことも日記から明かされている。他者を評するに、「自殺を考えたことがあるかどうか」が大きな基準であったという河野を、歌人である著者もまた、否定してはいない。表現者として、その判断基準は決して非礼なものではないのだ。
死ぬときは息子だけが居てほしい 手も握らぬよ彼なら泣かぬ
夫/父永田和宏ならば引用しないであろう歌を掲げ、本書は叙情的に閉じられる。そうか、本書は、息子が父を乗り越えようとした試論でもあったのか。
(2015年10月18日 北海道新聞「ほん」欄掲載) -
家族が見たひとりの芸術家の人生
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読み進めるうちに、確かにこれは評伝というタイトルが正しい、と思うようになった。
有名な大学教授や評論家などではなく、息子さんに評伝を書いてもらえるなんて、河野さんはなんて幸せな人だろう。おそらく天国ですごく喜んでおられるように思う。
息子さんにしか書けなかった、河野さんの素顔。妻として、母として、精一杯生きた一人の歌人。惜しみない愛を与え、そして愛された、素晴らしい人生を全うされたと感じた。
著者プロフィール
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